407手目 読み切り
早乙女は、大いに時間を使った。
かなり先まで読んでるな、これ。
あたしも飴玉をくわえて読む。
次の手は4四同金直だろう。問題は、同角と切って後手が寄るかどうかだ。
早乙女の長考は、寄る可能性があることを示唆している。
こういうのは人読みだよな。
「……4四金」
ほい来た。
あたしは1分追加して、同角と取った。
同金、5五銀、同銀右、同角。
早乙女はこれをみて、
「あら、先手は寄らないとみているの?」
と、プレッシャーをかけてきた。
そこはもちろん読んであるんだよ。
あたしのほうは5八銀がいきなり2手スキだ。
が、そこで用意しておいた手がある。
早乙女の5五同銀に、あたしは持ち駒の歩をひろった。
「4八歩だ」
早乙女は、うしろ髪をなでた。
「なるほどね……5八銀を緩和してから攻める、と」
「そこまで分かってるなら、応手があるんだろうな?」
「……」
早乙女はまた考え始めた。
正直、応手はないほうがいい。あと、ここから3二玉と逃げられたら、かなりめんどくさいと感じていた。5八銀と素で打ってくれねぇかな。
早乙女はのこり10分を切るまで考えて、5八銀と打った。
ん? そっか、ド本命できてくれたか。
「3五桂だ」
「詰めろね。3二銀と受けるわ」
4五桂、同金とする。
ここで3四銀は、先手の金駒が足りない。
が、盤上に落ちてる。
「5八飛」
あたしは銀を回収した。
早乙女はスッと同龍。
「3四銀」
詰めろ。3三銀打、3一玉、3二銀成、同玉、3三銀打、4一玉、4二金までだ。
こっちはまだ詰めろじゃない。
ただ、受けがいろいろありそうなんだよなあ。単純に3一桂とか。
早乙女は、また時間を使い始めた。
「……読み切りかしら」
「あ? 対局中に読切ジャイアントの話かよ」
「ちがうわよ。3五金」
……そう来たか。
同歩、3一桂で完切れ、って寸法ね。
読み抜けてたわけじゃない。これはある程度、道筋をつけてあった。
あたしが考えてるのは、無視して3三銀打。以下、同銀、2三金、3一玉、3三銀成、4一玉、3五歩と詰めろ詰めろでせまって、5二玉に7三銀。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
このかたちだ。
詰めろの挟撃になっていて、しかも先手は詰まない。
もっとも、5一角があるから、必至じゃないんだよな。5一角、6二歩で、早乙女がどう受けてくるか。持ち駒が桂桂銀角飛車だから、案外受けにくい気もする。例えば、4二銀は受けになっていない。同成銀、同角、3四銀で、詰めろにもどるからだ。
ぶっこんでくるなら、4四飛の受けか? 4四飛、3四成銀……3七歩と打たれると、速度で逆ってるかもしれねぇ。3七歩に4四成銀は詰む(3八歩成、同玉、4九角、3七玉に4七龍と切って、同歩、4八銀、3六玉、2七角成以下)。だから3七歩、同金寄として、そこで4八飛成が詰めろ(3九角、2七玉、3七龍、同玉、4六金)。4八同金でも詰むから、4三金、同龍、同成銀、同玉で消すしかない。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
……どっちも寄らないか?
あたしは右膝をかかえて、椅子のうえでのけぞった。
天井をあおぐ。蛍光灯がまぶしい。目を閉じて考える。
……………………
……………………
…………………
………………どっちも詰まないな。
じゃあこれが最善か。
あたしは姿勢をもどした。
のこり時間は、10分を切った。
そろそろ潮どきだ。
早乙女あいてに、少ない持ち時間じゃ戦えない。
あたしは3三銀打とした。
「……そちらなのね」
「どの手と比較してた?」
早乙女はなんだかシラけたような顔で、
「3五同歩と比べてたの」
と答えた。
「そりゃ完切れコースだろ」
「……そうね。3三同銀」
2三金、3一玉、3三銀成。
早乙女は豊富な持ち駒のなかから、器用に銀を選り分けた。
「2七銀」
……………………
……………………
…………………
………………ん?
あたしは盤面を見直した。
2七同金、3九角、4九飛のつもりか? 3八玉なら詰まな……4六桂があるか。4六桂、3七玉は3九飛成まで。4六桂、2八玉は3九角、1八玉、4八飛成、同金、同龍、2八銀、同角成、同金、同龍、同玉、3九銀、1七玉、2五桂(!)があって詰む。
最初に2七同金じゃなくて同玉なら……2六金、同玉、2五飛があるのかよッ!
し、しまった。3五の金じゃ直接王手できないから、関係ないと誤解していた。
あたしは頭をかかえた。
とりあえず、パターンは多い。ぜんぶ詰むとは限らない。
「……」
「……」
3分ほどして、あたしは気づいた──ぜんぶ詰みだ。
よ、読み抜けてないだろうな。あたしはもういちど考える。
早乙女は離席をせず、淡々とあたしの時間がなくなるのを待っていた。
ムダに何回も読む。将棋で一番苦しいかたちになっちまった。
「……」
「……」
ピッ
のこり1分になった。
あたしは腹をくくった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
首をあずける。
以下、3九角、同玉、4九飛、2八玉、4八飛成、同金、同龍、3八銀、3九角、2九玉、3七桂、同銀と、ノータイムの応酬。
早乙女は読み切りだった。
「1七桂」
あたしは持ち駒をそろえた。
「負けました」
「ありがとうございました」
いやぁ、あたしは椅子にふんぞりかえる。
「3四銀は手拍子だったな。なんかあったか?」
「もうすこしまえのところから、後手が良かったと思うわ」
「具体的には?」
「5五の地点で清算せずに4五歩は?」
【検討図】
早乙女はこの手を指摘しながら、
「先手は、そこまで急ぐ必要がなかったと思うの」
とコメントした。
「んー、6八龍で?」
「5八金と弾くかしら」
あたしは目を細めた。
「6八龍は飛車角両取りだぞ? 角を素抜かれて、どうすんだ?」
「そこで4四歩と取り込んで勝負かしら」
あたしは両腕を後頭部にまわし、椅子をうしろに傾けながら、
「ムリじゃね? 飛車が自陣だし、攻め駒が金1枚じゃ足りないぜ?」
と答えた。
「そうね……先手の攻めは、もっとまえで切れているのかも」
そのあと、中盤をいくらか検討して、あたしたちは席を立った。
周囲にはけっこうなギャラリーが集まっていた。
最初に声をかけてきたのは青來だった。
「名局でしたッ!」
「はいはい、結果がすべてなの」
次に安奈が話しかけてくる。
「最後、詰みがあったのね。観ていて気づかなかったわ」
「あたしも途中まで気づかなかった。時間配分をまちがえたな」
「そのあたりはむずかしいわよね。1分将棋で負けたら、逆のことを言いたくなるし」
そうそう、だからけっきょくは、たられば。
あたしは気持ちを切り替える──ってわけにもいかないよなあ。
ああ、悔しい。あたしは飴玉のスティックを噛みしめた。
会場内をぶらぶらしていると、急にうしろから声をかけられた。
「不破さん……おつかれさま……」
ふりかえると、飛瀬が死んだ魚のような目で立っていた。
「なんだ、来てたのか?」
「捨神くんに来ないように言われたけど、来ちゃった……」
飛瀬、じゃっかんウルウルしてる。
あたしはタメ息ついて、
「師匠は本気モードのときは誰もつれてこないの」
と教えてやった。
飛瀬はきょとんとして、
「本気のときこそ、愛の力が必要なんじゃない……?」
とたずねた。
「あのなぁ、少女漫画じゃねぇんだから、羽生さんだって奥さんつれてこないだろ」
「なるほど……一理ある……」
飛瀬は、
「愛はむずかしい……」
と言いながら納得していた。
「まあそこは同意するが……ん?」
スマホがブルっと来たぜ。MINEを確認する。
歩夢 。o O(いま準決勝? 観にいくとメイワクかもだから家で応援するねv)
おまえは来いよッ!
何年あたしのツレやってんだッ!
しかもおせーしッ!
「ちくしょーッ! なにもかもうまくいかねぇッ!」
あたしの絶叫が、公民館にこだました。
場所:2015年度全国高等学校将棋トーナメント(H島県予選・個人)
先手:不破 楓
後手:早乙女 素子
戦型:先手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △6二銀 ▲5八飛 △4二玉
▲4八玉 △3二玉 ▲5五歩 △3四歩 ▲3八玉 △8五歩
▲7七角 △4二銀 ▲6八銀 △7四歩 ▲5七銀 △7三銀
▲6六銀 △6四銀 ▲4八銀 △1四歩 ▲1六歩 △5二金右
▲4六歩 △4四歩 ▲4七銀 △4三銀 ▲2八玉 △3三角
▲3八金 △5一角 ▲5九金 △9四歩 ▲9六歩 △8四角
▲4八金上 △7三桂 ▲5六銀 △3三桂 ▲6八角 △2二玉
▲5九飛 △3二金 ▲3六歩 △4二金右 ▲3七桂 △2四歩
▲2六歩 △8一飛 ▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △4四歩
▲3三桂成 △同金右 ▲3七桂 △8六歩 ▲同 歩 △3五歩
▲同 角 △6六角 ▲同 歩 △8六飛 ▲4五歩 △8八飛成
▲6五歩 △同 桂 ▲6六角 △7八龍 ▲5四歩 △同 銀
▲4四歩 △4七歩 ▲同金直 △5五桂 ▲4三歩成 △同金上
▲4四歩 △同金直 ▲同 角 △同 金 ▲5五銀 △同銀右
▲同 角 △同 銀 ▲4八歩 △5八銀 ▲3五桂 △3二銀
▲4五桂 △同 金 ▲5八飛 △同 龍 ▲3四銀 △3五金
▲3三銀打 △同 銀 ▲2三金 △3一玉 ▲3三銀成 △2七銀
▲同 金 △3九角 ▲同 玉 △4九飛 ▲2八玉 △4八飛成
▲同 金 △同 龍 ▲3八銀 △3九角 ▲2九玉 △3七桂
▲同 銀 △1七桂
まで116手で早乙女の勝ち




