406手目 本気モード
あたしたちはメックに到着した。
めちゃくちゃ混んでた。将棋関係者もちらほら。
持ち帰りを選択。といっても、そとで食べるのはキツいんだよな。7月だから暑い。
あたしは紙袋を持ったまま、
「師匠、どうします?」
とたずねた。
「店内で立ったままでもいいよ。エアコン効いてるし」
うーん、あたしはそれでもいいんだが、師匠はなあ。
師匠は、白い長袖シャツを着ていた。日焼け対策だと思う。師匠は紫外線にあたると、うまく焼けないで赤くなるタイプだった。プールなんかもほとんど行かない。そもそも泳げないんじゃねぇかな。
やっぱ、座って食べるほうがいいよな。
公民館へもどろう。ちょっと遠回しに誘導するか。
あたしがしゃべりかけるよりも早く、師匠が先に口をひらいた。
「あ、ごめん、不破さん、公民館にもどろうか」
……ん? 望みどおりの展開になった。
あたしは即行で同意した。
メックを出て、ゆだるような街中を歩く。もちろん日陰を選んで。
H島市の夏は暑い。けど、盆地の駒桜のほうが、気候的にはシビアだ。熱がこもる。
その点、H島市は海が近いから、あるていどは我慢できた。ビル影も多い。
信号で待っているあいだ、あたしは、
「やっぱ空いてるところで食べたほうが、いいですよね」
と、てきとうなことを言った。
「うん、そうだね。御城くんと六連くんがいたし」
……………………
……………………
…………………
………………そういうことか。
信号が青に変わる。渡りながら、あたしは師匠をみた。
「今日、宇宙人が来てませんよね」
「飛瀬さん? うん、来てないよ」
「師匠、なんで今回の大会、マジなんですか?」
師匠の顔から、フッと笑みが消えた。
そう、あたしはこの表情を知っている。
むかし、師匠がまだ中学生のとき、ふいに見せてくる顔だった。
「……不破さんは、どうしてそう思うの?」
「だって師匠、マジのときはあたし以外、そばに置かないじゃないですか」
師匠は笑った。
「アハッ、バレてた?」
「長いつきあいですし……で、本気モードな理由は?」
「ちょっと格付けをしたいかな、と思って」
「ああ、御城とですか。御城も今回優勝したら、飛び入りで日日杯ですもんね。事前にポカリとやっておいて……」
師匠は首をふった。
「六連くんとつけたいんだよね」
あたしは意外に思った。
師匠と六連の絡みなんて、ほとんど見たことがなかったからだ。
ボードゲームをしたとき以来じゃないか。
それに、六連は日日杯の出場が確定している。
「六連と、なにかあったんですか?」
「なにも」
ウソをつかれた気配はなかった。
あたしは首をかしげる。
師匠は先をつづけた。
「ほら、言葉じゃ伝わらないことってあるでしょ。僕にはピアノのライバルが何人かいるけど、彼らとはあんまり会わないんだ。でも、コンテストでおたがいの演奏を聞いたら、それだけで理解し合えてる。彼は悩んでるんだな、とか、彼女は課題の答えを見つけたんだな、とか、そういうふうにね。僕は、六連くんがなにを考えて将棋を指してるのか、わからないんだ。ふらっと将棋界に現れたけど、最近はあんまり楽しそうじゃないし……だから、教えて欲しい。将棋で。そのためには、僕も本気でいくしかないよね」
○
。
.
女子の会場。
目のまえには早乙女が座っている。
駒を並べ終えて、あとは開始の合図を待つだけ。
早乙女はうしろ髪をなでながら、
「どうしたの、さっきからニヤニヤして」
と訊いてきた。
「いやぁ、まだまだ勉強することがあるな、って」
「私たち、まだ十代なのだけれど」
つまんねぇリアクションだな。
だけど、そのリアクションは予期していた。それくらいの仲ってことだ。
不思議だよな。こいつとはたまにしか会わない。が、天堂の女子よりよっぽど読める。
中央で、月代が会場をみまわした。
「準備はよろしいですか? ……それでは、準決勝を始めてください」
「よろしくお願いします」
早乙女はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、5六歩、6二銀、5八飛。
いくぜ、あたしの十八番。
4二玉、4八玉、3二玉、5五歩。
早乙女は3四歩と開けた。
3八玉、8五歩、7七角、4二銀。
「穴熊はない、と。ふつうだな」
「将棋にふつうも特殊もないと、私は思ってるわ」
そう、ようは勝ちゃいいんだよ。
王道も邪道もない。それが現代将棋だ。
6八銀、7四歩、5七銀、7三銀、6六銀、6四銀。
さて、どうしたもんか。
あたしは30秒ほど使って、方針を決めた。
4八銀とあがり、1四歩、1六歩、5二金右に4六歩と突く。
「あら、木村美濃を選択するのね」
早乙女は30秒ほど考えて、4四歩と突き返してきた。
4七銀、4三銀、2八玉、3三角、3八金。
「5一角」
ん、そう展開するのか。
後手もめずらしいかたちになった。
とりあえず、5九金で離れ駒をなくす。
9四歩、9六歩、8四角、4八金上、7三桂。
あたしは5六銀とあがりながら、
「もしかして、5筋に殺到するつもりか?」
とたずねた。
早乙女は答えずに3三桂。
マジで殺到っぽいな。
あんまり5筋をいじれなくなった。
あたしは本腰をいれて読む──焦点を変えよう。
「6八角」
玉頭にむけて大砲をうつす。
2二玉、5九飛、3二金、3六歩、4二金右。
あたしは3七桂と跳ねた。
2四歩、2六歩、8一飛。
「開戦だ。4五歩」
早乙女はこの手をみて、
「4筋からだと、中飛車の意味がないんじゃない?」
と言った。
「後手も8四角がボケてるだろ」
「それもそうね……しばらくは流れに身を任せましょう。同歩」
同桂、4四歩、3三桂成、同金右。
あたしは3七桂と打ちなおす。
「反撃させてもらうわ。8六歩」
ん? 8筋?
8筋に突破口はなくないか?
あたしはちょっと変だと感じた。読みなおす。
……………………
……………………
…………………
………………もしかして、次に3五歩?
3五歩、同角、6六角と切って、同歩、8六飛。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
ありえるな。っていうか、本命だ。
「早乙女、けっこう過激な順でくるんだな」
「まだ8筋を突いただけよ」
「まあそう言うなって。ネタはお見通しだ」
あたしは2分ほど読んで、8筋突破を許容することにした。
8六同歩、3五歩、同角、6六角、8六飛。
ここで4五歩と攻めかえす。
早乙女の手がとまった。
「楓さんも、なかなか過激ね。5一角のほうを読んでいたのだけれど」
それも考えた。5一角、8八飛成、6二角成の成り合い。以下、9九龍、6三馬ならいいんだが、9九龍とせずに5二銀打と粘られるのがイヤだった。馬の行き場がない。
早乙女も、今議論することではないと思ったのか、
「まあ、そのあたりは感想戦で……8八飛成」
と進めた。
6五歩、同桂、6六角。
早乙女はキュッと龍をすべらせた。
んー、この位置、ブキミっちゃブキミなんだよな。王様に直通してる。
あたしは自陣に注意しながら、攻め筋を読んだ。玉頭戦に持ち込むなら、4三の銀が一番邪魔だ。5四歩と突いて……ん? 5四歩なら5四銀とひっぱり出せるか? 5四歩、同歩は4四歩、同銀、同角右がキツいだろうし、4四同銀に代えて3四銀と出るのは、4五銀のぶつけがあるから藪蛇だよな。
あたしは5四歩、同銀、4四歩とたたみかけた。
「4七歩よ」
早乙女は歩を打ち込む。
チッ、痛いところを突いてくる。
同銀は5五銀右で角を封鎖されそうだ。それとも、そうさせたうえで角を切るか?
……………………
……………………
…………………
………………いや、さすがにあぶないな。
あたしは4七同金直とした。
5五桂に4三歩成、同金上、4四歩と踏み込む。
早乙女はうしろ髪をなでた。
「4七桂成が一瞬詰めろになるけど、同銀で安泰ってことね。私は次に4二金とさがっても、4五桂打とされたら終わり」
ほらほら、解説してないで指せよ。
とはいえ、勝負どころだから、早指しするわけもない。
早乙女は長考に沈んだ。




