397手目 そば屋の天丼
※ここからは、古谷くん視点です。
というわけで、そば屋さんにやってきた。
けっこう渋いチョイス。佐伯先輩が少食っていうのもあるかな。
虎向はファーストフードに行きたがっていた。
けど、ああいうのは混んでると思う。とくに休日のお昼は。
のれんをくぐると、すぐに席へ案内された。案外に好手だったかも。
和風の店内には、年配のお客さんが多かった。
僕たちは4人テーブルに3人で座った。
壁ぎわの席に佐伯先輩、通路がわに僕と虎向。
すぐに冷たいお茶が出てきた。
虎向はメニューを見ながら、
「……天丼にしようかな」
とつぶやいた。
まあそれもいいんじゃない。眠くならないようにね。
一方、佐伯先輩は、
「そういえば、なんで日本のそば屋さんは、天丼を売ってるの?」
と、不思議そうだった。
虎向はパタンとメニューを閉じて、
「天ぷらを揚げてるから、ついでに出してるんですよ」
と答えた。
そうだろうね。たぶん正解。
ところが、佐伯先輩は納得しなかった。
「だけど、カレー屋さんはカレーうどんを出してないよね?」
虎向は言葉につまった。
なんて答えたほうがいいかな。
僕は助け舟を出す。
「うどんは用意するのが手間だからだと思います」
「じゃあ、ご飯は手間じゃないってこと?」
「そばを注文しつつ、ご飯もいっしょに頼むひとはいますからね」
佐伯先輩は納得してくれた。
というわけで、僕もメニューをえらぶ。ざるそばにしよう。
店員さんを呼んで注文。
それから他校がいないことを確認して、作戦会議。
最初に口をひらいたのは虎向だった。
「次はいよいよ修身ですね」
佐伯先輩もうなずいて、
「強敵だよ。ただ、ならびは悪くない」
と答えた。
そう、ならびは悪くない。
最悪のパターンは、僕と並木くんが当たることだった。
でも、並木くんは1番席にいた。僕のあいては石鉄先輩だ。
料理が運ばれてくる。
僕たちはすぐには手をつけなかった。
佐伯先輩は真顔で、
「僕は並木くんに勝てるかな?」
とたずねた。
虎向はポジティブなことを言いかけたけど、佐伯先輩はこれをとめた。
「正直な評価でいいよ」
虎向は黙った。
こういうところで引くよね、虎向は。
とはいえ、佐伯先輩の視線も僕に向いてるし、僕が答えないとダメっぽい。
「五分五分だと思います」
「そっか……じゃあ、ひとまず食事にしよう」
昼休憩はそんなに時間がない。
僕は手を合わせる。それでは、いただきます。
○
。
.
もどってみると、会場は大賑わいだった。
午後から応援に来た生徒も多い。
幹事は声を張りあげた。
「えーッ、観戦者のかたは、すこし離れてください。選手のかたは、着席して準備をお願いします。13時30分から対局を開始します」
あんまり効果ないね。席取りみたいなものだし。
虎向は先頭に立って、
「おーい、清心が通るぞぉ」
と言いながら、道をつくった。
僕がついていこうとすると、佐伯先輩に呼び止められた。
「古谷くん、さっきの評価、ウソだったよね?」
僕は一瞬、口をつぐんだ。
「……どうして分かりました?」
「マジシャンだからね」
関係あるのかな。よく分かんないや。
でも、ウソをついたのは事実だった。
「すみません、虎向にプレッシャーをかけたくなかったので」
「つまり、僕のところは負け濃厚なわけだ。どのくらい差がありそう?」
「並木くんは、棋力に波があるんです。ただ、勝ち始めると止まらないタイプで……今の調子だと、8:2か9:1で並木くんだと思います」
佐伯先輩は表情を変えなかった。
「ベストは尽くすよ」
「はい、僕もベストを尽くします」
僕たちはうなずき合って、虎向のつくってくれた隙間へ入った。
人混みをかきわけ、対局テーブルに到着する。
中央席には、白いYシャツにストライプ柄の紺ネクタイをした男子。
すこし吊り目で、クセ毛のあるショートツーブロックの髪型。
それともクセ毛風なのかな。眉毛がキリッと逆八の字になっていた。
「石鉄先輩、遅れてすみません」
「なぁに、まだ始まってないさ」
駒をならべる。
石鉄先輩は実力者だ。
けど、トップクラスじゃない。まあそこは僕もおなじ。
1番席の佐伯先輩が振り駒。清心、奇数先。
観戦者の雑談が聞こえる。精神集中。
しばらくして、副幹事長の立花先輩が声を発した。
「静粛に願います。対局準備はよろしいでしょうか? ……それでは始めてください」
「よろしくお願いします」
僕はチェスクロを押した。
石鉄先輩はまっすぐ腕を伸ばして、5六歩とした。
中飛車宣言──
「一品決め打ちですか」
「ハハッ、サイドメニューは好かん。古谷くんも純粋飛車党だろう?」
「そば屋の天丼も、なかなかいいものですよ」
「?」
僕は8四歩で応じる。
7六歩、6二銀、5五歩、4二玉、5八飛、8五歩、7七角。
さて、どうしよう。持久戦か急戦か。
僕は30秒ほど考えて、急戦を選択。
「7四歩」
「超速だな。受けて立つぞ」
6八銀、7三銀、5七銀、6四銀、6六銀。
かたちは決まった。
初手合いでも、やることはいっしょだ。将棋は将棋。
5二金右、4八玉、3二銀、3八玉、3一玉、2八玉。
「1四歩」
穴熊にするかどうか打診。
石鉄先輩は、ここですこし考えた。
「穴熊にしてもいいんだけどな……いや、欲張りすぎか。3八銀」
ふつうに美濃囲いみたいだね。
「4四歩」
3四歩はあとまわし。5筋を清算してから開けたい。
石鉄先輩もそれは分かっているから、すぐに5四歩と突いた。
同歩、同飛、4三金、5九飛、3四歩。
「位は確保させてもらうぜ。5四歩」
ここは謝るよ。5二歩、と。
1六歩、3三角、4六歩、2二玉、5六飛、7三桂、5八金左。
先手はちょっと受け身だね。
振り飛車自体がそうなのかもしれないけど。
「8六歩」
この手をみた石鉄先輩は、ひとこと──
「見た目に似合わず、積極的なんだな」
僕は顔をあげて、
「それって関係あります?」
と、思わずつっこみを入れてしまった。
石鉄先輩はハッとして、
「おっと、わりぃ、俺の弟も可愛い顔してけっこう積極的だからな」
と答えた。
いきなり弟の話をしてくる石鉄先輩。
E媛の石鉄烈くんのことだよね。
石鉄先輩はE媛出身で、寮生活をしながらH島の高校に通っている。
弟の烈くんの棋譜も、みたことがある。わりと攻め将棋だった。
いずれにせよ、棋風と容姿とのあいだに関連があるとは、僕は思わない。
統計的に実証したひとがいないし。
石鉄先輩もこの話は打ち切った。
「とりあえず同角だ」
「6五桂」
さあ、どうするかな。
石鉄先輩は端に手をのばした。
「そっちに動いてもらうか。9六歩」
「僕からですか……先輩からどうぞ。9四歩」
「ダメだ。9八香」
なるほどね、振り飛車の常套手段。
だけど、専売特許じゃないんだよ。
僕はいったん4二角と引いた。
「もう1マスある。9七香」
「こっちは2マスあります。9二香」
「!?」
べつにこれで悪いわけじゃない。
矢倉で1八香や1七香はふつうだ。
それに、石鉄先輩はひとつ勘違いをしている。
これはただの手待ち合戦じゃない。
後手は最終的にスズメ刺しっぽくできる。
その証拠に、僕のほうは攻撃力が落ちていない。
石鉄先輩も気づいたらしい。眉毛をピクピクさせた。
「そ、そうか……後手は手待ちしてたわけじゃないのか……」
僕は両ひじをテーブルについて、手を組み、そのうえにあごを乗せた。
「さあ、石鉄先輩、どうします? このまま組み上げますか?」
一応、先手もまだ組み替えられる。3六歩とか。
でも、しないんじゃないかな。王様のこびんをわざわざ開けないと思う。
「……4五歩」
よし、シビれを切らした。
次の手が僕の想定図。
「8五飛」
この横利きで制圧する。
「ん? さすがにそれはムリじゃないか?」
石鉄先輩は5五銀と出た。
4五歩、4四歩、3三金。
石鉄先輩は中央からの殺到を狙ってくる。
「銀交換だ。6四銀」
同歩、4三銀。
ふむ……先に攻め込まれたね。
でも、これは見た目ほど続かない。
「同銀」
同歩成、同金。
ここで拠点を作りなおす方法がない。
予想は6六歩なんだよね。
以下、3三角、6五歩、5五銀、5七飛、6五飛の予定。
飛車を横にすべらせて、そこから敵陣へシュートする。それが今回の構想。
「5三歩成」
あ、そっちか。
いきなり予想がはずれちゃった。
僕は同金とする。
石鉄先輩は6六歩。
読みとすこしちがう。
どうしようか。
かたち的にはおなじだから、3三角が本命。
僕はその線で読み進めた。
……………………
……………………
…………………
………………いや、こっちにしよう。
パシリ
石鉄先輩は、「ん?」という顔をした。
「桂捨て……?」
ふつうに考えれば、同飛だよね。
僕もそう考えてる。
そこで4六銀と打ちたい。
で、その瞬間が問題。5三飛成と切る手があるかもしれない。
以下、同角、4三金みたいな。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
けど、これはやってこないと思う。理由はふたつ。
ひとつは、石鉄先輩が消極的なタイプだってこと。
オカルトっぽくいえば、見た目に似合わず、かな。
さっきの端の対応なんかはそうだ。
あれはもっと動く順があった。9七桂跳ねとか。
もうひとつは、これが団体戦だってことだよね。
中盤の飛車切りは、躊躇するはずだ。
石鉄先輩は、案の定、次の手に時間をかけた。
「罠か? ……だけど、後手陣はうすいよな。同飛だ」
僕はしれっと4六銀。
石鉄先輩は飛車にゆびをそえた。
「……6七飛」
よし、封じ込め完了。
僕は3三角と出た。
石鉄先輩はわりと自信ありげに、
「ここが急所だな」
と言って、2六桂と打った。
ああ、そういう手もあるか……けど、角頭に桂馬を跳ねられても、寄らない。
僕は2四歩で、逆にプレッシャーをかけていく。
「しまった、かえって目標に……」
石鉄先輩は、桂馬を跳ねても寄らないことに気づいた。
6五歩と攻めてくる。
僕は4三金と寄って守備固め。
と金作りを狙って6四歩なら、6六歩〜6五飛で阻止できる。
「6四角だッ!」
7七角を読んでたけど、こっちか。
でも、やることはいっしょだ。
6六歩、7七飛、2五歩。
「ぐッ……桂馬が死んだ……」
石鉄先輩は3四桂、同金と捨てて、4三銀で繋げようとした。
それは認めない。
「4四金」
こんどは銀を狙う。
「4二歩」
「5一金」
「……7三角成」
「6二桂」
とにかく丁寧にかわす。
これで銀も死んだ。
石鉄先輩は6四歩で、と金を作りにくる。
ここからは僕の反撃タイム。
まず4三金と取って、6三歩成に2六歩と突いた。
同歩、2五歩、6二と、4二金上、4七歩、3五銀。
石鉄先輩は、玉頭の対応に追われる。
この時点で、のこり時間は僕が12分、石鉄先輩が11分。
僕もちょこちょこ考えてるんだよね。
「馬筋に賭けるッ! 5七飛ッ!」
腹をくくってきた。
5二との右ストレートだろう。
けど、これは空振りさせる自信がある。
僕は放置して2六歩と取り込んだ。
5二と、3二金、5三と、3四金。
「せ、攻めをすり抜けられる……」
玉頭が盛り上がってるメリットは、これだよね。
2筋が広大な安全圏。
石鉄先輩は7四馬で、一回飛車にあてた。
んー、ここでちょっと迷う。
単に8七飛成でもいいんだけど……後の先ってやつをやってみたいかな。
「5六歩」
「同馬とはしないぞ。同飛」
「いったん引きます。8二飛」
「? ……香守り?」
そういうふうにみえると思う。
先手はこのスキに、6六の歩をなんとかしたいはず。
「6五馬だ」
次に6六馬、同馬、同飛の清算狙いかな。
僕は6七歩成と成り捨てた。
同金に8七飛成とする。
「なるほど、金あたり……だけど、手順で防げるよな、それ。7七桂だ」
うーん、やっぱり単に8七飛成のほうがよかったかな。
どっちにしても、形勢はそんなに傾いていないと思う。
7八龍、6八歩、6六歩。
「4三とッ!」
……………………
……………………
…………………
………………悪手じゃない?




