386手目 早乙女素子〔編〕
「はじめまして、早乙女素子です」
ふりかえると、駐車場に植えられた松の木のしたに、赤い帽子をかぶった少女が立っていた。それはカァプの帽子で、衣装もカァプの応援用ユニフォームだった。
「は、はじめまして、葉山光です……このあと観戦ですか?」
「ええ、戦闘服なので」
野球は戦闘じゃないよ、スポーツだよ、うん。
とりあえず写真を1枚撮らせてもらう。
って、これいいのかな。特定の野球チームの衣装を載せちゃって。
あたしはすぐにカメラを仕舞いながら、
「駐車場でインタビューというのもあれですから、海岸へ降りませんか?」
と提案した。早乙女さんは、
「わざわざ日差しが強いほうへ、ですか?」
とたずねた。
うーん、それはあるんだよね。ちゃんとUVカットしないと。
「べつに強制ではないので、ここでも問題は……」
「今のは冗談です。日焼け止めクリームは塗ってきてあります」
冗談がわかりにくすぎるッ!
笑いのツボがちがうのかな。怒るツボとかもちがったら困るんだけど。
あたしたちはゆるやかな傾斜をおりて、ふたたび砂を踏みしめた。
なるべく日陰になりそうなところに行こうか。
瀬戸内海は、海岸ぎりぎりまで森がせり出してて、日陰をさがしやすい。
あたしたちは、大きな枝がつきだしたところに移動した。
「えー、では、将棋をはじめたきっかけなどを……」
「小4から小5へあがる春休みのとき、グラフ理論にハマってたんです」
いきなり話がみえない。
「グラフ理論というのは?」
「組み合わせ問題の形式化……とでも言えばいいんでしょうか。例えば、日本には47都道府県がありますね?」
「はい」
「では、『日本地図を、隣接する都道府県が同色にならないように塗るには、最低で何色必要か?』と訊かれたら、葉山先輩は何色だと答えますか?」
うーん、いきなりクイズか。
答えをすぐ訊いちゃうのは失礼だから、ちょっと考えてみる。
「……7色なら全部塗れそうかな、と」
「どのような計算を?」
「あ、いえ、計算したわけじゃなくて、九州の7県が一番ごちゃっとしてるから、九州を塗り分けられたら、ほかの地域もいけるかな、と……」
怒られるかな、と思ったけど、早乙女さんは顔色ひとつ変えず、
「そういう目星のつけかた、大切ですよね。たしかに7色なら十分です。しかし、最低限の色数ではありません」
「あの、ちょっといいですか……これって、地図の問題ですよね? 地図はたしかに図形の集まりかもしれないですけど、数式とかで表しようがなくないですか? それに、地図のパターンって、空想の世界まで入れたら無限にありません?」
「おっしゃるとおりです。では、次のように考えてみましょう」
早乙女さんは、そばにあった木の枝をひろって、砂浜に図形を描いた。
「たとえば、ふたつの土地がこのように区画整理されているとします」
【A】
【B】
「区画Aと区画Bは同一でしょうか?」
あたしは質問の意味がわからなかった。
「同一というのは? どうみても割り方がちがいますよね?」
「では、似ていると思いますか?」
あたしはもういちど図形を見比べた。
「……似てる感じはします」
「はい、このふたつの地図は、ある観点からは同一なのです」
早乙女さんは、図に数字を追加した。
【A】
【B】
「区画Aのうち、辺で接している数字の組み合わせをおっしゃってください」
「えーと……1は2と4、2は1と3、3は2と4、4は3と1」
「区画Bはどうですか?」
「1は2と4、2は1と3、3は2と4、4は3と1……あ、同じですね」
「そうです。これをグラフ化すると……」
早乙女さんは長い髪をゆらしながら、3番目の図を描いた。
「これに落ち着きます」
うーん、なるほど、図形がグラフになっちゃうわけか。
「つまり、地図の種類は無限にあっても、そのパターンは有限ってことですか?」
「そうです。とはいえ、10や20ではないので、最終的にはコンピュータの協力を得て分析することになります。そこから導き出される結論は、4色です」
なるほど、基本的な問題設定は人間がやってるけど、解決にはパソコンを使うのか。
そのあたりは将棋に似ているな、と思った。
「つまり、数学上の関心から将棋を素材にえらんだ、と?」
「はい」
「で、面白かったから、今も遊んでいるわけですか?」
「そうですね」
「どういう練習をしていますか?」
早乙女さんはこれに対して「なにもしていません」と答えた。
「私は将棋の練習はしません」
「え……ぜんぜん?」
「練習に該当するかもしれない行為をいっさいしない、とは言いません。近隣ブロックの選手と指したりはするので。しかし、練習というかたちではしていません」
「練習しないで県代表って、すごいですね。天才肌というか……」
「天才? 私は天才ではありません。都道府県の高校生代表止まりですから」
さいですか……と、あたしはそのとき、囃子原くんのインタビューを思い出した。
囃子原くんにも、多種多彩なスポーツができるからすごい、という感想を伝えた。彼は謙遜して、同世代のトップアスリートに並んでいる競技はひとつもないと答えた。いや、謙遜したのかと思ったけど、早乙女さんとおなじで、率直な意見だったのかな。
あたしがそのことを早乙女さんに話すと、彼女は、
「囃子原先輩らしいコメントですね」
と返してきた。
「そう思いますか?」
「囃子原先輩は、徹底したリアリストにみえます」
それは感じる。
ユーモアはあるけど、スキがない印象なんだよね。
「S根の葦原先輩はちょっとちがってて、優勝と最下位とのあいだに差はない、みたいなことを言ってました。これはこれで極端な気がするんですけど」
「それも葦原先輩らしいコメントですね。あのひとはスケールの大きな見方をします」
あたしは今回のインタビューの途中から思っていたことを、質問してみた。
「これは失礼な質問かもしれないんですが、ひとつ……あたし、将棋はぜんぜん強くなくて、市代表とかも、まあムリだなってレベルなんです。だから、市代表のひととか県代表のひととかがなにを考えてるのか、よく知らなくて……というか、あんまりそういう疑問自体、持ったことがなかったんですよね。今回インタビューをさせていただいて、なんというか……みなさん、県代表になれたことについてどう考えているのか、知りたいな、という気持ちが出てきました」
「すでにだれかに質問なさっていますか?」
「いえ、早乙女さんが初めてです。ですから、記事には載りませんが……」
早乙女さんは海を眺めた。
向こう岸に多くの島々がみえる。
早乙女さんは、あたしの心象を見透かしたように、
「冷めている選手なので、回答があるかもしれない……という打算を感じます」
とつぶやいた。
まいったな。半分くらい当たってる。
「あ……はい、まあ、それもちょっとだけあります……すみません」
「打者に応じて球種を変えるのは、正当な行為です。それに、私はそういう質問に対して答えをはぐらかす必要性も感じません。率直に言って、私自身が県代表になれたことは、ことの成り行きがそうなっただけで、特別な思い入れはありません」
やっぱりね、という感想と同時に、あたしは早乙女さんと六連くんを比較していた。
「早乙女さんと六連くんって、大会との向き合いかたが似てますね」
早乙女さんは、はじめて怪訝そうな表情をみせた。
「私と六連くんがですか? ……いえ、似ていないと思います」
「大会と距離をとってるというか、入れ込んでないというか……」
「六連くんはこの大会に入れ込みすぎです」
なんかぜんぜん違う評価をされて、あたしは混乱した。
「六連くん、そんなにヤル気がないように見えるんですが……」
「トレカの全国大会とかぶっていて、日日杯のほうを選択したと聞きました」
あ、そうなんだ。
でもそれって、大会のランクの問題なんじゃないかな。
んー、でも、全国大会と地方大会か。ふつうは前者を選ぶかも。
「六連くんが日日杯を選択したのは、ヤル気の問題だ、と?」
「それはやや語弊があります……六連くんは、カードゲームから逃げたのでは?」
え、なんかすごい言い方が出てきて、あたしは困惑した。
犬井くんもアンテナにひっかかるものがあったらしく、一歩まえに出た。
「僕からも質問していいかな?」
早乙女さんは「どうぞ」と言った。
「六連くんが『遊戯の王子様』の全国大会を蹴って、こっちへ参加してくれたことには、とても感謝してるよ。囃子原グループの一員としてね。ただ、囃子原グループの企画室でも、六連くんはたぶんカードゲームの大会に出るから、男子は奇数で抜け番が必要、って議論になってたんだよね。昨年度の段階では、ね。だから、彼の参加には僕たちもおどろいてるところなんだ」
「なるほど、囃子原グループでもそうお考えでしたか。で、ご質問は?」
「六連くんが日日杯を選んだ理由を、早乙女さんは『逃げ』と見るんだね?」
「ええ、私にはそう見えます」
早乙女さんは、ためらいなく答えた。
「具体的にどう逃げてると思う?」
「カードゲームでは頭打ちになったので、新天地を求めているのではないですか」
うわぁ、なんか危ない会話になってきた。
正直、ここまで踏み込んだ話をすると、憶測でも危ない気がするんだよね。
ゴシップの域を超えてる気がする。
あたしはさりげなく割りこむ。
「あのぉ、それは六連くんの内心なんで、わかんないんじゃないかな、と……」
犬井くんもうなずいて、
「ま、そうだね。早乙女さん、今のはオフレコで……葉山さん、ごめん、どうぞ」
あたしは気をとりなおして、次の質問。
「趣味はなんですか?」
「カァプの応援です」
はい、らしいですね。事前に聞かされている。
ディープなカァプファンみたいだから、どれぐらいいじっていいか、わかんない。
あたしが躊躇していると、早乙女さんのほうから、
「葉山さんは、どの球団を応援していますか?」
とたずねてきた。
これはなに、返答によっては命がないやつ?
「リップサービス抜きでカァプです。年に何回か球場でも応援してます」
「そうですか。私はホームの試合をすべて観戦しています」
えぇ……っていうか、意外とお金持ち?
ぜんぶっていったら70試合くらいでしょ? 年間チケット組?
早乙女さんは同志が見つかったような口ぶりで、
「こんど一緒にいかがですか?」
と誘ってきた。
「え、あ、はい……前向きに検討します」
もうしわけないんだけど、あたしはふつうに観戦したいタイプなんだよね。
早乙女さんは、すっごい応援に力を入れてそう。ずっとスクワットしてるとか。
「気になってる選手はいますか?」
「やはり新人の……」
「あ、日日杯です」
「そうですか……将棋仮面のことが気になっています」
……………………
……………………
…………………
………………将棋仮面?
「もしかして、御面ライダーの仮面をかぶってる、変な将棋指しのことですか?」
「あら、ごぞんじなんですね」
「まあ、その……Y口のS関で見かけたような気が……」
あのときは思い至らなかったけど、あとで考えたら将棋仮面だったと思う。
しまったなぁ、突撃インタビューしとけばよかったなぁ、とか反省中。
早乙女さんはとくに表情も変えず、髪をなでながら、
「S関ですか……いかにもな場所に出没するんですね」
とつぶやいた。
え? なんで? 地理的になんかあるの?
「将棋仮面が気になってるというのは、どういう意味ですか?」
「指し掛けの将棋があるんです……とはいえ、あれは私の勝ちだと思いますが」
勝利宣言、強い。
「もうしわけないんですが、日日杯の関係者にしぼっていただけませんか?」
「私、将棋仮面も日日杯に来るような気がしてるんです」
会話がとまり、あたりの木が海風にざわざわする。
早乙女さんは、急に犬井くんに話しかけた。
「将棋仮面は、大会に来るでしょうか?」
「……さあ、それは将棋仮面に訊いてみないと、わからないんじゃないかな」
早乙女さんはうっすらとほほえんだ。
「部外者だから会場には来られない、とは言わないんですね」
「いや、べつにそういう意味じゃないよ。当日は選手以外も来場可能だし。その将棋仮面というひとが日日杯に興味を持つなら、来る可能性はゼロじゃないよね」
「なるほど……そういうことにしておきましょう」
なにやら意味深な終わりかた。
犬井くんはなにも答えなかった。
あたしは今の会話の意味がよくわからなくなって、
「どうして将棋仮面は来ると思うんですか?」
とたずねた。
早乙女さんは海を眺めつつ、
「こども時代になくしてしまったものを、さがしているのでしょう」
と答えた。
あたしのペンは進まず、ただ早乙女さんの独り言だけが続いた。
「六連くんも将棋仮面も、男の子って奇妙ですよね。はかない未来や過去に囚われて……いえ、これもジェンダー差別ですか。『言葉が滅んでも、数学の概念は滅びない』……イギリスの数学者ハーディです。将棋はどちらなのでしょう。もし将棋に真理というものがあるのなら、私たちがしている遊戯にも、ささやかな永遠が宿るのかもしれません。もし六連くんたちがそれをみつけられるなら……なんだかステキなことだと思います」




