383手目 出雲美伽〔編〕
【2015年7月4日(土)】
おごそかな雰囲気の境内。大きな杉の木が、天高く伸びている。
あたしは青空を背景に、一枚写真をとった。
すると、うしろからスーッと影が伸びてきて、
「待たせた」
と、女のひとの声が聞こえた。
ふりかえると、巫女さんの服を着た髪の長い少女が立っていた。
髪が長い、と言っても尋常な長さじゃなかった。地面につきそう。
お手入れとかたいへんなんじゃないかな。
「わらわの髪がどうかしたかえ?」
「あ、いえ……綺麗だな、と」
出雲さんは口もとに手をあてて、
「ほほほ、わらわの自慢じゃ」
とごきげんだった。つかみはOKっぽい。
事前のうわさでは、けっこう怖いひとな印象があったんだよね。
顔立ちも、どこか怜悧なところがあって、おなじ高校生にはみえなかった。
「立ち話もなんじゃで、こちらへ」
あたしはやしろに案内された。この神社の神主さんは、出雲さんのお父さん。格式はそこそこあるらしい。大きさ的には田舎の神社って感じだね。ぐるっと一周するのに10分もかからなさそう。奥にある鳥居も、高さは2メートルくらいしかなかった。駒桜神社のほうがまだちょっと大きいかな、と思う。
まあ、大きさは関係ないよね。失礼だから観察はこのへんで。
せっかくだから、やしろのえんがわに座ってお茶を飲むことに。
冷たい緑茶が、木製の茶托つきで出された。
「あ、おかまいなく」
「出雲は神々のつどう地。遠来の旅人をもてなすのは当然のこと……して、今日はわらわに訊きたいことがあるとな」
「はい、日日杯のインタビューでして……」
あたしはお茶には手をつけず、メモ帳をとりだした。
「まずは、将棋をおぼえたきっかけから、お願いします」
「ふむ、わらわが将棋をおぼえたきっかけか……父に教わった」
んー、オーソドックス。
宗教的な理由で将棋を勉強してる馬下さんのほうが、よっぽど変わってる。
地元の駒桜神社は、駒の神様を祀っている。日本でもめずらしい神社なのだ。
っと、そんな比較をしている場合ではなく。
「やっぱり一家団欒ですか?」
「こういう遊びは、氏子と暇つぶしができてよい」
「うじこ?」
「わらわの神社をお祀りしているご近所さんたちじゃ」
ああ、なるほど、お寺の檀家さんみたいなものか。
「出雲先輩、ご近所回りもなさってるんですか?」
「むろん……こどもの頃からの手伝いで、慣れておるがな」
んー、ほんとうかな。
実質的に自営業みたいなもんだし、けっこうたいへんそう。
「ふだんの将棋の練習は?」
「高校で指すこともあるが……ご近所づきあいがもっぱらか」
「このあたりは、強いおとなが多いんですか?」
「うむ、有段者が多い」
なるほど、そういう将棋の練習方法もあるわけか。
でも、納得がいかない部分もあった。
「そういうのって、持ち時間フリーですよね? 持ち時間の練習は?」
「茶などを飲みながらやるからのぉ……しかし、高校の部室でも、大会の持ち時間で指すことは、稀であるように思うが」
あたしは駒桜高校の練習風景を思い出す――ふだんは30秒とか60秒で、てきとうに指してることが多いね。ただ、きちんとチェスクロを使ってるし、時間通りに指す練習になっている気がした。
あたしがそのことを説明すると、出雲さんは、
「そうかのぉ、三〇秒将棋は、三〇分六〇秒の練習にはならんと思うが」
と疑問を呈してきた。
「そうなんですか? でも、チェスクロの練習にはなりますよね?」
「高校で毎日一局指せば、それくらいは身につこう」
ふぅむ、今だに59秒ぎりぎりで押す勇気がないあたしって、いったい?
年季が違うか。
っていうか、出雲さんとのインタビュー、わりと正統派になってるね。
もうちょっと斜めうえの展開が出てくるかと期待してたけど。
次の質問はどうかな。
「趣味はなんですか?」
「趣味は……人見じゃな」
ひとみ? ……じつはコンタクトレンズとか?
「すみません、ひとみってなんですか?」
「人をみて、その者の運命をあてることじゃ」
「あ、人見……ようするに占いですか?」
「占いとはやや異なるが……その顔は信じておらんな。ひとつ見てしんぜよう」
出雲さんは、じーっとあたしの顔をみつめた。
なんか恥ずかしい。
「……片想いをしておるな」
はい、出ました。
てきとうに言ってもあたりそうな占い。
女子高生にそう言ったら、だいたい当たるに決まってる。
とはいえ、あんまりケンカを売るつもりもないので、
「あ、はい」
と返事をした。
出雲さんは、すこしばかり背を引いた。
「そして、その男にはすでに連れ合いの女がおる」
あたしはギクリとした――けど、まだてきとうに言っても当たる範囲かな。
「ええ……まあ、あたしと彼じゃ釣り合わないかな、という気も……」
出雲さんは着物のそでに腕をつっこんで、しばらくうつむいた。
「……わらわの人見では、すこしちがう相が出ておる」
「え、それって……」
あたしはそこまで言って、遊子ちゃんのことを思い出した。
「……あ、やっぱりこの話はけっこうです。次の質問でもいいですか?」
「かまわぬ。人見は、強いてやるものではない」
「ありがとうございます……気になってる選手はいますか?」
「どのような意で?」
「単純に大会でマークしてるとか、むかしからのライバルだとか、そういうことです」
「ふぅむ、わらわはそのようなことにあまり興味はない」
……特になし、か。
あんまりしつこく聞いても引き出せそうにないし、そうメモしておこう。
あたしがメモを取り終えたところで、ちょうど犬井くんが姿をあらわした。
彼は庭のほうにわざわざ回ってきて、出雲さんにあいさつをした。
「出雲さん、こんにちは」
「おお、犬井氏か、さあさあ上がるがよい」
「じゃ、失礼します」
犬井くんは靴を脱いで、えんがわへあがった。
あたしのとなりに正座する。
メモ帳をチラリとのぞきこんできた。
「……もしかして、だいたい終わってる感じ?」
「うん、ちょうど最後の質問をしたとこ」
「そっか、ちょっと見せてもらえる?」
あたしはメモ帳を渡した。
犬井くんはザッと目をとおしてから、
「オッケ、任せちゃって悪かったね。今週も礼音くんに呼び出されてさ」
と言ってくれた。
今回のインタビューは簡単だったかな。
ただ、ちょっと物足りないところがあるな、という気もしていた。
犬井くんにもお茶が出された。あたしもそろそろ手をつける。
……うん、おいしい。ヌルくなってるけど、それがいい。
ぼんやりと外の風景をながめる。ここは市内から離れた場所で、中国山地の北側をながめることができた。7月にふさわしく、緑が生い茂っている。神社の近くに川が流れているのか、それとも湧き水でもあるのか、ちょろちょろと水の音が聞こえた。
犬井くんもお茶を飲みながら、
「そういえば、葉山さん、人相占いってしてもらった?」
と訊いてきた。
あたしは噎せた。
ゴホゴホやっていると、出雲さんは、
「わらわは人相をみて占いをしているのではない。人を見ておるのじゃ」
と答えた。
あたしがすでにやってもらったことについて、出雲さんはなにも言わなかった。
犬井くんは、
「どうしたの? だいじょうぶ?」
と、あたしのほうを心配してくれた。
「ごめん、気管支に入りかけた……」
「せっかくの機会だし、占ってもらったら? そういうのは信じないタイプ?」
なんとも答えにくかった。
出雲さんは静かにお茶を飲みながら、
「犬井氏は、わらわの人見は信用ならん、と申しておったではないか」
とコメントした。
あ、そうなんだ、って驚くほどでもないね。
むしろそっちのほうが犬井くんっぽいよ。非科学的なこと全否定路線。
犬井くんは笑って、
「あ、すいません、その意見は変えてないんですけど、僕が信じてないからって葉山さんに教えないのも違うよな、と思って……いや、葉山さんも同意見ならいいんだよ」
「あ、えーと、まあ、占いをまったく信じてないってわけでもないっていうか……」
「じゃあ、見てもらったら? けっこう当たる、らしいよ」
犬井くんはあくまでも伝聞ってところを強調した。
うーん、どうしよう。さっきもう見てもらったんだよね。
出雲さんはそのことを伏せてくれている。
あたしは10秒ほど迷って、それからこう質問することに決めた。
「恋愛とかはべつにいいので、将来について見て欲しいかな、と……」
出雲さんは前方を注視したまま、
「それは未来を予知せよ、という意か?」
とたずね返した。
「あ、いえ、そういうことではなく……ぶっちゃけてもうしわけないんですが、占いとかじゃなくて、単純に進路についてアドバイスして欲しいんです」
「ふむ、進路相談か……人見とはやや異なるが、拝聴いたそう」
あたしは、大学に進学するつもりだけど、学部をどうするか迷っていると伝えた。
「行きたい学部がないわけじゃないんです……大学によっては、マスメディアに特化した学部学科がありますよね。ああいうのもいいかな、と。ただ、あたし……なんていうか、マスコミに向いてない気がしてきて……」
あたしはそこまで説明して、なんか気が引けてきた。
犬井くんのまえでこういう話をするのはよくないかな、という気がしたからだ。
でも、犬井くんはそのあたりを察して、
「マスコミに対するネガティブな意見でも、僕はぜんぜんかまわないよ」
と言ってくれた。
「えーとね、マスコミに対するネガティブな意見っていうか……あたし、今回の取材でわかったんだけど、突っ込んだ質問がすごい下手……だと思う」
となりで聞いていた出雲さんは、遠慮なくうなずいた。
「うむ、もうすこしずけずけと質問してくるかと思うておった」
「訊きたいことはいっぱいあるんです。たとえば、宗教関連の家に生まれたことを、どう思ってますか、とか……でも、なんか訊いたら悪いかな、という気がしちゃって……そういう気がする時点で、記者には向いてないのかなあ、と……」
出雲さんと犬井くんは、しばらく押し黙った。
遠くで鳥のはばたく音が聞こえた。
「ふむ……して、その質問はこの場で答えて欲しい、ということか?」
「あ、いえ、べつに例で出しただけなので……」
「なかなか興味深い質問であろう。しかし、わらわも答えようがない。わらわの父は神主であるがゆえ、おおよその家庭とは異なる生活を送っておるのかもしれぬ……しかし、それはわらわからみれば、信仰のない家庭に生まれるとはどういうことなのか、それがわからぬのと等しい」
なるほど……おたがいの立場になって考えるのは困難ってことか。
それはそうだよね。あたしのお父さんが神主だったら、というのは、想像してみるしかない。その想像は、おそらく誤りだ。おなじように、出雲さんが考える【一般家庭】っていうのも、想像でしかない。そしてたぶん、それも誤り。空想の産物。
「……やっぱり不適切な質問でしたね。すみません」
「いや、興味深いと申したのは、世辞ではない。して、進路の件であるが、人の世においてなにがうまくゆき、なにがうまくゆかぬかは、神々であっても読めぬ。ゆえに、わらわは……正しい選択という考えを、とうに捨てておる」
あたしはポカンとした。
犬井くんもちょっとよくわからなかったみたいで、
「そのお話、くわしく訊きたいですね」
と先をうながした。
「将棋の感想戦で、ああすればよかったと後悔することがあろう」
犬井くんは相槌をうつ。
「もちろんあります」
「では、過去にもどってそちらの手を選びなおしたとき、こんどはその先でまちがわぬという保証があろうか……わらわはないと考える。人の生においてもおなじことじゃ。あのときああすればよかったということは多かれど、その選択の先に大きな不運が待ちかまえておらぬとは、だれも請け合ってくれぬ」
「つまり、『あのときああすればよかった』っていうのは、その変更がもたらすかもしれない悪影響を度外視しているだけだ、と?」
「左様」
出雲さんは目を閉じて、ふたたびお茶を口にした。
犬井くんはなにか感じるところがあったらしく、思案顔。
「……これは自分語りになっちゃうんですけど、僕、こどものころに小鳥を逃しちゃったことがあるんですよね。すぐに追いかけてたら、捕まえられたかもしれなくて、1ヶ月くらいはくよくよしてました。でも、それを母に話したら、こう言われたんです。道路に飛び出さなくてよかった、って……たしかにそうなんですよ。もしあのとき小鳥を追いかけて、道に飛び出していたら、交通事故に遭ったかもしれません。そういうことって、頭から抜けがちだと思います。でも、それじゃあ未来の指針は得られませんよね?」
犬井くんらしい、もたれかかった反論。
出雲さんは茶碗を茶托においた。
「生きるために、過去を悔やむ必要はあるまいて」
犬井くんはなんとも言えない表情で、
「……そうかもしれませんね」
とだけ答えた。
あたしもお茶を飲み終えて、ひと息つく。
ふぅ、なんだか重たい話になっちゃった。
気分転換に、軽い話をふる。
「出雲さん、髪にすごく艶がありますけど、シャンプーはなにをお使いで?」
「そのようなものは使っておらぬ。水で洗っておるだけじゃ」
「……さすがに冗談ですよね?」
「なぜじゃ、ふつうに水で洗えば、こうなろう」
……………………
……………………
…………………
………………今日一番衝撃的だったかもしれない。
「このへんで水を汲めるところ、あります?」
「そこの湧き水ならば、一升につき一〇〇円なるぞ」
くぅ、この商売上手ッ! やっぱり占いなんか信じてあげないぞッ!




