377手目 鳴門駿・那賀すみれ〔編〕
さてさて、無事にK川を出て、T島に到着。
城跡のすぐ近くにある駅から、あたしたちはターミナルに降り立った。
午後2時を回って、あたりはすっかり暑くなっていた。
「犬井くん、ちょっと休憩しない?」
あたしは手帳で顔をあおぎながら、そう提案した。
けど、これは拒否されてしまった。
「待ち合わせ場所が喫茶店だから、とりあえずそこまで行って休もう」
ふえぇええん。
あたしはがんばって大通りを歩く。
ちょっと気が早いけど、阿波踊りのポスターが貼ってあった。
喫茶店は、その大通りの途中、橋を渡る手前でみつかった。
そこは窓から川がみえる立地で、食後の休憩客でにぎわっていた。
エアコンの冷気で生き返る。
犬井くんは店内を見回して、お目当のあいてを発見した。窓際の席に、ちょっと茶髪の入った、さわやか系の男子が座っている。ジーンズに白のポロシャツを着て、首にヘッドフォンをかけていた。なにやら薄い冊子を眺めている。
犬井くんが声をかけると、少年は手を振って返事をした。
「待ってたよ」
その少年は、4人席を取ってくれていた。
あたしたちは彼の正面に着席。観葉植物を背に腰をおろした。
少年が冊子を閉じると、譜面だってことがわかった。
彼はすぐにあいさつした。
「はじめまして、鳴門駿です」
「は、はじめまして、葉山光です」
「なんか緊張してる?」
「あ、はい」
理由はよくわからないけど、なんかこの少年の雰囲気に押されてる。
まるであたしがインタビューを受けるような錯覚におちいった。
「大物アーティストと会ってるわけじゃないんだから、気楽にいこうよ」
そう言われると、ますます緊張するかも。
とりあえず、質問事項は決まっている。
「まず、将棋を始めたきっかけなどを……」
「いきなりインタビューなの? アイスブレイクとか、どう?」
んー、会話しろってことかぁ。
積極的だね、鳴門くん。インタビュー慣れしているくさい。
「じゃあ、直球で訊きますけど、バンドやってるんですよね?」
「うん、T取の米子、W歌山の日高、あとH島の多喜で組んでる」
米子くんがギター、多喜くんがベース、日高さんがヴォーカル。
鳴門くんはドラムらしい。本格的だね。
「バンドを組むきっかけは?」
「米子の提案だよ。僕と米子は、中1のときにO阪の音楽フェスで知り合って、それからずっと音楽仲間だった。中2のときに米子が『W歌山の日高ちゃんを誘ってやろう』って言ってきたから、乗ったんだ」
「4県バラバラなのに、どうやって活動してるんですか?」
「今はヴァーチャルでいろいろできるだろ」
どうやら、インターネットを介して練習しているらしい。
もうそういう時代なんだね。
「とまあ、これがアイスブレイクかな。将棋を始めたきっかけだっけ?」
「あ、はい」
「小学生のとき、地元の敬老会で教えてもらった」
「そのときに初めて?」
「うん、ルールもそのとき教わった。もちろん、ぜんぜん勝てなかったよ。けど、なんとなくおもしろかったから、小学校の担任の先生と練習した。そのあとはネットがメイン。中学に上がったとき、軽音部はなかったけど将棋部があったから、そこに入った」
「軽音部があったら将棋部には入らなかった、と?」
それまで流暢にしゃべっていた鳴門くんは、急に口をつぐんだ。
おだやかな表情で、あたしを見つめ返す。
「そういうのって、あとから考えてみることあるよね」
「もしかして……後悔してます? まだ吹奏楽部にしておけば良かったとか?」
鳴門くんは笑った。
「いや、そういう意味じゃないよ。でもさ、こどもの頃って、習いごともスポーツも、なんとなくで選択するよね。親に言われたとか、友だちがやってるとか……ところが、そのなんとなくで選んだことが、中学、高校と、どんどん続いていくことがあるだろう」
あるっていうか、たぶんそっちのほうが多いんじゃないかな。
校内新聞で、野球部のエースに取材したことがある。なんで野球をしているのか、っていう質問の答えが、小学生のころに地域の野球チームに所属させられたからだ、だった。これってようするに、サッカークラブだったらサッカーを、テニスクラブだったらテニスをしてるってことなんだよね。とくに野球である理由はなかった。
「そのようすだと、葉山さんも心当たりある?」
あたしは野球部のエースの話をした。
鳴門くんは、
「ありがちだよね、そういうの。じゃあ、葉山さん自身にそういう経験はある?」
と尋ねてきた。
あたしはちょっと考えてから答えた。
「あります……ね。中学のとき、写真部も考えてたんです」
「でも写真部はなかった、と」
「はい、代わりに新聞部はあって……これはあとで知ったんですが、首都圏ですら中学に写真部はあんまりないみたいですね。だいたい2、3校に1校とか。しかもほとんど私立なんです。現像室なんかの設備が必要ですし、カメラだって自前になると高いので。あたしが通っていたのは地元の公立中学ですから、まあないですよね」
「で、そのとき新聞部にしたから、今こうしてインタビューしてる、と」
「……そうなりますね」
鳴門くんは笑った。
「ごめんごめん、これじゃあ僕がインタビューしてるみたいだな。次の質問は?」
「ふだんの練習は、どうしてますか?」
「高校の将棋部でも指すけど、一番勉強になるのはバンドのメンバーとの対局かな」
「米子くんはT取代表ですもんね」
「日高ちゃんもW歌山の女子代表だよ。多喜もそのうちなるんじゃない?」
それはすごい。県代表メンバーで結成されたバンド。
「バンドの練習のあとに指したりするわけですか?」
「うーん、それもなくはないけど……練習のときは音楽に専念するよ。将棋のときはべつに打ち合わせて集まることにしてる。4人全員そろわなくてもいいし」
「なるほど……えーと、次の質問は趣味なんですが……」
「音楽鑑賞、かな」
ですよねぇ。演奏じゃないってことくらいかな、予想とちがったのは。
「ちょっと深堀りさせてください。特に好きなジャンルは?」
「ジャズ」
即答だった。
ジャズはけっこうめずらしいような気がする。
「ジャズ系バンドなんですか?」
「うちはロック系」
あ、今の質問はミスったかも。
ジャズってサックスとかピアノがメインだよね。
「どうしてジャズが好きなんですか?」
この質問に、鳴門くんはしばらく考えた。
「なんだろうね……そもそもジャズが好き、って言い方もあいまいかもしれない」
「どういう意味ですか?」
「ジャズってさ、もともとは吹奏楽とおなじルーツで、軍楽隊なんだ。行進しながら楽器を演奏するわけさ。これがアメリカでアフリカ音楽と融合して広まっていく。1930年代に発展したスウィングっていうジャンルは、まるでオーケストラみたいに大人数で演奏していた」
「でも、テレビとかで観るジャズって4、5人でやってません?」
「そう、それが1940年代に生まれたビバップだよ。大人数が必要なスウィングは廃れて、ビバップ形式が主流になっていく。日本では和製英語でモダンジャズともいうね。だけどビバップもけっきょくマンネリ化して、1960年代にはコード進行をしないモードジャズが生まれ、さらになんでもありのフリージャズが誕生した。以後、これがジャズだという王道はなくなって、楽器を変えたり他の音楽と融合したりしながら進化してる」
「鳴門くんが好きなのは、どれですか?」
「僕は、そういうジャズの歴史そのものが好きだよ」
なんか哲学的。
あたしは最後の質問に移る。
「気になってる選手はいますか?」
「日日杯の文脈で?」
「えーと……そういう縛りはとくに……」
「じゃあ、捨神くんかな」
ん、個人的な恨みとかはやめて欲しい。
あたしは恐る恐る尋ねた。
「捨神くんをご指名の理由は?」
「彼にジャズを演奏して欲しいんだよね。クラシックを弾いてるのは、生で聴いたことあるんだけどさ。こっそり聴きに行ったんだ。うまかったよ……って、あたりまえか」
思った以上に平和で安心。
「日日杯で頼んでみたらどうですか?」
「んー、そうしよっかなぁ、でも盤外戦術と受け取られると……あ、来た」
鳴門くんは入り口のほうへ手を振った。
紺のブレザーを着た小柄な少女がこっちに歩いてきた。
「遅れてすみませんじょ。那賀すみれですじょ」
あ、那賀さんか。
鳴門くんがひとつ席を詰めて、そこに那賀さんが座った。
那賀さんは写真でみた印象とそっくりで、健全な田舎少女という感じ。
まあ、あたしもそんなに都会の出身じゃないけどね。
那賀さんはコーヒーを注文した。
「インタビュー、もう始まってますかじょ?」
「あ、ちょうど鳴門くんに最後の質問をしたところです……ついたばかりでもうしわけないですけど、那賀さんのインタビューも始めていいですか?」
「OKですじょ」
「将棋を始めたきっかけは、なんですか?」
「中1のときに、鳴門先輩に教えてもらいましたじょ」
「もしかして鳴門くんと中高一緒?」
「ですじょ」
ふたりとも渦潮高校なんだよね。中学も一緒だったのか。
「那賀さんは中2、中3と連続で県代表ですよね? 1年で伸びたんですか?」
これには鳴門くんが笑って、
「いやぁ、すみれちゃん、めちゃくちゃ上達が早いからさぁ」
と言った。
那賀さんは照れて、
「そうでもないですじょ。ひよこ先輩が高校に上がったのが大きかったですじょ」
と謙遜した。
そういうのも多少はあるよね。
ほかの県代表についてもいろいろ調べてみたら、上の強豪が抜けた直後に県代表になっているひとがちらほらいた。もちろん、そういう選手の実力が低いってわけじゃないと思う。ただ、その強豪と同世代だったら、ずっと県代表になれなかった可能性もある。
たられば、かな。
「練習はどうやってますか?」
「部でよく指しますじょ。あと、ひよこ先輩ともお寺で指しますじょ」
「大谷さんと仲いいんですね」
「将棋のお師匠さんみたいなもんですじょ」
気の合う先輩。上達のポイントは、そのへんにあるのかな。
新聞記事でも、実力者に添削してもらえるかどうかは大きい。
ノウハウをじぶんでみつけるのはけっこう大変。
ここでコーヒーが運ばれてきた。那賀さんはミルクをたっぷり入れて飲む。
あたしたちもコーヒーのおかわりを注文した。
「趣味はなんですか?」
「もちろん将棋ですじょ」
あれ、ここで初めてのパターンに遭遇。
「やっぱり将棋が好きですか?」
「大好きですじょ。これより面白いゲームはまだあったことないですじょ」
すごいなぁ、これまでの選手は、将棋と適度に距離をとってる感じだったのに。
那賀さんは純粋に将棋が好きなんだ。
「ちなみに、どこが好きですか?」
「うーん……そう言われると回答に困りますじょ」
これには鳴門くんがフォローを入れた。
「ようするに、すみれちゃんは将棋が純粋に好きってことだよね。僕がジャズを純粋に好きで、明確な理由があるわけじゃないのといっしょでさ」
なるほどねぇ、理由があるうちはまだまだ甘い、ってことなのかな。
あたしはおかわりで注がれたコーヒーを飲みながら、そんなことを考えた。
「これが最後の質問です。気になってる選手はいますか?」
「ひよこ先輩に勝ちたいですじょ」
「それは近くにいる目標だから?」
「恩返しですじょ」
ふむふむ、プロでも師匠に勝つのを【恩返し】って言うんだっけ。
「ちなみに、優勝はひよこ先輩だと思いますじょ」
おっとっと、訊かれていないことにコメントが。
これには鳴門くんが悪ノリして、
「磯前先輩が聞いたら怒るぞぉ」
と言った。
「好江先輩には悪いですが、優勝はひよこ先輩ですじょ」
「アハハ、あのふたり、やる気がないように見せかけて狙ってると思うね」
磯前さんについては、あたしもそんな気がしていた。
何気なく釣りをしていたわりに、闘志を感じたからだ。
鳴門くんは最後のコーヒーを飲み干す。
「ま、そのへんは記者の眼で確かめてよ。音楽だって、名曲かどうかは聴かなきゃわからない。なにごとも体感しないと嘘だよ、ね?」




