374手目 吉良義伸〔編〕
【2015年6月21日(日)】
「葉山さん、すごく眠たそうだけど、だいじょうぶ?」
「だ、だいじょうぶ……」
緊張して眠れなかった。お肌が荒れてないかな。
ここはK知の有名なダンス教室。
ちょっとかっこつけた舞台セッティングにしてみた。吉良くんがダンスの名人なことを活かした企画だ。あたりで踊っている小学生や中学生も、あたしたちをずいぶんと気にしていた。残念ながらきみたちの取材じゃないんだよねぇ。あんまりがっかりさせるとよくないから、何枚か撮っておく。元気のよさそうな子が笑顔で手を振ってくれた。あたしも振り返す。
「やっぱダンスっていいよね。写真映えするし」
あたしのコメントに、犬井くんもうなずいた。
「義伸はメイン張れそうな選手だし、写真の背景もこう大胆に……」
「俺はそういうの、あんまり好きじゃないけどな」
いきなり知らない少年の声がした。
あたしたちはふりかえる。
前髪をオールバックにした少年が、更衣室から出てきたところだった。迷彩ガラのゆったりとしたスウェットパンツに、ロゴの入った白いTシャツ。靴は黒地に赤いラインのスニーカー。なんていうのかな、ヒップホップ系のダンサーみたいな。このシチュエーションにぴったりだ。彼が吉良くんだね。
犬井くんは笑って、
「おっと、舞台裏を聞かれてしまったな」
と言った。
吉良くんは犬井くんに、めんどくさそうなまなざしを送った。
それからあたしをみて、
「みかけない顔だな」
と言った。ちょっと怖い雰囲気がある。
「あ、はい、葉山光です。よろしくお願いします」
あたしがまごまごしていると、犬井くんは、
「吉良はこうみえても弟系キャラだから、どんどんイジるといいよ」
とアドバイスしてきた。
吉良くんは顔を赤くして、
「あのなぁ、犬井、俺は帰るぞ」
と拗ねた。なるほど、弟系キャラだ。
どんどんイジっていこう。
「まあまあ、吉良くん、リラックスしてください。まずは将棋を始めたきっかけなど」
「きっかけ? ダンス教室の友だちが指してたからだ」
「あ、やっぱりダンスのほうが先なんですね」
吉良くんは自慢顔になって、
「ダンスは小学校にあがるまえからやってる」
と言った。
「じゃあ、ぜひ踊ってください」
吉良くんは一瞬きょとんとした。
「……ここでか?」
「もち」
「さすがにそういう雰囲気じゃ……」
犬井くんも見たいと言った。あたしたちの会話が聞こえたらしく、ほかの子たちも見たい見たいと言い出した。人気者だねぇ。
吉良くんはひっこみがつかなくなったらしく、
「ちょっとだけだぞ」
と言って、あたしたちから少し離れた。
「曲、適当に頼みます」
DJのお兄さんが親指をうえに立てた。
キュキュっとミキサーを回して、激しいラテン系の音楽がかかる。
吉良くんはタップダンサーも顔負けの足さばきで床を踏み、両手をあげた。そこからは流れるような振り付けの連続。右足を軸にした一回転からの即反転。左右ステップからのシャッフルダンスを華麗に披露して、最後にバク転を決めた。
教室内が沸く。
あたしはいい絵が撮れてホクホク。
「すごいよ、しろうとのあたしが観てもすごいってわかるもん」
吉良くんはすごく照れて、
「だろ?」
とニヤついた。あたしは調子に乗って、
「その調子なら、ダンスでプロになれない?」
と訊いた。これには吉良くんの顔がくもった。
「いや……プロは考えてないんだ」
「どうして? やっぱりプロの壁は厚い?」
「ダンスで食べていく気はない」
なんかメンタル的な回答だったので、それ以上つっこむのはやめておいた。
次の質問に移る。
「ふだん、将棋はどうやって練習してますか?」
「ほかの部員とのバーサスがメインだ。俺が通ってる王手町は部が強いから助かる」
なるほど、藤女とかも部内でぜんぶ回せるって言ってたもんね。
「ただ、そういうのって対局内容が偏りません?」
「サブでほかの県強豪とも指させてもらってる。こっちはネット対戦だ。俺はネット対戦があんまり好きじゃないんだけどな」
「どうして?」
「顔が見えないのがなんか気味悪いんだよ」
うーん、そんなものかな。
「趣味……は訊く必要ないですよね?」
「まあ、将棋も趣味なんだけどな」
あ、この返答、初めてだ。まだ3県しか回ってないけど、将棋を趣味と答えたひとがいないのは気になっていた。みんなマジメに指してるってことだと思う。あたしがそういう感想を伝えると、吉良くんは「それはちがうんじゃないか」と言った。
「え、そうですか? 将棋が趣味だって答えないのは、趣味だと思ってないからでは?」
「よくわかんないけど、将棋が好きで指してるわけじゃない選手もいるんじゃないか」
「それはないような……」
「そうか? たとえばスポーツ選手でも、じぶんのやってるスポーツがみんな好きなわけじゃないぜ。プロになれなかったらあっさり辞めるひともいる。『うまいから周囲にやらされてる』パターンがあるんだよ」
なるほど、こどもをプロにさせようとして、半分虐待みたいになってるケースもあるよね。あれは社会問題。本人が好きかどうかと、それに向いているかどうかはちがう。
「日日杯のメンバーで、そういう雰囲気で指してる選手っています?」
「さすがにそれを訊くか?」
「あ、すいません……」
あたしは話題を変えようとした。けど、吉良くんはなぜか答えた。
「これはオフレコにして欲しいんだが……H島に六連っているだろ?」
「はい」
「あいつはあんまり好きで指してるような気がしないんだよな」
あたしは理由を訊いた。吉良くんは「勘だ」と答えた。
うーん、どうだろう。六連くんとまだ会ってないから、よくわからない。
「今のはナイショだぞ」
「はい、もちろんです……とくに気にしてる選手はいますか?」
「捨神九十九」
即答。これはなにかあると思ってくわしく訊く。
「全国大会で一回当たってるんだよ」
「そこで負けたからリベンジ、と?」
「ちげーよ、勝ったのは俺だ。さてはちゃんと調べてないな?」
そう言われてもなぁ、あたしが将棋始めてないときのことだと思うし。
「じゃあ、連勝したい、と?」
吉良くんはポケットに手をつっこみ、かかとで床をこづいた。
「あの勝ちは勝ちになってなかった気がする」
「勝ちが勝ちになってない……?」
「んー、説明がむずかしいんだよなぁ。葉山は写真のコンテストとか出すか?」
「中学で頼まれて出したことはありますけど、それ以外はないですね」
あのときはふつうに落選だった。まあ、しょうがないね。じぶんで見ても、他の写真部の子よりうまく撮れていた印象がなかったし、練りに練って被写体をさがしたわけでもなかった。あたしがそう説明すると、吉良くんは次のようにコメントした。
「つまり『ほんとうに負けた』気もしないわけだよな?」
「……ですかね。真剣勝負をしたわけじゃないんで」
「俺と捨神の関係も、そういう感じなんだ」
??? 全国大会で当たったのでは?
なんで真剣勝負じゃないんだろ。学生アマならほぼ最高峰だと思うんだけど。
あとで捨神くんにも確認とろうかな。吉良くんの勘違いかもしれないし。
「ところで、葉山はH島のどこ出身なんだ?」
「駒桜です。じつは捨神くんといっしょなんですよ。高校はちがいますけど」
吉良くんはすこし声を小さくした。
「じゃあ、捨神に彼女がいるのって知ってるよな?」
え……そうなの? 初耳だ。
いや、いても全然おかしくないとは思う。なんかちょっと体が弱そうだな、という印象以外はイケメンだし、しかも白髪なんだよ。芸能界がほっといてるほうが不思議なんだよね。有名な俳優さんの息子なんじゃないかとか、いろいろ噂が立っていた。
とくダネなのでは。ゴクリ。あたしはイエスともノーとも答えなかった。
吉良くんは一方的にしゃべり始める。
「あの女の子、ハーフみたいだったし、地元では名カップルなんだろうな、くそぉ」
いやいや、張り合うところがおかしい。
まあ、ライバルに彼女がいてショックなのはわかる。
ここで犬井くんがわりこんだ。
「今のは記事に書けないから、おいておくよ。優勝の意気込みとか聞かせてくれる?」
この犬井くんの質問に、吉良くんは答えなかった。
手近な椅子に座って、じっと犬井くんをみる。
「なあ、犬井、その質問ってほかのメンバーにしてないよな?」
「なんでそう思うの?」
「香宗我部先輩たちから、質問内容は事前に聞いてある」
あ、マズい。このへんは昨日の打ち合わせで変更した部分だ。記事にメリハリをつけるために、優勝候補のメンバーは深く掘り下げることになっていた。さいわい、優勝候補の萩尾さんのときも、格付けチェックみたいな感じで話題が盛り上がったから、その延長でいけるという読みだった。
あたしはそのことを正直に伝えた。
「というわけで、特集選手を何枠か作ろうと……」
「そういうのに俺は反対だな」
「……どうしてですか?」
「特別枠の選考基準ってなんだ? 前評判だろ? 優勝した選手がトップを飾るのはわかるが、始めるまえから色眼鏡でみる必要はないよな?」
あたしは、甲子園の注目選手もカラー特集で1頁使ってもらえると説明した。これは昨日の夜、いろんな雑誌の電子版をチェックして思いついたアイデアだった。
けれど、これがまったく逆効果で、
「俺はああいう特集は好きじゃない」
という返事だった。
あたしは返答に窮した。個人的な好き嫌いの話になってしまったからだ。
犬井くんが代わりに話す。
「義伸は、まだあのときのことを気にしてるんだね」
「それはおまえの関知するところじゃないだろ?」
「たしかにそうだ。今のは失言だったよ、すまない。ただ、僕たちにはスポンサーから編集権限が与えられているし、のっぺりとした紙面じゃダメなんだ。『将棋ワールド』みたいな雑誌でも、重要なタイトル戦はカラー、そうじゃない対局は白黒だろ」
「……」
吉良くんはその場で足を組み、腕をひろげてペンチにもたれかかった。
「犬井、おまえほんとに高校生らしくないよな」
「どのあたりが?」
「これじゃ囃子原グループの従業員と変わらないだろ。高校生なら『無難な』企画に逃げるなよ。そんなのは売り上げを気にする社会人に任せとけばいい」
「こどもなら失敗してもいいっていう考えは、学校教育のすりこみじゃないかな」
犬井くんが取材でじぶんの意見をはっきりと言ったのは、今回が初めてだった。一方、吉良くんはこの話題にどこかなじみがあるらしかった。「またか」みたいな顔をした。
「おまえ、ほんとに学校教育が嫌いだな」
「そこはゆずれないからね。今の学校教育は、国民国家が必要とする工場労働者と軍隊を維持するために設けられたものだろう。これは日本史から明らかだね。日本で義務教育が導入された時期は、まさに富国強兵の時代なわけだ。とくに農村部では、こどもに農業を手伝ってもらっていたから、義務教育に対しては反発が強かった」
吉良くんはそこで犬井くんの話をとめた。
「それは全国大会の会場で聞いた。国が国民に画一的な知識を植え付けていって、産業や戦争で必要な労働力を供給してもらう、それが義務教育だってな。俺もそれは否定しないし、日本の教育がなんか軍隊みたいだっていうのも否定しない。だけど、それとさっきの話がどうつながるんだ?」
「現代日本では、もう第二次産業はメインじゃないし、戦争もしてないんだよ。義務教育はその役目を終えてるはずなんだ。それなのにいつまでも維持しようとするから、こどもらしさとか、こどものときにしかできないこととか、そういう幻想にしがみつくんじゃないかな。それはこどもを見くびっていると思う」
ふたりのあいだで、静かな沈黙な流れた。
吉良くんもなにか思うところがあったらしい。
よくよく考えながら、言葉を返していく。
「キッズダンスってあるよな……あれがジャンルかどうか、俺はたまに考える」
「こどもらしいダンスがあるのか、ってことだね。義伸の意見は?」
「キッズスクールで教わるダンスは、たいていはヒップホップだ。こどもがヒップホップを踊ってるだけだと、そういう解釈もあるだろうな。だけど、こどもらしいダンスっていう言い方をするおとなも、たしかにいる。すくなくない。こどもらしいダンスっていうのは、元気がいいとか、失敗をおそれないとか、そういうふわっとした説明だ」
「で、義伸の意見は?」
吉良くんは右手で犬井くんを制した。
「おまえは答えを出すのが早すぎるんじゃないか」
犬井くんは肩をすくめてみせた。
「今この時間は帰ってこないからね」
「ま、そりゃそうだ……っと、話し込みすぎたな。ふたりはこのあと時間あるか?」
お昼ご飯を食べてから午後の取材に入る、とあたしたちは答えた。
吉良くんはベンチから立ち上がり、軽くその場でステップを踏んだ。
「じゃ、ふたりとも着替えて踊っていけよ」
「え?」
困惑するあたしたちに、吉良くんは挑発的なまなざし。
「おいおい、いっぱしの編集者気取りで、じっさいに体験しないって手はないよな?」
そのあと、あたしたちはめちゃくちゃ踊らされた。
あたしはへとへとになって、ベンチにダウン。
「ハァ……ハァ……もう限界です……」
「体力ないなぁ」
吉良くんは呆れつつ、スポーツドリンクをおごってくれた。
あたしはそれをチューチューしながら、さっきの話題をもういちど振ってみる。
「あのぉ、特集ページの件なんですけど……」
「俺は反対だ……が、どうせ俺に決定権ないんだろ」
そうなんだよね。吉良くんが反対しても、あたしたちが強行しちゃえば終わり。
ただ、それはなんかもうしわけない気がした。
「葉山だっけ? おまえはおまえで、なんか記者っぽくないよな」
「え、そうですか?」
「そんなのふつうは無断で載せるだろ。俺なんか何回も無断掲載されてるぞ」
高校生でそれはけっこうすごくないかな。
あたしはなんと返したものか迷った。すると――
「とりあえず、全員の取材してから決めてもらえないか?」
「全員の、ですか……?」
「日日杯は特定の選手のものじゃないんだ。選手みんなと、スポンサー、スタッフ……ダンスだって同じだろ。インストラクターがいて、音響がいて、清掃員がいて……挙げたらキリがないよな。俺はそういう一体感のある記事を読みたい。誰かがのけものにされてる空間は偽物だ……俺がダンスと将棋から学んだのは、そういうことだよ」




