371手目 温田みかん・石鉄烈〔編〕
柔道場を出たあたしは、カメラを片手にぶらぶらと散歩。
犬井くん、遅いね。MINEを確認すると、ようやくM山駅に到着したらしかった。
このままだとE媛はひとりで取材することになりそうかな。しかたがないので新浜高校の敷地を出た。次の目的地へと向かう。
校門のところでタクシーを呼んだ。後部座席にひとりで乗ると、
「おじょうさん、ひとり?」
と訊かれた。
「あ、はい……新聞部の取材で」
「みかけない制服だね」
あたしはH島から来たことを伝えた。運転手のおじさんは、H島からわざわざ女子高生が来たことにすこしばかりおどろいていた。とはいえ、客商売だから、すぐにこの話題は打ち切りになった。行き先を訊かれる。
「愛甲学園でお願いします」
「すこしかかるけど大丈夫かい?」
「はい、経費で落ちるので」
H島から来たことよりも、経費で落ちることのほうが不審だったかな。
ま、いいや、とにかく運んでもらう。
タクシーは海岸沿いに進む。M山はH島とくらべて、すこしひとは少ないね。生活風景もずいぶんとのんびりしている。おじさんはあれこれ名所を紹介してくれた。M山市の取材じゃないんだけど、使えそうな情報もあった。15分ほどして、海岸からそれる方向へ左折した。瀬戸内海が遠ざかり、小高い山を迂回すると、クリーム色の校舎がみえた。
愛甲は四国でも有数の進学校だ。じつは阿南くんもここなんだよね。さっき新浜高校にあらわれたのは、トップバッターになりたかったのかな。ありうる。
あたしは料金を払って領収書を切ってもらい、校庭に足を踏み入れた。
「えーと……11時に校舎の……」
「あ、カメラのお姉さん、もしかして葉山さんなの〜?」
ふりかえると、ゆるふわ系の小柄な女の子が立っていた。
そばにはすごく内気そうな少年がひとり。
「こんにちは……もしかして、温田さんと石鉄くんですか?」
「そうなの〜ラブラブカップルなの〜」
え、なにその返事は。リア充爆発しろ。
「今日はよろしくなの〜」
「あ、はい……場所はどちらでしょうか?」
「将棋部の部室がいいの〜」
あたしは部室へ案内された。ちょっと古めの部屋で、ふたつの長机以外には、本棚とパソコンしかなかった。ストイック。進学校って、意外とこういうところがキラキラしていないイメージがあるんだよね。純粋にブランドで勝負しているというか、お金をかけている方向性が違うというか。
ほかのメンバーはだれもいなかった。土曜日だからかな。それとも、取材があるというので人払いしたのかもしれない。あたしは椅子に座って、メモ帳をとりだす。
「えっとですね、犬井くんは遅れてまして……」
「問題ないの〜新人さんのほうがフレッシュ感あっていいの〜」
どちらから取材に応じてくれるかたずねた。温田さんは、
「ダーリンからでいいの〜」
と言った。ダーリン? リア充爆発しろ。
石鉄くんは赤くなってもじもじ。
「よ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします……では、将棋を始めたきっかけから」
「兄に教わりました」
「H島の修身に通ってるひとですよね?」
さすがに調べてある。石鉄烈くんのお兄さん、石鉄涼くんは、H島の名門校、修身高校に在籍している。瀬戸内海をまたいでいるから、もちろん寮生活だ。涼くんもけっこう強いらしいけど、修身高校のトップは並木っていう男子なんだよね。
「お兄さんよりも烈くんのほうが強いですか?」
「あ、うーん、どうでしょう……」
「ダーリンったら謙遜してるの〜けっこう差があるの〜」
まあ、そうだよね。烈くんは県代表だけど、涼くんは市代表ですらない。
とはいえ、身内を悪く言いたくない気持ちはわかるから、これ以上はつっこまない。
「ふだんの練習は、どうしてますか? やっぱり温田さんと?」
「いえ、みかんちゃんとはほとんど指さないです」
みかんちゃん? ……温田さんのほうが年上なのに?
そこは人前なんだから「温田先輩とは指さない」とか言おうよ。リア充爆発しろ。
烈くん、おとなしそうな顔して、意外と攻めてくる。
「なんで指さないんですか? ふたりとも県代表から、いい練習になりますよね?」
ここで温田さんがわりこんでくる。
「家庭と仕事はちがうの〜わかる〜?」
あのさぁ……まあいいや、カレシ持ちじゃなくて悪ぅございましたね。
「じゃあ、だれと練習するんですか?」
「部室のみんなです」
「阿南くんとか?」
「そうです……阿南先輩がもう話したかもしれないですけど、小学校で阿南先輩を将棋部に誘ったの、僕なんです。強くなってもらえたので、誘ってよかったと思います」
……………………
……………………
…………………
………………
「ああ〜お姉さん、阿南からちがう話を聞かされてるっぽいの〜」
「えーとですね……」
「阿南の言うことを真に受けると危ないの〜敵ナシとか言ってたに決まってるの〜」
ぐぅ、葉山光、不覚。
あとで犬井くんと相談して、載せる予定の情報は全部精査しよう。
「趣味はなんですか?」
「趣味はカービングです」
「かあびんぐ?」
「ナイフで石鹸とかを彫刻する遊びです」
それはめずらしいかも。
石鉄くんはスマホで写真をみせてくれた。
リンゴの皮にきれいな花が彫られていた。
ほかにも、唐草模様に彫られた石鹸とか、いろいろ。
「器用ですね」
「照れます」
「とくに気になってる選手とかいますか?」
「いえ、とくには……」
「ダーリンは鬼強いから気にならないの〜」
「そ、そういう意味じゃないです」
うーん、なんか温田さんにいろいろ振り回された感じ。
ま、これはこれでいっか。
「次は温田さんに聞きますね。温田さんが将棋を始めたきっかけは?」
「小学校で好きな男子が将棋を指してたから教えてもらったの〜」
温田さんはパチリとウィンクした。
あのねぇ……帰っていいかな、これ。
石鉄くんも赤くなって、
「あのときはびっくりしました……小学校で1コ差ってけっこう大きいので……」
とつけそえた。
なによ、このノロケ話。あったま来た。葉山光、暴走。
「告白のときのセリフを教えてください」
「そんな質問、項目にあるはずないの〜だけど、教えてあげなくもないの〜」
「だ、ダメです」
おらおら教えんかーい、とスゴんでいると、部室のドアが開いた。
廊下に犬井くんが立っている。
「遅れてゴメン……と、葉山さんも来てたか」
いかんいかん、さっきまでの会話はなし。
あたしが話題を切り替えようとすると、
「このお姉さん、みかんたちの馴れ初めを訊いてくるの〜」
と、いきなり暴露戦術に出られた。
犬井くんはあきれて、
「葉山さん、そういうことを訊いちゃダメだよ」
とタメ息をついた。
ちがうちがうちがーうッ!
「誤解ですッ! 話せばわかりますッ!」
「問答無用なの〜」
「まあ、先にしかけたのは温田さんな気がするけど。どうせノロケ話からの派生だろ」
「ぎくッ、なの〜」
さすがは犬井くん、察しがいい。
犬井くんもじぶんのスケジュール帳をとりだした。
「で、今はどのあたりまで進んでる?」
「今治先輩と阿南くんと石鉄くんは終わって、今は温田さんです」
「よし、オッケー、じゃあここは葉山さんに任せるよ。続けて」
はいはい、それじゃあ質問の続きを。
「ふだんはどうやって練習してますか?」
「聖カナリア学院の将棋部は、みかんしか段位者いないの〜だからM山高校の伊代ちゃんと指すことが多いの〜伊代ちゃんも県代表経験者だから勉強になるの〜」
なるほどなるほど、同郷の女子強豪と指してるわけか。
それにしても、彼氏狙いで将棋を始めて県代表って、すごいね。
「趣味はなんですか?」
「バドミント〜ン」
「みかんちゃん、バドミントンも県内でけっこう上位選手です」
うーん、二足のわらじか。っていうかそれは趣味なのかな?
あたしは気になって、
「成績とまったく関係なくやってる趣味ってあります?」
と追加の質問をした。
「ダーリンとデートぉ、って言うのはウソで、本気交際だから趣味じゃないの〜」
「み、みかんちゃん、恥ずかしいよ……」
はい、訊いたあたしが悪うございました。
「とくに気になってる選手っていますか?」
「好江先輩とひよこ先輩は、たまに指すからマークしてるの〜だけど、女子は男子よりも棋力差が小さいから、みんなにていねいに勝つことが大事なの〜」
K知の磯前さんとT島の大谷さんをマークしてる、と。メモメモ。
「あたしからの質問は、これくらいですかね……犬井くん、なにかある?」
これは日日杯とは関係ないんだけど、と犬井くんは前置きして、
「このへんの高校が変なドロボウに入られた、っていう噂はほんとなの?」
と質問した。
あたしはなんのことか分からなかった。
でも、温田さんと石鉄くんは心当たりがあるみたいで、目配せしあった。
「……それどこで聞いたの〜?」
「囃子原グループの情報収集能力を甘くみてもらっちゃ困るかな」
「だったらみかんたちよりも詳しいと思うの〜話すことはないの〜」
「将棋グッズ専門のどろぼうだから、情報共有しておいたほうがいいと思っただけだよ」
なんかちょっと不穏な空気。
あたしはその場を明るくするため、さっきの質問を掘り返した。
「オフレコでいいので、告白のセリフなどを……」
「むふふふなの〜じつはダーリンのほうから……」
「ダメですッ! プライバシー! 犬井先輩ッ! 助けてくださいッ!」
「ハートを盗まれた話か。それでもいいかな。いったんCM」




