353手目 技のキレ、体のライン
今治先輩らしい手です。
角を狙っているというよりは、どかせるのが目的ですね。
8六角に6六歩、同歩、3三桂だと思います。3八龍の位置もその伏線です。
「ん〜微妙な気がするの〜」
となりでみかんちゃんの小声。
今治先輩らしい前向きな手なのですが、みかんちゃんには不評のようです。
それに、吉良先輩の小考がちょっと気になりますね。
「……8六角」
「6六歩」
「2一歩成」
あ、手抜きました。
これには今治先輩も、
「うぅむ……6七歩成で王様が露出してもいいと読むのか……」
と、うめきました。
吉良先輩はひとさしゆびをふって、
「見た目はものごとの正しい姿じゃないんですよ」
と言いました。いきなりテツガク。
「ダンスマニアの吉良のセリフとは思えんな」
「だからこそ、ですよ。いいですか、ダンスっていうのは一見すると大振りな動きのウケがいいんですけど、大切なのは体全体のバランス、ラインの美しさです。柔道だって大技が必ずしもいいわけじゃないでしょう」
「たしかに、技の大きさよりもキレが大切だな。王様が露出するから悪いと即断したのは偏見のようだ……が、論より証拠をみせてもらうか。6七歩成」
同玉、3九龍、7八玉。
王様のダンスが始まりました。
とはいえ、3九龍は王様を踊らせることだけが目的じゃないです。
「1九龍」
これですね。後手は攻め駒が足りていません。
「2九歩」
吉良先輩は一回ガード。8四香〜8七香成〜6九龍が見えていたので当然の一手。
1七龍、6六飛、6五歩。
これは同飛と釣り上げて、6四歩、同角なら5三銀、8六角、6四香の串刺し、6四歩に同飛なら5五桂の狙いでしょうか。
「いい中合いですね」
「ガッハッハ、元県代表だからな」
「取ると寝技を食らいそうなんで、引きます」
吉良先輩は6八飛と引きました。
「こちらに手がないのを見越した引きか……」
そうですね。後手は2一銀で、と金を払うくらいしかないような。
あ、そう指しました。
2一銀、6四歩。
「それは香車が利くぞッ! 6六香ッ!」
「こっちも持ってますよ。6七香」
「香合わせ? それは取って打ちなおせばよかろう」
6七香成、同金。
「ここで打ちなおし……むッ」
今治先輩も気づきました。6六香の打ちなおしは同金、同歩、同馬です。
【参考図】
6筋の攻防では後手に分がありません。となると――
「馬をどかすッ! 2二銀直ッ!」
「6三歩成」
吉良先輩の華麗な小技。
これで6筋に歩が打てるようになりました。不安材料なし。
馬筋は遮断されても問題ありません。
ピッ
今治先輩が30秒将棋に。
6三同銀、1二馬、3三銀左(3四馬の阻止でしょうか)、7五桂、7四銀。
「攻めます。5六金」
吉良先輩、ふたたび攻勢へ。
「2六龍」
吉良先輩は、すかさず7七桂。玉頭の厚みでは負けないかっこうです。
「動かす駒がない……5三銀」
「1三馬」
「4二銀上」
「4六馬」
「……」
ここでみかんちゃんがコメント。
「後手は金銀が機能してないの〜大差なの〜」
みかんちゃんの言うとおりです。
後手はここから立て直しだけで時間がかかっちゃいます。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
今治先輩は目を閉じました。
「わしの負けだ」
吉良先輩は一瞬だけ「おや」という顔をしましたが、すぐに、
「ありがとうございました」
と一礼しました。チェスクロをストップ。
「先輩、すこし早投げですね」
「殺到されたらどのみち終わりだ。逆転の芽がないのを粘るのは棋風じゃない」
そういうことですか。もうちょっと指してもよさそうな局面ではあります。
まあ、投了は対局者の自由です。
ここで阿南先輩が挙手。
「はいはーい、次は僕が指しまーす」
感想戦はいいんですかね。今治先輩はあっさりと席を立ちました。
「日日杯の主役のひとりは、やはり吉良だな。期待してるぞ」
「ま、善処します……阿南、座れ」
阿南先輩が着席。さくさくと駒をもどします。
「いやぁ、吉良くんと指すのはひさしぶりだなぁ。今日も勝つからね」
「今日も、じゃないだろ。おまえ公式戦で俺に勝ったことあるのか?」
「アハハ、公式戦に限定する必要ないじゃないか」
非公式戦に限定してもダブルスコア以上だった気がします。
「振り駒で僕の先手だね。よろしくぅ」
「よろしくお願いします」
2六歩、8四歩、2五歩、8五歩。
相掛かりですか。阿南先輩が誘導したかたち。
7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、2三歩。
「浅く引いておこうか。2六飛」
「阿南らしいな。7二銀」
「それってどういう意味? 高飛車ってこと?」
「解釈はお好きにどうぞ」
「んー、吉良くん、冷たいなぁ。もっと優しくして」
阿南先輩に優しくする吉良先輩……キミが悪いです。
1六歩、1四歩、6九玉、6四歩、5九金。
「工夫してきたな……6三銀」
「多少はね。9六歩」
7四歩、4八銀、7三桂、3六歩。
どちらも積極的です。が、先手から開戦になりそうな流れ。
3四歩、7六歩、4二玉、3七桂。
「6二金、と……そういえば、長尾の食中毒は治ったのか?」
「それ1ヶ月以上前の話*だよね?」
「みんな心配してたんだぞ。弘法も筆の誤りってね」
あれはみんなびっくりしていました。
長尾先輩は四国でも有名な高校生シェフです。
食中毒とは無縁そうな人なんですけど。
「なんで阿南は食中毒にならなかったんだ? おなじもの食べたんだろ?」
「じつはね、ケーキから変な匂いがしたから、用心して食べなかったんだ」
「……それ長尾に忠告してやらなかったのか?」
「超有名な高校生シェフに料理でアドバイスなんて、失礼だろ」
「おまえ、あいかわらず性格悪いな……」
「いやいや、分かって欲しいなぁ、僕の優しさを。3五歩」
攻めました。
「同歩」
「7五歩」
阿南先輩、将棋は堅実なので舐めてはいけません。もちろん、そのあたりは吉良先輩もわかっていると思います。吉良先輩はここで1分ほど使いました。
「……8八角成」
「ふーん、このタイミングで交換かぁ。打ち込んでくださいっていう誘いにみえるなぁ」
「……」
吉良先輩、答えず。
とりあえず、7一角のキズができました。普通なら7一角、7二飛、6二角成、同飛で駒損なんですけど、先に7四歩の味つけがあります。現局面から、8八同銀、7五歩、7四歩、同銀、7一角です。
【参考図】
これは駒損じゃなくて2枚換えになります。以下、7二飛、6二角成、同飛、8四金とベタに打って、6五銀、7三金とすれば角と金桂の交換。
ただ、金の位置が微妙なので、阿南先輩の構想力が試される進行になりそうです。後手は金を遊び駒にさせれば有利になりますね。どきどき。
「ま、取るしかないよね。8八同銀」
7五歩、7四歩、同銀、7一角、7二飛、6二角成、同飛、8四金。
予想通りの進行。
6五銀、7三金。
「……6一飛」
阿南先輩はこの手を見て、
「単に引き、か。9二飛で8三金を誘うかと思ったけど、ちがうんだね」
と言いました。そのまま小考。
「むずかしいの〜先手も後手も目立った手はないの〜」
ですね。先手が過激にいくなら4五桂跳ねですが、歩がないので迫力がありません。となると、1五歩、同歩、同香と歩を入手して、同香、4五桂ですか。しかし、いきなりこの局面で1五歩はやりすぎな気がします。先手は壁銀なので王様が狭いんです。
「……7七銀」
「しぶい手だな。阿南らしくない」
「アハハ、棋風って意外と本人の気風にあわないよね」
「俺もしぶくいくぜ。4四歩」
これも宣言通り、しぶいです。
まず、4五桂の消し。これが狙いのひとつ。もうひとつは6六歩、5四銀と押し戻されたときに、4三のスペースを空けることで4三銀の余地を作っています。
「んー、先に7九玉だと1五歩のタイミングがなくなる可能性があるね。1五歩」
阿南先輩、開戦。
「同歩」
「ここで7九玉、と。吉良くんの応手を聞こうか」
「そっちから動いてもらわないと難しいんだよな。3三玉」
吉良先輩、綱渡りの玉移動。これは盤面のバランスが大きく変わったので、先手も動いてくるはずです。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
6六歩、5四銀、7四金。
「そうそう、そういう手を待ってたんだよ。7一飛」
6四金、7六歩、6八銀。
「後手の攻め、ちょっと細くな〜い?」
「阿南、将棋の攻めっていうのは相対的なもんなんだぜ……4二銀だ」
*231手目 それぞれの日曜日
https://book1.adouzi.eu.org/n2363cp/243/
場所:愛甲学園将棋部
先手:今治 健児
後手:吉良 義伸
戦形:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲7八銀 △6二玉
▲7七銀 △7二玉 ▲6六銀 △8二玉 ▲7八玉 △7二銀
▲5八金右 △6四歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲3七桂 △6五歩
▲同 銀 △4二角 ▲4五銀 △同 銀 ▲同 桂 △6四歩
▲5三銀 △6五歩 ▲5二銀成 △同金左 ▲2三飛 △3二銀
▲2二飛成 △3一銀 ▲2四龍 △同 角 ▲同 飛 △3八飛
▲7五角 △4二銀打 ▲5五角 △3六飛成 ▲1一角成 △4五龍
▲2二歩 △3五龍 ▲2九飛 △3八龍 ▲2六飛 △6三桂
▲8六角 △6六歩 ▲2一歩成 △6七歩成 ▲同 玉 △3九龍
▲7八玉 △1九龍 ▲2九歩 △1七龍 ▲6六飛 △6五歩
▲6八飛 △2一銀 ▲6四歩 △6六香 ▲6七香 △同香成
▲同 金 △2二銀直 ▲6三歩成 △同 銀 ▲1二馬 △3三銀左
▲7五桂 △7四銀 ▲5六金 △2六龍 ▲7七桂 △5三銀
▲1三馬 △4二銀上 ▲4六馬
まで93手で吉良の勝ち




