351手目 過去をさぐる数学少女
「かっとばせ〜」
1時間後、おいらはヒィヒィ言いながら、カァプの応援をしていた。マヅダスタジアムのライトスタンド、カァプパフォーマンス席の真下にある外野指定席。こんなにハードだとは予想してなかったよ、おいら。
ウェーブで全身がつりそう。
「ほらほら、魚住くん、気合いが足りてないわよ」
「全力で……ぜぇ……応援してるよ……ぜぇ……」
「六連くん、さっきから観てるだけじゃない」
六連くんはメガホンを片手に、座ってるだけだった。
エールを送るわけでもメガホンを振るわけでもなく、ほんとに観てるだけ。
「野球観戦だから観てるんだよ」
「観てるだけならテレビでもできるでしょ、ほらほら、応援しなさい」
早乙女ちゃんの要請にもかかわらず、六連くん、断固静観。
「しょうがないわね……こうなったら、魚住くんと1.5人分応援しましょう」
「もうかんべんして……あした筋肉痛で起きられなくなっちゃうよ……」
「さぁ、メガホン二刀流で応援を……あら?」
早乙女ちゃんの眼光がするどく光った。
「……ウサギの匂いがするわね」
それは相手チームの匂いでしょ。読切ジャイアントのマスコットはウサギ……って、匂いがするわけないよね。早乙女ちゃん、もしかしてスタジアムでは幻覚がみえるってオチじゃないよね? おいら、怖くなってきたよ。
早乙女ちゃんは、近くの座席に視線を走らせた。
「……発見ッ!」
右となりの座席に、赤い帽子を深々とかぶった女性がいた。
でも、よくみるとカァプ帽じゃなかった。単純に赤いスポーツキャップ。
夏なのに薄手のカーディガンを羽織ってて、大きなマスクをしている。
なんか不審だね。
早乙女ちゃんは、その女性に歩み寄った。
「伊代さん、変装してもダメよ」
「ぎくぅ」
マスクの女性は、びくりと体を震わせた。
あれ? どこかで聞いたことのある名前のような?
あいては、そそくさとマスクをはずした。
おいら、その顔に見覚えが――ああッ! E媛代表の伊代ちゃんッ!?
伊代ちゃんは不敵な笑みを浮かべて、メガネをなおした。
「ふふふ、バレてしまってはしかたがありません。早乙女さん、おひさしぶりです」
「カァプの指定席にいるってことは、ついに宗旨替えをしたのね。おめでとう」
「宗旨替えなんかするわけないでしょう。巨神軍は、永遠に不滅で〜す。とりゃ」
伊代ちゃんは、カーディガンを脱いだ。黒いユニフォームがあらわれる。
「秘技、ホーム席でのビジターユニフォーム隠しですッ!」
ダメでしょッ! なんで敵のベンチに座ってるのッ!?
早乙女ちゃんもこれにはマジギレ。
「はい、おとなしく脱ぎましょうね」
「ちょっとッ! なに脱がせようとしてるんですかッ!」
「軍服の偽装は国際法違反よ」
「カァプの指定席で巨神のユニフォーム着ちゃいけないって法律はありませんッ!」
いや、法律の問題じゃないでしょ。マナー大事。
「そんな暗黒衣装に身をつつんで、恥を知りなさい」
「旅の恥はかき捨てですッ! 四国でめったに試合ないからしょうがないでしょうッ!」
「六連くんも、なにか言ってあげて」
「レギュレーション違反なの? 違反じゃなきゃ服装の自由だからOKじゃない?」
「ほらッ! 六連くんもああ言ってますッ!」
「問答無用ッ! 成敗ッ!」
早乙女ちゃんは、メガホンを伊代ちゃんの頭にふりおろした。
それはそれでダメでしょッ!
おいらが止めようとするまえに、伊代ちゃんはベンチ下からオレンジのメガホンをとりだして、みごとに受けた。ポカンとプラスチックの音がする。
やんややんやしていると、早乙女ちゃんのメガホンが手からすっぽ抜けた。
コツン
ああッ! まえの座席のひとにぶつかったッ!
しかも男性――って、え?
ふりかえった男のひとは、御面ライダーのお面をかぶっていた。
「さっきから騒々しいな。怪人でも出たのか?」
……………………
……………………
…………………
………………魑魅魍魎に囲まれてる。
こっそり帰ろっかな。こそこそ。
「魚住くぅん、敵前逃亡は銃殺刑よ」
ひぃいいいいい、だれか助けて。これなら地元で釣りしとくんだった。
御面ライダーのあんちゃんは、ベンチからスッとたちあがった。
早乙女ちゃんと対峙する。あわわわ、警備員さんを呼ばないと。
ところが、おいらの心配をよそに、ふたりはあいさつを始めた。
「おひさしぶりです。まさかスタジアムでお会いするとは思いませんでした」
「指しかけのままだったな。ここで決着をつけるか?」
「今はカァプの聖戦中なので……ところで、将棋仮面さんもカァプファンですか?」
「いや、レモンがたまたま優待ペアチケットをもらってな」
御面のあんちゃんは、そう言ってとなりのベンチをみた。
カァプ帽をかぶったツインテールの少女が座っていた。
なぜかサングラスをつけている。
少女は、くちびるにひとさしゆびを当てて、
「シーッ!」
と注意した。こっちも見覚えがある。内木檸檬ちゃんじゃんッ!
も、もしかしてレモンちゃんのデート現場に遭遇?
レモンちゃん、御面ライダーのコスプレしてる男子が好きなんだ……ショック。
一方、早乙女ちゃんは、
「内木さん、こんばんは。内木さんもカァプファンでうれしいわ……でも、この将棋仮面さんは、カァプファンではないみたいね」
とタメ息をついた。御面のあんちゃんは、
「ヒーローは特定のチームをひいきしないからな」
と答えた。
「ほんとうは、ハードバンク・アルバトロスのファンなんじゃありませんか?」
御面のあんちゃんは、一瞬だけ動きをとめた。
「……ほぉ、なぜそう思う?」
「囃子原本社ビルで対局したあと、いろいろと調べてみました。同世代で全国クラスなのに素姓がわからない少年……興味が出ますよね。全国の高校強豪および奨励会員のデータと比較しました。しかし、一致する人物はいませんでした」
「ヒーローの正体は、そう簡単にわかるもんじゃないぞ、お嬢さん」
「そうかもしれません……ですが、ひとりだけ気になる人物がいました」
その場にいたメンバーは、口を閉ざした。
レモンちゃんもお忍びを忘れて、早乙女ちゃんをマジマジとまなざしている。
御面のあんちゃんは腕組みをして、背筋をのばした。
「名前を言ってもらおうか」
「全国将棋大会、小学生の部の元F岡代表、秋月大樹くんです」
沈黙――野球場の歓声が、にわかに遠ざかったような気がした。
「俺は小学生にみえるか?」
「元代表です。もし彼が生きていれば、今ごろは17歳になっているはずですね」
ちょうどあなたのように、と、早乙女ちゃんはつけくわえた。
「生きていれば、とは? まるで俺が幽霊のような言い方だな」
「秋月くんは小学6年生の大会を最後に、行方がわかっていません。通っていた小学校に問い合わせてみましたが、個人情報なので教えられないと言われてしまいました。地元の噂では、交通事故で亡くなったことになっているようです」
「ふむ、きみは幽霊を信じるかい?」
「いえ、信じていません。ただ……交通事故で亡くなった証拠もありませんでした。地方紙をいろいろと検索しましたが、小学生の死亡事故は報道されていなかったのです」
そのときだった。場内に大歓声。
ホームランだ。早乙女ちゃんはカァプ帽の下に流れる前髪をかきあげた。
「名シーンを見逃してしまいましたね……推理合戦はこれくらいにしておきましょう」
「なかなか面白い推理だった。しかし、証拠はなにもないな」
「えぇ、証拠はなにもありません。ただ、できすぎな気がしています」
「なにがだ?」
「交通事故で亡くなった少年が黄泉の世界から帰ってきて、正義のヒーローになる……これが御面ライダー幽玄のストーリーだそうですね」
「それは正確ではないな。交通事故で亡くなったはずの少年が、御面ライダー幽玄かもしれない、というだけだ。悪の幹部ツクヨミがその少年だという意見も根強いぞ」
「いずれにせよ、その少年がじつは死んでいなかった、というお話が最新回だとか」
あッ……なんかそれ聞いたような気がする。
クラスで御面ライダーを観てる子が言ってたような。
早乙女ちゃんは、黒髪をふたたびなでた。
「将棋仮面さんが特撮番組の真似をしているのだとばかり思っていました……ところが、現実をふりかえってみると、番組が将棋仮面さんの過去をたどっているようにみえます。こんな偶然があるのでしょうか?」
「ドラマとだれかの人生が似てしまうことは、往々にある。クレームの元凶だ」
ここで会話は終わった。場内に歓声が起こる。
「またお会いすることもあるでしょう」
「そうだな。観戦にもどるとしよう」
御面のあんちゃんは、ベンチへ座りなおした。レモンちゃんがなにやら話しかけてるけど、全然聞こえない。一方、早乙女ちゃんはご満悦なようすで、
「ところで、なにホームランだったの? ソロ? 満塁?」
と言いながら、スクリーンをみあげた。
G 00003
C 0000
「回が……変わってる……?」
冷静にベンチに座っていた六連くんは、
「さっきのはジャイアントのHRだよ。スリーランね」
と答えた。早乙女ちゃんはメガホンをふりまわす。
「こうなったら3倍応援するわよッ! っていうか伊代さんッ! さっさと退場ッ!」
「いやぁ、万部のHRは最高ですね。このまま10点取っちゃ……いったッ!?」
早乙女ちゃんは、伊代ちゃんのあたまをメガホンでポカリとやった。
「伊代さ〜ん、はやく退場しましょうね〜」
「チケット買ってるのになんで退場しなきゃいけないんですかッ!」
「敵のベンチでユニフォーム着るのはマナー違反だって言ってるでしょッ!」
ふたりはメガホンちゃんばらを始めた。
やーめーてぇ、みんな仲良く。
おいらの悲鳴は、マヅタスタジアムの夜空にかきけされた。




