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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第34局 よもぎちゃんを脅すのは誰だ!?(2015年6月30日火曜)
358/686

346手目 同情、友情、愛情

※ここからは、新巻あらまきくん視点です。

「くしゅん」

 感想戦の途中、兎丸うさまるは急にくしゃみをした。

 ちょっとかわいいくしゃみだったから、俺は、

「女子が兎丸のことウワサしてるんじゃないかぁ」

 とからかった。兎丸はマジメな顔で、

「うーん、こんな時間に僕の噂なんてするかな」

 と答えた。兎丸のウワサしてる女子なんて、大勢いそうだけどな。

 ま、つっこむのも野暮だ。俺はパシリと駒を打った。


挿絵(By みてみん)


 兎丸は、棋譜のプリントとにらめっこする。

 あごにこぶしをそえて、テーブルにひじをついた。

「……むずかしいね」

「去年の県竜王戦の決勝だもんな。御城ごじょうvs丸目まるめ

「御城先輩のチームとは当たる可能性が高いから、念入りに研究しておかないと」

 県大会も近づいてきた。今やってるのは、俺と兎丸の自主研究会。

 放課後ぶっとおしで、だいぶ疲れてきた。俺は椅子をうしろへ傾ける。

「ところで、今年はなんで六連むつむらのチームが出てないんだ? 魚住うおずみよりも、あっちのほうが強いんじゃないのか?」

「ああ、皆星かいせいの六連くんね。たしかに、個人戦の優勝候補は彼かな」

「中2から将棋を始めて中3で県代表って、ちょっとヤバいぜ?」

 六連むつむらすばる。皆星高校1年生。中3のとき、いきなりO道ブロック代表で出てきて、優勝をかっさらった強豪だ。同ブロックの魚住を負かしての出場だから、そこそこ強いんだろうな、とは予想されていた。けど、そこそこなんてレベルじゃなかった。もっとも、秋は魚住がブロック代表に返り咲いたし、早熟頭打ちタイプなのかな、とも思う。

 ところが、兎丸はあんまり気にしていないみたいだった。

「皆星は層が薄いんだよ。団体戦は3人制だからね。六連くんが飛び抜けていても、魚住くんのいる黒潮くろしお高校のほうが層は厚かった、ってこと」

「さすが兎丸、冷静な分析だなッ!」

「うーん、ここをこうして……」


 ガラリ

 

 あ、ドアがひらいた。佐伯さえき主将かな、と思ったら、全然ちがっていた。

 シスター服を着た若い女性──顧問の渡邊わたなべ先生だった。

「おやおや、まだ練習をなさっているのですね。もうすぐ暗くなりますよ」

 校庭が赤く染まっている。もうこんな時間か。

 俺は半分謝るような感じで、

「すみません、そろそろ帰ります」

 と言ってから、兎丸に話しかけた。

「おーい、兎丸、渡邊先生から帰宅指示だぞ」

「こっちだと詰まないか……」

「おーい、兎丸ぅ」

 兎丸はようやく顔をあげた。

「どうしたの?」

「渡邊先生が、もう帰れって」

「え? 渡邊先生が? ……あ、こんにちは」

 マジかよ、今気づいたのか。

 渡邊先生は笑って、

「ずいぶんと熱心に練習してらっしゃいますね。明後日から期末テストですよ」

 と、やんわり釘を刺してきた。

「はい、新巻あらまき虎向こなた、がんばって勉強します」

「それでは、消灯と戸締りを忘れないでくださいね。特に窓は確かめてください」

 渡邊先生はそう言って、部屋を出て行った。

 俺は片づけを始める。兎丸は、しばらく盤の前から動かなかった。

「おーい、兎丸、守衛さんが来たら困るぞ」

「……そうだね」

 駒は駒箱に、盤は棚に。散らかってると、佐伯主将に怒られるからなぁ。

 窓の鍵を全部チェックして、部屋を出た。守衛室へ鍵を返したあと、俺たちは校庭に出た。世界はとっくに青くなっていた。電灯がちらほらついている。俺は黒い学生カバンを肩で支えて、ゆっくりと歩き始めた。

 兎丸は黙ったきりで、なにか考えごとをしているようだった。

「さっきの将棋、まだ気になるのか?」

「うん、ちょっと」

「……そっか」

 俺は立ち止まった。兎丸はそれに気づかなかったらしく、俺の横を素通りする。

 俺はカバンで背中を小突いた。

 ふりかえった兎丸に、俺はニヤリと笑う。

「今の、中学のときによくやってたよな」

 兎丸はきょとんとした。そして、今日初めて笑った。

「そういえばそうだったね。僕が詰め将棋に夢中で、よく先に行っちゃってた」

「だけど高校に入ってから……いや、中3の冬からしなくなったよな。だから……」

「しなくなったね、あの事件以来」

 兎丸は口もとの笑みを消した。夕風が吹く。せみの声が細くなっていく。

「なぁ、これは俺のカン違いかもしれないから、まちがってたら俺と兎丸の仲ってことで赦してくれよ……やっぱ、魚住との決勝戦、気にしてるんだろ?」

 質問しておいてなんだが、俺は緊張していた。

 聞いてはいけないことのような、そんな気がしたからだ。

 ところが、兎丸の返答はあっさりとしていた。

「うん、そうだね」

 俺は拍子抜けしてしまった。

「だ、だよな。『気にしてない。アレは事故だ』って言ってたけど、本音は……」

「そうだね、本音はめちゃくちゃ気にしてたね。虎向にはバレてたかな」

「あ、いや……なんとなくそうかな、って」

「そっか。じゃあ、僕の演技も捨てたもんじゃなかった、と」

 俺は困惑した。ここまでストレートに認めてくるとは思わなかったからだ。

 逆に不安になる。でも、兎丸は、そんな俺の不安を無視した。

「ちなみに、どこでそう感じたの?」

「県大会のあと、何度か試合があっただろ。そこで、兎丸が急にヤル気をなくした……ように感じた。最初は、非公式戦だからそう見えるだけなのかな、と思ったけど……」

「虎向のそういう観察力、好きだよ。あのあと、僕はスゴくやる気がなくなった」

「大一番での負けは、捨神先輩との対局でもあったじゃないか? なんで急に……」

「それとこれとは話がちがうよ。捨神先輩には実力で負けた。だから、納得がいくんだ。でも、あの県大会は……『運が悪いひとは実力と無関係に表舞台には立てない』っていう現実を突きつけられたんだよね。だから急に冷めた」

 そばの街灯がついた。薄闇うすやみのなかで、俺と兎丸を照らし出す。

「なぁ……どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?」

「早めに言ったら納得してくれた? ……ごめんごめん、そんな顔しないでよ。虎向なら分かってくれたと思うよ。でもさ、ほかのメンバーはどうかな? 僕が『魚住は絶対に許さない』って言ったら、納得してくれたのかな? 『古谷って人が良さそうなのに、意外と根に持つタイプなんだな。見損なった』とか、影で言われるのがオチじゃない?」

 俺はそこまで聞いて、どこかで似たような会話をしたような気がした。

 兎丸は先を続けた。

「僕はバカだよ。あそこでゴネる手はあったんだ。魚住くんの腕で持ち駒が見えなかったから、対局妨害だ、反則だ、ってね。そりゃあ、持ち駒を見せる義務はないさ。おそらく審判は『相手の持ち駒の把握は対局者の自己責任なので、見えていたかどうかは関係ありません』って言うだろう。だけど、ミス・ジャッジもありえたし、すくなくとも御城先輩なら時計を止めてクレームをつけたよ。捨神先輩だって、半分諦めたうえで審判を呼んだかもしれない。僕は、どちらもせずに投了した。それが古谷兎丸のキャラを崩さない唯一の方法だったから。そして、投了はすべてに優先する。勝負はそこで終わったんだ」

 俺はしばらくのあいだ、なにも言えなかった。

 だけど、兎丸は俺にコメントを求めているように感じた。

「……さっき、『根に持ってた』って言ったよな? 今はちがうのか?」

「いい質問だね……今は持ってないよ」

「だ、だよな。やっぱり時間が解決……」

「ううん、僕、魚住くんに直接言った気がするんだよね、最近」

「……マジか?」

「多分、ね。魚住くんに電話した記録があるし、魚住くんも僕に怒られたみたいな顔をしてたから、夜中に錯乱してクレームをつけたのかも。思い出しプッツンして電凸した可能性がワンチャンかな……ねぇ、虎向」

 呼びかけられた俺は、子犬みたいにびくりとした。

 あたりにはだれもいない。こんなときに限って。

「虎向は、僕がこういうタイプの男でがっかりした?」

 俺はまた沈黙した。下手な答えは言えない……完璧な回答を……そこまで考えて、俺は兎丸の顔をみた。なんだか悲しそうな顔をしている。その瞬間、俺は今考えていたことがまちがいだと気づいた。兎丸が聞きたいのは、とりつくろった感想じゃないはずだ。

「まあ……ちょっと予想してた……かもしれない」

「どのあたりで?」

「兎丸は、小学生のころからほんときっちりしてただろ。そういう性格なんだろうなって思ってた。兎丸の家に遊びに行ったときも、部屋が女の子みたいにきれいで、俺と全然ちがう感じだったし……だけど、どこか……」

「作ったような印象を受けた?」

 俺はうなずいた。

「兎丸の家って、父さんも母さんも教師なんだよな……兎丸の両親を悪く言うわけじゃないけど、小学生の俺にはちょっと怖かった。中学に上がったら、兎丸は俺を家に入れてくれなかったよな。いつも学校か俺の家で遊んでて……」

「僕の家には、漫画もゲームもなにもないからね」

「あ、うん……今もそうなのか?」

「もちろん。僕、捨神先輩のことをうらやましく思うことがあるよ。高校生でマンション住まいなんて、最高じゃないか。いろいろ噂はあるけど、ね」

 うらやましく思うことがある──断言しなかったところに、俺は兎丸のためらいを感じた。そう、捨神先輩がマンションで一人暮らしなことを、みんなうらやましがっている。でも、変じゃないか。高校生が、しかもマンションで一人暮らしだなんて。両親が仕事でいない、というのなら分かる。だけど、捨神先輩の口から、両親の話が出たことは一度もない。箕辺みのべ会長と葛城かつらぎ副会長ですら、この件については何も知らないらしい。もしかして孤児なんじゃないか、っていうひともいるけど、だったらお金はどこから出てるんだ。

 だから、いろんなウワサがたつ。そのなかで、俺が一番ありそうだと思ったウワサ──有名人の隠し子なんじゃないか、っていう憶測。捨神先輩は、かなりの美少年だ。父親も母親も有名な俳優かなにかで、マスコミから隠すために──いや、ゲスの勘ぐりだ。

 兎丸は、しょうがなさそうに笑った。

「ほら、でもさ、親は選べないから。それにうらんでるわけじゃないよ。この話は、ここでおしまい。ところで、虎向はなにか言おうとしてなかった、最初?」

「え……あ、ああ……」

 俺は、言いかけのセリフを思い出した。「だけど高校に入ってから……いや、中3の冬からしなくなったよな。だから……」どうする? 続きを言うか? さっきと状況がちがいすぎる……いや、迷うこともない。

「兎丸の背中をカバンで小突いたの、ひさしぶりだ……うれしかったぜ。それだけだ」

 兎丸もほほえんだ。

「僕もうれしかったよ」

 おたがいに見つめ合う。そして、俺から破顔はがんしてしまった。

「アッハッハ、やめやめ、こんなことしてるからデキてるってウワサが立つんだぞ」

「え? そうなの? 僕と虎向が?」

「とくに兎丸は女っ気がないからなぁ。エロい話もしないし」

 兎丸はなぜか自信ありげに腕を組んだ。

古谷ふるや兎丸うさまるは清潔男子なんだよ……まあ、女の子には興味あるけどね」

「……マジ?」

「その反応は、どういう意味?」

「いや……ほんとにないのかと思ってた」

「僕の演技、やっぱりまんざらじゃないね。気になる子にはアプローチかけてるよ」

「アプローチ!?」

「と言っても、反応うすいから、嫌われてるかも」

「ちょちょちょ、どこのどいつだッ!?」

「ハハハ、それは秘密だよ、推理したまえ、新巻虎向くん」

 ちくしょー! 友情より愛情かッ! さっきまでの同情は、ぜんぶ撤回ダァ!

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