316手目 例のアレ
「カンナちゃん、待ってたよ」
キャクターフードをかぶった女子高生は、そう言って私にハグを求めた。
ハグハグ。女の子の柔らかな感触が胸いっぱいにひろがる。
「……遊子ちゃん、アレはどこ?」
私は耳元でささやいた。
「アレ? ……ああ、アレね」
遊子ちゃんは施設のおばさんに声をかける。
「すこしだけ席をはずしてもらえませんか?」
「15分だけですよ」
おばさんはそう言って、ドアを閉めた。
遊子ちゃんは時間が惜しいのか、すぐに説明をはじめた。
「J1さんとJ2さんのことだよね? 警察署で見たよ」
「J2さんがあそこにいるのは知ってたけど……J1さんはどこに……?」
「押収品保管所」
「遊子ちゃん、保管所にはいれたの……?」
「あの刑事さん、私のことも疑ってたみたいなんだよね。だから、J1さんと一緒に取り調べを受けたの。あのようすだと、J1さんも容疑者なんじゃないかな」
しずかちゃんはこの話を聞いて、それみたことかという顔をした。
「ほらぁ、やっぱり登場人物には意味があるんだよ。J1さんも疑わないと」
「エスパーは後出し……」
「後出しじゃないしぃ。っていうか、J1さんって初期化されたんじゃなかったの?」
そうそう、そこを質問しようと思ってた。
遊子ちゃんは当然のように、
「うん、初期化したよ」
と答えた。なにがなにやら分からなくなる。
「じゃあ、遊子ちゃんが会ったJ1さんって、だれ……? 幽霊……?」
「時間があまりないから、要点だけ言うね。J1さんは対局の日、会場にいたよ」
……………………
……………………
…………………
………………ふえ?
「どういうこと……? J1さんはアパートにいたんでしょ……?」
「カンナちゃん、エキシビジョンマッチで対局した将棋ソフトは教えてもらった?」
そういえば、なんのソフトを使ったのか知らないね。
私は種類をたずねた。
「それがJ1さんなんだよ」
「J1さんって……もしかして将棋ソフト……?」
遊子ちゃんは深くうなずいた。
「J2さんは将棋があんまり強くなくて、外部のパソコンを使ったのはそれが理由らしいんだよね。対局中に指してたのはJ1さんみたい」
「でも、J1さんはアパートにいて……あ、そっか、そういうのは意味ないのか……」
「私たちみたいにコピーすればいいだけ」
「だね……普通ならクラウドを使うけど、今回は施設の外部と通信ができない……でも、本体をコピーして別のパソコンにインストールすれば、問題は解決する……」
「ちなみに、アパートでのコピーはうまくいったんでしょ?」
私は、外付けSSDが読み込めなかったことを説明した。
遊子ちゃんは「えぇ?」という感じで、
「どこかにぶつけたの?」
とたずねた。
「ぶつけた記憶はないんだけど……遊子ちゃん、きちんとハードウェアの取り外しボタンを押した……? いきなり引っこ抜いたってことはないよね……?」
「あ、うーん……引っこ抜いたかも」
それが原因なのかな。どうなんだろう。とりあえず、J1さんが生きててなにより。大事な情報があるかも。私はそのあたりを遊子ちゃんにたずねた。
「それがね、J1さんはなにも知らないって言ってるんだよ」
「なにも……? それはどういう意味……?」
「『自分は将棋を解析してただけで、控え室の様子は知らない』んだってさ」
「えぇ……それはさすがにウソ……」
「とも言えないんだよね。J1さんは画像認識機能がないから、室内のようすを見ていないっていうのはホントだと思うよ。問題は、声も聞いていないって言ってる点だけど」
「それはおかしいよ……だって、画像認識機能がなかったら将棋を指せ……」
……………………
……………………
…………………
………………あ、理解した。
「そっか……冨田さんがJ1さんとJ2さんを併用してた理由が分かった……」
しずかちゃんはびっくりして、
「え? ほんと?」
と突っ込んできた。
「J2さんが棋譜変換を、J1さんがその解析を担当してたんだよ……」
しずかちゃんは納得してくれた。
「あ、なるほどねぇ。J2さんがカメラアイの画像を棋譜データに変換して、それをJ1さんに送ってたんだ。だからJ2さんの将棋ソフトも起動してたんだね」
この推理は自信がある。一方、遊子ちゃんは怪訝そうな顔をする。
「どういうこと? 私がいないあいだに、なにか分かったの?」
「うん、じつは……」
ガラリとドアが開いた。私たちは口を閉ざす。
おばさんがニコニコ顔で立っていた。なぜか不気味な感じを受ける。
「15分経ちました。なごり惜しいかもしれませんが、本日はこのあたりで……」
「あ、はい……カンナちゃん、またこんど来てね」
「うん……また会おうね……」
私たちはおばさんに連れられて、もとの玄関にもどってきた。
「また来てくださいね」
「はい……ありがとうございました……」
私たちはお礼を言って、敷地から出た。
手近な木のしたで、日焼けしないように相談する。
第一声は美沙ちゃん。
「来島先輩、うまく児童養護施設にまぎれこんだみたいですね」
「あれって、どういう施設なの……?」
「児童福祉法で定められた保護施設です。むかしは両親のいない子が多かったですが、最近は虐待のケースなどでも使われているみたいです」
「遊子ちゃんは、なにかうまい口実を作ったのかな……まあ、そこはおいておいて、遊子ちゃんからもらった情報を総合すると、J1さんがあやしくなった……」
しずかちゃんもうなずいた。
「J1さんがパソコンに入っていたなら、冨田さんに声をかけるのは簡単だよ」
「だね……ただ、ひとつ問題がある……」
「なに?」
「J1さんはJ2さんとちがって、物を動かしたりはできないんだよね……毒物を混入させた方法が分からない……ビンを冷蔵庫に入れさせるのは、だれかに音声で指示すればできるかもしれない……けど、毒物を入れる指示はできないと思う……」
「もしかして共犯なんじゃない? 単独犯とはかぎらないよ?」
しずかちゃんは複数犯を疑い始めた。でも、私はこれを否定する。
「それはないと考えてる……」
「なんで?」
「ゲームマスターの坂下くんは、『探偵役と犯人役に分かれて、探偵役は犯人を見つけたら勝ち。犯人役は最後まで逃げおおせるか、探偵役が誤った推理をしたら勝ち』としか、言ってないんだよね……仮に複数犯だとしたら、もっと細かいルール設定……例えば、ひとりだけ当てたときの決めが必要なはず……単に鬼ごっこ形式なら、鬼はひとり……」
「そういえば、私と美沙ちゃんのまえに現れたときも、そういうふうにしか言ってなかった気がするね。J1さんが毒物とジュースを電話注文して、冨田に飲ませる……無理があるか。美沙ちゃんは、どう思う?」
しずかちゃんは、美沙ちゃんに話をふった。
「今回使われた毒物は、そもそも簡単に入手できるのですか?」
「そういうのは、カンナちゃんが詳しいんじゃないかな」
話をふりなおされた。誠実に答える。
「まあ、多少は……今回使われたシアン化ナトリウムは、工場で広く使われているシアン化合物だよ……シアン化カリウムっていうのがいわゆる青酸カリだけど、シアン化ナトリウムはそれより毒性が低い……けど、飲んだら普通に死ぬ……」
「どういう工場で使われているのですか?」
「金属メッキがメインかな……地球では、医薬品や農薬を作るときにも使う……」
「となると、入手は比較的簡単なようですね。井東さん親子は、近くの町工場から入手できそうですし、J2さんはJBMの工場から入手できそうです。しかし、J1さんだけは説明がつかないように思います。J1さんは候補からはずしたほうがよくないですか?」
「ダメダメ、美沙ちゃん、そういうのがかえってあやしいんだから」
美沙ちゃんとしずかちゃんのあいだで、意見がわかれた。
ふたりは、私の意見を訊いてくる。
「そうだね……私としては先に調べたいことが……」
プルルルル プルルルル
あ、スマホが鳴ってる。私は着信をとった。
「もしもし……飛瀬です……」
《戸辺だ。そっちはどうだ?》
「だいぶ情報が集まってきた……彦太郎くんのほうは……?」
《こっちも例のヤツとアポがとれたぜ。駅前の喫茶店で待つ》
それだけ言って、電話は切れた。
私はスマホをしまう。さっきの質問には――まだ答えなくていいね。
いざ、駅前へ。
○
。
.
喫茶店に到着すると、一番すみっこに彦太郎くんの姿があった。
彼の正面にもうひとり、サングラスをかけた男性が座っていた。
ふたりはコーヒーカップを片手に、なにやら談笑していた。
私は入り口のところで、しずかちゃんたちに確認をとる。
「面会は私だけってことらしいから、私が入っていいかな……?」
「いいよ。そのへんぶらぶらしてる」
私は自動ドアをくぐった。彦太郎くんが気づいて手をふる。
私はその席へ一直線にむかった。
到着するやいなや、青年は立ち上がってあいさつをした。やたら姿勢がいい。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
「こんにちは……」
私は彦太郎くんのとなりに腰をおろす。店員さんが私の注文をとり終えると、青年のほうからすぐに会話を始めた。ちょっと声を落としているのがわかった。
「今から話すことは非公式だからね。そこのところはよろしく」
「よろしくお願いします……では、当日の通信システムについて教えてください……」
「システムというほど複雑じゃないよ。対局場に専用アクセスポイントがあって、その電波を冨田のパソコンがひろっていただけさ。学校や職場でもよくある形態だ」
「アクセスポイントから直接ひろってるんですか……?」
「いや、控え室までは距離があるし、障害物も多い。3台経由している」
「そのすべてに鍵はかかっていますか……?」
「もちろん」
「通信規格は……?」
「IEEE802.11ac」
けっこう新しい。最大通信速度は……6.9Gbpsだったかな。
最大で1秒間に6.9ギガビットのデータ量を送信することができる。
8ビットが1バイトになるから、約860メガバイト毎秒だね。
「じっさいの通信量は、どれくらいでしたか……?」
「ほぼフルで使ってたよ」
「フルで……? 棋譜データを送るだけですよね……?」
「通信内容がなにかは、正確に把握できてない。でも、控え室のパソコンには大量の映像データがあった。J2のカメラアイで撮影した映像だ。それをずっと送信し続けていたんじゃないかな」
私は考慮時間をとる――映像を送っていた? なんで? ……あ、そうだ、小野崎刑事も洋洋堂で説明していた。「J2のカメラアイの映像を控え室のパソコンで解析して指し手を読み、結果をJ2に送り返していただけ」だって。
つまり、映像を解析していたのは、J2さんじゃない。内蔵の将棋ソフトを立ち上げていたのは、映像処理のためじゃないのか。ううん。
「さっきの推理はまちがってたのかな……」
「どうかした?」
「いえ、なんでも……映像データを送信するのって、なにか意味があるんですか……?」
「パソコンで解析させるためじゃないのかい? 僕は将棋には詳しくないけど、あれは棋譜っていうものがあるんだろう? 映像のままじゃ処理できないよ」
「それって変ですよね……J2さんはカメラアイで捉えた映像を、棋譜データに変換することができるはずです……自分でデータ変換したほうが、効率よくないですか……?」
「それはルール違反だろう? クラスタリングは禁止されていたはずだ」
……言われてみれば、そうだ。2台で分業は禁止。でも、冨田さんは不正をしていたんだよね、多分。だったら、そんなことは気にしないんじゃないかな。
将棋ソフトを立ち上げていた理由が、また謎になってしまった。
「質問はこれだけ?」
「J1さんについてなんですが、署のほうに……」
「ああ、悪いけど、それは答えられないよ」
拒否されてしまった。ってことは、署内の情報が漏れると身元が特定される人物、警察のIT担当ってことだね。こっちは簡単に推理できた。アミューズメント施設のほうは、施設の職員が漏らしたってごまかせる。責任転嫁可能。
「それなら、質問は以上です……ありがとうございました……」
青年は席を立ち、店を出た。そばで耳をかたむけていた彦太郎くんは、
「あんまり収穫はなかったな」
と、残念そうに言った。
「うぅん、ありがとう……ここに来るまでにひとつ推理したんだけど、それがまちがいだと分かっただけで助かった……もうひとつお願いを訊いてもらえないかな……」
「おいおい、こいつはあくまでも取引だからな。警察署に侵入とかはナシだぜ」
「大丈夫……これは彦太郎くんにとってもスクープだから、ね……」




