297手目 正体を明かさない男
なーにがオープニングソングだ、と思いきや、ステージでBGMが流れ始めた。
ノリのいいメタル系の曲で、どうやら御面ライダー幽玄のテーマらしい。
「えーい、さっさと終わらすぞッ! 3四歩ッ!」
あたしは駒音高く2手目を指した。
7六歩、5四歩、2五歩、5二飛。
「なるほど、ゴキゲン使いか。成敗するッ! 4八銀ッ!」
「なにが成敗だッ! 付き合ってやってるんだから感謝しろッ! 5五歩ッ!」
6八玉、3三角、3六歩、6二玉、3七銀、7二玉。
どうするかな。穴熊にするか、それとも美濃にするか。
「4六銀」
おっと、超速か。だったら美濃だ。
あたしは8二玉と寄ってから、7八玉に7二銀とした。
「ふむ……」
将棋仮面は腕組みをして、顎を引いた。
「このかたちは久しぶりだ。なにかおもしろい手を……」
「つーか何秒で指すんだ? 適当か?」
「ヒーローは何秒でも受けるぞ」
3秒将棋にしてやろうか、こいつ。
とはいえ、早乙女との対局を見るかぎり、こいつそうとう強いからな。
「ま、計るやつもいないし適当に指そうぜ」
「それもそうだ。6八銀」
3二金、7七銀、5六歩、同歩、同飛、6六銀。
このパターンか。あたしは左銀が出遅れてて、パッと潰せるわけじゃないんだよなぁ。
「撤退。5一飛」
「3八飛だ。3筋を狙わせてもらおう」
4二銀、3五歩――仕掛けて来たな。
「取るイチなんだが……なんでレモンと知り合いなんだ?」
「誰がだ?」
「おまえしかいないだろ」
将棋仮面はしばらく黙ってから、
「ヒーローは顔が広いのだ」
と答えた。あ、ごまかしやがったな。
「なんだなんだぁ、ひとに言えない仲ってかぁ?」
「ヒーローは正体を明かさない。これは鉄則だ」
んなことないだろ。番組内で顔さらしまくってるぞ。
まあ、こいつとまともに取り合ってもしょうがないか。
「3五同歩」
同飛、4四歩、3六飛、4三銀。
いいかたちになった。
「なかなかやるな。早乙女くんと一緒にいただけのことはある」
「チッチッチッ、この不破楓さまを知らないのはモグリだぜ」
「心してかかろう。5五銀右」
凝った指し方だ。狙いがイマイチ見えない。
「角が立ち往生してねぇか?」
「大丈夫だ。問題ない」
初対面だったら信じないところだが、用心しますかね。
「一回受けるぜ。3四歩」
将棋仮面は黙って3七桂と跳ねた。
んー、5四歩と置いて、4六歩〜4五歩狙いか?
だったら3三桂と跳ねる必要があるな。
「2二角」
「5四歩」
「3三桂」
「機敏だ。方針を変更する必要がある……6五銀」
へぇ……あたしは飴玉を口のなかで転がしつつ、この手の意味を考えた。
「なるほどねぇ、4六歩〜4五歩が見せ球で、本命はこっちだったか」
あたしのコメントに、将棋仮面は高らかに笑った。
「ハハハ、ヒーローの手は華麗だ」
「もうちょっと泥臭いほうが好きだけどね、あたしは」
「視聴率というものがある」
そ、そこだけリアリストなのか。
「だったら4五桂。これで狙いを潰せる」
「が、代償として駒を渡したな。同桂」
同歩、5八金右、4二金、6八金寄。
「おいおい、先手も手がないじゃねぇか」
「これはタメだ。タメがなきゃカタルシスは生まれない」
なにがカタルシスだよ。こども用の御面かぶって言う台詞じゃないだろ。
「そうだ。いいこと思いついた。あたしが勝ったら顔見せろ」
「ことわる」
「なんでだよ? 強いんだろ?」
あたしはいろいろとおだててみた。けど、将棋仮面はダメだの一点張り。
「ちぇっ、エンターテイメントのカケラもないな」
「時間稼ぎはそれくらいにして、そろそろ指してもらおう」
「時間稼ぎのつもりじゃなかったんだけどな。6四桂」
あたしの桂打ちに、すぐさま次の手が指された。
これは……ん、そうか、6三桂成と捨てるつもりだ。
同銀、6四銀直、同銀、同銀とされたかたちがきつい。
「チッ、いい手だな」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「とりあえず飛車を回られたら終わりか……5六歩」
「6三桂成」
止まらないか。あたしの飛車筋が通れば5七歩成がある。けっこうなプレッシャーになるかと思ったんだが、甘かった。仕方なく6三同銀。
「6四銀直」
「変化のしようがねぇ……同銀」
「同銀。さぁ、どうする?」
どうするって言われてもなぁ。
あたしは御面ライダーショーのステージを見やった。
歩夢たちは前3分の1あたりまで進んでいる。あと20分くらいか。
「……8八角成」
「同玉」
「5七歩成。殺到させてもらうよ」
「これも同金しかない」
あたしはそのまま5四銀と出た。次に6五銀と出れたら上等だ。
将棋仮面の応手を考えていると、レモンが更衣室から出て来た。
「あら、楓先輩が指してらっしゃるんですか」
「おまえがいなかったせいでな」
「ごきげんナナメですね。これは……デート中にお相手が無関心なパターン?」
しばくぞ、マジで。あたしは飴玉の残りを噛んで割った。
「レモンくん、女同士の戦いはそれくらいにして、セッティングを終えてくれ」
「はいはい、了解」
レモンは箱のなかからチェスクロを何台か取り出した。
「おーい、将棋仮面、さっさと指せ」
「ふむ、こちらの手番だったな。5五歩だ」
「おっと、そいつは微妙だぜ。4四角」
レモンにあれこれ指示を出していた将棋仮面は、ふとその口を閉ざした。
「……いい手だ。5四歩と取り込めない」
「べつに王手放置でもいいんだぜ?」
「ヒーローはルール違反をしない。3四飛」
チッ、そっちもいい手を指しやがる。
「だが、これで銀は助かった。4三銀」
「そうかな。6三桂」
うッ……厳しい。
逃げるなら4一飛しかないが、それは飛車を冷静に引かれて終わる。
「そろそろ戦闘BGMがかかる頃だ」
ステージのほうで、派手な音楽が鳴り始めた。
盤上のことを言っているのかショーのことを言っているのか、分からなくなる。
「……3四銀」
「最善だな。5一桂成」
「7一金」
「さすがに取らないか。5四角」
「あんまり舐めるなよッ! 3八飛ッ!」
王手する。将棋仮面は5八金引と受けた。
「5七……いや、待て」
あたしは盤から手を引っ込める。5七歩、6八金寄、5八銀は3手スキか。
将棋仮面の5四角は……詰めろじゃな……いが、6一成桂がある。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
これは詰めろだ。2手スキ。速度は先手のほうが速い。
「悩んでいるようだな」
「おまえ、マジでつえーな。どっかの県代表?」
「……」
ノーコメントか。見えてる肌と体格からして、10代のはずなんだが。
早乙女と互角に渡り合えるやつが、H島のどこかに隠れてたのか? それとも県外?
「おい、レモン」
あたしはレモンに声をかけた。
「先輩、助言はナシですよ」
「おまえはこいつの正体を知ってるのか?」
「知りません」
ウソじゃないっぽい口調。なんで知らないやつとツルんでるのか、ますます気になる。
「……4三銀」
「攻めないのか」
「攻めてもそっちのほうが速いだろ」
「君もやはり強いな。では、敬意を表して最善を尽くそう。6一成桂」
5四銀、7一成桂、同玉、5一飛、6一銀、6三銀打。
「5五角。王手」
将棋仮面は7八玉と逃げる。
「6三銀」
「同銀不成」
「寄らないな……投了」
「ありがとうございました」
あたしはタメ息をつく。
「完敗ってほどじゃないが、いい投了図でもないな」
「泥臭いほうが好きなんだろう?」
あたしは思わず苦笑してしまった。
「だな……どこが悪かった?」
「とりたてて悪い手はなかったように思うが……」
「あ、不破さん、ここにいたんだ」
振り返ると、歩夢が盤面をのぞき込んでいた。
「なんだ、もうサインもらえたのか?」
「うん、家族連れが多かったから、思ったより早く掃けたよ……この将棋は?」
「そこの変態仮面との将棋」
あたしが答えると、歩夢はふんふんとうなずきながら、
「強いね。お兄さん、次は僕と指してもらえませんか?」
とたずねた。あのなぁ。
「ハハハ、お安い御用だ。何秒がいい?」
「そうですね……30秒……」
「すみません、ショーで助けていただいたかたですか?」
ん? またべつのやつが来たぞ――とぉ!? 天王寺了!
うっすらと髪を染めたイケメンが、なんだか申し訳なさそうに挨拶してきた。
「さきほどは、ありがとうございました」
どうやら、スーツアクターの救助にお礼を言っているらしかった。
将棋仮面は高笑いをして、
「なーに、同じヒーロー仲間だ。気にするな」
と返した。
マジかよ。人気俳優相手にその態度は強すぎるだろ。
「ほかのお客さんとの関係で、粗品は渡せませんので……すみません」
「いや、幽玄ならではのお礼ができるはずだ」
「と言いますと?」
「サインをくれ」
あたしはあきれ果てた。最初からそうしろよ。
恥ずかしいからあたしに頼んだんじゃないのか。
「それなら喜んで」
天王寺は、将棋仮面から渡された色紙にサインした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。宝物にする」
将棋仮面が色紙を大切そうに仕舞っていると、天王寺はおずおずしながら、
「あの……失礼ですが、どこかでお会いしませんでしたか?」
と質問した。
「いや、気のせいだろう」
「声と雰囲気が、どなたかに似ている気がするんですが……」
「きみの勘違いだ。私は誰にも正体を明かしたことはない」
天王寺は「失礼しました」と言い、もういちどお礼を言った。
「では、さらばだ」
将棋仮面はべつのテーブルに移動して、子どもの相手をし始めた。
んー……なんか怪しくね? あたしは訝しみつつ、飴玉を交換した。
場所:アタリー
先手:将棋仮面
後手:不破 楓
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲2六歩 △3四歩 ▲7六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △6二玉
▲3七銀 △7二玉 ▲4六銀 △8二玉 ▲7八玉 △7二銀
▲6八銀 △3二金 ▲7七銀 △5六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲6六銀 △5一飛 ▲3八飛 △4二銀 ▲3五歩 △同 歩
▲同 飛 △4四歩 ▲3六飛 △4三銀 ▲5五銀右 △3四歩
▲3七桂 △2二角 ▲5四歩 △3三桂 ▲6五銀 △4五桂
▲同 桂 △同 歩 ▲5八金右 △4二金 ▲6八金寄 △6四桂
▲7五桂 △5六歩 ▲6三桂成 △同 銀 ▲6四銀直 △同 銀
▲同 銀 △8八角成 ▲同 玉 △5七歩成 ▲同 金 △5四銀
▲5五歩 △4四角 ▲3四飛 △4三銀 ▲6三桂 △3四銀
▲5一桂成 △7一金 ▲5四角 △3八飛 ▲5八金引 △4三銀
▲6一成桂 △5四銀 ▲7一成桂 △同 玉 ▲5一飛 △6一銀
▲6三銀打 △5五角 ▲7八玉 △6三銀 ▲同銀不成
まで83手で将棋仮面の勝ち




