295手目 欠陥アトラクション
ガクンとシーソーが下がった。
《これは確実に1000を超えたな。同成桂》
ちくしょう、おちつけ、不破楓。
ジリ貧のときの鬼手は、ソフト的に悪手。そんなことは分かっている。
いちいち心理的に反応してたらキリがない。
「人間に勝ちやすい手と最善手は違うんだよッ! 2六馬ッ!」
《おまえは大山康晴か。5四成桂ぇええええッ!?》
ケツがトランポリンみたいに跳ね上がる。
あたしは座席の手すりにつかまった。
「びっくりさせるなッ!」
《め、メガネがズレた……メガネ……》
欠陥品だろ、これ。
しかし逆転……してないか。+500くらいにもどったっぽい。
「結果良ければすべてよしッ! 5九歩成ッ!」
7五歩、8五銀、6三角。
《また1000にもどったのではないか?》
うわーん、さっきと同じ位置まで下がった。
それに、人間の判断でもはっきり後手不利だ。
このままじゃ駒を渡したときに寄せられる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「脱出ぅ! 8四歩ッ!」
お、シーソーが動かなかったぞ。意外だな。
以下、5九銀、6七金、6八歩、7八金、同飛、7一金と進んだ。
「わーっはっは! 平らになってきたぞッ!」
《むむむ……どこが悪かったのか……》
先手の穴熊が薄くなって、そこがマイナス評価なんだろうな。多分。
こっちは金銀2枚に復活した。
「このまま逆転するぜッ!」
《そうはさせない。7二金》
同金、同角成、7一金、6三成桂、3二飛、7一馬、同馬。
《ここが急所だな。7四歩ぅおッ!?》
完全に平らになった。互角だ。
「なかなか面白い急所だったぜ」
《ぐぅ、なぜこの手が悪手なのだ》
「ソフトの評価をいちいち気にしてたら負けだ」
このセリフに、毛利はやたら感心した。
《たしかに、大学の合格判定も気にすると美容によくない》
いや、それは気にしろよ。
あたしは呆れながら7四同銀とした。
6四金(ここで逆転)、6三銀、同金、7二金。
じわじわとあたしの座席が持ち上がる。
《一時撤退だ。6四金》
その瞬間、あたしは重力に逆らって跳ねた。逆転だぁ!
こんどは毛利を見下ろすかたちになる。
「穴熊は食らいつかないとダメだろ。6四金じゃなくて6四金打だったな」
《ぐッ……》
あたしは3七角と反撃に出た。
7九飛、6七桂、同歩、同歩成、6八歩、5八歩。
上げ下げは激しいが、一貫して後手有利。
6七歩、5九歩成、6三銀、6八銀、7八飛。
「泣く子も黙る、と金攻め。6九と」
たしかな手応え。形勢は400〜500くらいで後手持ち。
あたしのほうは金銀飛馬で守ってるから固い。
毛利は7四歩から食らいついてくる。
「それは無視ッ! 5九角成ッ!」
7二銀成、同飛。
ここで毛利が悪手を指した。
《6三金打ぃひいッ!?》
1000を超える上がり方。あたしは7九銀打とする。
7三歩成、同桂、同金上、8八銀成、同飛。
「7九銀不成」
《な、7二金右》
グーッとシーソーが傾く。来たな、2000の大台。
「最後の突撃ってか。清算して終わりだ。同馬」
8一金、同馬、8三桂、同銀、8二銀。
シーソーはますます傾いた。
地上からはゆうに10メートルはありそうな高さだ。
「いやあ、気持ちいいねぇ。見晴らしがいい」
風を受けながら、あたしは瀬戸内海を一望した。
「そこのお客さんッ! シートベルト外して立たないでくださいッ!」
大丈夫だって、バランス感覚はいいんだ。
「ほいじゃ、取って終わり。8二馬」
あたしはタブレットをちゃちゃっといじった。
パシーン!
……は?
あたしの視界は重力に引きずられ、体が宙を舞った。
○
。
.
「……さん……わさん……」
あたしは目を開けた。歩夢の顔が大写しになる。
んー、ついに王子様のご登場か。ぶちゅう。
「不破さん、なにしてるの?」
「……はッ!」
あたしは上半身を起こした。
「い、生きてる?」
「だね」
あたしはその場で地面をたたいた。
「やっぱ欠陥品じゃねぇかッ! 人身事故だぞッ!」
「楓さんがシートベルトを外したのが悪いと思うよ」
くそぉ、まさか指し間違えるとは。
王手放置禁止機能くらいつけとけよ。
「しかし、なんであたしは生きてるんだ?」
「すごく哲学的な問いだね」
「そういう意味じゃねぇよ。どっかに引っかかったのか?」
「拙者が助けたのだ」
げげッ、この声は――顔を上げると、神崎が仁王立ちしていた。
「まったく、拙者がいなければ死んでいたぞ」
「くッ……サンキュ。それにしても、なんで神崎がここに?」
「忍者が遊園地にいてはいかんのか」
そもそも忍者がいること自体が納得いかんだろ。
神崎はあたしたちをじろじろ見て、
「さては貴様ら、逢引だな?」
と尋ねた。ぎくぅ。あたしは話を逸らす。
「神崎こそ、おひとりさまか?」
「お花殿と丸子殿も一緒だ」
「なんだ、けっきょく女同士か」
「女同士ではいかんのか」
あたしは反論せずに立ち上がった。ケツと膝の砂を払う。
「で、将棋はどうなった?」
歩夢は、全敗だと答えた。
「不破さんのところは、最後ポカしなければ1勝だったかな」
「チェッ……おい、毛利、参ったと言え」
毛利は呆れたように、
「王手放置は反則だろう」
と反論した。これには文句のつけようがない。
「HAHAHA、楽しかったデース」
元凶が笑った。だいたいこいつのせいだ。
「こんど世論調査があったら基地反対に1票入れてやるからな」
「ベースはI国だから、H島県人関係ないデース」
あたしはドッと疲れを感じた。運動して頭を使ったせいか、それとも心労か。
ポケットをまさぐって、食事券がなくなっていないことを確認する。
「歩夢、安奈、そろそろ飯食いに行こうぜ」
「もう一局指さない?」
あたしは歩夢の頭を押さえつける。
「腹減ったよなぁ?」
「はい」
よし、混む前に行くぞ。全速前進。
*** 少年少女、なんだかんだで行列中 ***
「次のお客様、どうぞ」
30分以上並んだな。あたしたちは窓際の4人席に案内される。
「こういうのもらったんだけど、オッケー?」
あたしは食事券を見せた。店員は、
「承りました。ランチメニューから1品ずつご注文ください」
と答えた。詫び券なのに、しけてんなぁ。どれどれ。
あたしたちはメニューとにらめっこした。
「んじゃ、この瀬戸内のパスタで」
「僕もそれにしようかな」
歩夢が便乗してきた。
「こっちのハンバーグにしろよ」
「え? なんで?」
「ふたりで分けたら2種類食べれるだろ」
あたしって頭いいなぁ。うまい口実ができた。
安奈と並木も同じように分けることになった。
「Aランチ2つ、Bランチ2つ」
店員はメニューを持ってさがる。あたしは予習しておいた会話をする。
「歩夢と遊園地にいると、いつもより楽しいな」
「え、そうなの? やっぱり将棋指したから?」
んなわけないだろ。あれはアクシデントだ。
「僕は萩尾さんに当たったけど、瞬殺されちゃった。さすがはY口ナンバーワンの女流だよね。早乙女さんとの勝負が楽しみだなぁ。日日杯は、不破さんも見に行くよね?」
「ま、まあな。師匠も出るし、スタッフだし」
「あれって招待制なの? もしかして一般人は入れないとか?」
そう言われてみると、会場がホテルだから制限されてる気がする。
「駒桜からは選手もスタッフもけっこう出るし、紛れたら分かんないだろ」
「狭い世界だから顔バレしない?」
「いちいちそんなの気にして……っと、飯が来た」
あたしたちのまえにパスタが2皿、ハンバーグ定食が2皿並べられた。
パスタは海鮮で、剥きエビとブロッコリーの盛り合わせにクリームがかかっていた。
ハンバーグはマッシュルームの入ったデミグラスソースにサラダとパン。
「いやあ、両方頼んで正解だったな。いただきまーす」
あたしはパスタをぐるぐるやって口に運ぶ。
「うーん、うまい」
あたしは舌鼓を打った。歩夢もハンバーグをおいしそうに頬張る。
「さすがは中国地方最大のテーマパークだね」
しかもタダ飯だもんなぁ。
「歩夢、交換しようぜ」
あたしは歩夢のハンバーグをひと切れもらった。反対にパスタを盛ってやる。
「ところで、午後はどうする? 一発目にジェットコースター行くか?」
「食後にアレ乗るの、胃に悪そう。ちょっとブラブラしない?」
「ブラブラしてどうするんだよ。公園じゃないんだぞ」
「パンフレットある?」
あたしはポケットから丸めたパンフを取り出した。
「えーと、今いるところは……」
「行儀悪いぞ。食い終わってからにしろ」
このハンバーグもうまいな。いい合挽き肉使ってる。
あたしがもぐもぐしてるまえで、安奈は並木の口もとを拭いていた。
「ソースがついてるわよ」
「ありがとう。正力さんにいつも拭いてもらってる気がする」
「これからもずっと拭いてあげるわよ」
はいはい、お幸せに、っと――
「ああッ!」
うわッ、びっくりした。大声立てるなよ。
「なんだ、歩夢? ゴキブリでも入ってたか?」
「す、すごい。御面ライダー幽玄ショーで主演の天王寺了が来てるッ!」
だれだよ、それ。
「おまえ、高校生にもなって御面ライダー観てるのか……」
ところが、これに並木が食いついてきた。
「駒込くん、それほんと? 代理のひとじゃない?」
「出演者名簿に本人の名前があるよ」
歩夢は並木にパンフレットを見せた。
おいおい、ちょっと待て。この流れはイヤな予感がするぞ。
「……ほんとだ。天王寺了って書いてある」
「トークショーがあるのかな? 1時からになってるね。観に行く?」
「H島に本人が来るなんて、たぶんもうないよ。サインもらおう」
男子2人は急いで残りをたいらげた。え、ちょ、ま。
*** 夢見がちな少年たち、アタリー中央公園へ移動中 ***
うわぁ、なんだこれは。めちゃくちゃ人がいるぞ。
子供連れの家族から、追っかけくさい女まで大量に集まっていた。
1時の鐘がなり、舞台のうえにひとりの青年が現れた。
会場がドッと騒がしくなる。
「御面ライダー! パパ、御面ライダーだよ!」
「了くん、こっち見てぇ」
あたしは後ろ髪を掻いて、デザートの飴玉を噛みしめる。
まいったな。デートがめちゃくちゃだ。
「おい、歩夢、これじゃサインは無理……ん?」
いない。あたしは周囲を見回す――はぐれたっぽい。
「チッ、こうなったらいったん出るか」
あたしは人混みが苦手だから、ちょっと下がろうとした。
そのとき、誰かと背中がぶつかった。
「っと、わりぃ……ああッ!」
場所:アタリー
先手:不破 楓
後手:毛利 輝子
戦型:相穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲7八玉 △4二銀
▲5八金右 △6二玉 ▲6六歩 △7二玉 ▲6七金 △8二玉
▲7七角 △5三銀 ▲8八玉 △9二香 ▲9八香 △9一玉
▲9九玉 △8二銀 ▲7八金 △6四歩 ▲8八銀 △7一金
▲5九銀 △6二銀 ▲6八銀 △5一金 ▲3六歩 △5四飛
▲4六歩 △6三銀 ▲7九銀右 △6二金左 ▲5九角 △4四飛
▲3七角 △7四銀 ▲4八飛 △6五歩 ▲同 歩 △同 銀
▲6六歩 △7四銀 ▲2六角 △6四飛 ▲3七桂 △3五歩
▲同 角 △1五角 ▲3八飛 △3四歩 ▲6二角成 △同 飛
▲2四歩 △4七角 ▲3九飛 △2四角 ▲4五桂 △1五角
▲5三桂成 △2二飛 ▲6八銀 △4八角成 ▲7九飛 △3六角成
▲4三成桂 △6五歩 ▲3二歩 △5六歩 ▲同 金 △5五歩
▲同 金 △6六歩 ▲5六金 △5八歩 ▲6二歩 △2六馬寄
▲5二金 △6二金 ▲同 金 △同 馬 ▲5三金 △同 馬
▲同成桂 △2六馬 ▲5四成桂 △5九歩成 ▲7五歩 △8五銀
▲6三角 △8四歩 ▲5九銀 △6七金 ▲6八歩 △7八金
▲同 飛 △7一金 ▲7二金 △同 金 ▲同角成 △7一金
▲6三成桂 △3二飛 ▲7一馬 △同 馬 ▲7四歩 △同 銀
▲6四金 △6三銀 ▲同 金 △7二金 ▲6四金 △3七角
▲7九飛 △6七桂 ▲同 歩 △同歩成 ▲6八歩 △5八歩
▲6七歩 △5九歩成 ▲6三銀 △6八銀 ▲7八飛 △6九と
▲7四歩 △5九角成 ▲7二銀成 △同 飛 ▲6三金打 △7九銀打
▲7三歩成 △同 桂 ▲同金上 △8八銀成 ▲同 飛 △7九銀不成
▲7二金右 △同 馬 ▲8一金 △同 馬 ▲8三桂 △同 銀
▲8二銀 △7二馬
まで152手で不破の反則負け




