288手目 かけなおされた写真
「裏見先輩……」
「……」
「裏見先輩……」
私は名前を呼ばれていることに気づいた。
顔をあげると、飛瀬さんがこちらを見ていた。
ここは駒桜高校女子将棋部の部室。週一のミーティングの最中だった。
「新規部室の獲得について、この作戦でいいですか……?」
配られた参考資料を、私はぺらぺらとめくりなおした。
マル秘と書かれたそれは、TRPG同好会と戦うためのプランらしい。
私は軽くタメ息をついて、
「2年生以下で決めてちょうだい」
と返した。正直、部室を大きくしていいのかどうか、判断がつきかねた。もちろん、狭いのはイヤ。でも、飛瀬さんたちが部室を大きくしようとしているのは、駒桜の将棋部を男女混合に戻したいと思っているからだ。そういう画策は歓迎しない。
「えーと……それでは引き続き審議するということで……」
なんか無難におさめたわね。大丈夫かしら。
もちろん、干渉する気はほんとにない。私はしばらくぼんやりする。
福留さんが話しかけてきた。
「裏見先輩、なんかあったんですか?」
「べつに」
「先輩、最近冷たくないですか?」
そういうつもりはないけど……んー、やっぱり態度に出てる?
私はちょっと意識を変えて、今悩んでいるテーマを振ってみることにした。
「仮に、の話だけど……自分の彼氏がいきなり目の前からいなくなったら、どうする?」
……………………
……………………
…………………
………………え、なにこの空気。
飛瀬さんは同情のまなざし。
「裏見先輩……ついにこの日が来てしまいましたね……」
来島さんも携帯ゲーム機から顔をあげて、
「やっぱり早めにキープしといたほうが、よかったと思いますよ?」
と言った。
「じゃけん、新しい男を探しましょうねぇ〜」
??? 私はなんのことか尋ねた。
飛瀬さんは、
「松平先輩にフラれたんですよね……?」
と言った。
「は? なんでそうなるの?」
「違うんですか……?」
「違うわよ。『仮に』って言ったでしょ」
「地球人のその台詞、『これは実際にあったんだけど〜』以外に解釈できない……」
ぐッ……たしかにそんな気はする。
どう弁解したものか考えていると、葉山さんと来島さんがひそひそ話を始めた。
「ねぇねぇ遊子ちゃん、ほんとに松平先輩のことじゃないのかな?」
「松平先輩、さっき廊下でピンピンしてたよ?」
「殺されてないのか……じゃあ違うっぽい」
ちょっとちょっと、なんで私が嫉妬深い扱いになってるんですか。
とはいえ、容疑は晴れたから放置しておく。
「で、みんななら、どうする?」
部員は、おたがいに顔を見合わせた。
「彼が私のまえからいなくなるのはありえないってことで……」
あのさぁ、「仮に」って言ってるでしょ。ラブラブアピールはいいから。
「宇宙人は仮定の話ができないの?」
「私が宇宙人という仮定、裏見先輩からは初めて聞いた気がする……」
「いいから、答えなさい」
「うーん……事件に巻き込まれてるかもしれないし、急いで捜すかな……」
なるほど、合理的。飛瀬さん、言動は変だけど、こういうところで冷静なのよね。
「来島さんは?」
「待ちます」
「何年も帰って来なかったときは?」
「一生待ちます」
えぇ……来島さん、意外と尽くす系?
「葉山さんは?」
「家に行ってみて、住所が変わってたら友だちのツテで捜します」
ジャーナリストっぽい発想。
「福留さんは?」
「とりあえず泣くッ!」
「馬下さん?」
「これも縁だと思ってあきらめます」
「赤井さん?」
「自分に嫌われるところがなかったか反省します」
ほら、全員バラバラじゃない。私の見立てだと、猫山さんはひっそりと自分で抱え込むタイプだと思う。そこに他人がほいほい干渉していいわけがない。けっきょく、タマさんのお節介なのよね。
と、私が納得したところで、全員の目がこちらに向けられた。
「ん? どうしたの?」
「裏見先輩だけ回答しないの……ズルくないですか……?」
「おほほほ、受験勉強を思い出したわ。ごめんあそばせ」
「「「は?」」」
○
。
.
「こんにちは〜」
「いらっしゃーい」
かろやかな鈴の音。私は八一のカウンター席に腰をおろした。
「香子ちゃん、最近よく来るね」
「ここでコーヒー飲みながら勉強すると、はかどるんです」
「常連サマサマ。いつものコーヒー?」
私はうなずいて、鞄から参考書をとりだした。
三角関数の復習を――ん? 私はあたりを見回す。
……………………
……………………
…………………
………………常連特有の違和感をおぼえる。なにか模様替えがあった予感。
けど、椅子もテーブルもそのままだし、観葉植物や絵も……あれ?
私は、カウンター奥の壁に目をとめた。1枚のカラー写真が貼ってあった。
「マスター、その写真、昔からありました?」
マスターはお湯を沸かしながら、
「あ、気づかれちゃった?」
と照れ笑いした。私は写真を観察してみる。路地裏で撮ったものらしく、木箱の上に猫が3匹写っていた。向かって一番左は短毛のグレーで、目が金色。典型的な猫って感じの猫。真ん中にいるのは、三毛猫。そのとなりで真っ白な猫が顔をなでていた。
「……マスター、猫ブームに便乗中?」
「これは僕が昔撮った写真だよ。高校生のときの作品。オリジナルはもっと小さいんだけど、引き伸ばして装飾用にアレンジしてみた」
へぇ、マスター、写真もやってたんだ――あれ?
「最近作ったにしては、ちょっと色がくすんでませんか?」
「あ、うん。引き伸ばしたのは、もう何年もまえだよ」
マスターは、黙ってコーヒーを淹れる。
私は質問を続けたものか迷った。微妙なツボを突いてしまった気がする。
陶磁のカップを出しながら、マスターは声をひそめた。
「これはね、猫山さんが来るまえに飾ってあったんだ。覚えてないかな?」
猫山さんが来るまえ……あ、思い出した。そういえばこの写真、見たことある。
「思い出しました。同じ場所に飾ってありましたね。なくなったとき、『そこにあった猫の写真、どうしたんですか?』って訊いた記憶があります……でも、マスター、『額縁が落ちて中身が破れたから捨てた』って言ってませんでした?」
「うん……ほんとは、外してしまってあったんだ」
マスターは、猫山さんがその写真を見るとイヤそうな顔をしていたからだ、と答えた。
「はぁ……猫山さん、猫嫌いなんですね」
「ハハハ、猫山さん、なのにね」
マスター、顔では笑ってるけど、やっぱりさみしそう。この写真を出したってことは、猫山さんはもう来ないと思っているようだ。
「この3匹の猫、地域猫ですか?」
「おじさんが高校生の頃は、地域猫っていう言い方はなかったかな。一番右の白い子は、駒桜神社の猫だったかな。今でもたまに見る気がする」
「あ、そう言えば、この白い猫、神社の境内にたまにいます」
ってことは、かなりの高齢だ。あんまり動かないでゴロゴロしてる理由が分かった。
「じゃあ、真ん中の三毛猫は?」
おじさんは腕組みをして、首をひねった。
「野良じゃないかな。その子は、写真を撮るときたまたまいたんだけど、ポール……あ、グレーの猫の名前ね。ポールと仲がいいみたいだったから、友だち猫かな?」
「ポールくん、一度もお目にかかったことないですけど、自宅で飼われてるんですか?」
マスターは軽く目を閉じて、となりの空いた皿を片付けた。
「ある日、いきなりいなくなって……車に轢かれたんじゃないかな」
「あ、すみません……変なこと訊いちゃって……」
マスターは笑った。
「いや、いいんだよ。どのみち寿命で今はいないと思うから……と、お客さんだ」
カランと鈴の音が鳴る。マスターは、私の頭越しに挨拶した。
「いらっしゃい」
私はちらりと振り向いた――むせてコーヒーを吹きかける。
ドアのところに立っていたのは、あの外国人の少年だった。
「……はじめまして」
「どうぞ、お好きな席へ」
お好きな席へ、と言っても、カウンター席しか空いていない。
少年は周囲の注目を浴びながら、私のとなりに座った。
「……おまえ、昨日会った女だな」
覚えられてるぅ。って、当たり前か。もろに顔見せちゃったし。
「メニューはそこにあるよ。壁に貼ってあるやつが本日のスペシャル」
少年はメニューにも掲示物にも目をくれず、一枚の写真をとりだした。
ちらりと盗み見た瞬間、私は唖然とする――猫山さんだ。
どこで撮ったのか分からないけど、遊園地でアルバイトをしているシーンのようだ。
少年は私ではなくマスターに写真をみせた。
「この女を捜している。知らないか?」
「さあ、知らないね」
「とぼけてもムダだ。ここで雇っているんだろう」
「仮にそうだとしても、教えてもらえないことくらいは分かるんじゃないかな?」
マスターの口調は断固としていた。いつもの優しげな雰囲気は消えている。
少年は表情を崩さず、しばらく押し黙った。
「今日来れば会えると思ったが……もしかして休んでるのか?」
「注文がないなら、帰ってもらおうか」
マスターと少年の視線がぶつかる。
これまで見たことのないマスターの威圧感に、少年のほうが根負けした。
「……分かった。帰らせてもらう」
少年は席を立った。背中を向けかけたところで、ふと壁に視線をとめた。
「……この写真は?」
少年は、例の猫の写真を指差した。
マスターは、答えるかどうか迷ったらしい。最初は沈黙を選択しかけた。
「……それは、近所の猫たちだよ」
「左のシャルトリューは、まだ生きていると思うか?」
私もマスターもびっくりした。写真の劣化具合から、古いって判断したの?
「……僕は多くを望まない性格でね」
この答えに、少年は一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「そうか……もう会うこともないだろう。アデュー、ムッシュ」




