285手目 元カレ
「で、タマさんの分も払わされるはめになったわけか」
松平はハンバーガーを片手に笑った。さすがに怒る。
「もう、笑いごとじゃないんだから」
「すまんすまん……猫山さんは、けっきょく見つかったのか?」
「夜だったし、タマさんがどこに行ったか分からないから帰ったわ」
松平は、それもそうか、という顔をした。ハンバーガーをトレイにもどす。
「そういうときは、俺に電話してくれたら手伝いに行くぞ」
「あのね……そういう下心見え見えなのはNG」
「べつに下心じゃないぞ。タマさん、猫山さんに男がいるみたいなこと口走ったんだろ? なんか事件に匂いがするな。DVの線も考えられる」
それは考え過ぎじゃないかしら。男と女だからカップル、というのは飛躍している。
「裏見はこのことをマスターに伝えるのか?」
「伝えないわ。あくまでも猫山さんのプライバシーだと思うし」
という会話があって、私たちは解散した。松平は、ハンバーガー代をおごってくれると言った。断ろうと思ったけど、財布の中身がさみしいので承諾。あとで返すという約束になった。
「べつに返さなくてもいいけどな。気をつけて帰れよ」
「松平も、自転車ですっ転ばないようにね」
大通りの交差点で別れる。自宅への道を選んだ。すると――
「おお、香子ちゃんではないか」
ぐわぁ、また鉢合わせになっちゃった。今回は強気に出る。
「タマさん、勝手にお店を出ちゃダメじゃないですか」
「ニャハハハ、すまん」
タマさん、いちおう反省したような苦笑い。白装束のふところに手を突っ込んだ。
「お代はきちんと払うぞい。賽銭……ご主人さまからもらって来たからな」
「けっこうです」
そんな盗んできたかもしれないお金は受け取れない。
タマさんは1円玉や5円玉をじゃらじゃらさせながら、
「ん? よいのか?」
と念押しした。私はもういちど断った。
「ふぅむ、ならば、なにかおごってやろう」
「さっき食べたばかりです」
「じゃったら、甘味という手があるぞ。そこに美味しいケーキ屋さんがある」
ゲシュマックのことかしら。私は店名を尋ねた。タマさんは知らないと答えた。
「落ち着いた感じのお店で、奥に大きな絵がかかってません?」
「おお、そこじゃそこじゃ」
私はすこし考えた。このお金、やっぱりどこからかくすねてるのでは。それでおごってもらうというのは考えものだ。でも、昨日のできごとも気になる。
「……おごっていただかなくてもいいので、コーヒーでも」
これには、タマさんが嫌そうな顔をした。
「あの黒い水は、おいしくないぞい」
「いえ、タマさんは好きなものを頼んでください」
「ニャハ、それなら交渉成立じゃ」
というわけで、私たちは喫茶店に入った。ずいぶん混んでいる。1席確保。
注文は私がホットコーヒーで、タマさんはパンプキンパイ。
「これが美味いんじゃなぁ……ところで、昨日のことじゃが」
ん? そっちから話を振ってくるの? 私はかるく身構えた。
「じつは待ち合わせ時間を勘違いしておってな。愛ちゃん、暇で先に帰ったらしい」
なんじゃそりゃーッ! 私は内心で盛大にツッコミをいれた。
「ようするに、私たちが遅れてたってことですか?」
「うむ、1時間ほど待たせてしもうたわい」
スマホで連絡すればよかったのに、と思ったけど、タマさんは持ってなさげ。
「事情が判明したってことは、猫山さんと会ったんですか?」
「アパートを訪ねたらおったぞい」
猫山さん、アパート住まいなのか――駒桜出身だっていう話、やっぱり嘘なんじゃないかしら。出身地なら実家があるはずだ。それとも、山奥のほう?
「しかし、元気がなかったのぉ……」
「風邪ですか?」
タマさんはテーブル越しにズズッと乗り出した。近い近い。
「おぬしは信用できそうじゃから教えるが……じつはの、男が帰ってきたのじゃ」
……………………
……………………
…………………
………………え? 男?
「もしかして……元カレですか?」
「もとかれとは、なんじゃ?」
「一回つきあって別れた彼氏、です」
タマさんは身を引いた。腕組みをして目を閉じ、首をひねる。
「一回つきあって別れた彼氏……うむ、そうじゃそうじゃ」
えぇ……危ない情報を仕入れてしまった予感。
「ね、猫山さん、彼氏がいたんですね」
「あたりまえじゃろう。あんなめんこいのを牡が放っておくと思うのか?」
一理ある。むしろ、彼氏いない歴=年齢のほうが違和感。
とはいえ、猫山さんは自立した女性って印象だし、サバサバしてるから男性に依存するタイプじゃないと思うのよねぇ。いや、否定の根拠にはならないんだけど。
「で、それが猫山さんの悩みのタネなんですか?」
「そうなのじゃ」
えぇ……ほんとに危ない情報だった。
困惑していると、コーヒーが運ばれてきた。パイもそれに続いた。
「おお、これじゃこれじゃ。わしが優しく食べてやるからのぉ」
「で、伝票はこちらです」
店員さんはお盆を胸にあてて、そそくさと退散。
タマさんはナイフでざくざく切り分けた。パンプキンの甘い香りが漂う。
「ん、なんじゃ? 食べたいのか?」
「そ、そういうわけでは////」
「ひと切れならいいぞい」
では、お言葉に甘えまして……うん、これは美味しい。甘過ぎず、カリカリのパイ生地にしっとりとしたクリームが詰まっている。
私はコーヒーを飲んで、ひと息ついた。
「で、その元カレのストーカー行為が、猫山さんを悩ませてるわけですね?」
「すとぉかぁとはなんじゃ?」
このひと、なんで横文字が通じないのかしら。
うちのおばあちゃんみたいな反応なのよね。逆に、覚えたての横文字はやたら使うようになるし。昨日も「ディナ〜」とか言ってた。
とりあえず私は説明をくわえた。
「好きなひとを一方的につけまわす行為です」
タマさんはフォークを動かす手をとめた。じっと天井を見上げる。
「……ちと違うかのぉ」
「え? 違うんですか? 付きまとってるんですよね?」
タマさんはテーブルをバンバンやり始めた。
あわててやめさせる。
「えぇい、あの下衆男、なんど思い出しても腹が立つ。愛ちゃんになにも言わずにおらんくなったと思えば、いきなり帰って来よって。挨拶もせんのじゃぞ」
「挨拶もしない? ……男のほうから猫山さんに再アプローチ……声かけしてるわけじゃないんですか?」
「しておらん……と思う。わしの知っとる範囲ではな」
うぅん……なんか話が複雑なのは分かってきた。猫山さんの元カレは、振ったわけじゃなくて、失踪したらしい。それから急に駒桜へ戻ってきた。だからと言って、猫山さんとヨリを戻そうとしているわけでもない。猫山さんはそのことにショックを受けている……かどうかは分からないけど、すくなくとも困惑している、と。
「その男性は、なにをしに帰ってきたんですか? 仕事?」
「分からん。昼間からぶらぶらしとる」
ヒモ志望なのでは。猫山さん、男運がない。
「というわけでな、香子ちゃんにも、ちと協力して欲しいのじゃ」
「……協力?」
タマさんは右腕を振り上げた。危ない。フォーク、フォーク。
「そうじゃ! わしらであの馬鹿男を駒桜から追い出すのじゃ!」
……………………
……………………
…………………
………………
「それは無理じゃないですか……どうやって……」
「わしらでは解決せんが、香子ちゃんのように人間がガツンと言えば解決するのじゃ」
いや、どういう意味ですか? 私ってそういうタイプの人間?
「というわけで、善は急げじゃ! ハグハグハグ」
タマさんはパンプキンパイをかきこむと、いきなり席を立った。
「お愛想じゃ。香子ちゃんの分も払うぞい」
私は遠慮したけど、タマさんは全部払ってくれた。
細かいお金が多かったから、会計に手間取る。店員さん、ごめんなさい。
「4枚、5枚、6枚……1206円ちょうどですね。ありがとうございました」
チリーンと鈴を鳴らして退店。タマさんは、あたりをキョロキョロした。
「あいつは散歩道が決まっておる。この時間帯は3丁目の住宅街じゃ」
な、なんでそんなピンポイントな調査を。タマさんのほうが危ない気がしてきた。
「それでは、行くのじゃ〜」
私たちは喫茶店の右手にある路地を曲がった。狭い通路を何本か折れる。
「た、タマさん、ここって公道じゃないですよね?」
「ニャハハハ、善は急げと言ったじゃろう。近道をするぞい」
よくこんな道知ってるわね。途中で他人の庭をこっそり通ったり、犬に吠えられそうになったりと、散々な行程だった。住宅街に出た私は、大きく深呼吸をする。
「ふぅ……ここですか?」
「時間的にぴったりのはずなのじゃが……むッ!」
タマさんは私の袖をひっぱって、茂みのうしろに飛び込んだ。
「どうしたんですか?」
「しーッ! 来よった」
タマさんは、茂みの穴から道をのぞきこんだ。私もべつの穴からのぞきこむ。
白いブランド物のTシャツを着た若者がひとり、夕焼けを背に歩いてきた。下は高級そうなジーンズ。髪はウェーブのかかったブロンドで、目が青い。首には金色のネックレスをつけていた。雑誌の表紙を飾っていそうなイケメン。
って、えぇ!? 猫山さんの元カレ、外国人なのッ!?




