280手目 準決勝 曲田〔升風〕vs古谷〔清心〕(2)
パシリと2八歩が指された。問題の局面。
俺は、小技について考えてみた。
だんだんとみえてくる。
「そうか……3五歩、同角に5五歩があるな」
【参考図】
5五歩単体は意味がない。同角と取られてしまう。だから3五歩、同角とさせて、5五歩、2五桂に同歩、3八飛、5六歩。2枚換えになっている。3五歩に同飛は3四歩、3六飛と押さえてからゆっくりと角を成ればいい。
「古谷の狙いは3五歩か?」
俺の質問に、佐伯もうなずいた。
「僕ならそこから同角、5五歩と突き出します」
「5六歩と銀をとったあとがむずかしいな。2枚換えとはいえ、先手に手を渡している。攻めるか守るかは先手次第だ」
「9八香としてしまった以上、一回は9九玉とするしかないと思います」
危なくないか? 俺なら4四角……いや、さすがに5六歩と回収するか。5七歩成、同金のかたちは不気味すぎる。強く戦えない。
「曲田のお手並み拝見だな……っと、古谷が指すぞ」
パシリ
曲田はかるくうなずいて、同角と取った。
以下、5五歩、2五桂、同歩、3八飛、5六歩。
「一回は……同歩」
曲田は5七歩成を防いだ。無難だとは思う。
しかし、手番を古谷に渡してしまった。こんどは古谷がチョイスする番だ。
古谷は30秒ほど読みなおして、桂馬を手にした。
「8四桂」
……厳しいな。次に7六桂(王手)、同銀、4九角がある。
「9九玉」
曲田は穴熊に篭もった。
これでも7六桂、同銀、4九角は成立するんだが……同銀と取らないつもりか?
「3四歩」
古谷は深追いせずに、いったん局面をおさめた。
「7六桂に4四角の強攻を嫌ったくさいな。だが、本譜も角は引けない」
「そうですね。角を引けば、古谷くんから一方的に攻められます」
古谷のやつ、ずいぶんと右玉を指しこなしてるな。
やっぱり佐伯の入れ知恵があったんじゃないか。疑うぞ、俺は。
「4四角と突っ込んで、同銀、同歩までは確定か。佐伯なら、どうする?」
「そのまま8六歩と突きます。同歩、7六桂、同銀、4九角」
【参考図】
「先手劣勢か? この順は回避できない」
「まだ分かりません。4九角に4八飛と寄れば、次に4三歩成があります。7六角成、7七銀、5四馬、5五歩、5三馬と撤退させていくのがよいかと」
【参考図】
「後手のほうが固いですけど、先手も馬をつくってじわじわ行けば、あるいは」
言われてみれば納得だ。
すぐに4三角と打って、同金、同歩成、同馬、同飛成は後手が崩壊する。
「4三角から馬を作れそうか?」
「4三角は、放置して5九銀があるのでは」
おっと、割打ちのゾーンに入ってるんだな。一回飛車を浮かないといけない。
「飛車をどこかに逃がしてから4三角だな。後手には1手余裕がある」
「消極的に指すなら4二歩ですね」
パシリ
盤面をみると、4四角が指されていた。
同銀、同歩、8六歩、同歩、7六桂、同銀、4九角。
外野の予想どおりに進んでいく。
4八飛、7六角成、7七銀、5四馬、5五歩、5三馬。
「4七飛」
曲田が選択したのは、飛車をひとつだけ浮くパターンだった。
古谷が長考をはじめる。
「気合い入ってるな」
「新人戦は一回しかありませんから」
佐伯はそう言って、口をつぐんだ。
俺に対する失言だと思ったのかもしれない。
俺は高1の前半、将棋部に所属していなかった。だから新人戦は出ていない。
新人戦で優勝したのは裏見だ。あのときの裏見なら、簡単に勝てた気がするな。
だとすれば……まあ、たられば、だ。
古谷はひたいに手をあてて、静かに瞑想していた。
その姿勢のまま1分ほどが経過し、ようやくまぶたをあげた。
「3三桂」
これは予想していなかった。
ほかのギャラリーも、しばらく意味を理解しかねていた。
「佐伯は、この手がみえてたか?」
「一応。指すかどうかは微妙でした」
「狙いは?」
「4三角と打ち込まれたとき、5六銀でかわすのが目的です」
【参考図】
「単に5六銀打は4六飛で空振りになります。3三桂と跳ねておけば、4六飛に4五銀と当てて、4九飛、4三金、同歩成、同馬で駒得になります」
「なるほど、いい手だ。指すかどうか微妙ってのは?」
「先手は4三角と打たないかもしれない、ということです。打たれなかったとき、3三桂がどこまで利いてくるかは分かりません。2四角で狙われる可能性もあります」
「2四角は、どうだろうな。それこそ5六銀〜4五桂じゃないか?」
この3三桂、いい手に思えてきた。
曲田も悩んでいるようすだ。
残り時間は、曲田が6分、古谷が8分。
序盤の時間差はなくなったが、形勢にそのぶん反映されている。
「動くしかないか……」
曲田はそう言って、端歩に手をかけた。
パシリ
周囲がざわついた。大胆な手だ。
「穴熊からの突き返しか。歩が多めにあるのを見越した手だな」
「はい、9五同歩には9二歩から叩けます」
悪手ではない、ということで、俺と佐伯の大局観は一致した。
が、さすがに取らないだろう、これは。
「5六銀」
古谷もすぐに動いた。
4九飛(4六飛は4五銀〜4四馬の完封がある)、4五桂、9四歩。
「9二歩」
古谷はすなおに端をあやまった。
「9五桂」
左から行くわけか。銀の入手可能性が高いのを見越した手だ。
「先手は次に4六飛っぽいな」
「松平先輩なら、5七桂成、同金、同銀成、8三角or8三銀と畳み掛けますか?」
「そうしたいのはやまやまだが、いいのかどうか……」
4六飛のまえに、後手がなにを指すかにもよる。4四馬はないだろう。4六飛、5六桂成の瞬間に4四飛と抜かれてしまうからだ。かと言って、他に手もないような……5七銀打なんて重ねても意味ないしな。それこそ同金、同桂成、8三銀or8三角と打たれるのが目に見えている。
「先手を持ちたい気がしてきた」
「形勢判断が難しい将棋です。古谷くんがこの手を見落としているとは思いませんが」
古谷に対する佐伯の信頼は厚いようだ。
俺も、古谷が見落としているとは思えない。端攻めからの桂打ちは常套手段だ。
「端の反動を利用して、いっそのこと8三歩と打っておくのは、どうだ?」
「敢えて攻めさせる作戦ですか? 危ないような……」
「後手の陣形は、6一玉から逃げて行ったほうが広くていい。だったら、のちのち4四馬と取れると信じて、8三角だけ防いでおくのはアリだと思う」
ただなぁ、8三歩と打つと、8一飛がなにやってんのか分かんないんだよな。
曲田のほうも、そうとう楽になる。
古谷がこの順を選ぶかどうかは、あやしい。
俺と佐伯と歩夢は、黙って局面を見守ることにした。
パシリ
おおぉ、マジか……これは読んでなかった。
「9五銀と取るつもりですね」
最初に狙いを喝破したのは佐伯だった。
「だけど、8三銀が受かってないぞ?」
「4六飛、5七桂成、同金、同銀成、8三銀は見えますが、これは5七桂成、同金のとき9五銀と先に出て、同香、5七銀成とすれば回避できます。9五銀に5六金なら8六銀と出られますから、さすがに手抜けません」
「なるほど……6五歩まで絡める手もあるな」
9五銀〜6五歩〜8六銀まで成立したら、先手陣は崩壊する。
曲田も正念場とみたらしく、腕組みをして前傾姿勢になった。
猫背気味の姿勢が、ますます猫背になる。
「これしかないか……4六飛」
古谷は勢いよく5七桂成と成った。
曲田はすこし躊躇してから、6九金と無音で引いた。
「ひと目、6七銀成だが……」
俺の第一感に佐伯も同意する。
「そうですね。6七銀成以外になさそうです」
同金、同成桂、8三角以下で、後手が耐えてるかどうか。
耐えてなさそうだなぁ。7七成桂が詰めろで、同桂に8七銀と打つのがまた詰めろ。
先手は助かりそうにない。
「先手は攻めるまえに受ける必要がある」
俺がそう言ったとたん、古谷は6七銀成とした。
「7六銀」
曲田は銀を立った。催促したかっこうだ。
7八成銀、同金、9五銀、同香、6五歩。
出た。この手は痛烈だ。
曲田はここで考えて、いよいよ1分将棋になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8七銀打」
古谷は滑らせるように8四桂と置いた。
先手は5四銀と置く暇があるかどうか。
すぐには置けない。6四馬、6五歩、5五馬と進めば王手飛車だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
曲田は5四銀を準備した。これなら6四馬とは出られない。
古谷も1分将棋になる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7六桂」
同飛、7五銀、6四桂、同銀直。
「1八角ッ!」
遠見の角。曲田渾身の一手。
先に王手がかかったのは後手玉だった。
古谷の6三桂に、曲田は6四歩と追撃する。
「やっぱ右玉は薄いな。パターンに入ったんじゃないか?」
「いえ、まだ上部が厚いです」
佐伯は後手持ちで変わらないようだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同馬」
曲田は59秒ぎりぎりまで考えて、7五飛と切った。
同馬、7六銀打。
「それは同馬だよ」
決めに行った。
曲田も予定外だったのか、「エッ?」という感じだった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同銀ッ!」
「6七銀ッ!」
「……しまったッ!」
曲田の顔色が変わった。
ムリもない。寄り筋だ。
放置はもちろんないが、8七銀と引いても、7八銀成、同銀、6八成桂と入られる。
8七銀打でも事情は変わらない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
曲田は8七銀打を選択した。
7八銀成、同銀、6八成桂、8七銀打、7八成桂、同銀。
「6八飛」
古谷は飛車を打ち下ろした。
攻防の飛車打ち。6筋をタテに守りつつ、先手玉をヨコから攻めている。
6四歩としている暇がない。
先手の劣勢は、だれの目にも明らかになってきた。
8七銀打、7九銀。ふたたび詰めろ。
「け、桂馬を使うしかない……8八桂」
「6六金」
4五角打、6四歩――反撃の手段が消えた。
曲田は猫背のまま、ジッと盤をみつめた。
さきほどまでの焦りは消えて、いつもの憎ったらしい落ち着きをみせていた。
「もうすこし研究しておけばよかったよ……負けました」
「ありがとうございました」
ギャラリーがどよめいた。と同時に、べつの方向から歓声があがった。
なんだ? なにかあったか?
場所:2015年度 駒桜市高校新人戦 準決勝
先手:曲田 勝己
後手:古谷 兎丸
戦型:後手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲7八金 △8五歩
▲7七角 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4八銀 △6二銀 ▲4六歩 △4二玉 ▲4七銀 △7四歩
▲5八金 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀 ▲5六銀 △7三桂
▲1六歩 △1四歩 ▲4五歩 △6二金 ▲6六歩 △8一飛
▲3六歩 △3三銀 ▲3七桂 △9四歩 ▲9六歩 △5二玉
▲2五歩 △6一玉 ▲7九玉 △7二玉 ▲8八玉 △5四歩
▲4六角 △4二金 ▲6八金右 △5二金左 ▲9八香 △4四歩
▲2四歩 △同 歩 ▲3五歩 △同 歩 ▲2六飛 △3六歩
▲同 飛 △3八角 ▲2八歩 △3五歩 ▲同 角 △5五歩
▲2五桂 △同 歩 ▲3八飛 △5六歩 ▲同 歩 △8四桂
▲9九玉 △3四歩 ▲4四角 △同 銀 ▲同 歩 △8六歩
▲同 歩 △7六桂 ▲同 銀 △4九角 ▲4八飛 △7六角成
▲7七銀 △5四馬 ▲5五歩 △5三馬 ▲4七飛 △3三桂
▲9五歩 △5六銀 ▲4九飛 △4五桂 ▲9四歩 △9二歩
▲9五桂 △8四銀 ▲4六飛 △5七桂成 ▲6九金 △6七銀成
▲7六銀 △7八成銀 ▲同 金 △9五銀 ▲同 香 △6五歩
▲8七銀打 △8四桂 ▲6五歩 △7六桂 ▲同 飛 △7五銀
▲6四桂 △同銀上 ▲1八角 △6三桂 ▲6四歩 △同 馬
▲7五飛 △同 馬 ▲7六銀打 △同 馬 ▲同 銀 △6七銀
▲8七銀打 △7八銀成 ▲同 銀 △6八成桂 ▲8七銀打 △7八成桂
▲同 銀 △6八飛 ▲8七銀打 △7九銀 ▲8八桂 △6六金
▲4五角打 △6四歩
まで134手で古谷の勝ち




