277手目 2回戦 曲田〔升風〕vs駒込〔市立〕(1)
※ここからは駒込くん視点です。
さて、1回戦は突破したけど――ひかえ席がお通夜状態だね。
「2回戦進出は、駒込くんだけかな……」
飛瀬先輩は、僕たちに確認を入れた。
「すみません、いい勝負だったのですが、押し負けてしまいました」
馬下さんの弁明。
福留さんは兎丸くんと、赤井さんは春日川さんとだから、そっちはしょうがない。
飛瀬先輩も、深くは追及しなかった。黙って僕のほうへ顔をむけた。
「駒込くんは、曲田くんとだね……自信のほどは……?」
「将棋は水ものですから」
「だね……」
僕は、姉さんみたいに自信家じゃないのさ。
「曲田くんの棋風は、駒込くんのほうが知ってると思うし……アドバイスはなしで……」
「これから2回戦を始めます。準備にとりかかってください」
箕辺先輩の声。僕は対局席に移動する。
ぼさぼさ頭の曲田くんが先に座っていた。
「おはよ」
僕はかるく挨拶した。
「おはよう。そして、1回戦突破おめでとう」
「それいる?」
「どんな大会でも、白星はいいもんだ」
曲田くんは、そう言ってニヤリと笑った。
なんだかなぁ。とりあえず着席して、駒をならべる。
「最近、調子はどう?」
曲田くんは王様を所定の位置におきながら、そうたずねてきた。
「姉さんが引っ越しちゃったから、家で対局する相手がいないんだよね」
「アプリとかでやれば?」
「うん、やってる。けど、対面じゃないと調子が狂うんだよ」
曲田くんは、肩をすくめた。飛車と角にとりかかる。
「そんなもんかね。歩夢の姉さん、大学はどこだっけ?」
「申命館」
曲田くんは右の眉毛をもちあげた。
「名門じゃないか。高校の成績は悪かったって聞いたけど?」
「数学と物理でなんとかしたらしいよ」
裏口入学じゃないよ。裏口入学するほどお金ないからね、うちは。
私大は科目数の少ない入試があるから、そこを狙ったわけだ。
「で、大学生活のほうは? 順調?」
「もう単位落としそうとか言ってた」
きっと将棋部に入ってがんばってるんだろうね。さすがは姉さん。
僕は振り駒を済ませる。歩が2枚で僕の後手。
「それでは、2回戦を始めます。準備はいいですか?」
僕たちは、ちゃちゃっとチェスクロを設定した。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
曲田くんは7六歩。僕は8四歩と突いた。
「さて、横歩は拒否られたわけだが」
「あ、横歩にしたほうがよかった?」
そういうのは先に申告してね。横歩を指したいオーラを出すとか。
「いや、こっちも用意がある。2六歩」
8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金。
角換わり一直線。
7七角成、同銀、4二銀、3八銀、6二銀、4六歩。
「これは研究してきてそうだなぁ」
僕はそう言いながら6四歩と突いた。
「なんで研究してそうだって思うんだい?」
「曲田くんの手が速いから」
「角換わりの序盤だし、速いのは当たり前だろう。6八玉」
いやいや、曲田くんは、僕らの学年で1番の研究家なんだよ。
4一玉、3六歩、5二金、3七桂、7四歩。4七銀。
腰掛け銀になりそうだ。
6三銀、4八金、3一玉、2九飛、5四銀、5六銀。
はい、腰掛けた。
「さっき、単位を落としそうとか言ってたけど、大学デビューでもしたの?」
「大学デビュー? 姉さんは大学生だよ?」
「彼氏ができたんじゃないか、ってことさ」
えぇ? 姉さんに彼氏? ……想像がつかないな。
「姉さんに彼氏ができたら、そのひとはよっぽど将棋好きなんだろうなぁ」
夫婦水入らずの将棋を目指しているのかもしれない。
1日10局がノルマ。
「いや、世の中、だれがだれに好かれるかなんて分かんないだろう?」
「そうかな? 曲田くんは心当たりあるの?」
僕はそう尋ねつつ、7三桂と指した。
最近流行りの、6六歩を保留するかたちになった。
曲田くんは2五歩と伸ばしてくる。
「僕より歩夢のほうが詳しいと思うけど」
「?」
曲田くんは、意味深な笑みを浮かべた。
「最近、不破さんとよくデートしてるじゃないか」
……………………
……………………
…………………
………………?
「不破さんとデートしたことなんかないよ」
「このまえ、喫茶店からふたりで出てくるところを見たよ」
ああ、なんだ。あのときか。
僕は3三銀とあがった。
「あれは、不破さんが個人戦で優勝したからおごったんだ」
おごったというか、おごらされた、かな。自由意志の不在。
9六歩、9四歩、1六歩、1四歩。
曲田くんは手をとめて、僕をゆびさした。
「そこだよ。なぜ歩夢だけがおごらされるんだろうね?」
なぜ? 学校のテストみたいだ。40字以内で答えよ。
「1番つきあいが長いからじゃない? 小中一緒だし」
「単なる腐れ縁、と?」
「腐ってるかどうかは知らないけど、縁はあるんじゃないかな」
「縁だけで、中学のとき屋上でふたりきりだったの?」
「不破さんはタバコを吸うから、僕が見張り役なんだよ」
「将棋関係の男子では、一番話しかけられてる回数が多い」
「カウントしたの? 捨神先輩のほうが多いんじゃない?」
「捨神先輩は高校が一緒だからだろう。きみはちがう」
困ったなあ。全部状況証拠じゃないか。有罪にはできないよ。
手をつないだこともないのに、彼女認定されても、ね。
「ところで、曲田くんの番なんだけど、持ち時間はいいの?」
「ああ、次の手は決まってるんだ」
曲田くんはそう言って、3五歩と突いた。
普通だね。明確に研究手。
3五同歩は、4五銀、同銀、同桂と跳ねられて、だいたい困る。
「4四歩」
僕は30秒の小考で、この手を選択した。チェスクロを押す。
「速いね」
「研究手順を相手に長考するのは悪手だよ」
「間違いない。3四歩」
これは同銀。曲田くんはノータイムで4七銀と引いた。
んー、これが用意してきた手か。
さすがに即答しづらい。
6五歩と伸ばすのは、ありそう。だけど、狙いがちょっとぼんやりしてる。
4三銀右〜5四角〜3六歩のほうが、いいかな。
先手は先に3六歩と補修するはずだ。これで持ち駒に歩がなくなる。
曲田くんのことだから、このあたりは念入りに研究してそう。歩切れでうっかりということはないだろうし、どうなるかなぁ。楽しみだ。
「4三銀右」
「さすがは駒込くん。いい対応だ。3六歩」
3三金(2四歩の防止)、6六銀、5四銀。
曲田くんは7筋方面に手を変えた。
「7五歩」
「うーん、これはうまい」
僕は感心してしまった。
「部室で2時間考えてきた順なんだ。自信作」
3五歩から金銀を偏らせて、それから反対側の桂頭を狙ったわけだ。
なかなか思いつかないよ、これは。
「歩夢の5四銀は、6五歩からの撃退を狙ってるね?」
「そうだけど、7五歩と指した以上は、6五歩に7四歩なんだろう?」
「もちろん」
曲田くんは手を組んで、椅子にもたれかかった。胸を張る。
「6五歩、7四歩、6六歩、7三歩成しかないと思うよ。まあ、駒込くん次第かな」
ここまで自信満々だと、手を変えたくなる。
でも、6五桂は7三角、8一飛、6四角成で、次に6五銀からの桂損だ。選べない。
……………………
……………………
…………………
………………
うーん、深く考えてみると、先手がいいってわけじゃないみたいだぞ。
例えば、6五歩、7四歩、6六歩、7三歩成、6七歩成、同金、8一飛。
(※図は駒込くんの脳内イメージです。)
これ、先手のほうもきつくない?
金が露出してるからね。6六歩、同金、6五歩と叩くのもありだ。
歩の枚数がちょっと気にはなる……?
先手は6四桂っていう直接手があるけど、4二金で大丈夫かな。4三金は、金銀のかたちが変かなあ、と思う。6四桂、4二金、6二と……8六歩? 8六歩、同歩、同飛は加速するから、先手は5二とと攻め合うのかな。8七歩成、4二と、同玉……待てよ。ここで4二とが入るなら、やっぱり4三金だった? 最初から考え直そう。6四桂、4三金の場合、5二とは金当たりにならないから意味がない。5二桂成〜5一と……遅い。
そうか。この場合は8筋から攻められる。だから4三金でもいいんだ。となると、6四桂の直接手は怖くない。単に飛車を追う7二とが有力。このとき8四飛と上がるのは(8三飛は7四角で両取り)、7三角、7四飛、7五歩、同飛、7六歩。
(※図は駒込くんの脳内イメージです。)
7四飛なら6六桂の両取り。6五飛なら5六銀、6三飛、6四桂(すぐに9一角成は6六歩が気になる)、4三金、9一角成。これは後手持ちだ。
僕は残り時間を確認した。先手が26分、後手は19分。
差がついちゃったなぁ。研究に飛び込んだから、しょうがない。
「よし、受けて立つよ。6五歩」
7四歩、6六歩、7三歩成、6七歩成、同金、8一飛。
ここまでは普通。先手がどうするか。
曲田くんは、次の手に1分ほど時間を使った。
だんだん研究が切れてきたかな。もうちょっとすれば、ねじりあいに持ち込める。
「7二と」
単に飛車を追うパターンだ。予想どおり。
上に逃げるのはないから、4一飛だよね。
そこで6六歩と補強してきたら、4五歩からの攻めを考えたい。
例えば、4五歩、同歩、同銀右(左?)、同桂、同銀。先手は4六歩の先打ちをするしかないと思う。そのまま4六同銀と突っ込んで、同銀、同飛。これが金当たりだから4七歩と打って、4一飛……2四歩?
(※図は駒込くんの脳内イメージです。)
……ちょっと危ない気もしてきたぞ。
5五桂があるから大丈夫かな。いい勝負ではあると思う。
気をつけないといけないのは、7四角、6三歩、7四桂みたいな順だ。
これは同歩とできない……4一飛じゃなくて4二飛だったっぽい。
4二飛に修正して、2四歩、同歩、2二……あ、歩がない。
先手、6六に歩を使うと歩切れになるのか……後手持ちになってきた。
「ずいぶん考えるね」
曲田くんは、ペットボトルのキャップをあけた。某メーカーのお茶だった。
お茶と言えば裏見先輩だよ。水分の女王。
「曲田くん、どのへんまで研究してあるの?」
「それはノーコメントだよ……っていうか、訊くかね、それ?」
将棋ではなんでも訊いてみるもんだよ。姉さんもそうだったし。
「じゃあ、駒込くん、僕も訊いていいかな?」
「いいよ。訊くのはタダだからね」
「じっさい、不破さんとはどこまでいってるの?」
「はい、ノーコメント。4一飛」




