276手目 2回戦 不破〔天堂〕vs新巻〔清心〕(2)
さぁて……こいつは面白い手だな。
単に飛車を取るよりも、直接的に穴熊へ迫ってきる。
「なにニヤニヤしてるんだ?」
「いやぁ、虎向の手が、なかなか面白くてね」
「将棋バカだなぁ」
「うっせぇ、ここには将棋バカしかいないっちゅーの……ちと考えさせろ」
手の狙いは見え見えなんだよなぁ。
角を退かせてから2九龍〜5九龍だ。香車を守っている角の紐を断ちにきた。
この段階では角は渡せない。紐はあきらめよう。
つまり、6四角、2九龍、4一と、同銀のあと一手指して5九龍。
この【一手】でなにを指すかが重要だ。
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……………………
…………………
………………
引きつけて受けるか。
「6四角」
あたしは角を出た。
2九龍、4一と、同銀。
端歩に手をかける。
「9六歩」
虎向は、ちょっと意外そうな顔をした。
「このタイミングで端か……露骨だな……」
間に合うぜぇ、こいつは。あたしは奥歯で飴玉を噛みしめる。
「5九龍だ」
「7七馬」
これが龍当たりなんだよなぁ。6四角の位置もいい。
「くぅ、1九龍って拾えないのか……」
「物理的には拾えるぜ」
「可愛げがないなあ。取って欲しかったらちゃんとお願いしろよ」
「う〜ん、虎向きゅん、拾ってぇ〜」
虎向は胸元をかきむしる。
「鳥肌立った」
「あ?」
「さすがに八百長はしないぞ。3九龍」
だったら最初からそうしとけっつーのッ!
怒りの9五歩で、桂馬の回収にかかる。
おたがいに15分を切った。
「さすがにこれは角を狙う。6二香」
「5三角成」
虎向は5二銀とあがった。馬を撤退するようじゃ、ちょっと勝てないね。
後手は次に6六歩を見ている。同歩、6六銀は食いつかれて負けっぽい。
「挟み撃ちにしようか。5四歩」
「ッ! ……その手があったか」
5三銀、同歩成、6六歩なら、6二と、同金、6六歩と手をもどす。
後手としては、5三銀を省いて6六歩と突っ込むしかないだろう。さすがに6二馬と切るのはやりすぎだから、9四歩、同歩、6四桂を想定。6四桂は両取りが狙いじゃなくて、同香、同馬で香車を消すためだ。これで6六歩の攻めは頓挫する。
「難しいな。ごちゃごちゃしてきた」
虎向は右手でこぶしを作った。ひたいを軽くたたく。
「分岐は多くないと思うけどね」
「そこまで浅い将棋じゃないだろ、さすがに」
たしかに、そこは同意だ。6四同馬のあとは手が広い。
後手は馬筋をそらせて、1九龍〜6二香の打ち直しが理想。ただ、そのまえに5三歩成を防がないといけない。忙しい局面だ。あたしとしては好感触。
「……突っ込む。6六歩」
あたしは9四歩で桂馬を回収。同歩に6四桂と打った。
「同香」
「同馬だ。さあ、どうする?」
虎向は黙って、30秒ほど考えた。迷ってるというより、読みなおしている感じだ。
つまり、手は決まっている、と。どこかな。
「……ここが一番か」
虎向は飛車を手にした。
パシリ
ほほぉん。あたしは5秒ほど盤面をにらむ。
「変わったところに打ったね」
「……」
返事なしか。マジメに読んでるなぁ。
あたしも思考モードに入った。
この手の狙いは、馬の追放だ。7五馬は5四飛で歩を払われる。4二馬も同様。
3六、3七、2八の地点には駒が利いている。
つまり、5五馬か6五馬しかないってことになるね。
6五馬は1九龍の余地を与えるから、おもしろくない――5五馬の一択。
5五馬〜5六馬は完封コース。虎向が時間を使ったのは、この周辺のはずだ。
あたしは飴玉を噛んで、しばらく動きを止めた。
……………………
……………………
…………………
………………
見えてきた。3五龍か。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
これしかない。5六馬に5四飛で、歩を払いつつ銀に紐をつける。
虎向にしちゃ、なかなかいい手だ。
「よし、5五馬」
「そっちか。だったら3五龍」
5六馬、5四飛に、あたしは5五歩と打った。同飛に2三馬と入る。
虎向はノータイムで6七歩成とした。
5六香、7七との攻め合いは、さすがに無理がある。
5五馬、同龍、6七馬は、6六歩と打ちなおされるのが面倒。
あたしは素直に6七同馬寄と取った。
以下、6六歩、7七馬、6七桂、6二歩、同金。
「5六香より、こっちのほうがいいね。6四香」
この手に、虎向はちょっとだけイヤそうな表情を浮かべた。
「受けにくいな……」
そう、けっこう受けにくい。
7九桂成、同金、6七歩成、同馬寄、6三歩は、4六桂(飛龍両取り)の返しがある。
「5三金は6二香成で、ますます危なくなる寸法か。斬り合うしかないな」
虎向は攻め合いを選択した。7九桂成、同金、6五飛。
んー……虎向のやつ、なかなか崩れないね。
いや、読んではあるんだけどさ。中学のときより強くなってる感じがする。
清心の部室で、そうとう鍛えられてるってことかね、あのマジック野郎に。
と、感心してる場合じゃない。ここで6二香成は同飛だ。次の6七歩成がキツい。6八歩と受けたら粘れるが、攻め手もなくなる。香車は死守したい。
つーことは、7五金と打って……どう指してくる?
7五金、6七歩成、同馬寄、同飛成、同馬の清算は、あたしに有利だ。
だから7五金には……5三金と逃げる手があるな。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
6五金、同龍は、次に香車が助からない。
飛車と龍の横並びが、うまーく連携している。
こちらが指すとすれば……5六馬と引きつけて、6四金、同金、同飛、5七馬。これが龍当たりになってるから、悪くはない。ただ、3七龍と入られたとき、先手から攻めるのはかなり難しくなっちまってるな。あたし好みでもない。
ふむ……あたしは椅子をうしろに傾けた。遠目に盤面をながめる。
「楓、危ないぞ」
「安心しろ。授業中はいつもやってる」
「マジメに授業聞けよ」
高校生が言うセリフじゃねぇぞ、それ。教師かよ。
「いいか、授業中にやることは『寝る』『スマホをいじる』『将棋をする』だ」
「ハァ……おまえ、勉強はできるんだから、他の高校にも行けただろ」
「あたしは管理教育に反対してるの。天堂には師匠もいるからな」
「捨神先輩はピアノがあるからいいけど、おまえは将来困ると思うぞ」
あたしは手のひらを合わせて、パンと会話を打ち切った。
「あたしの人生にいちいち突っ込まなくていいんだよ。7五金」
5三金、5六馬、6四金。
「6五金ッ! 2枚換えはしないよッ!」
同龍、同馬、同金――あたしは持ち駒の飛車を空打ちする。
「6二飛ッ!」
窮屈だが、最善と見た。
「金を助ける手がひとつしかないのか……6三角」
「7五桂」
あたしは露骨に角を狙った。
虎向は小考する。残り時間は、あたしが4分、虎向が3分。
「現時点の駒割りは悪くないんだよな。飛車と金銀の2枚換え……7五同金、同歩でも金桂交換におさまるか……よし、受けて立つぞ。7五同金」
「だれが金桂交換するって言ったんだよッ! 6四歩ッ!」
真の狙いは、これ。角を退かせる。
「え? それでいいのか?」
「いいもなにも、指が離れたぜ」
「いや、ルール的にはそうだが……」
虎向は視線をそらして、虚空をみつめた。脳内将棋盤か。
ま、たぶん8五角って出てくるんだろうけどね。
次に6一金と打てれば、後手陣は固くなるわけだ。
「……8五角」
あたしは30秒使って、7二飛成とひっくり返した。
「ぐッ……それは微妙にあると思ってた。同玉」
「7五歩。あとはバラして終わり」
虎向は次の手に持ち時間を使い切った。6二香と反撃してくる。
「んー、角と香で6七歩成をムリやり実現させるわけか」
あたしは飴玉のスティックを、口の端に移動させた。
「馬作られると面倒だし、こっちか」
パシリ
これで受かってるっしょ。
7六同角、同馬、6四香は6五歩と遮断できるから、6七歩成は間に合わない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6四香」
虎向は、なにがなんでも6七歩成狙いのようだ。
それはそれで面倒だし、おそらく最善。
とりあえず8五銀と取って、6七歩成に寄せの本腰を入れた。
1二飛と打って……あるいは、先に馬を逃げてもいいか。
順番的にはあまり変わらない。
虎向の反応をみてから飛車を打とう。
「5五馬」
虎向は頭を抱えた。盤面は広い。
受けるのもありだし、攻めるのもありだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
虎向は6八とと入った。
あたしは最後の1分を使い切って、1二飛と打つ。
「6二金」
一回6八金と手を戻しまして、同銀成、6三歩、同銀、8二金。
送りの手筋になったが、綱渡りだ。
一手緩めると5九飛で詰めろ馬取りがかかる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
虎向はギリギリで6一玉と下がった。
ここで決め手を放てば勝ちか……これだな。
あたしは盤面中央の馬に指をそえた。
「6四馬」
虎向は天を仰いだ。
「同銀、6三香までか」
「そこで5二金打は6二香成、同金、6三金で必至だよ。まだ指す?」
「そうだな……6三金までは指すか」
あたしたちは形作りをした。
同銀、6三香、5二金打、6二香成、同金。
「6三金、と」
「負けました」
「ありがとうございました」
おたがいに一礼して終了。しばし勝利の余韻にひたる。
「7五歩と取り返されたときに6二香が余計だったか?」
虎向のほうから感想戦が始まった。
「んー、即6七歩成ってこと?」
「……だな。6七角成と突っ込むのは1二飛が先に入るから、6七歩成だ」
あたしたちは局面をもどした。
【検討図】
「6三銀、同銀、同歩成、同角、6七馬or1二飛でいいんじゃねーの?」
あたしは適当に答えた。
「1二飛に5二香だと?」
「6七馬と取って、次に6四歩」
「先受けで6四銀の場合は? 5七銀は5二香の紐がついてるぞ」
「いや、5三歩一発で痺れるだろ」
【参考図】
「あ、そっか……」
おいおい、大丈夫か。兎と遊びすぎなんじゃね。
あたしは呆れつつ、ペットボトルを手にとった。
「虎向、これやるよ」
「マズいんだろ。いらない」
「捨てるとこ見られたら困るんだよ。持って帰れ」
「持って帰るんならおまえが持って帰れよ」
「荷物になるだろ」
「いや……荷物だと自覚してるなら俺に押し付けるなよ……」
「不破さん、新巻くん」
うわぁ! 出たぁ!
ふりかえると、師匠が立っていた。飛瀬のオマケ付きだ。
「し、師匠、登場するなら先に声かけてくださいよ」
あたしの苦言に、師匠はきょとんとした。
「感想戦してたから、ちょっとどうかな、と思って……あッ」
師匠はペットボトルに目をつけた。
「飲んでくれたんだね。どうだったかな、飛瀬さんが持って来てくれた特製ドリンク」
えぇ……あいつのだったのかよ。ますます飲む気なくした。
変なもん入ってんじゃないだろうな。
「おい、宇宙人、これはなんだ?」
「シャートフ星の農協の新商品だよ……今度売り出すの……」
あたしは呆れて椅子をかたむけた。
「やめとけ、こんなマズいの売れないぜ」
「えッ……美味しいと思うんだけど……」
おまえの味覚がおかしいんだよ。
「アハッ、好みはひとそれぞれだよね。僕にも、ひとくちちょうだい」
「えッ……あたしが口つけてるっていうか……あんまりオススメしないっていうか……」
「大丈夫……もう一本あるから……」
宇宙人は、カバンのなかをごそごそし始めた。
おいッ! 空気読めよッ!
「はい……」
「ありがとう。いただきます」
師匠、笑顔で飲む――すぐに青くなった。
「捨神くん……どう……?」
「え、あ、うん……美味しい……かな」
「そっか……うれしい……あとで捨神くんの家に箱を届けておくね……」
「アハハハ……不破さん、今度パーティーしない? ひとり1本ずつ……」
「あ、師匠、次の対局があるんで、これで失礼します」
場所:2015年度 駒桜市高校新人戦 2回戦
先手:不破 楓
後手:新巻 虎向
戦型:先手左穴熊
▲5六歩 △3四歩 ▲5八飛 △3二飛 ▲7六歩 △4二銀
▲5五歩 △3五歩 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉
▲7七角 △8二玉 ▲8八玉 △7二銀 ▲9八香 △3四飛
▲7八金 △5一銀 ▲9九玉 △5二銀 ▲8八銀 △6四歩
▲5九金 △3六歩 ▲3八銀 △3七歩成 ▲同 銀 △4四角
▲4九金 △1四歩 ▲4六銀 △2二角 ▲6八角 △1三角
▲3五歩 △2四飛 ▲2八飛 △2二角 ▲2六歩 △1三桂
▲5九金 △5四歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲6九金 △5六歩
▲7九金寄 △6五歩 ▲5五歩 △同 角 ▲同 銀 △同 飛
▲7七角打 △4五飛 ▲1一角成 △4七飛成 ▲5九香 △5七銀
▲8六角 △3八歩 ▲3四歩 △3九歩成 ▲3三歩成 △2九と
▲同 飛 △3八龍 ▲4二と △9四桂 ▲6四角 △2九龍
▲4一と △同 銀 ▲9六歩 △5九龍 ▲7七馬 △3九龍
▲9五歩 △6二香 ▲5三角成 △5二銀 ▲5四歩 △6六歩
▲9四歩 △同 歩 ▲6四桂 △同 香 ▲同 馬 △8四飛
▲5五馬 △3五龍 ▲5六馬 △5四飛 ▲5五歩 △同 飛
▲2三馬 △6七歩成 ▲同馬寄 △6六歩 ▲7七馬 △6七桂
▲6二歩 △同 金 ▲6四香 △7九桂成 ▲同 金 △6五飛
▲7五金 △5三金 ▲5六馬 △6四金 ▲6五金 △同 龍
▲同 馬 △同 金 ▲6二飛 △6三角 ▲7五桂 △同 金
▲6四歩 △8五角 ▲7二飛成 △同 玉 ▲7五歩 △6二香
▲7六銀 △6四香 ▲8五銀 △6七歩成 ▲5五馬 △6八と
▲1二飛 △6二金 ▲6八金 △同銀成 ▲6三歩 △同 銀
▲8二金 △6一玉 ▲6四馬 △同 銀 ▲6三香 △5二金打
▲6二香成 △同 金 ▲6三金
まで147手で不破の勝ち




