241手目 下見するひと、されるひと
※ここからは、不破さん視点です。
晴れた空、爽やかな土曜日の午前、ひとつの恋の予感――
なぁんてね、あたしだよ。不破楓。
今日は捨神師匠と一緒に、日日杯の下見に来たぜ。よろしくぅ。
「アハッ、ホテルに到着したよ」
いやぁ、さすがに金持ちの道楽はちがう。
H島の最高級ホテルを借り上げとはな。役得、役得。
「地球のホテルは、全部地上に建ってるんだね……」
あたしは、タメ息をついて視線をおろした。
飴玉を頬によせて、色白の女に話しかける。
「飛瀬先輩、ほかのメンバーのまえで、そういうのやめてくださいよ」
「え……異文化交流禁止……?」
なーにが異文化だ。宇宙人なんかいるわけないだろ。
もっとちがうウソにすりゃいいのにな。帰国子女とか。
ちょっとハーフっぽい顔だから、ヨーロッパ帰りとか言っときゃバレないと思うぜ。
ときどき外国語を口走ってるから、英語にも自信がありとみた。
「とにかく、おまえ……じゃない、飛瀬先輩は、あくまでも付き添いですからね」
「うん……ところで、なんでいきなり敬語なの……?」
答えにくいところを訊くなっつーの。
師匠の彼女だからに決まってるだろ。
ほんとなら、将棋で認めたやつにしか敬語は使わないんだけどな。
「師匠も師匠で、すごいところを引いて来ますね」
あたしはポリポリと頭を掻きながら、師匠に向かってそう愚痴った。
「え? すごいところって? まだ組み合わせは発表されてないよ?」
「飛瀬先輩のことですよ」
師匠は赤くなって、アハッと照れ笑いした。
自称宇宙人も赤くなる。
ちくしょ〜! 爆発しろ!
「ところで、どこに集合だっけ?」
師匠はキョロキョロした。あたしもキョロキョロする。
掲示くらい用意しとけよなぁ。こんな高級ホテルに宿泊経験なんてないんだし。
「師匠、とりあえずエレベーターで……」
「捨神くん、待たせたな」
ふりかえると、立派なスーツに深紅のネクタイをした少年が立っていた。
おかっぱ頭で、めちゃくちゃキザな立ち方――囃子原礼音だ。
「アハッ、囃子原くん、こんにちは」
「こんにちは……忙しいところ、下見に来てくれて感謝する」
ん? 微妙に空気が変わった?
おたがいに牽制してるな、これ。優勝候補だから当然か。
そんなことを考えていると、囃子原は師匠のうしろをのぞきこんだ。
「その女性は……フィアンセか?」
「ち、ちがうよ」
師匠は両手を振って否定した。それは恋人に失礼ですよ、師匠。
一方、囃子原は笑って、
「ハハハ、ごまかしてもムダだ。帝王学を修めた僕に、隠しだてはできない」
と言った。帝王学関係あるか、これ?
将棋大会の下見に、そこまで強くない女をつれてきたら彼女しかいないだろJK。
うちのポンスケ(柴犬)でも分かるぞ。
「はじめまして。僕は囃子原礼音。捨神くんの将棋仲間だ。よろしく」
囃子原はいかにも紳士っぽい仕草で胸に手をあてて、慇懃に頭をさげた。
「はじめまして……飛瀬カンナです……」
「とびせかんな?」
囃子原は、ひとさし指をこめかみに当てて、一瞬だけ動きをとめた。
「はて……きみの名前は、僕の人材データベースに入っていないな」
そりゃそうだ。自称宇宙人なんて、滅多に……あ、こいつ、囃子原のまえで宇宙人ネタ出すんじゃないだろうな。あたしは警戒して、口をふさぐ準備をした。
「うん……私、帰国子女だから……」
……………………
……………………
…………………
………………
え? 帰国子女?
あっけにとられるあたしをよそに、囃子原は笑った。
「どちらから日本に?」
「イギリス……」
囃子原の表情から笑みが消えた。あたしは背筋にゾッとしたものを感じた。
「都市は?」
「マンチェスター……」
「ほぉ……マンチェスターには、囃子原グループの支社がある。何度かおとずれた街だ。僕は英文学が好きでね。ほら、マンチェスターに大きな図書館があるだろう?」
「ジョン・ライランズ図書館……」
飛瀬が名前を答えたところで、囃子原はようやく笑みをとりもどした。
「そうそう、ジョン・ライランズ図書館だ。きみもよく行くのかい?」
「たまに……」
囃子原は、さきを続けようとした瞬間、スーツ姿の男性に声をかけられた。
耳打ちされて、こちらに向きなおる。
「失礼。野暮用だ。またあとで会おう」
囃子原はきびすを返して、そのままエレベーターの奥に消えた。
あたしはチェッと舌打ちして、飴玉を舐める。
「帰国子女なら、最初からそう言えよなぁ」
飛瀬は髪をととのえながら、視線を窓の外にむけた。
「あのひと、背後にMIBがいる……」
「MIB?」
「メン・イン・ブラック……」
英語は分からないんだよなぁ。日本語でどうぞ。
あたしたちはとりあえず、上層階のイベントホールに案内された。天井にシャンデリア風の照明があって、絨毯はふわふわ。壁には幾何学模様の絵が飾られていた。奥には緞帳の降りそうな舞台があって、そのうえにマイクがポツンとみえた。
ブライダル会場かな。将棋指しという名の魑魅魍魎どもがうようよいた。
すみっこで神祇服を着ている連中は、S根勢。
あっちにいるスーツの帯刀女は、O山の剣。
おばさんくさいファッションなのが、Y口の毛利。
カウボーイ姿でモデルガンをくるくるしてるのは、T取の梨元。
変なやつばっかだな。仮装大会かよ。
「あら、不破さんじゃない」
いきなり声をかけられて、あたしはふりむいた。
カァプのユニフォームを着た女が立っていた。
「チッ……早乙女かよ」
「そんな顔しなくてもいいじゃない。今日はカァプの試合がある日よ」
意味不明。6月はほぼ毎日してるだろ。
「まさか応援に行くんじゃないだろうな?」
「当たり前でしょ。不破さんも行く?」
「今日は師匠と一緒に来てるからムリだ」
「捨神先輩も同伴すればいいじゃない」
師匠は自分の名前を呼ばれたことに気付いた。
「アハッ、早乙女さん、こんにちは」
「こんにちは……あら、そちらの女性は?」
早乙女は、飛瀬のほうに視線をむけた。
なんだかんだで目立つんだよなあ。変なことしゃべるなよ。
「飛瀬カンナです……捨神くんの同級生……」
「同級生? 天堂の学生さんですか?」
飛瀬は、駒桜市立高校だと答えた。早乙女はさっそく反応した。
「駒桜市立には、市内会長の箕辺先輩がいらっしゃるのでは? 急用ですか?」
急所を突く質問に、師匠の目が泳いだ。
「えーと……いろいろあってね。飛瀬さんに付き添いをお願いしたよ」
「いろいろとは?」
「うーんとね……いろいろ」
ダメだな、これ。
だから彼女なんかつれて来るなって言ったのに。
早乙女は納得したのかしなかったのか、ふぅんとだけ答えた。
そして自己紹介した。
「はじめまして。数学館積木寮1年生の早乙女素子です」
「はじめまして……数学が好きなの……?」
「ええ、三度の食事より好きです」
「どんな分野が好きなの……?」
おいおい、早乙女に数学の話でちょっかい出さないほうがいいぜ。
一説では大学レベルらしいからな。いくら学年トップの飛瀬でもムリだ。
あたしの心配をよそに、早乙女は自慢の黒髪をなでた。
「リーマン予想に興味があるので、最近は素数公式の復習をしています」
「リーマン予想ってなに……?」
「ζ(s)の自明でない零点sは、実部が全て2分の1の直線上に存在する、という予想です」
「え……地球だとそれ証明されてないの……?」
早乙女は、いつもの能面をくずした。怪訝そうな顔をする。
「ええ、地球上では証明されていないと思いますが……どういう意味ですか?」
「作用素環論で習った気がする……」
「具体的には?」
「まず一元体F1について……」
??? なんの話してるんだ?
……………………
……………………
…………………
………………
ま、会話が続いてるならいっか。変人同士、仲良くやってくれよな。
「飛瀬さん、早乙女さんと仲よくなれたね。うれしいな」
師匠、ご満悦。
「仲良くなってるのかどうかは知りませんけど……やっぱ目立ちますって」
「飛瀬さんみたいなレディが目立つのは、しょうがないよ」
「はぁ……師匠がそう思うなら……」
あたしは、もういちど会場内を見回した。
将棋指しの集まりだというのに、不気味なくらい整然としている。
なんかイヤな予感がするな――この下見、無事に終わるのか?
《第10回 日日杯参加者 中国勢名簿》
【H島県】
〔男子〕
◇捨神 九十九
天堂高校2年生。
◇六連 昴
皆星高校1年生。
〔女子〕
◇桐野 花
椿油高校3年生。
◇西野辺 茉白
ソールズベリー女学院2年生。
◇早乙女 素子
数学館積木寮1年生。
【O山県】
〔男子〕
◇囃子原 礼音
大都会高校2年生。
〔女子〕
◇剣 桃子
大都会高校1年生。
◇鬼首 あざみ
すこやか青年の家1年生。
【T取県】
〔男子〕
◇今朝丸 高志
砂岡高校3年生。
◇米子 耕平
天神高校2年生。
〔女子〕
◇梨元 真沙子
砂岡高校2年生。
【S根県】
〔男子〕
◇葦原 貴
御霊高校3年生。
◇少名 光彦
大国高校1年生。
〔女子〕
◇出雲 美伽
大国高校2年生。
【Y口県】
〔男子〕
◇松陰 忠信
尊王高校3年生。
◇嘉中 平三
ものつくり高校2年生。
〔女子〕
◇毛利 輝子
三本矢高校3年生。
◇萩尾 萌
ものつくり高校2年生。
◇長門 亜季
戦原高校1年生。
以上、男子9名、女子10名。




