231手目 それぞれの日曜日
「んもぉ、あいつ、マジでムカつく」
スマホで地図を確認しながら、早紀お姉ちゃんはぶつくさつぶやいた。
山陽本線で、O道へ向かう途中だった。
各駅停車の、なんとも古い車両。でも、こういうほうが安心するかな。
「お姉ちゃん、なんだかんだでMINE交換してたじゃん」
「『俺と再戦するのが怖いんだなッ!』なんて言われたら、交換するしかないじゃん」
いやあ、どうだろ。あの、えーと……新巻くんか。新巻くんは、なかなかイケメンだったし、面食いのお姉ちゃんとしては、ストックしておきたかったんじゃないかなあ。双子の妹だから、なんとなく分かるよ。
コナタ 。o O(起きてるか〜?)
サキ 。o O(寝てる)
コナタ 。o O(ウソをつくなッ! さっさと再戦しろッ!)
サキ 。o O(死ね)
やれやれ、お姉ちゃんも頑固だなあ。
せっかくのH島観光なんだから、楽しまなきゃ。
目指すは、O道ラーメン。実家は、うどん屋だけどね。
○
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荷物をまとめて、忘れ物がないか確認。
うしろで兄さんが、やたらとタメ息をついています。
「烈、もう帰るのか?」
「うん、夏休みでもなんでもないからね」
この、ちょっと怖そうな男子は、僕の兄さん、石鉄涼です。
「残念だな……ひさしぶりに兄弟水入らずなんだから、ゆっくりしていけよ」
「ごめんね、母さんたちにも、早く帰るって言ってあるから」
このあと、彼女とデートがあるとは言えません。
涼兄さんには、なんだか申しわけないです。
「そうか……母さんたちにも、よろしく言っといてくれ。夏休みには帰る」
男同士の熱いハグ。
「帰りは船か?」
「うん、電車で観光しながら帰るのは、さすがに時間がないから」
二階堂さんたちみたいに、山陽本線からそのまま乗り換えられればいいんですけど。
「気をつけて帰れよ」
コンコンコン
ノックの音――兄さんがドアを開けると、並木くんが顔をのぞかせました。
「石鉄先輩、おはようございます……あ、烈くんも、やっぱりいたんだね」
「ん? 並木、俺の弟が来てること、どこで知ったんだ?」
「昨日、街で会ったんです」
なんだか、不穏な会い方でしたよね。もっと平和なシチュエーションを望みます。
並木くんは、どうやら僕の見送りに来てくれたみたいでした。
「あんまり話ができなかったけど、楽しかったよ。また8月に会おうね」
「こちらこそ、知らない場所で親切にしてくれて、ありがとう」
握手。
「ところで、昨日会った女の子は、べつの場所に泊まってるの?」
「ん? 烈、『女の子』ってなんだ?」
「あ、フェリーの時間だ。もう行かなくちゃ」
それでは皆さん、ごきげんよう。
○
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「うぅ、怖かったじょ」
すみれちゃんは、半べそになりながら、僕の袖に抱きついてきた。
平和記念資料館は、ちょっと刺激が強過ぎたかな。
「よしよし、今度は、べつのところに行こうね」
「先輩、ちょっと休憩しませんか?」
ベースを担いだ多喜くんが、そう提案した。このあたりの地理は不案内だから、彼に協力してもらっている。駒込くんって子は、「めんどくさい」とか言って来なかった。
僕らは、平和記念公園の敷地を出て、カフェテリアに入った。ここはどうやら、川に囲まれた中洲みたいだね。どちらのサイドにも橋があるから。
僕はコーヒー、多喜くんはアイスティー、すみれちゃんはココアを注文した。
すぐにメニューが出てきて、僕らはひとときの休息を楽しむ。春休みかなにかと、勘違いしちゃうね。明日、ちゃんと起きられるかなあ。
「鳴門先輩と那賀先輩は、どうやって帰るんですか? 電車ですか?」
「んー、H島観光したあと、囃子原グループのヘリで送ってもらうよ」
「ヘリって、これまた凄いですね。囃子原先輩、やっぱりお金持ちなんだなあ」
お金持ちってレベルじゃないから。日本五大グループの御曹司だよ。
「それだけお金持ちなら、うちのバンドのスポンサーになってくれませんかね?」
「いやあ、どうだろ。投資はシビアだよ」
「そう言わずに、頼んでみてください。当たって砕けろです」
ハハハ、まるで、多喜くんの将棋みたいだね。
僕がそんなことを思っていると、すみれちゃんは、
「ところで、平和記念資料館にいたメイドさん、なんだったんだじょ?」
とたずねてきた。僕は、なんのことか分からなくて、
「メイドさんって、なに?」
とたずね返した。
「すみれたちのうしろに、メイド服を着た女のひとが立ってたじょ」
「え? いたっけ? ……多喜くん、覚えてる?」
「全然。そんなひと、いなかったと思いますけど」
すみれちゃんは、青くなった。
「ぜ、絶対にいたじょッ! すみれを怖がらせようとしても、ダメだじょッ!」
いやいや、見間違いだよ。幽霊メイドさんだなんて、ねぇ。
○
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「じゃじゃーん」
私は、一枚のタオルケットを広げてみせた。
「見てください。高増監督のサイン入り限定タオルですよ……って、ちょッ! なに燃やそうとしてるんですかッ!」
早乙女さんの手から、私はライターをとりあげた。
まったく、放火ですよ、放火。重罪です。
「ダメよ、こんな呪いのアイテム。回心できなくなるわ」
「いやいやいや、回心するのは、早乙女さん、あなたです」
「くッ……巨神の応援をするくらいなら、この場で舌を噛み切ってやる……」
「球界の盟主に、なんてこと言うんですか」
「なにが球界の盟主よ。ただの金満球団じゃない」
まったく、分かってませんねぇ。
数学館の寮までもどって来てあげたのに、それはないでしょう。
私はせつせつと、巨神軍の素晴らしさを説いた。
「み、耳が穢れる」
「いえいえ、早乙女さん、あなたも優勝のよろこびを分かち合いましょう」
私がそう言った途端、早乙女さんは立ち上がって、勉強机に向かった。鍵のかかった引き出しを開けて、中から紙の束を取り出した。数式がびっしり書かれていた。
「なんですか? 数学のお勉強ですか?」
「これは、非線形シュレディンガー方程式に、現時点での球界のもろもろのデータを入れたあと、独自な変数で確率微分方程式に変換した来年度の拡散過程よ」
「???」
「ようするに、来年度における各チームの優勝確率を求めてみたの」
えぇ……ありえな〜い。
で、でも、早乙女さんの数学的才能なら、もしや。
「じゃあ、どこが優勝しそうなんですか?」
早乙女さんは、フッと笑った。
「86.9%の確率で、カァプがセリーグを制覇するわ」
……………………
……………………
…………………
………………
くすくすくす
「なにがおかしいの?」
「2016年度の優勝候補がカァプ? ありえないですよ……いて」
早乙女さんは、カァプのメガホンで、私の頭をぽかりとやった。
私も、巨神のメガホンで、ぽかりとやり返す。
「宇和島さん、実力行使は卑怯よ。理性を使いなさい」
「そっちが先に殴ったんじゃないですか、えいッ!」
「くッ! かくなるうえは、正当防衛ッ!」
「あ、こっちも正当防衛ですよッ!」
激烈なメガホンちゃんばら。
ジャイアントファンの名誉に賭けて、負けませんよ。
巨神軍は、永遠に不滅で〜す!
○
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う〜ん……う〜ん……ベットでのたうち回る僕に、阿南くんが薬を持ってきてくれた。
「どう? 治った?」
「全然……」
お腹が痛い。あのチーズケーキ、腐ってたのかなぁ。変な味がしたから、用心して食べなければよかった……とはいえ、阿南くんはお腹を壊してないし、べつの可能性も……。
ニャ〜
猫が鳴いた。ベットの片隅から、白黒のぶち猫が顔をのぞかせた。
「あ、阿南くん、ホテルに連れ込んだらマズいよ」
「え〜、かわいいじゃん」
阿南くんは猫を抱き上げて、頭をなでてやった。
「あのスイーツ店を出てから、ずっとついて来るんだよね。阿南是靖、動物にもモテモテみたいだ。アハハハ」
阿南くん、人間の彼女いたっけかなあ……いたたた……また腹痛が……。
「パティシエの長尾彰が食中毒って、結構洒落にならないよね。地元の週刊誌に、リークしちゃおうかな。彰は、関西では有名人みたいだから」
やめてくれぇ。ブランドに傷がつくぅ……いたたた……はやく、はやく薬を……。
○
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遥かな雲海を望んで、心もまた明鏡止水。
拙僧、しぃちゃんと一緒に、中国地方最高峰の大山にやって参りました。
「さすがは日本百名山。見晴らしがよいですね」
「左様。修行にもおあつらえむきだ」
しぃちゃんは、そばにある岩のうえで腕組みをして、そう答えました。
忍者さんたちは、1700メートルを駆け上がって、足腰を鍛えるのですね。
「ぜぇ……ぜぇ……もう限界っす……」
スケ番姿の雨宮さんは、ひざに手をついて、肩で息をしました。
「ぜんそくで登山は、体によくないのではありませんか?」
「いや……まあ……空気がいいかな、と……ふぅ……」
ムリは禁物です。修行と健康の兼ね合いを。
とはいえ、途中からしぃちゃんがおぶっていましたが。
「さすがに大山からでも、四国は見えませんか」
「海沿いでなければ、難しい。それも、よほど天気がよくないとな」
瀬戸内海を挟んでいるだけですから、もっとよく見えるかと思ったのですが、そうでもないのですね。私は東西を見渡し、植生や山の品格なども味わいました。山の品格、すなわち山格というのは、『日本百名山』を著した登山家、深田久弥の言葉です。
「杞憂かもしれぬが、ひぃちゃんは山登りなどしていて、よいのか」
「と、言いますと?」
しぃちゃんは岩から跳躍して、すたりと私の目の前に飛び降りました。
「日日杯の準備はしなくてよいのか、という意味だ」
「二日ほどの休養で、優劣は変わらないと思います」
拙僧の返事に、しぃちゃんは、やや不満そうでした。
「拙者は、ひぃちゃんに優勝して欲しい」
「それは、拙僧の実力を見込んでのことですか? それとも……」
しぃちゃんは、ふたたび腕組みをして、フッと笑いました。
「もちろん、女の友情に賭けてだ」
「……拙僧、しぃちゃんを友人に持てて、ほんとに良かったと思います」
がっしりと、女同士の友情ハグ。
「あの……神崎先輩たちって、そういう関係だったっんすか?」
む、聞き捨てなりません。
「そういう、とは?」
「いや……なんつーか……その……」
「雨宮さん、拙僧としぃちゃんの友情があやしいものに見えるなら、それはあなたの心が穢れているからです……成仏させてさしあげましょう」
「なんと、ひぃちゃんに成仏させられるとは……忍者の拷問よりも恐ろしい……」
「え? え? な、なにが始まるんですか? ……うわぁあああああああ!?」
それでは皆さん、日日杯で、お会い致しましょう。南無三。
ここまでお読みいただき、まことにありがとうございました。
本作は、これから日日杯を山場にそえて、盛り上げて行こうと思います。
というわけで、本作の冒頭に「プロローグ」を挿入し、
日日杯の1局目を、香子ちゃん視点で書くことにしました。
来週からは、最新話ではなく、作品の1話目をご覧ください。
なお、途中挿入は章立ての修正が必要なので、
月曜と金曜の7時ではなく、日曜と木曜の深夜に投稿する予定です。
部室争奪戦や中国地方勢の紹介もおこなっていきますので、
今後とも、よろしくお願いいたします。




