227手目 阿波弁少女にバンドマン
※ここから、駒込歩夢くん視点です。
うーん……これは、むずかしいな。他のひとの意見も、訊いてみよう。
「多喜くんなら、ここからどう指す?」
「Alas, my love, you do me wrong♪」
「多喜くん?」
「To cast me off discourteously♪」
将棋部の部室で、楽器なんか引いちゃダメだよ。しょうがないなあ。
僕は席を立って、スピーカーのコンセントを抜いた。
「For I have……あれ?」
多喜くんはヘッドフォンを外して、あたりを見回した。
「あ、駒込先輩、コンセントを抜かないでくださいよ」
抜くよ。二中将棋部の部室は、将棋を指すスペースだからね。
このちょっと茶髪にした、いかにもバンドマンっぽい少年は、多喜くん。
中学3年生で、僕はそのOBにあたる。見ての通り、大の楽器好き。音楽好き。でも、姉さんと同じくらい将棋バカでもある。僕は将棋バカじゃないよ。
「駒込先輩も、なにか楽器始めませんか。ドラムとか、どうです?」
「僕は将棋しか興味ないから」
「えぇ……」
えぇ、じゃないよ。ほらほら、この局面を考えるんだ。
多喜くんは肩にベースをかけたまま、検討を始めた。
「むずかしいですね……こうして、ああして……」
コンコン
おっと、ノックだ。ノックは3回だよ。
「だれ?」
「鳴門だよ。多喜くん、いる?」
僕が返事をするまえに、多喜くんはテーブルの端から飛び降りた。
ドアを開けると、肩にヘッドフォンをかけた少年と、純朴そうな少女がひとり。
「こんにちは、お邪魔し……あれ?」
ヘッドフォンをかけた少年は、僕の顔をみて、オヤっとなった。
「きみは、だれ?」
「僕は、駒込歩夢。きみこそ、だれ?」
相手は髪に手を当てて、笑った。
「ごめんごめん、僕のほうが部外者だったね。僕は鳴門駿だよ」
「那賀すみれだじょ」
ん、どっちも名前を聞いたことあるな。
「もしかして、四国のひと?」
「そうだよ……きみは、あんまり中学生っぽくないね」
「高校生だから」
「あ、そうなんだ……もしかして、なにか会合でもあった?」
ないよ。ま、とりあえず入ってもらおう。
鳴門くん(鳴門先輩だったかな?)と那賀さんは、パイプ椅子に腰をおろした。多喜くんは、持参したビニール袋から、飲み物とお菓子を取り出す。ふたりで食べるには多いと思ったけど、そういうことだったんだね。
「ここは、吹奏楽部かじょ?」
那賀さんは、室内をきょろきょろ。ま、将棋部には見えないかな。スピーカーとかアンプとかベースとか、そんなものばかりだし。多喜くんが私物化してるからね。
とはいえ、私物化しても怒られないくらいの実力があるのが、多喜くん。捨神先輩と僕の次に強いと思う。不破さんといい勝負かも。
「ハハハ、ここは一応、将棋部だよ。那賀さんも、なにか弾いてみる?」
多喜くんは、ベースを那賀さんに差し出した。那賀さんは、困ったような顔で、
「すみれは、リコーダーしか吹けないじょ」
と答えた。
「リコーダーもあるよ」
「うぅ、他人のリコーダーは吹きたくないじょ」
だよね。多喜くん、あきらめて将棋を指そう。
「ところで、こっちのお兄さんは、多喜くんとどういう関係なんだじょ?」
「僕? 僕はね、多喜くんの師匠だよ」
ん? 多喜くん、なにか不満かな?
「俺の師匠は、不破先輩ですよ」
「不破さんの師匠は捨神先輩で、捨神先輩の師匠は歩美姉さんだろ? 歩美姉さんの師匠は僕だから、僕は多喜くんの大々々師匠だよ」
「えぇ……先輩、いつからお姉さんの師匠になったんですか?」
昔から。
「な、なんかよく分からないじょ……」
「大丈夫だよ。分からなくても、将棋は指せるから」
じゃ、将棋を指そうか。盤、駒、チェスクロを用意して、と。
「すみれちゃん、先に指しなよ。僕は多喜くんとバンドの相談があるから」
「香宗我部先輩が、指しちゃダメって言ってたじょ?」
「あれは、県代表と指しちゃダメって意味だよ。県代表じゃなきゃいいのさ」
「鳴門先輩、頭いいじょ」
那賀さんは僕のまえに座って、駒を並べた。
「こう見えても、すみれは強いじょ」
口調とか語尾で、棋力は判定しないよ。桐野先輩の例もあるし。
っていうか、この語尾って方言だよね。阿波弁だったかな。
H島県民が「じゃろ」って言うのと一緒。
「じゃんけんするじょ」
じゃんけんぽん。僕の勝ち。
「何分でやるじょ?」
「30秒将棋でよくない?」
「すみれ、早指しは苦手だじょ」
それはよくないなあ。県代表の名が泣くよ。
「1分将棋は?」
「それなら、いいじょ」
じゃ、飲み物も用意して、お菓子もそばに置いて……準備完了。
「よろしくお願いします」
「よろしくだじょ」
那賀さんがチェスクロを押して、対局開始。
「あ、言い忘れたけど、僕、今はウルトラ歩夢くんだから、気をつけてね」
「?」
バイオリズムが絶好調ってやつさ。
7六歩、3四歩、2六歩。
「4二飛だじょ」
へぇ、振り飛車党なんだ。
「四国の振り飛車三銃士の実力、見せてやるじょ」
「あとふたりは、だれなの?」
「E媛のみかん先輩と、K川の早紀ちゃんだじょ」
ふぅん、そういう情報って、ぺらぺらしゃべっていいのかな。ま、僕は日日杯でだれが優勝しようと、どうでもいいから構わないけどね。今の対局に集中。
6八玉、6二玉、7八玉、7二玉、4八銀、8二玉。
角交換しないんだ。穴熊でもオッケーってことみたい。
でも、これだけ調子がいいときは、クマる必要性を感じないんだよね。
「9六歩」
「すみれちゃん相手にクマらないのは、いい度胸だじょ。9四歩」
2五歩、7二銀、3六歩、8八角成、同銀、2二銀。
「もう攻めるよ。2四歩」
「うむむ……速攻はあんまり好きじゃないじょ……同歩」
僕の同飛に、那賀さんは3一金とした。歩は打たない方針だね。了解。
「3七桂」
ガンガン行くよ。
「3三銀だじょ」
これは、2三飛成を誘ってるけど、2二飛、同龍、同銀で無効になる。
「2九飛」
おとなしく引いておいた。
4四歩、2四歩、2二歩で、機敏に2筋をへこませる。
「ここから自陣整備、4六歩」
3二金、4七銀、4一飛、7七銀、4二銀、5六歩、4三銀、6八金。
さあ、これは先手のほうがバランスがいいよ。後手は、どうするのかな。
「むぐぅ、すみれに駒組み負けさせるとは、なかなかやるじょ。6四歩だじょ」
「ウルトラ歩夢くんだからね。3八金」
「だけど、この一手で全体が引き締まるじょ」
なるほど、これはいい手だ。6四歩が活きてくるし、飛車も復活、と。
さすがは県代表、面目躍如って感じかな。
「その銀を目標にするね。5九飛」
「うぅん、中飛車は、なんとなくあると思ってたじょ……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
那賀さんは、7四歩と指した。僕は8六歩と伸ばす。
「そこは振り飛車党的に、あんまり突かれたくないじょ」
相手のイヤがることをするのが将棋だからね、しょうがないね。
那賀さんも8四歩と突き返して、僕は6六銀と出た。
「ん? それはなんだじょ?」
自分で考えよう。
那賀さんは腕組みをして、うーんとうなった。
「7五歩、同歩、同銀かじょ? それとも、7七桂と跳ねるかじょ?」
選択肢を絞らないと、時間がなくなるよ。
ピッ
ほらね。
ピッ、ピッ、ピーッ!
「6三銀だじょッ!」
「5七銀」
那賀さんの目が光った。
「それは9筋が薄くなり過ぎだじょ。8三銀だじょ」
6六歩、7二金、5八銀、7三桂。
どうやら、玉頭戦に持ち込む気みたいだね。方針としては正しいかな。6六銀〜5七銀の移動で、左が薄くなったのは事実。
「6七銀」
「それは端に備えてないじょ。9二香」
本性を現したね。地下鉄飛車だ。9筋から殺到するつもりらしい。
「2九飛」
僕は2筋に飛車をもどった。結構深謀遠慮だよ、これ。
「9一飛だじょッ!」
「7七金」
「ここで金かじょ? なにしたいんだじょ?」
将棋したい。
「総攻撃ッ! 6五歩だじょッ!」
「はい、8七金」
「そ、そんな端の受け方があるのかじょ?」
「多分ね」
那賀さんは、ジュースを飲んで一服。成立してないと思ってるね、これは。
「さすがに崩壊すると思うじょ……うーん……うーん……」
結局、那賀さんは6六歩、同銀右に5四銀とした。端よりも6筋が有効と見たっぽい。
これは読み筋だから、僕は7七桂と跳ねて、6筋を補強する。
那賀さんは、また悩んだ。
「桂馬がいなくなったから、端攻めが成立する……じょ?」
さあ、どうでしょう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
那賀さんは、ギュッと歩を摘んで6五に置いた。
読み切ったというより、損にならない手で時間を稼いだ感じだね。
「5七銀」
僕の銀引きに、また那賀さんは考え込む。
ちなみに、端攻めは成立していないと思う。9五歩、同歩、同香、同香に同飛は9六香で死ぬから、9四歩、同香と吊り上げる。このとき、同飛と同銀の選択で、同飛は9五歩に同飛と取れないから、同銀が本筋。でも、そこで9六歩と受けておけば、後手は歩切れだからなにもできない。
(※図は歩夢くんの脳内イメージです。)
というのが、僕の読み。6五歩と打つまえなら、9五歩があるから、別の筋にしないといけなかった。さっき端攻めを見送ったのは、どうだったのかな。感想戦が楽しみ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
あ、これは……端攻めを完全に諦めたっぽい。
僕は59秒まで考えて、6四歩と楔を打ち込んだ。
「そこに打たれると、めんどくさいじょ……」
6三銀と戻れないからね。
さあ、那賀さん、どうする?




