224手目 スパイには気をつけよう
「あなたたち、もしかして温田さんと石鉄くん?」
ふりかえると、そこには――ロングに三つ編みを垂らした私服少女と、もうひとり、頭にアホ毛の生えた私服少年が立っていました。少女は黒い革手袋にブーツで、少年は半袖シャツに明るめのパーカーを羽織っていました。
「やっぱり、温田さんと石鉄くんね」
少女はそう言って、僕たちのテーブルへ近寄って来ました。
こっちの少女は知りませんが、相方の少年のほうは知っていました。
「並木くん、こんにちは」
「こんにちは……石鉄くんと会うのは、お兄さんと寮にいたとき以来かな?」
そう、この少年は、並木通くん。僕の兄さんが通っている修身高校の将棋部員で、H島県でも結構有名なひとだと思います。ブロック代表です。
一方、みかんちゃんは、少女のほうに見覚えがあるみたいでした。
「あ、思い出したの〜安奈ちゃんなの〜」
「おひさしぶりです。温田先輩とは、近隣都市の交流会で、一度だけお会いしましたね」
「こんなところで会うなんて、奇遇なの〜ふたりは、デートしてるの〜?」
「そうです」
少女の即答に対して、並木くんは、
「ふたりで、日日杯の打ち合わせをしてたんです」
と答えました。言ってることが違います。不穏です。
「なんの打ち合わせなの〜?」
「私と並木くんが、日日杯の臨時幹事を受け持つことになりました」
「出し物とか企画も、僕たちがしないといけないんです」
H島の幹事長は、ひとに任せみたいですね。
「お疲れさまなの〜とりあえず、一緒に座るの〜」
4人掛けで良かったです。
お互いに自己紹介します。
「僕は、石鉄烈です。並木くんとは、兄さんの寮で知り合いました」
「温田みかんなの〜よろしくなの〜」
「正力安奈です。七日市高校に通っています。1年生です」
「僕は並木通。修身高校の1年生です」
みかんちゃんだけ2年生ですが、先輩風を吹かすタイプじゃないです。
和気あいあいと行きましょう。
正力さんと並木くんは、それぞれコーヒーとコーラを注文しました。
店員さんが飲み物を持って来て、いよいよ本格的に会話が始まりました。
「どういう出し物なの〜?」
みかんちゃんが質問すると、ふたりは困ったような顔をしました。
「あまり、いいアイデアが出ないんですよね……と、そのまえに」
正力さんは、なにかの館内図をとりだしました。ホテルのものみたいです。
「部屋割りも任されているんですが、全然決まりません」
「当日にみんなで話し合えば終わりなの〜」
「それはフロントでごたごたするから、ダメだと言われました」
そうですね。高校生に相談させちゃダメです。
「じゃあ、出身県別にまとめればいいの〜」
「そこで問題がひとつ……当日は、ホテルの14階から21階までが、日日杯関係者で貸し切りです。代表選手は、20階と21階に分けることになっています」
「分ければいいの〜」
正力さんはボールペンをとりだして、簡単に数字を書いてから、
「分けるとなると、どこかの県が上と下に分散してもらうことになります」
と付け加えました。
「あ〜それで文句が出ないようにしたいの〜?」
「そういうことです。E媛のほうで、分かれてもらえたりしますか?」
「E媛は、阿南くんがうるさそうなの〜」
べつに、僕は分かれてもいいです。どうせ、ほかの部屋へ遊びに行きますから。
「っていうか、ホストのH島が分かれたらいいと思うの〜」
みかんちゃんの提案に、正力さんはタメ息をついて、
「ですよね……マイペースなひとが多いですから、説得できそうですし……」
と呟きました。そして、並木くんに確認をとりました。
「H島が分かれるってことで、いいかしら?」
「僕は、いいと思うよ。捨神先輩と六連くんは快諾してくれそうだし、桐野先輩と早乙女さんは、こういうのに興味がなさそうだから……西野辺先輩だけ説得が必要かな」
「西野辺先輩の説得は、東雲さんに頼みましょう」
正力さんはスマホをとりだして、電話しました。
《もしもしッ!? なんですかッ!?》
すっごく大きい声です。ダダ漏れです。
「東雲さん、じつは……」
かくかくしかじか。
《なんで私が先輩を説得しないといけないんですかッ!? おかしいですよッ!?》
「仕事をこっちに丸投げしてきたのは、東雲さんでしょ」
《上下関係ってものを考えてくださいッ!》
「私たちも1年生だから……それじゃ、よろしく」
正力さんはそう言って、通話を切りました。
「部屋割りの問題は解決したから……次は、イベントですね」
「イベントとか、いるの〜? ずっと将棋指してるだけなの〜」
「初日も2日目も、対局は夕方までに終わります」
正力さんは、自由行動が禁止されていると教えてくれました。
「これだけの人数で自由行動をすると、さすがに把握しきれませんので」
「ん〜だったら、なにかしてくれないとヒマなの〜」
ここで並木くんが、
「将棋指しは、盤駒があったらずっと将棋してるから、それでもいいと思うよ」
とアドバイスしました。それは、どうかと思います。
正力さんも難色を示しました。
「ホストとして、それはないわよ」
「そうかなあ……じゃあ、正力さんは、どういう出し物がいいの?」
「無難にパーティーゲームじゃないかしら。人狼とか、どう?」
「関係者も含めたら、50人以上いるよ? 全員参加って無理じゃない?」
正力さんは、ゲームをひとつに限定する必要はない、と答えました。
並木くんも納得して、
「そっか、誤解してたよ。ごめん。じゃあ、ほかに何がいいかな?」
と尋ねました。
「一之宮さんも来るから、ヴァーチャルリアリティゲームをしましょう」
「面白そうなゲームを持ってそうだよね。僕も、やりたいな」
一之宮さんというのは、K戸に住んでるお金持ちのお嬢様です。
将棋指しで、H庫の県代表だったと思います。
「石鉄くんは、なにかやりたいゲームある?」
並木くんは、僕に質問してきました。
「並木くんたちが考えてくれるゲームなら、よろこんで参加するよ」
「んー、丸投げされると、困るんだよね。なにか、ない?」
「……TRPGかな」
「テーブルトークRPG? 石鉄くんって、TRPG好きだったの?」
「阿南先輩と、よくやるよ」
阿南先輩は、TPRGが大好きで、人数合わせによく呼ばれます。
「ダーリン、結構強いの〜」
そんなこと、ないです。
「それなら、TPRGも考えておくね。あとは……」
並木くんがメモをとっていると、店員さんがコーヒーのおかわりを持ってきました。
店員さんが正力さんのカップに注いでいるとき、みかんちゃんは僕の耳もとで、
「ちょうどいいから、情報収集しとくの〜ダーリンが質問するの〜」
と囁きました。
う、うーん……そういうの、あまり好きじゃないです。
でも、彼女に頼まれたら、断れません。
店員さんが去ったところで、みかんちゃんは正力さんをトイレに誘いました。
「場所がよく分からないから、教えて欲しいの〜」
「分かりました……並木くん、悪いけど、ちょっと待っててね」
「了解。石鉄くんとおしゃべりでもしてるよ」
女性陣ふたりは、ショッピングモールのほうへ消えて行きました。
僕は、アイスティーを飲んで気分を落ち着かせてから、
「ところで、H島の調子はどうかな?」
と尋ねました。
「H島の調子って、なに? 経済?」
「H島の選手の調子はどうかな、と思って」
並木くんは、残っているコーラを飲みながら、ちょっと考えました。
「代表選手のほとんどがH島市外だから、よく分かんないんだよね」
「並木くんは、今年もブロック代表だよね? 県大会で会うんじゃないの?」
「もちろん、会うよ。日日杯の出場選手は、春も全員ブロック代表になれたみたいだし」
それは、そうですよね。県代表になる人たちですから。
「でも、なんで急にそういう質問するの?」
「えーと……六連くんって、一度も会ったことないから、ちょっと気になるんだよ」
スパイしてます、っていう自白になっちゃいました。反省。
だけど、並木くんのほうは、全然気にならなかったみたいで、
「たしかに、六連くんって、ナゾだよね。中3のとき将棋界にデビューして、いきなり県代表だから」
と、話に乗ってきました。
「並木くん的には、どっちのほうが強い?」
「え? 捨神先輩と六連くん?」
「うん」
「そりゃ、捨神先輩のほうが強いよ。六連くんは、半分まぐれだと思う」
えッ……そうなんだ。なんだか、予想していた反応と違います。並木くんって、もっと謙虚なタイプだと思っていました。それとも、同学年だから、ライバル視しているのかもしれません。慎重に訊いてみます。
「でも、県代表だよね?」
「県代表でも、全国大会は1回戦負けだよ」
あ、うん……僕もその場にいたから、知ってます。ただ、あのときは、関東の強豪といきなり当たったせいで、六連くんが弱かったのか相手が強かったのか、イマイチよく分からない展開になっていました。僕も対局中だったので、観戦していませんでした。
「じゃあ、具体的に、どういう将棋なの?」
「僕は六連くんと指したことないけど、荒っぽい力戦調らしいよ。県大会では、その指し方がたまたま決まったんじゃないかな。棋力自体は、大したことないと思う」
「力戦調? どこかに、棋譜とか……」
そのときでした。みかんちゃんと正力さんが帰って来ました。
「遅くなったの〜ダーリン、そろそろ観光の続きをするの〜」
ふぅ、スパイみたいな真似は、どうも性に合いません。ようやく解放されました。
僕とみかんちゃんはふたりにお礼を言って、お会計。
「ダーリン、どうだったの〜?」
「六連くんって、そんなに強くないらしいよ」
「そうなの〜? 意外なの〜」
僕も意外でした。やっぱり捨神先輩に照準を合わせて行こうと思います。
ちゃんちゃん。
○
。
.
「で、並木くん、どうだった?」
席についた正力さんは、鞄の中身を整理しながら、そう尋ねた。
「正力さんの言う通りだったよ」
温田先輩が正力さんをトイレに誘ったら、石鉄くんが僕に県代表の質問をしてくる。
まさにどんぴしゃな予想だった。正力さんって、すごいや。
「ちゃんと答えておいた?」
「うん、『六連くんは弱い』って答えておいた」
六連くんと僕は、昔から交流が結構ある。だって、そうじゃなきゃ、ジャビスコ将棋祭りのとき、一緒のチームになるわけないからね。石鉄くんは、ジャビスコ将棋祭りの情報までは、入手してなかったっぽい。あのとき、四国勢は来ていなかったから。
はっきり言っておくけど――六連くんは、強いよ。捨神先輩と同じくらいに。
棋歴が短いのに、正統派の定跡将棋を指してくる。
「あのふたり、将棋を観られていたことに、気づいてなかったっぽいわね」
「そうだね。うしろでずっと観てたんだけど」
正力さんは、黒い革手袋をはめなおしながら、
「四国勢が来るって事前に分かってるのに、偶然だと思ったのかしら」
と言った。そして、伝票を確認した。
「じゃ、そろそろ行きましょ」
正力さんは、席を立った。僕もあとに続く。
ごめんね、石鉄くん。TRPGは、ちゃんとやるからね。
「あら、そのまえに、連絡をしておかないと……」
正力さんは、スマホをとりだして、フリックを始めました。
「だれに?」
「月代先輩よ……あ、もしもし、正力です。さっき、市内の喫茶店で、四国の代表選手に会いました……はい、温田さんと石鉄くんです……はい、大丈夫です。情報はなにも教えていません……分かりました。他の選手にも用心します」
将棋界って、怖いね。
みんなもスパイには気をつけよう。




