222手目 記憶喪失と季節のパフェ
※ここからは香宗我部くん視点です。
なんてことだ――全然見つからないじゃないか。
俺は義伸を捜して、駒桜という見慣れぬ町を疾走していた。
商店街を抜けたところで、大きな十字路にぶつかってしまった。どちらへ逃げたか、見当もつかない。順番に辿って行った。まずは、左手のほうに進んでみた。逃亡者の心理的に、まっすぐは選択しにくいと思うんだよな。背中が見えるから。
どうやら、市街地へ続く道だったらしい。学生やサラリーマンで溢れていた。車の往来も激しい。さらに、脇道も大量にあった。
「くッ……この町、思ったより大きいな……ん?」
俺は、右手のほうに視線をむけた。たまたまの動作だった。ところが運良く、義伸らしき人物のうしろ姿をとらえることができた。横幅が2人分くらいの脇道で、電信柱のそばに義伸は立っていた。俺は駆け寄った。
「おい、義伸ッ!」
義伸は、振り返らなかった。
もういちど呼び止めたところで、ようやくこちらを向いた。
「おい、義伸、逃げ出すんじゃない」
「えっと……ああ、こんにちは」
「こんにちは、じゃないだろ。さっさとバス停にもどるぞ」
「バス停? なんでバス停にもどるんですか?」
なにを言ってるんだ、こいつは。俺は義伸を引っ張って行こうとしたが、抵抗された。
「っていうか、あなた、だれですか?」
「とぼけてもムダだぞ。さっさと来い」
義伸は、急に頭をかかえて、その場に座り込んだ。
「うーん……頭が痛い……なにも思い出せない……」
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………………
「おい、冗談だよな?」
「うーん……ここはどこ……」
き、記憶喪失だと? そんなバカな話があってたまるか。
俺は義伸にあれこれ質問してみたが、知らぬ存ぜぬの一点張りだった。それに、バス停で別れたときと、服装がちがうぞ……いったい、なにがあったんだ?
「義伸、ほんとうに覚えてないのか?」
「うーん……あ、そうだ」
ん、思い出したか。俺がホッとしたのも束の間、義伸は、
「あそこの喫茶店でパフェをおごってくれたら、思い出すかもしれません」
と言って、お洒落な建物を指差した。【八一】と書かれていた。
はちじゅういちって読むのか? ……いや、もうちょっとひねった読み方だろうな。
「どうして、パフェなんだ?」
「俺の胃袋が、季節のパフェを激しく欲しています」
「季節のパフェ……? 商品名か? なんで知ってる?」
「勘です。俺の勘がそう告げてます」
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…………………
………………
なんか、よく分からんが、とりあえず入ってみるか。
俺は入り口のドアを開けた。カランと鈴の音が鳴って、シックな空間が広がる。全体的に、おとなしめの色合いだった。カウンターのところにいる、店主らしき男性と目が合った。ちょびひげのある、蝶ネクタイをした中年男性だった。
「いらっしゃい」
「こんにちは……義伸、どこに座る?」
「そこの観葉植物のうしろで」
義伸は、窓際奥の、一番良さげな席を選んだ。ま、まるで常連みたいだな。
俺たちは椅子を引いて、腰をおろした。メイド服の店員さんが、お冷やを持ってくる。
「いらっしゃいませ……ニャ?」
変わった猫耳型へアのお姉さんは、俺と義伸の顔を、交互にみくらべた。
「どうかしましたか? もしかして、予約席でした?」
「ニャんでもないです。ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
店員さんはそう言って、カウンターの奥に引っ込んだ。
俺は、メニューを見る。なかなか美味しそうな店だな。
「義伸は、メニュー見なくていいのか?」
「え……あ、はい」
義伸は、スイーツ系のメニュー札を手にとった。
こいつ、そんなに甘いもの好きじゃなかったと思うんだが。
記憶喪失で、味覚が変わっているんだろうか。
「先輩、決まりましたか?」
「ああ、義伸は?」
義伸も決まったと答えて、さっきの店員さんを呼んだ。
俺は、単純にホットコーヒーを頼んだ。
「季節のパフェで」
ん? ほんとにそのメニューあったのか。義伸、勘が冴えてるな。
まあ、季節のなんたらなんて、どこの喫茶店にもありそうだ。
「ホットコーヒーがおひとつ、季節のパフェがおひとつ、以上ですね」
店員さんは、ふたたびカウンターのほうへもどった。手持ち無沙汰な俺は、
「どうだ? なにか思い出したか?」
とたずねた。義伸は、なにも思い出せないと答えた。
「その服は、だれからもらった? どこで着替えた?」
「うーん……思い出せません……あッ」
義伸は顔をあげて、入り口のほうを見やった。
すると、髪を金色に染めた、いかにも不良っぽい少女が入ってきた。
口に飴玉をくわえて、短パンのポケットに両手を突っ込んでいた。
「ちぃーす」
少女はぶっきらぼうに挨拶して、カウンターに座った。
マスターはコーヒーを淹れながら、
「楓ちゃん、こんにちは。こんな時間に、めずらしいね」
と言った。
「師匠が、今日は用事があるとかで、会えないんですよ」
「へぇ、そうなんだ。ピアノの練習かな」
「まあ、だいたい予想はついてるんですが……ん?」
少女は、こちらのほうへ振り返った。そして、眉間に皺を寄せた。
「おまえ……吉良じゃないか?」
「あ、こんにちは、楓さん」
すんなり挨拶されて、困惑したのは相手の少女のほうだった。
「楓さん……?」
義伸は、マズった、というような顔をしてから、
「おまえ、不破楓だろ?」
と、さん付けをいきなりやめた。
「ああ……おまえは、四国の吉良じゃないのか?」
「年長を呼び捨てにするな。俺のほうが年上だぞ」
うっせぇなあ、とつぶやいてから、少女は席を立った。
「なにしに来たんだ? 師匠の偵察か?」
「パフェを食べてるだけさ」
「あぁん? んなわけないだろ。パフェ喰いに瀬戸内海渡るやつがあるかよ」
長尾なら、渡るかもしれないな。あいつ、スイーツ巡りが趣味だから。
義伸は目を閉じて、あごに手を添えた。
「じつは、俺、記憶喪失なんだ」
「は? じゃあ、なんであたしの名前覚えてるんだよ?」
「ギクッ」
おい、おかしいだろ、義伸。
「んー、もしかして、俺と楓は、恋仲だったのかもしれないな」
カエデと呼ばれた少女は、義伸の頭をポカリとやった。
「アホか。どうせ演技だろ」
「こら、義伸に暴力を振るうな」
カエデさんは、俺のほうをジロリと睨んだ。
「おまえ、誰だ?」
「義伸の先輩で、香宗我部だ。きみこそ、誰だ?」
「コウソカベ……ああ、K知の香宗我部か。あたしは、不破楓」
「もしかして、捨神と同じ高校の女流棋士か?」
カエデさんは、よく分かったな、と不思議そうだった。
「これでも、四国高校将棋連盟の前幹事長だからな。めぼしい選手は、調査してある」
「調査……あ、やっぱり師匠の偵察に来たな。記憶喪失とか、全部デタラメだろ」
俺たちが揉めていると、店員さんがもどって来た。
「店内では、お静かにお願いします」
「おい、猫耳野郎、こいつら四国のスパイだぞ」
「スパイ?」
「今度の大会に備えて、下見に来てるんだ。追い出してくれ」
「いやいや、そんなこと言われましても……ニャンともかんとも……」
店員さんは、ホットコーヒーとパフェを置いて、カウンターにもどった。
「これこれ、いただきまーす」
義伸は細身のスプーンを手に、一番上の生クリームをパクリと食べた。
ブルーハワイのアイスを頂点に、生クリームと紫陽花の葉を模したチョコレート。
6月にぴったりのデザイン。この店……できる。
「なかなか美味そうなもん喰ってるな。あたしにもくれよ」
「やだ」
「すこしくらい、いいだろ? 今月は金がないんだ」
「不破は最近、お腹がプニプニしてるだろ。ちょっとは気にしたほうがいいぜ」
カエデさんは真っ赤になった。
もういちどポカリとやろうとしたので、俺は腕を掴んで取り押さえた。
「暴力はダメだって言ってるだろ」
「ふん、腕力はダメでもスパイはOKって、おかしいよなぁ」
「情報収集は、どこでもやっている。違法でもなんでもない。暴力は暴行罪で違法だ」
「チッ、屁理屈ばっかこねやがって。だいたい、記憶喪失なんて、なるわけないだろ」
「いや、義伸の様子がおかしいのは、確かだ。現に……」
そのとき、ふたたび鈴の音が鳴った。
入り口のほうへふりかえった俺たちは、一斉にアッとなった。
「す、捨神ッ!」
白髪の美少年も、こちらをふりかえった。
「あ、あれ? 香宗我部先輩と吉良くん? なんで、ここにいるの?」
捨神は、俺の予想以上に慌てた。
なにか、マズいことでもあったのか? ……あ、女がいる。
ずいぶんとめかしこんでるし、これはデートで間違いないぞ。
「吉良くん、どうしたの? 駒桜に遊びに来たの?」
「うーん……思い出せない……」
「思い出せないって、どういうこと?」
俺は捨神に、事情を説明した。捨神はおどろいて、
「ええ? 記憶喪失? そ、そんな、吉良くん、病院に行こうよ」
と言い出した。義伸は、この提案を拒否した。
「もっと、いいアイデアがある」
「いいアイデア? 民間療法は危険だよ」
「こうするんだ」
義伸は、捨神に抱きついて、胸元に頬擦りした……って、なにやってんだッ!?
俺は引き離そうとしたが、義伸は馬鹿力だった。こんなに強かったのか。
捨神も、目を白黒させていた。
「ど、どうしたの? そんなことしても思い出せないよ?」
「うーん、これが捨神先輩の抱き心地……ん?」
義伸の肩に、ツレの少女の手がかかった。
「そろそろ離れようか……」
「んー、あと5分」
その瞬間、少女の目が赤く光ったような気がした。
「※△◎$ッ!?」
義伸はビクンと跳ねて、捨神から離れた。
ほんとに思い出したのか。俺は、義伸の名前を呼んだ。
義伸は惚けたような顔で、
「あれ〜? ここはどこ? 私はだ〜れ?」
と言って、その場でくるくるし始めた。
っていうか、女の声になってるぞッ! どういうことだ? だれか説明しろッ!
捨神も右往左往していた。
「あ、赤井さんの声? ……え、でも、吉良くんだよね? 僕、夢見てるのかな?」
「セクハラは重罪……宇宙の常識……」
「ニャハハ、なかなか面白いコントですね。マスター、猫缶ひとつ」
この町は、どうなってるんだッ!? 救急車ッ! 救急車ッ!




