215手目 磯前好江、恋愛相談を釣り上げる
「3五歩ッ!」
まずは、右の桂頭を攻める。
「2七角ぅ」
「7五歩」
今度は左だよ。
「飛車が利いてるはずなんだけど、不穏だねぇ」
魚が警戒してる。慎重に――
「……同歩ぅ」
食いついた。3六歩、同角、同角、同飛、5四角、7六飛、3六歩。
「け、桂馬が死んじゃったッ」
ピッ
カツラギさん、ここで30秒将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「な、7四歩ぅ!」
それは駒損コース。
3七歩成、7三歩成、4八と、同金、7三銀。
「まだ負けてませんよぉ。9五角ぅ」
厳しそうに見えて、そうでもないかな。8四角、同銀、7一飛成が詰めろだから、一瞬ヒヤリとするだけで、飛成りに6一桂と打ってしまえば、先手は手がない。
ピッ
あたしも30秒将棋になった。
攻める順を考えよう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4五角」
浮いてる金を狙う。5六桂なら、今度こそ先手は手がない。
「う、受け駒がないよぉ……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「は、8五桂打ぃッ!」
へぇ、これは面白い手が飛んできた。単に8四角、同銀、7一飛成より厳しい。
「7四飛」
飛車を逃げておく。同飛、同銀、7三桂成――これは詰めろだ。6二成桂、4二玉、4一金、同玉、5一飛、4二玉、5二成桂までだね。7八角成と突っ込むと、負け。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6一金」
一回受ける。
「こ、ここで飛車打ちぃ……は駒が足りないよぉ……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
カツラギさんは、7四成桂として、駒を補充した。
あたしは、今度こそ7八角成と突っ込む。
詰めろ――カツラギさんは、4九玉と逃げた。
あたしは、3六桂とさらに詰めろをかける。放置なら、2九飛、3九銀(3九歩や3九飛は4八桂成、同玉、2八龍が一間龍)、4八桂成、同玉に3七銀と捨てて、同玉、2七金、4八玉、3九飛成、同玉、3八金打まで。
適当な受けは、ないと思う。あとは、あたしが頓死しないようにするだけ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6三成桂ぇ」
狙いの頓死筋だね。同玉は6四飛、7二玉(5二玉は6一飛成、同玉、6二金)、6一飛成、8二玉、7三金、9二玉、8三銀まで。詰んでしまう。
「4二玉」
これで詰まない。
「ふえぇ……3七銀」
受けたね。あたしは最後に10秒だけ確認して、6九飛と打った。
「あッ……そっかぁ……」
カツラギさんは、くちびるに指を当てて、困ったような表情。
合駒が悪いんだよね。するなら飛車合だけど、同飛成を同玉と取れない。
「さ、3八玉でぇす」
「2七銀」
これで詰み。同玉、2九飛成、2八歩合、同桂成、同銀、2六金、同玉、2八龍、2七合駒、2五銀、1五玉(3五玉は4五馬)、1四歩までだね。
「うぅん、詰んでるんだぁ……負けましたぁ」
「ありがとうございました」
一礼して終了。私はチェスクロを止めた。
「どこが悪かったですかぁ?」
「途中で銀損したところからは、後手有利かな」
「3六歩と取り込まれたとき、5四飛、同飛、3六角でしたかぁ?」
【検討図】
「8四飛だと?」
「7四歩、同飛、9六角とかぁ」
これは、ありそう。3六角に逃げないで7六歩は、5四角、同歩、2一飛の対応が悩ましい。7七歩成、4一角のあと、速度争いになる。ただ、負けとも言えないかな。
「5四飛に同飛じゃなくて、同歩もあるよね?」
「3六角……うぅん、7六歩が受からない……」
むりやり6七角と受ける手はありそうだけど、2九飛から香車を拾って行きたい。
「先手は、こっちのほうが良かったかもね。駒損してないし」
中盤の仕掛けを検討していると、となりで投了の声が聞こえた。
「負けました」
「Danke schön」
おっと、裏見の負けか。
どんな局面か覗き込む。その途端、部室のとびらがひらいた。
「遅くなって、もうしわけありません。買い出しに行っていました」
「じゃけん、みんなで食べましょうね〜」
制服を着た女子高生がふたり、ビニール袋を持って入室した。
ひとりは、黒髪ロングのマジメそうな子、もうひとりは、ショートの快活な子。
クルシマさんと詰め将棋を解いていたミノベくんは、立ち上がって、
「馬下、福留、サンキュ」
とお礼を言った。どうやら、彼女たちも将棋部の部員みたいだ
「赤井は、どうした?」
「赤井さんは、鎌鼬市に用事があるとかで、いません」
「そっか、それならしょうがないな……裏見先輩、おやつにしませんか?」
腹が減っては釣りもできない、ってね。あたしたちは、おやつタイムに入った。
その夜ーー
「狭くて、ごめんね」
「おかまいなく」
あたしは、裏見の勉強部屋に、布団を敷いてもらった。予想とは違って、畳にカーペットが敷かれている。和室だった。築年数もかなりのもので、女子高生の部屋という感じがしない。ただ、裏見っぽくは、あるかな。裏見は、考え方が今時じゃないことがある。
あたしたちはお風呂に入って、寝間着に着替えていた。パジャマパーティー、って言うのかな、これ。裏見はピンクのパジャマだけど、あたしはジャージなんだよね。
「吉良くんと香宗我部くんは、来てないの?」
「来てるけど、別行動だよ」
「それも、そうか……団体行動だと、たいへんだものね」
ほかのメンバーは、どこで何をしてるんだろう。結局、続報は来なかった。
便りがないのは、いい便り。事故は起きていないのだと思う。
「明日は、どうするの?」
「魚住のところで、釣り」
「魚住くんって、県内の中学竜王戦で優勝したことのある子?」
「そうだよ。指したことある?」
指したことはない、と裏見は答えた。ちょっと意外。
「古谷くんとなにかあった、って聞いたことがあるくらいかしら」
「へぇ、そうなんだ」
ケンカでも、したのかな。あたしは、そういうのに興味がないからパス。
「ところで、裏見は、どこの大学受けるの? 関西?」
裏見は、ベッドのうえで腕組みをした。
「迷ってるんだけど、今のところ第一志望は、東京の都ノにしてる」
「ああ、有名な公立だね。判定は?」
裏見は、A判定だと答えた。だけど、どこかしっくりこない模様。
「どうしたの? もしかして、ワンランク上げたいとか?」
「そうじゃないんだけど……」
裏見は、しばらく言葉を濁してから、同級生が一緒の大学を狙ってる、と告げた。だからどうしたのか、よく分からない。あたしは、根掘り葉掘り訊いてみる。
「松平って言うんだけど……彼、私のこと好きなのよ」
「さてと、明日はなにが釣れるかな。おやすみ」
「ちょっとッ! 質問しといて、それはないでしょッ!」
なにかと思えばノロケ話とか、やってられない。
「ようするに、ストーカーみたいでイヤなの?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
ほら、まんざらでもないみたいな反応。モテ自慢。
「っていうか、ほんとに好かれてるの? 告白されたわけじゃ、ないんでしょ?」
「されたのよ」
「あ、そうなんだ。で、返事は?」
裏見は、胸のまえで両手の人差し指をつんつんした。
「お、驚いて逃げちゃった……」
「なかなか辛辣だね」
「でも、あのときはしょうがなかったのよ。なんの前振りもなかったのに、いきなり告白してきたんだから。しかも、初詣の帰り道よ? 信じられる?」
なんの前振りもなかった、というところが、信じられないかな。
「初詣ってことは、半年前だよね? そこから進展がないの?」
「半年じゃなくて、1年半前。1年生のときの初詣だったから」
えぇ……いろいろおかしい。
「焦らして、生け簀で飼ってるの?」
「ち、違うわよ。人聞きの悪いこと、言わないで。そりゃ、返事をしないのは悪いと思ってるけど、タイミングが最悪だったし、あの頃は松平のこと、よく知らなかったから……将棋に真剣に取り組んでるときは、かっこいいな、って思うこともあるわ。でも、金髪に染めてたりして、第一印象は良くなかったかな。まあ、私が金髪好きじゃないのを知ってから、色を抑えてるみたいだけど。あと、性格が子供っぽいのも気になるし……まあ、男なんて、みんな子供っぽいわよね。他の男子も、あか抜けないというか、小学生のまま進級してるというか……っと、松平の話だったわね。これがまた、すごい将棋バカなのよ。私のことが好きなんじゃなくて、私の将棋が好きなんじゃないの、ってくらい。趣味が一致してるのは、お互いにプラスだとしても、やっぱり私を見て欲しいでしょ? 磯前さんだって、好きな男子に、釣りのテクニックばかり褒められたら、困るだろうし……ともかく、なにが一番腹立たしいかって言うと、あれ以来、さっぱり告白の続きをして来ないことなのよ。絶対に2回目があると踏んで、いろいろシミュレートしてたのに、酷いと思わない? まるで、アレはなかったことに……みたいな態度。本気で私のこと好きなのかどうか、疑っちゃうわ。それでいて、一緒の大学に行きたいとか言い出すなんて……2回目の真摯な告白があるまでは、絶対に彼氏と認めないんだから。このまえも……」
Zzz
場所:駒桜市立高校将棋部の部室
先手:葛城 ふたば
後手:磯前 好江
戦型:横歩取り8四飛型
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛
▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩 △2三銀 ▲4八銀 △5二玉
▲3六歩 △7二銀 ▲3七桂 △2四歩 ▲3五歩 △6二金
▲5六飛 △8八角成 ▲同 銀 △3三桂 ▲3八金 △5四角
▲3四歩 △同 銀 ▲3六歩 △2三銀 ▲7七桂 △7四歩
▲6六歩 △7三桂 ▲6五歩 △3五歩 ▲2七角 △7五歩
▲同 歩 △3六歩 ▲同 角 △同 角 ▲同 飛 △5四角
▲7六飛 △3六歩 ▲7四歩 △3七歩成 ▲7三歩成 △4八と
▲同 金 △7三銀 ▲9五角 △4五角 ▲8五桂打 △7四飛
▲同 飛 △同 銀 ▲7三桂成 △6一金 ▲7四成桂 △7八角成
▲4九玉 △3六桂 ▲6三成桂 △4二玉 ▲3七銀 △6九飛
▲3八玉 △2七銀
まで80手で磯前の勝ち




