214手目 来るひと、来ないひと
あたしたちは、桜並木の川沿いを歩く。葉桜が綺麗だ。木漏れ日が足もとを照らす。
ところどころに石の橋が掛かっていた。
「ここが、街の中央を流れてる桜川よ」
「綺麗な川だね。魚は、いるの?」
あたしの質問に、裏見はくすりとした。
「なんでも釣りなのね。残念だけど、ちっちゃな魚と鯉しかいないわ」
あたしは、キャップ帽のツバをなおす。
「ごめんごめん、続けて」
「この桜川の周辺は、桜町っていう小さな宿場町だったらしいの。今は、駒桜市の商店街になってるわ」
「桜町の『桜』が駒桜市の元ネタってこと? 『駒』は、どこから来たの?」
裏見の答えは、ちょっと意外なものだった。駒桜市合併の中心になったのは、桜町じゃなくて、馬下町という、べつの自治体だったらしい。その馬下町の由来は、江戸時代にお殿様から『馬』を『下げて』もらったから。つまり、駒をもらったから。
「将棋の『駒』が昔は『馬』表記だったのは、どこかで聞いたことあるね。ところで、どういう駒だったの? それだけ由緒正しいなら、市の文化財になってるとか?」
「駒桜神社の御神体らしいわ」
へぇ、そこまで徹底してるんだ。まさに将棋の町だ。
あたしたちは、桜川の風景を堪能したあと、市街地のほうへ折れた。週末だからか、交差点はずいぶんと賑やかだった。ジャージ姿の一団とすれ違う。
「このへんは、高校が多いの?」
「近隣だと、本榧と七日市の次くらいには、多いかしら……あッ!」
裏見は急に声をあげて、交差点の反対側に目を凝らした。
信号が青になった途端、ダッシュする。あたしも、よく分からないけど、ダッシュ。
「飛瀬さーんッ!」
裏見は、ひとりの少女を呼び止めた。高校生っぽい。クリーム色のスカートに、薄緋色のカーディガンを着ていた。色白。ちょっと日本人っぽくない。おとなしそうな子だ。
「飛瀬さん、私のMINEの書き込み、見た?」
「今日はまだ、見てません……」
「四国から、お客さんが来てるの。部員に招集掛けてるところ」
裏見は、あたしを紹介してくれた。
「はじめまして……駒桜市立の主将、飛瀬カンナです……」
「はじめまして。きみが主将なんだね。2年生?」
「はい……」
「あたしは3年生で、もうすぐいなくなっちゃうけど、よろしく」
「磯前さんは、県代表なのよ。これから部室に行くんだけど、飛瀬さんも、どう?」
裏見のお誘いに、トビセさんはもじもじした。
「ちょっと用事があるので……」
「ごめんごめん、支度に手間取っちゃった」
突然の呼びかけ。ひとりの少年が、脇道から姿を現した。紺のデニムズボンに、ほとんど無地の白いTシャツ。そのうえに、よれよれのレインコートを羽織っていた。髪の毛が真っ白――って、捨神じゃないか。さすがに知ってる。
捨神のほうも驚いたみたいで、
「あれ? 磯前先輩? どうしてここに?」
と、へらへら笑いをやめた。
「囃子原のおごりで、下見に来たんだ。ついでに、裏見と遊ぼうかと思ってね」
「アハッ、そうでしたか。お会いできて光栄です」
と言いつつ、捨神は視線が定まらない。なにか、マズい現場に出くわした雰囲気だ。
「あ、そうだ。捨神くんも、どう? これから市立の部室へ行くんだけど?」
裏見は、捨神を誘い始めた。
いやあ、これはどう見ても――デートの待ち合わせだよね。
捨神、彼女がいたんだ。義伸はショック死しそうだから、教えないでおこう。
「すみません、僕、これから用事があるんです」
「そう……もしかして、飛瀬さんと?」
「……はい」
「そっか、捨神くんは県大会もあるし、練習が必要よね。がんばってちょうだい」
こうして、飛瀬と捨神は、ようやく解放された。
あたしたちは、逆方向へと進む。
「こうも鈍感だと、裏見のお相手はたいへんだね」
「え? なにか言った?」
「なんでもない。天気がいいな、って」
そうこうしているうちに、校庭のある建物がみえてきた。あれかな。
案の定、裏見はそこの校門へと折れた。
「ここが、駒桜市立高校よ」
あたしは、とりあえず一望してみた。3階建ての校舎が2つ。そのうちのひとつは、左右が1:2の比率に分かれていて、移動のための階段があいだに掛かっていた。目立つものはあまりないけれど、桜の木が多い。やっぱり名物なのかな。
あたしたちは手前の校舎に入って、3階に案内された。
「だれか来てるかしら……ゼロってことは、さすがに……」
と言いながら、裏見はドアを開けた。
物置と見紛うような、狭い空間が現れる。
「Aha, endlich ist sie gekommen」
「裏見先輩、こんにちは」
「こんにちはぁ」
「ふわぁ、こんにちは」
「こんちゃっス」
全部で5人――だけど、この時点でギュウギュウ。
裏見は室内を見回して、
「佐伯くんは?」
と尋ねた。
「佐伯くんは、急用で来れないらしいでぇす」
かわいらしいショートの子が、猫なで声で答えた。
裏見は両腕を組んで、
「部室も狭いし、こんなもんか……」
と言って、まずはあたしのことを紹介してくれた。
「こちらが、磯前好江さん。私と同じ3年生で、K知の県代表よ」
「磯前です。よろしく。南国水産高校に在籍してます」
あいさつを終えると、今度は駒桜陣営が自己紹介を始めた。
「駒桜市立2年の、箕辺辰吉です。市の連盟会長をしてます」
「副会長の葛城ふたばでぇす。升風高校で主将してまぁす」
「ふわぁ……駒桜市立で部長をしてる、来島遊子です」
「エリザベート・ポーン。藤花女学園で主将をしております」
「駒北主将の、大場角代っス。角ちゃんって呼んで欲しいっス」
これまた、個性的な面子がそろってるね。しかも、全員要職。試しがいがある。あたしは釣り竿を、部屋のすみに置かせてもらった。
「初対面だし、変に気を遣わせても悪いから、将棋にしようか」
棋は対話なり、って言うしね。上下関係もない。
「10分30秒で、どんどん回しましょうか」
裏見の指示で、将棋盤が用意される――けど、これは2面が限界かな。
「あ、俺たちは観戦してますから、いいですよ」
ミノベくんが一歩引いた。同時に、クルシマさんも辞退する。
「Hmm……残り5人ですわね。どう致しましょうか?」
「裏見先輩と磯前先輩を囲む会で、いいんじゃないかなぁ?」
「そうっスね。角ちゃんたちのなかから、だれかひとり抜けるっス」
3人はジャンケンをした。
「Schau mal!! 勝ちましてよッ!」
「えへへぇ、大場さんの抜け番ねぇ」
「チョキ出しとけば良かったっス」
着席。あたしのほうに、かわいらしい子がついた。
振り駒をして、あたしの後手。チェスクロは右に。
「よろしくお願いしまぁす」
「よろしく」
あたしがチェスクロを押して、対局開始。
「7六歩ぅ」
普通だね。3四歩。
2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。
おっと、横歩だ。嫌いじゃない。
「2四歩ぅ」
同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、3三角、3六飛。
カツラギさんは、オーソドックスに3六へ引くかたちを選択した。
あたしも、飛車の引き場所を考える。
「8五飛でもいいけど……8四飛」
中座飛車じゃなくても、いいよね。最近は流行ってないし。
2六飛、2二銀、8七歩、2三銀、4八銀、5二玉。
このあたりから、カツラギさんは時間を使い始める。
「んー、積極的に行ったほうが、いいかなぁ……3六歩ぅ」
そのほうが、いいよ。消極策で棋力差が逆転することは、まずないから。
「7二銀」
あたしのほうは、様子見で指していく。
3七桂、2四歩、3五歩、6二金。
カツラギさんの手が止まった。
「ああしてぇ……こうしてぇ……大丈夫そうかなぁ……5六飛ぃ」
これは、8八角成、同銀、2八角のお誘いかな。以下、7五角、5四飛、同飛、同歩、4五桂、4二金、2二飛は、後手の負け。この順は選べない。かと言って、角交換をしないのも、ほかに指す手がない。というわけで、選択肢はひとつ。
「8八角成」
同銀に3三桂で、4五の桂跳ねを阻止。
カツラギさんは3八金と上がって、角打ちを防止した。
後手が作戦勝ちしたんじゃないかな。次の一手が厳しい。
「5四角」
ここが急所。位を維持したまま3六歩を防ぐのは、むずかしいはず。
「ふえぇ……悪くしちゃったかなぁ……」
「悲観するほどじゃ、ないと思うよ」
ウソじゃない。桂頭のキズは、3四歩、同銀、3六歩としておけば受かる。もちろん、歩を捨てたうえに位を放棄してるから、メンタル的には、あんまり指したくないかな。
残り時間は、あたしが3分、カツラギさんが2分。
「……3四歩ぅ」
同銀、3六歩。あたしは2三銀ともどっておく。位を取り返したとはいえ、すぐに攻めることができるわけじゃない。むしろ、先手に指してもらいたい手がある。
「7七桂」
それそれ。あたしは7四歩と突いた。
7三桂〜7五歩〜7六歩を狙う。
「6六歩ぅ」
やるね。升風高校の名前は、千駄がいたから知っている。そこの主将なら、実力者なのは間違いない。持って行かれないように、丁寧に読む。釣りと一緒。ぼんやりキャスティングするだけじゃダメ。獲物が引っかかるように工夫しないとね。
「7三桂」
カツラギさんは、6五歩と止めてきた。
これで、一見止まっているようなんだけど……そうでもない。
手順を駆使するよ。土佐の海で鍛えた釣りテク、見せどころかな。




