197手目 感想戦後の感想戦 新巻虎向の場合
「朝から校門のまえでキス……バカップルだね……」
カンナちゃんに釘を刺されて、私は悶絶した。
ここは将棋部。放課後になっても興奮冷めやらぬ私は、取材の打ち合わせをしていた。前回は、エリーちゃんが気を失って、中断したのよね。虎向くんと兎丸くんの取材が残っているから、早めに終わらせておきたい。
私が準備をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「新巻虎向ですッ!」
はいはい、私はドアを開けた。兎丸くんも一緒だった。
「裏見先輩は、まだ来てないんですか?」
「そろそろ、集合時間なんだけど……」
時計を確認したところで、廊下を走る音が聞こえた。
「ごめんなさい、遅れちゃった」
ポニーテールの美少女、裏見先輩が登場。
「受験で忙しいときに、すみません」
私はとりあえず謝っておいた。
「たまには、いいわよ。駒に触れないと、感覚が鈍っちゃうしね」
私たちは着席して、お茶を用意。裏見先輩の好物。
裏見先輩は時間が惜しいのか、ぱらぱらと駒を並べ始めた。
「私が先手で、7六歩、3四歩、2六歩、5四歩の出だしだったかしら?」
「ええ、俺が後手でゴキゲン中飛車でした」
【先手:裏見香子 後手:新巻虎向】
「虎向くん、中飛車を採用した理由は?」
私は取材を始める。今回は、積極的に質問していくわよ。
「格上相手に、一番入りそうだったからですね」
「あら、私を格上扱いしてくれるわけ?」
と裏見先輩。虎向くんは、もちろんだと答えた。
「県大会優勝は、ダテじゃありませんよ。いくら桐野先輩がいなかったからって」
ふむふむ、私を強制入部させた策士、ってだけじゃないわけか。メモメモ。
そのあいだも、ふたりは数手進めた。
2五歩、5二飛、5八金右、6二玉、4八銀、7二玉、6八玉、5五歩。
「先手は、ここで仕掛けて来ましたよね」
裏見先輩はうなずいて、歩をひとつ進めた。2四歩だ。
「同歩、同飛、3二金で受かるけど、突いといて損はないわ」
「2八飛、2三歩と収めてから、4六歩でしたか」
ふたりは、どんどん手を進める。
4六歩のところで、兎丸くんもコメントを入れた。
「5筋を直接的に止めるパターンですか……虎向は、どうしたの?」
「そのままだと面白くないから、俺も工夫して3五歩」
「伸ばし過ぎじゃない?」
と兎丸くん。
「この進行は、何回か指した。結構いける」
私は、兎丸くんに賛成かな。すぐに取り返されちゃいそう。
とりあえず、先をうながした。
「私の4七銀、9四歩、9六歩に、新巻くんが5四飛」
ふぅむ、積極的。どういう手なのかしら。
「この飛車浮きの意味は?」
「先手の駒組みの牽制です。いざとなったら2四飛も考えてます」
7八銀、8二玉、8六歩、7二銀、7九玉。先手は左美濃、後手は美濃。
「虎向くん、左銀が出遅れてない?」
さすがに、私も気になった。
「ここから4二〜5三と進出させます」
4二銀、7七角、5三銀、8八玉。
先手は銀冠。裏見先輩も、この手順には納得しているようで、
「こうなると、5四飛の意味があるわね。飛車先が止まってないから」
と言った。5二飛型だと、5三銀の瞬間に飛車先が止まってしまう。
「次の2四飛も機敏だったわ」
裏見先輩のコメントに合わせて、虎向くんは2四飛とぶつけた。
この手には、箕辺くんが反応した。
「同飛、同歩、4一飛に、どうするんだ?」
「3一飛、同飛成、同角の予定でした」
虎向くんは、すらすらと並べた。
【参考図】
「5五角で?」
「4四銀、8八角と引かせてから、2八飛です」
箕辺くんは、ようやく納得した。
「なんだかんだで、後手が先着になるんだな。2四飛と取れないのは分かった」
「私もさすがに気づいたから、2五歩と止めたわ」
歩を打ってくれるなら、先手は飛車先を切ったメリットがなくなる。
ここは、虎向くんがポイントを稼いだ格好。
以下、3四飛、8七銀。
「この次の手が難しかったんですが……本譜は8四歩としました」
「先に7四歩じゃない? 対局中も、ちょっと気になったわ」
「5五角出が王手になるので、7四歩はあとにしたいんですよね」
「ふーん……まあ、あんまり順番は関係なさそうね」
裏見先輩は、7八金、6四銀、6六歩、1四歩、1六歩と進めた。
「俺は左金の処理が問題なんですけど、4二金〜5二金左は手がなくなります。3三金として、次に4四金を目指しました。裏見先輩の次の手が驚きでしたね」
「そんなに驚くような手かしら……9八香なんだけど」
ほえぇ、穴熊。
兎丸くんは、あごに手をそえて、うんうんとうなずいた。
「駒組みとしては、一番自然ですね」
「そうか? 俺は全然読んでなかったぞ?」
「虎向のほうは8三銀〜7二金〜7四歩〜7三銀の組み替えがあるよね。この数手と同じくらい有効で、かつ手待ちになるのはこれしかないよ」
「うーん、裏見先輩は攻め将棋って聞いたから、攻めてくると思ってた」
情報収集がマイナスになるってことも、あるわよね。調べ方が甘い。
「私、攻め将棋って評価なの? だれの入れ知恵?」
「田中先輩が、そう言ってましたよ」
裏見先輩は、首をかしげた。
私も会話に参加する。
「穴熊にするとしたら、9九玉〜8八金〜6八金〜7八金右ですか?」
「私は6八金右〜9九玉〜8八金〜7八金右よ」
以下、4四金、6八金右、7四歩、9九玉、7三銀引、8八金、8三銀、7八金右、7二金と、ふたりは駒組みの過程をザッと並べた。
「ここまでくると飽和ですから、どっちが攻めるかの問題ですよね。本譜では、裏見先輩から攻めてきました。3八飛、3三桂、3六歩です」
開戦。ちょっと形勢判断を訊いておきましょうか。
「虎向くんの感触として、現局面はどんな感じ?」
「この時点では、いいとも悪いとも思ってませんでした。後手は4四金、先手は4七銀が遊ばないようにできるかどうかですよね」
「裏見先輩のほうは、どうですか? 自信がありました?」
「私、細かい形勢判断はしないのよね。手順のほうに集中してたわ」
結構、直感的に考えるタイプなのかも。
「で、攻める手がないから。3六歩で手渡ししたの」
「3六歩が手渡しなんですか?」
「3六歩、同歩、同銀、3五歩、4七銀ね」
なるほど、3六歩からそのまま突破する方法はないようだ。
「虎向は、ここからどう指したの?」
兎丸くんは、興味津々。
「んー、チャンスだと思っちゃったんだよなあ」
虎向くんはそう言いながら、2四歩と突いた。
……ん、いい手にみえる。
「好手じゃない? 2八飛ともどすしかないわよね?」
「と思うじゃないですか。もどす必要がなかったんです」
虎向くんは、次の裏見先輩の手をクイズに出した。
私は、2八飛しか思いつかない。2五歩〜2六歩〜2七歩成は先手負け。
「箕辺会長は、どうですか?」
「俺も光と一緒で、飛車をもどりたいんだが……違うなら、5八飛か?」
「あ、惜しいわね。本譜は5六歩よ」
裏見先輩は、パシリと歩を突いた。
虎向くんは前髪に触れて、
「これで、後手困ってるんですよね」
とつぶやいた。私は、未だに手の意味が分からない。
「全然間に合わなくない? 2筋の歩を伸ばすんでしょ?」
「2五歩、5五歩、2六歩、5四歩、2七歩成には5八飛と回れます」
「……3七と、同桂、3六歩とかさ」
私だって、桂馬の頭が弱いことくらいは知っている。
「葉山先輩、なかなか読みますね。でもそれは、5六銀で回避できます」
【参考図】
兎丸くんも感心して、
「一筋縄では、いかないね。すぐに2四飛だと3七桂、2九飛成、5三歩成で、急所にと金ができる。2四飛のまえに4八とと工夫するかな、僕なら」
と言った。虎向くんによれば、その順は読んだうえで切ったらしい。
裏見先輩は、その筋自体あまり読まなかったと白状した。
私は本譜の進行をたずねる。
「本譜は2五歩、5五歩、1三角です」
みんな静かになる。最初に発言したのは、兎丸くんだった。
「5八飛なら3六歩、3八歩、5七歩、同飛、4五桂?」
「正解。さすがは兎丸だな」
「裏見先輩レベルなら、5八飛は指さないよね……6五歩とか?」
兎丸くんは、角を活用する手順を選んだ。
「半分正解。裏見先輩は、1五歩、同歩、6五歩だった」
「あ、そっちのほうがいいね。歩の枚数が命取りになりそうだから」
「そうなんだよなあ……で、とりあえず5七歩と置いといた」
飛車回りを封じた手ね。
ここで、箕辺くんが口を挟む。
「次の手は、俺でも分かるな。5四歩だろう?」
「ええ、5二歩と受けられなくなってますからね。俺は同金です」
兎丸くんは、この局面を見て、軽く眉をひそめた。
「すごい。これは後手が困ってるね。金が3筋に利かなくなったから、3六歩、同歩、1五香、1四歩、3五歩。これを同飛なら3六銀で、5五飛、同角、同金、5一飛はさすがに終わってる。3五同角なら3六銀、4六角、3五歩と打たれて、4四飛、同角、同金の飛車角交換を強要。裏見先輩、最初からこれを読んでたんですか?」
「1五歩のあたりは、単に経験則よ。1五香で歩を回収する手順は、よくあるし」
年季の違いってやつね。
虎丸くんは、後者の順で進めながら、
「30分60秒なら、実際はいい勝負だと思う。あのときは悲観し過ぎた」
と、兎丸くんに話しかけた。
「虎向くんでも、悲観することがあるの?」
と私。虎向くんは右手をあげて、
「俺が年中お花畑みたいな質問しないでくださいッ!」
と嘆いた。
「ごめんごめん……ところで、どう難しいの?」
「例えば、4四同金のあと、3四歩にどう指します?」
今度は、私も答えるわよ。
「4五桂じゃないの?」
歩に当たってるんだから、当然逃げるわよね。
「第一感は、それを読みますよね。4五桂、3三歩成、3七歩とか」
「そうそう、同桂なら同桂成で飛車銀両取り」
「でも、取らずに6八飛があります」
「……1五歩で?」
「4三と、同金、4五銀で、先手は駒損を回復できます」
「……4五銀に5三香だと?」
虎向くんは、パチリと指をはじいた。
「いい手、知ってますね。それで難しいと思います。ただ、5四歩、同香、同銀、同金、5一飛くらいでも、先手がまだ指せると思います。さすがに穴熊ですからね」
「虎向くんは、どう対処したの?」
「本譜は、3四歩、1九角成、3三歩成、2九馬、6八飛、1五歩でした」
なるほど、これなら香得。
「でも、4一飛と打ったら、次に1一飛成で駒損が回復しない?」
私の質問に対して、虎向くんは駒を動かさずに答える。
「すぐにはできないです。後手からは5四香〜5八歩成がありますから。先手は5一飛と打って、5四香、5九歩としてきました」
一回受けないといけないのか。さっきの4五桂以下との比較は難しい。
「次は、どうするの? 4六桂と足す?」
私に見える手って、それくらいしかないのよね。
虎向くんは、持ち駒の角を手に、カラ打ちした。
「4六桂も、考えたんですよね……3四と、5八歩成、同歩、同桂成に4四とと取ってくれれば、6八成桂、同金、4八飛で後手勝ちかもしれません。でも、5八同桂成に強く同飛と取られたとき、同香成、同飛成で龍ができて先手が堅いです」
【参考図】
裏見先輩は、出来上がった局面を見ながら、
「正直、4六桂って打たれたほうがイヤだったかなぁ。読んでなかったし」
とぼやいた。
「……そうでしたか。でも、この局面は、俺の持ち駒が大駒だけなんでキツいです」
虎向くんはそう言いながら、3七角と打った。




