177手目 とばっちりな猫(ポーン・来島ルート)(4)
廊下の奥に立っていたのは、辰吉くんだった。
どうやって病院を抜け出したのか分からないけど、市立の制服を着ていた。
私は混乱して、銃を隠すのが一瞬遅れてしまった。
「た、辰吉くん、なんでここにいるの? 病気は治ったの?」
「遊子……今、隠したのはなんだ……?」
ぼんやりとした声が、私の耳にひびいた。
「護身用のソフトエアガン」
「嘘だ……さっき、弾の確認をしてただろ……」
私は、どきりとした。それと同時に、おかしな気分になった。装填を確認したとき、あたりに人の気配はなかった。辰吉くんが、そんなにうまく気配を消せるはずがない。
「……ほんとに辰吉くん?」
「なんだ……彼氏の顔も思い出せないのか……」
「そ、そういうことじゃないけど……病気は治ったの?」
「ああ……あれは、最初から嘘なんだ」
私は、自分の耳を疑った。
「嘘?」
「そうだ……遊子の正体を暴くための罠だ……」
「……どういうこと?」
「俺、変だと思ったんだよ……ジャビスコのときは応援に来ないし……最近は草薙みたいな物騒なのとつるんでるし……友だちに志摩がいるし……だから、俺が病気になったら、本性を現すんじゃないかと思ってさ……そしたら、案の定だよ……」
動揺に次ぐ動揺――銃口を向けられても怯えない自信があるのに、動悸がし始めた。
「いやだな、辰吉くん、女子高生が拳銃なんか持ってるわけないでしょ」
辰吉くんは、悲しげな瞳で、私をじっと見つめた。
「なあ、遊子……おまえ、ヤクザの娘なんだろ?」
……………………
……………………
…………………
………………
「なにを言ってるの? いくら彼氏の冗談でも、怒るよ?」
「怒るのは俺のほうだ……どうして、正直に言わなかったんだ?」
「だから、私は違うって……」
ドン
辰吉くんは私に迫って、壁を右手で叩いた。急な壁ドンに、私は息が止まりかけた。
「辰吉くん……こんなのひどいよ……」
「ひどいのは遊子だ……どうして言ってくれなかった?」
胸のなかに、さまざまな思いが去来する。じんじんと、涙があふれそうになった。
すると、辰吉くんの人差し指が、私の目元を撫でた。
「遊子、かんちがいしないでくれ……俺は、うれしいんだ」
「え……?」
混乱する私をよそに、辰吉くんは身を引いて微笑んだ。
「遊子の苗字を聞いて、まさか、とは思ってたんだ。でも、ほんとうにうれしい」
私は渇いた声で、なにがうれしいのかとたずねた。
「もちろん、遊子が来島組の娘でうれしいのさ」
「どういう……こと……?」
辰吉くんはアハハと笑って、ポケットに手を突っ込んだ。
スマホかと思ったそれは、サッとひらいて、銀色の刃が顔を出した。
私は背中が痛くなるほど、壁に体を押しつけた。
「辰吉くん……危ないよ……しまってね……?」
「遊子、俺の家が母子家庭だってのは、知ってるよな?」
私は、うなずくことすらできなかった。
「遊子には、交通事故で亡くなったって言ってたけど……あれ、嘘なんだよ」
「……」
「俺の親父は警察官で、来島組っていうヤクザの子分に殺されたんだ」
「!」
辰吉くんの渇いた笑いがひびく。ほんとうに、ほんとうにうれしそうな笑い声が。
「親父のカタキがこんな近くにいるとはなあ……ありがとな、遊子、死んでくれ」
○
。
.
「NAAAAAAIN!!! Nein!!! Nein!!! Nein!!!」
なんですの、あの蛇の化け物はッ! やはり悪魔でしたわッ!
「W, wo ist Ausgang? で、出口は、どこに……ッ!?」
Frauクルシマではありませんか。なぜこのアパートに。
「Frauクルシマ! なにを為さっているのですかッ!?」
わたくしが声をかけたにもかかわらず、Frauクルシマは壁に向かってぶつぶつと、なにやらつぶやいていました。わたくしは、追いかけられていないことを確認してから、彼女に話しかけました。
「Frauクルシマ? ここは万魔殿ですわ。早く逃げませんと」
「ちがう……ちがうんだよ……辰吉くん……」
なにをおっしゃっているのですかしら。電話をなさっているようではありませんし。
ともかく、ここから連れ出さなくては。
「Frauクルシマ、とにかく出口を……」
「近寄らないでッ!」
私はびっくりして、うしろに飛び退きました。
Frauクルシマの手には、モデルガンのようなものが。
「S, sei ruhig……どういたしましたの?」
「近寄ると撃つよッ!」
「???」
サバイバルゲームなんかしてる場合じゃありませんわ。
そう思って、一歩近づいた途端――
パーン パリーン
渇いた発砲音と、ガラスの割れる音。
ふりかえると、ガラス窓がみごとに割れていました。
火薬の匂い――わたくしは腰が抜けて、その場にへたりこみました。
「お、お、お、落ち着いてくださいまし」
「うぅ……やっぱり殺せない……辰吉くんのこと殺せないよ……」
懇願する私のまえで、Frauクルシマは顔をおおい、泣き始めました。
「辰吉くん……私、お父さんたちとは絶縁するから……だから赦して……」
Was? ……もしかして、Herrミノベの幻覚を見てらっしゃるのでは?
「Sei ganz ruhig……Herrミノベは、病院にいますわ……ここにはだれも……」
「見ぃつけた」
ずるりと、なにかを引きずるような音――震えながらふりかえると、あの蛇女が、廊下の曲がり角から、こちらをのぞいていました。舌を出して、うれしそうに。
「おやおや、もう一匹獲物がいるじゃないか。今日は大量だねぇ」
蛇女はずるずると尾をくねらせながら、こちらに迫ってきます。
もう私はどうしようもなくなって、悲鳴を上げるしかありませんでした。
「Zum Teufel!!! Gott wird dich besiegen!!! Schau mal!!!!」
「そんな欧米語でしゃべられても分かんないよ」
蛇女は、その長い舌で、ぺろりとくちびるを舐めました。
「さぁて、どちらをさきに食べようかねぇ。迷うねぇ」
○
。
.
「ハァ……今日はひどいめに遭ったニャー」
レオタードがボロボロ。もう着れない。
ナメちゃんのおかげで助かったけど、あの宇宙人、今度会ったらタダじゃ……ん?
なんだか騒がしい。ケンカでもあったのかと思い、声のするほうへ向かった。
「こんな夜中に、なにやって……ああッ!」
まむしのお銀さんが、ふたりの少女をまえに、舌なめずりをしていた。
少女のどちらの顔にも、見覚えがあった。ふたりとも気絶している。
「ニャにやってるんですかッ!」
「おやおや、子猫ちゃん、ちょうどよかった。一緒に食べる?」
「人間を襲っちゃダメって言われてるでしょッ! 大家に怒られますよッ!」
「亀成の婆さんなら、もう寝てるだろう。それに、こいつらが勝手に長屋へ入って来たんだよ。どう料理しようが、わたしたちの勝手じゃないか。どうだい?」
どうだい、じゃニャい。我が輩はふたりを助けるために、立ちはだかった。
「おやおや、邪魔する気かい?」
「このふたりは知り合いだから、絶対に食べちゃダメです」
お銀さんは、怪訝そうな顔をした。我が輩が人間びいきなのを、なじってくる。
「やっぱり猫は猫だね。人間の肩を持つなんて」
「そうじゃなくて、人間は狩っちゃダメなんですってば。禁止されてるでしょ」
「最近、やたら長屋に人間が出入りしてるじゃないか。ああいうのは、きちんと駆除しておくにかぎるよ。ほら、このまえも三人組が来ただろう」
「三人組? ……男子高校生のことですか?」
そうだと、お銀さんは答えた。箕辺たちのことだな……ん?
「お銀さん、もしかして、あの3人になにかしました?」
お銀さんは両手をかかげて、うれしそうに舌をチロチロさせた。
「ああ、もちろんだよ。呪いをかけてやった。そろそろお陀仏する頃だろうさ」
こ・い・つ・が・犯・人・か。
「あれは我が輩が客として呼んだんですよッ! なにやってるんですかッ!」
「え? そうなの?」
「さっさと呪いを解いてくださいッ! 今すぐにッ!」
「何人か死んだところで、どうでもいいじゃないか」
「だから、殺すのは禁止されてるって何度言えば……」
「あんたたち、夜中になに騒いでるんだいッ!」
ぐッ、亀成のばあさん、起きてるじゃニャいか。
ばあさんは杖を振り回して、お銀さんの頭をぽかりとやった。
「人間なんか連れ込んで、ただじゃおかないよッ!」
「いえ、これは、ちょっと味見を……」
「御法度ッ!」
ばあさんは、お銀さんをもういちどポカリとやった。
ニャハハ、いい気味、いい気味……いってッ!
「あんた、また破廉恥な格好してるね。年頃の娘が、なに夜遊びしてるんだい」
「いや、これは変な宇宙人に追いかけ回されて……その……」
「あらまあッ! 窓ガラスが壊れてるじゃないかッ!」
ばあさんのうしろのガラスが、粉々に割れていた。
「おまえさんたちの仕業だね。家賃からさっ引いとくよ」
「えぇッ!? ニャんでそうなるのッ!?」
我が輩、なにも悪いことしてニャいのに、ひどいニャー。




