176手目 いい夢を見ましょう(ポーン・来島ルート)(3)
「Herr Aramaki? Herr Furuya? ...Wo seid ihr?」
Hmm……ふたりとも、どこへ行かれたのですかしら。
廊下を曲がった瞬間に、パッと消えてしまいました。
「Herr Aramaki? Bitte keinen Scherz」
……………………
……………………
…………………
………………
反応がありません。どういたしましょう。 反応がありません。どういたしましょう。普通なら、声が届くはずなのですけれど……このアパート、そとから見たときと比べて、広過ぎるような気がいたします。どれだけ奥に進んでも、さっぱり行き止まりになりません。ぐるぐるしているだけですかしら。
「お嬢さん、そこでなにをしてるんだい?」
突然の呼び声――ふりかえると、ドアがひとつ開いていました。
そのすきまから、真っ赤な着物姿の女性が、こちらをのぞいていました。
「なにをしてるんだい?」
「わ、わたくし、ちょっと道に迷ってしまいまして……」
タバコの匂い――いえ、キセルというやつですかしら。喫煙者ですのね。
目が細くて、黒のロング。平安時代のイメージですわ。
「ここは、ひとの心が迷う場所……逢魔ヶ辻というやつさ」
なにを言ってらっしゃるのですかしら。日本語が分かりません。
「このあたりで、二人組の少年を見かけませんでしたかしら?」
「二人組……三人組なら、見かけたよ」
「3人ではなく、ふたり……He?」
もしかして……当たりというやつではありませんこと?
「いつでしょうか?」
「二日前だよ」
「どんなかたでしたかしら?」
お姉さんは、ふぅと煙を吐いて、
「ひとりは真っ白な髪をしていて、もうひとりは日本人じゃなかったね」
と答えました。Wow……やりました。
わたくしは、3人がこの部屋に来たのですか、とたずねました。
「立ち話もなんだし、お入りよ」
お姉さんは、わたくしを部屋に招き入れました。ちょっと怖かったのですが、女性ですし、勇気を出しておじゃますることにいたしました。
座布団をすすめられたわたくしは、そこに腰をおろしました。よくみると、お姉さんの着ているものは、ずいぶん古いようにみえました。でも、とてもキレイですわね。お姉さんはお茶をすすめてきましたが、わたくしは丁重におことわりいたしました。
お姉さんは、寒がりなのか、コタツに下半身をうずめていました。
「それで、おまえさんは、その三人組を捜しているのかい?」
「……そのひとたちは、このアパートに、なにをしにいらしたのですかしら?」
知らないと、お姉さんは答えました。
「そもそも、話をしたわけじゃないからねぇ……でも、わたし好みだったよ」
「ゴノミ、とおっしゃるのは?」
「三人とも、いい男だったねぇ」
もしかして、ヘンタイさんですかしら。
わたくしがどぎまぎしていると、お姉さんはにやりと笑って、
「もしかして、あのなかに彼氏でもいたのかい?」
とたずねてきました。わたくしは赤くなりました。
「そ、そういうわけでは……」
「初々しいねぇ……はにかまないで、わたしの眼をみてごらん」
「Was?」
顔をあげると、お姉さんは、わたくしをじっと見つめていました。
「愛は心の迷い……逢瀬も逢魔も同じこと……分かるかい?」
「?」
わたくしがきょとんとしていると、ふいに携帯が鳴りました。
「し、失礼致します」
わたくしは廊下に出て、電話をとりました。
「Hello?」
《もしもし? ポーン先輩ですか?》
あら、Herrアラマキですわ。ようやく連絡がとれましたのね。
「どこにいらっしゃるのですか?」
《アパートのそとです。病院から連絡がありました。3人とも目を覚ましたそうです》
「Echt!?」
わたくしは口もとをおさえて、お姉さんにお礼を言ってから、その場をはなれました。出口に向かいながら話を聞くと、3人とも回復にむかっているとのことでした。
「す、すぐに参りますわ」
*** ジャーマン少女、病院へ直行中 ***
「Herrサエキ!」
ドアを開けると、Herrサエキがベッドのうえに。
すでに起き上がって、本を読んでいらっしゃいました。
「ポーンさん、こんばんは」
わたくしはHerrサエキに駆け寄って、思わず抱きしめました。汗の香り。
「Sie sind hier……」
「ポーンさん、ごめんね。心配かけちゃったかな」
わたくしは背中を撫でてもらったあと、身をはなして周囲を確認しました。
「……ほかの方々は、どこへ行かれましたの?」
「みんな、家族と先に帰っちゃったよ」
Hmm……みなさん、冷たいのですね。
「もう熱はないのですかしら?」
「うん、すっかりよくなったよ」
病名をたずねましたが、Herrサエキは知らないようでした。
「ちょっと荷物をかたづけたいから、手伝ってくれないかな?」
「Natürlich」
わたくしたちは荷物を鞄に詰めて、病院を出ました。きれいな夜空に、星がどこまでも広がっていました。時計をみると、すでに夜の9時になっていました。
「Ein bisschen spät……門限を過ぎていますわ」
「ポーンさんは、わざわざ僕のために来てくれたの?」
わたくしは、その質問にドキリといたしました。
「その……みなさんのために……」
「僕ね、寝ているとき、夢を見たんだよ。ポーンさんと一緒にいる夢だった」
わたくしは歩をとめました。
「ど、どのような夢でしたの?」
「うっすらと靄のかかった草原を歩いていたら、うしろから声をかけられたんだ。ポーンさんと僕のあいだには河があって、壊れかけの橋がかかってた。僕はさきに進もうとしたけれど、ポーンさんが真剣に呼び止めるから、引き返したんだよ」
Herrサエキは、いつもより澄んだまなざしで、わたくしの瞳をとらえました。
「目が覚めてから考えたんだ。どうしてポーンさんの夢を見たのかな、って」
「……どうお考えになられましたの?」
「ポーンさんの存在が、僕のなかで特別なものになってたんじゃないかな、って」
わたくしは頭がくらくらして、両手を腰のまえで組みました。
身悶えするほどの感情――まともな思考ができません。
「あの……それは……どういう……」
「こういうことだよ」
Herrサエキはわたくしをいきなり抱き寄せました。
「Herrサエキ……」
「下の名前で呼んで」
「ムネミツ……さま……」
目を閉じ、くちびるとくちびるが近づいたそのとき――
「うッ!」
Herrサエキは、わたくしを突き飛ばして、両手で顔をおおいました。
「ど、どうなされたのですか? やはり治ってらっしゃらないのでは?」
「……ポーンさん、そのペンダントをはずしてくれないかな?」
自分の胸元に目をやると、お母様からもらった十字架が光っていました。
「これは、大切なお守りで……ッ!?」
わたくしは息をとめました。
「どうしたんだい? 早くペンダントをはずしてよ」
「ムネミツさま……いつもかけてらっしゃる十字架は、どちらへ?」
Herrサエキは、指のすきまからこちらをにらみました。
「なんのことだい? ポーンさんは、僕のことが好きじゃないの?」
「……」
「さあ、早くそんなペンダントははずして、僕の口づけを……」
わたくしは十字架をにぎりしめ、相手にかざしました。
「あなた、悪魔ですわねッ!」
「僕は悪魔じゃないよ。佐伯宗三だ」
「いいえッ! これは淫らな夢ですわッ! 神の名のもとにひれ伏しなさいッ!」
パッと周囲が明るくなり、わたくしはアパートの座敷に連れ戻されました。
目の前では、着物姿の女性が、そでで顔をおおっていました。
「チッ……耶蘇教徒め……」
わたくしはすぐに腰をあげて、女から飛び退きました。
「やはり悪魔でしたのねッ!」
「蛇もしゃくしも悪魔呼ばわりとは、感心しないねぇ……ふふふ……」
女はそでをひらいて、顔をあらわにしました。
それを見たわたくしは、腰が抜けかけました。
30センチはあろうかという真っ赤な舌が、女の口から伸びているではありませんか。
ずるりと、コタツのなかから下半身が――蛇の尾が――
○
。
.
すっかり遅くなっちゃった。
葛城くん、内木さんと分かれた私は、ふたたび市内を捜索していた。
暗くなった駒桜の通りを、あちらこちらへと駆け回る。でも、なんの手がかりも得られていない。あの白装束の女は、どこへ行ってしまったのか。組員をこれだけ動員しても見つからないなんて、おかしい。市外に出られたのだろうか。身体検査をしたとき、財布は持っていなかったのに。
私はスマホをとりだして、巴ちゃんに連絡をとった。
《もしもし、お嬢様、こちら草薙です》
「あの女、まだ見つからないの?」
《どこからもそれらしい連絡は入っていませんが……すこし気になる情報が》
「なに?」
《市立の校庭で、なにやらケンカがあったそうです》
関係ないでしょ。私がそう言うと、巴ちゃんは、
《レオタード姿の女が飛び出してきたと、そういう通報があったとか》
と返してきた。私はその場に立ち止まって、あきれかえった。
「なんで早く言わないのッ!?」
《も、もうしわけございません……私も、さきほど連絡を受けたばかりで……》
私はその女の目撃情報を集めるように指示してから、通話を切った。
こうなったら、志摩さんにも応援を頼んで……ん?
路地の奥で、なにやら聞き慣れた声がする。私は路地裏をのぞきこんだ。
ふたりの少年が、コンクリート製の壁によりかかって、ぐったりしていた。
「古谷くんッ! 新巻くんッ!」
私は駆け寄って、ふたりを揺り起こした。すると、新巻くんだけが目を覚ました。
「ん……あれ、来島先輩……?」
「どうしたの? 体調不良?」
私は、辰吉くんの病気が伝染したんじゃないかと心配になった。でも、新巻くんはまったく違う反応を示した。キャット・アイにやられたと言うのだ。私は驚いて、
「キャット・アイが、このあたりにいるの?」
とたずねた。
「ええ、ここでうっかり遭遇して……」
「どこに逃げたか分かる?」
新巻くんは、路地の奥をゆびさした。正確な場所を知っているような口ぶりだ。
「でも、そのまえに兎丸を……」
「さっさと案内せんかいッ!」
「ひいッ!? わ、分かりましたッ!」
新巻くんに案内されたのは――ボロボロの廃アパートだった。
「ここに逃げ込んだの?」
「逃げ込んだって言うか、住んでるんだと思います」
「住んでる……? これ、廃墟でしょ?」
新巻くんは、違うと言った。私は意を決して鉄柵を開け、アパートのなかをのぞいた。
「……やっぱり廃墟じゃん」
「よく見てください。靴とか、いろいろ……あれ?」
新巻くんは、入り口から顔をのぞかせて、びっくりした。玄関には、靴なんてない。朽ちかけた靴箱はあるけど、ちりが溜まっているばかりだった。電球は外れていて、そもそも電気が通っていない様子だ。空家特有のにおいがした。
「そ、そんな馬鹿な……たしかに、だれか住んで……」
新巻くんは、入って確認したと主張した。私は半信半疑になる。
「と、とにかく、警察を呼ばないと話にならないですよ。110番しましょう」
「……新巻くんは、古谷くんと病院に行ってくれる?」
「ええ、もちろんです。来島先輩も一緒に……」
私は、ここで見張っていると言った。新巻くんは反対したけど、危ないことはしないからと言いくるめて、私はその場にとどまる。新巻くんの姿が見えなくなったところで、私は懐からM1911をとりだした。装填を確認し、グリップをにぎりしめる。
玄関へ飛び込んで、壁を背に、左右の廊下を見渡す。
(……やっぱり、ひとは住んでないよね)
まったく生活臭がしない。私は土間から、廊下を一本ずつ奥まで確認した。
引き金を引く準備は、いつでもできている。ここなら発砲してもバレないだろう。
私はあたりを警戒しつつ、床のほこりを確かめた。
(……歩いた形跡がない)
新巻くんの見間違えじゃないのかな。私は拍子抜けした。その瞬間――
カタリ
私は銃を構えたまま、勢いよくふりかえった。
「え……辰吉くん?」




