165手目 呪怨
「箕辺くん?」
「……」
「箕辺くん?」
俺は、重たいまぶたをあげた。声のするほうへ振り向く。
いつものキャラクターフードをかぶった、遊子が立っていた。
心配そうな目で、こちらを見つめている。
「箕辺くん、どうしたの? 顔色が変だよ?」
「ああ……なんだか、頭がぼんやりする」
1限目のあいだ、めまいがしていた。具合が悪い。
遊子は、保健室へ行ったほうがいいんじゃないか、と言った。俺は最初断ったが、遊子がどうしてもと言うし、しゃべっているのすら億劫になってきた。椅子から腰をあげて、頭を押さえながら、教室の出口に向かう。
「大丈夫? ……一緒に行こうね」
「いや……ひとりで……だい……」
遊子の手が肩に触れたとたん、俺は意識を失った。
○
。
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「佐伯主将、大丈夫ですかッ!?」
バタンとドアがひらいて、あわただしく人が飛び込んできた。
新巻くんだった。
「主将、教会で倒れたって聞きましたけどッ!?」
枕元で大声を出す新巻くんを、古谷くんが引き戻した。
「虎向、病人の耳もとで騒いじゃダメだよ」
「あッ……すみません」
僕は、どうにか首を動かして、ふたりの顔を交互に見比べた。
熱のせいか、輪郭がはっきりしない。
「ふたりとも、学校は?」
「もう終わりました」
新巻くんのひとことで、僕は長いあいだ、眠り込んでいたことに気付いた。早朝のミサのとき、気分が悪くなったことだけは覚えている。重たい体を起こそうと、僕はベッドに肘をついた。でも、腕に力が入らない。
いつの間にか着替えたパジャマが、汗でべっとりとしていた。
「ムリしないでください」
古谷くんに諭されて、僕はベッドに倒れ込んだ。
新巻くんは、飲み物を持ってきましょうか、と尋ねた。
僕は、水を頼んだ。新巻くんは、備え付けの洗面台で水を汲むと、僕に差し出した。この段階で、ようやく喉の渇きをおぼえた。
「ふぅ……ありがとう」
「佐伯先輩、ひとつ答えていただきたいことがあるんですが……」
僕は、今度の大会のことか、と聞き返した。古谷くんは、違う、と言った。
「じつは、市立の箕辺会長も、倒れたらしいんです」
「……ほんとう?」
「はい、症状が似ていたので、集団感染なんじゃないかな、と思って、ほかにも連絡をとりました。天堂の捨神先輩も、登校してないらしいです。不破さんが心配してました」
箕辺くん、捨神くん、僕……この面子は……。
「あのとき……移されたのかな……」
「なにか、心当たりがあるんですか?」
僕は、猫山さんのアパートに、3人で立ち寄ったことを伝えようとした。
けれど、それよりもすばやい闇が、僕の視界をおおった。
○
。
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「師匠ッ! 生きてますかッ!」
師匠が休むなんて、ただごとじゃないぞ。
あたしはマンションのドアを開けて、部屋に飛び込んだ。
「師匠、まさか風呂場で転んで……あれ?」
師匠は、ベッドのうえに寝ていた。そして、その枕もとには、自称宇宙人がいた。
自称宇宙人はふりかえると、目に涙を浮かべていた。
「捨神くんが……死んじゃう……」
あたしは、師匠のもとに駆け寄った。色白の肌が、真っ青になっている。
息がとぎれとぎれで、どうみてもヤバい状態だった。
「びょ、病気か?」
「科学治療は、全部試したのに……」
テーブルのうえには、変な薬や機材が大量におかれていた。
あたしは飛瀬の胸ぐらをつかんで、激しくどつく。
「てめぇ、めちゃくちゃなことしてんじゃねぇぞッ! 救急車を呼べッ!」
「地球の医学じゃ治らないよ……」
「アホかッ! こんなときまで宇宙人ごっこするなッ!」
あたしはスマホを取り出すと、速攻で119に電話を入れた。
○
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お兄ちゃんが倒れたッ!?
私は玄関で靴を脱ぎ捨てると、そのまま階段を駆け上がった。
【たつきち】のプレートが吹っ飛ぶ勢いでドアを開ける。
「お兄ちゃんッ!? 大丈夫ッ!?」
……………………
……………………
…………………
………………
あれ? 先客がいる?
お兄ちゃんのベッドのそばに、ピ○チュウフードをかぶった女子高生の姿があった。
制服からして、市立だと分かった。
女子高生は、こちらに顔を向けて、かるく頭を下げた。
「こんにちは……同級生の来島です」
「あ、こんにちは」
私は挨拶もそこそこに、お兄ちゃんのベッドへ駆け寄った。
「お、お兄ちゃん……ッ!」
ものすごく顔色が悪い。額から汗が吹き出て、苦しそうに息をしている。
ただの風邪には見えなかった。
私はクルシマさんに、なにがあったのかを尋ねた。休み時間にいきなり倒れた、という返事だった。私はショックを受けた。
「そ、そんな……」
お兄ちゃん、病気らしい病気なんて、したことがなかったのに。中学生のとき、ズブ濡れになって帰ってきて、風邪を引いたときくらいだ。
私は泣きそうになりながら、お兄ちゃんの名前を呼んだ。でも、反応がない。
「倒れたとき、頭を打ったりは……」
そう尋ねかけて、クルシマさんの横顔を見たとき、私は息を呑んだ。あまりにも切実な表情で、お兄ちゃんのことを見ている。その瞳は、優しい不安に満ちていた。
私は、クルシマさんが、ただの同級生ではないことを悟った。




