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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第16局 香子ちゃん、K戸に降り立つ編(2014年8月25日月曜〜26日火曜)
156/686

144手目 ラベンダー色の萩焼

挿絵(By みてみん)


「これはキツいな」

 松平まつだいらは、髪の毛をくしゃくしゃにする。

「もしかして、先手が一気に悪くなった?」

 私は、使用人さんたちが立っている盤面全体を見渡した。

 先手有利の形勢判断が、間違っていたのかしら。

「4七銀不成が、隠れた好手でしたね。5九飛に連携させるとは」

 淡路あわじさんの言う通りだった。普通なら、4七銀成として、3七の銀を回収するプランを立てたいところだからだ。私と松平も、ずっとその路線で読んでいた。

「8九飛成とされたら、ほぼ死んでるな……7九桂と打つか?」

 松平の提案は、上下を同時に受ける手だった。

咲耶さくやさんの棋風からして、その手は指さないと思います」

 淡路さんは、また違った発想をした。

姫野ひめの先輩っぽいのは、どんな手ですか?」

「玉を引いて受けるのではないでしょうか」

 玉引き? めちゃくちゃ危ないような……。

《9八玉です》


挿絵(By みてみん)


 うわぁ、ほんとに玉引きで受けた。

 これは一目、指したい手がある。

《8八歩》

 そうそう、これよ、これ。

 同玉なら8七歩と叩けるし、同金なら完全に棺桶だ。

 姫野先輩が読んでないことはないと思うけど、心配になってくる。

《同金》

 8七歩の叩きは許容できないから、さすがに棺桶を選択した。

 以下、5六銀成、同金、8七歩、同金、8六歩、7七金まで決めたあと、一之宮さんは5六飛成とした。


挿絵(By みてみん)


「さすがの姫野先輩でも、これは受けないとツライな……ひとまず、8八歩か」

 松平は、5八龍のインパクトを緩和する手を提案した。

「先受けしていけば、まだなんとかなりそうね。後手は歩がないわ」

 歩が1枚でもあれば、どこかで7六歩と打って終わる将棋だ。

《8八歩》

 鬼攻めの姫野先輩も、受けに回った。

駒数こまかずがギリギリですね……5八龍》

 ここで姫野先輩は、右手の人差し指を、顔のまえでピンと立てた。

《時には、正反対の思考をマネてみることも重要です……1八飛》


挿絵(By みてみん)


 じ、自陣飛車ッ!?

吉備きびさん好みのこの一手、どう攻めを繋ぎます?》

 姫野先輩は、一之宮さんを挑発した。

 たしかに、これは吉備さんが指しそうな手だ。

 一之宮さんは、日傘でポンポンと手を叩きながら、にっこりと微笑んだ。

《さすがは咲耶さん、よいご友人をお持ちで……8七金》

 一之宮さんは、金を放り込んだ。同金、同歩成、同玉、5七龍。

《9八玉》


挿絵(By みてみん)


 後手の攻めが切れた。また先手有利に。

「もしかして、先手勝勢か?」

 と松平。淡路さんは、「まだ分かりません」と言った。

「先手は、8六桂一発で詰みます」

 8六桂……でも、後手の持ち駒に桂馬は……あッ!

《2四歩》

 一之宮さんは、2五の桂馬を取りにきた。

《7七金》

 姫野先輩、がっちりガード。

 2五歩、6八銀、4七龍、6七角。

「らしくない手が続くなあ」

 松平、嘆息。

 私も、なんだか別人をみているようで不気味になる。

 吉備さんの霊が降りてきてるとか?

《あまり慣れないことは、なさらないほうがよろしいかと。8六金》


挿絵(By みてみん)


 なに、これ? いかにも駒が足りませんって感じの手なんだけど?

 とりあえず理解できるのは、8五銀を助けたということだ。

 姫野先輩は4六馬と引きつけて、ガチガチにする。

 中盤を過ぎてるのに、男性陣と女性陣が、ほぼ明確に分かれていた。

「この勝負、まだ分かりませんよ。一手差にはしてくると思います」

「ここから一手差って、難しくない?」

華蓮かれんさんは、魔術師と呼ばれる終盤巧者ですから」

 あんまり魔術師連呼してると、某佐伯(さえき)くんが出てくるわよ。

 7七金、同桂、8六桂、8九玉。

《4六龍》

 かなめの龍を切った?

《その手がありましたか……同銀》

《うふふ、攻め将棋の咲耶さんならば、この手は見えておいでなのでは?》

 一之宮さんは、ひと呼吸おいてから、7六銀と出た。

 

挿絵(By みてみん)


 取ったら7八金で詰み。いきなり先手が怪しくなる。

《8一飛》

 姫野先輩は、攻めつつ守る方針に切り替えた。

 6七銀成、同銀、4九角。

 詰めろじゃないっぽいけど、これも厳しい。

「後手玉は、ほぼ無傷だからな。このままだと押し切られるぞ」

 さっきまでの楽観ムードは、どこへやら。

「とは言っても、7九桂〜8六飛成ってしたら勝ち確でしょ?」

《7九桂》

 ほらほら、これで次になにか指したら、8六の桂馬を抜ける。

《7六金》


挿絵(By みてみん)


 うげッ! こんな桂馬の助け方がッ!

 この一之宮さんってひと、かなり変則的な手が得意みたいだ。

《6八銀》

 姫野先輩は、馬を作らせない方針。

 6九角、7八金、同桂成、同銀。

 あらら、8六飛成と抜くヒマがなかった。金桂交換になってしまう。

《3六角成》

 一之宮さん、一時撤退。

「これは受け切ったんじゃない?」

「飛車は渡してもいいから……銀を逃げつつ固めるか?」

 松平の予想通り、姫野先輩は5七銀引とした。銀3枚のお城ができる。

《そこまで連携のよい囲いではありません。7七金です》

 これも続かないような手に見える。

 だけど、同銀右に8五桂で、また繋がってる気がしてくる。

 なんだか不思議な心地のする終盤だ。

《そろそろ決めなければ、逆転されてしまいますか》

 姫野先輩は、ここで少し時間を取った。

《……4八飛ですッ!》


挿絵(By みてみん)


 攻めたッ!

 大柄な男性が4八へ移動した途端、空が晴れ渡った。

 雲の波が、東の空へと消えていく。

 芝生の緑が明るさを取り戻して、花々も輝き始めた。

《その手は……なるほど……》

 一之宮さんは、しばらく盤面をみつめた。

《7七桂不成》

 同銀、7六歩、8六銀、7七銀。

《1五桂ッ!》


挿絵(By みてみん)


 一之宮さんの手がとまる。

《8六銀成、4九飛車、7七歩成は、一手違いですか……》

 その時点で後手玉には、3一角、1二玉(同金には2三金)、2四桂、同銀、2二金、同金、同角成、同玉、2三金までの詰めろが掛かっている。ぴったり。

 一之宮さんは、空を見上げた。太陽が燦々と照って、気温がふたたびあがってくる。

 彼女はフッと微笑んで、パッと日傘をさした。

《長引かせることもできますが、使用人たちに申し訳ありません。投了です》

 姫野先輩の勝ち。拍手ぅ。

《皆様、ありがとうございました。持ち場へお戻りください》

 一之宮さんの指示で、使用人さんたちはお屋敷へ引き払った。

 対局者用のリフトが、地面の穴に収納される。

 私たちは、観客スタンドをおりた。淡路さんも、メイドさんふたりに手伝ってもらう。

「姫野先輩、おめでとうございます」

 とりあえず祝福しておく。

「昨年、攻め急いで失敗した経験が活きました」

 二の轍は踏まないってことか。えらい。

「華蓮様、姫野様、お飲物を」

 セバスチャンさんは、冷えたミネラルウォーターのグラスを差し出した。

「ありがとう、セバスチャン」

 一之宮さんはそれをひとくち含んでから、私たちに声をかける。

「お待たせいたしました。お屋敷のほうへ、案内させていただきます」

 一之宮さんは、建物の入り口にむかう途中でも、いろいろと花の紹介をしてくれた。なかでも一番珍しかったのは、竜舌蘭りゅうぜつらんという、70年に一回しか花の咲かない蘭だった。

「わたくしも、まだ見たことがありません」

 さいですか。70年に一回だと、おばあちゃんになっちゃうかも。

 こうして、花の観賞を終えた私たちは、玄関から入り口のホールへ入る。劇場かなにかのようで、私と松平は唖然とした。美術品も多くて、絵と彫像がちらほらみえた。

「一之宮さん、こんにちは」

 大理石の銅像に寄りかかっていた少年が、私たちのほうへ声をかけた。しっかりと整えられたショートヘアに、青いバンダナを巻いている。なかなかイケメンだ。目元がクールな感じで、声も落ち着いていた。ちょっと甲高いのだけが、気になる。

 少年は白い開襟シャツに紺のズボンという出で立ちで、ずいぶんと軽装だった。

 一之宮さんは日傘をセバスチャンさんに手渡しながら、

「これはこれは、お待たせして、申し訳ございません」

「構わないよ。館内の美術品を見せてもらって、いい暇つぶしになったから」

 少年はそう言ったあとで、風呂敷包みをさしだした。一之宮さんは笑顔になる。

「まあ、いつもありがとうございます」

「注文の品だし、代金はもらってるからね」

 この子、何者? さしいれかと思ったら、商品のようだ。

 実家のお菓子を配達しに来たとか?

 一之宮さんは、その場で風呂敷をといた。小さな木の箱が出てくる。蓋を開けると、湯のみがひとつ現れた。ラベンダー色のざらざらした表面に、雪のような白い釉薬うわぐすりが垂れている。なんだかファンタジーのようなアイテムだ。

「これはまた、美しいものをお造りで」

「今年に入ってから、一番出来がよかったかな」

 ん? もしかして、この子の作品?

 私が首を伸ばしていると、一之宮さんは私たちにも見せてくれた。

「手ざわりも、確かめてください」

 姫野先輩がまず受け取って、いかにもそれらしい形で湯のみを確認した。

「さすがは萩尾はぎおさん、手にしっとりと吸い付くようです」

 次に、私の番。

「……」

「どうですか?」

 どうですか、って言われても――私は、少年の質問に困った。

「ところどころ、釉薬にヒビが入ってるんですね」

「それは貫入かんにゅうと言って、萩焼はぎやきの特徴なんです」

 萩焼?

「Y口のひとですか?」

「ええ、萩尾って言います。高校1年生です」

 リムジンのなかで聞いた名前だ。私も自己紹介をする。

 それから湯のみを、淡路さん、松平の順で回した。

 見聞が終わると、いよいよ宿泊所へ案内されることに。どうやら個室のようだ。

裏見うらみ様でございますね?」

 メイド服を着た女性に声をかけられた。

「あ、はい」

「お部屋まで案内させていただきます」

 姫野先輩と松平も、べつべつの使用人に声をかけられていた。

「では、のちほど」

「またあとでな」

 私はいったん分かれて、2階へと案内される。赤い絨毯の廊下を進むと、一番奥のとびらのまえで止まった。

「こちらでございます」

 メイドさんが鍵を開けて、部屋のなかへ。これまた、洋風ホテルみたいで凄い。テレビに個室シャワーもついていた。メイドさんは私に鍵を預けて、一礼。

「1階に大浴場と遊戯室がございますので、ご自由にお使いください」

 私はお礼を言って、メイドさんを見送った。

 荷物を整理して……どうしましょ。屋外観戦で汗をかいたから、シャワーを浴びたい。でも、さっき、大浴場があるって言ってたわよね。もしかして、温泉?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 とりあえず、入れるものは入っておきましょうか。

 我ながら、貧乏くさいけど、うん。

 私は着替えとタオルを持って、部屋をあとにした。

場所:一之宮邸の花園

先手:姫野 咲耶

後手:一之宮 華蓮

戦型:矢倉


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金

▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △4四歩

▲3七銀 △6四角 ▲6八角 △4三金右 ▲7九玉 △3一玉

▲8八玉 △2二玉 ▲1六歩 △8五歩 ▲2六歩 △7三銀

▲4六銀 △7五歩 ▲同 歩 △4五歩 ▲3七銀 △7五角

▲7六歩 △6四角 ▲4八飛 △7四銀 ▲4六歩 △同 歩

▲1七桂 △8六歩 ▲同 銀 △7三桂 ▲2五桂 △8五銀

▲7五銀 △同 角 ▲同 歩 △4七歩成 ▲同 飛 △5八銀

▲9五角 △8六歩 ▲7三角成 △8七歩成 ▲同 玉 △4七銀不成

▲8二馬 △5九飛 ▲9八玉 △8八歩 ▲同 金 △5六銀成

▲同 金 △8七歩 ▲同 金 △8六歩 ▲7七金 △5六飛成

▲8八歩 △5八龍 ▲1八飛 △8七金 ▲同 金 △同歩成

▲同 玉 △5七龍 ▲9八玉 △2四歩 ▲7七金 △2五歩

▲6八銀 △4七龍 ▲6七角 △8六金 ▲4六馬 △7七金

▲同 桂 △8六桂 ▲8九玉 △4六龍 ▲同 銀 △7六銀

▲8一飛 △6七銀成 ▲同 銀 △4九角 ▲7九桂 △7六金

▲6八銀 △6九角 ▲7八金 △同桂成 ▲同 銀 △3六角成

▲5七銀引 △7七金 ▲同銀右 △8五桂 ▲4八飛 △7七桂不成

▲同 銀 △7六歩 ▲8六銀 △7七銀 ▲1五桂


まで125手で姫野の勝ち

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