122手目 正義の味方はカニカニ銀
「試合のまえに、1分間だけ、相談タイムを設けます」
私たちは、左右に分かれた。
この状況、どう理解すればいいのか……将棋仮面? なに、それ?
テレビに映るのがいやなら、最初から応募しなければいいと思うのだけれど。
ともかく、1ヶ月の初心者に負けたら、ネットでなにを言われるか分からない。
私は気合いを入れ直す。
「作戦は、どうしましょうか?」
「力戦調からのカニカニ銀」
……………………
……………………
…………………
………………
は?
「あの……もういちどお願いします」
「力戦調からのカニカニ銀」
ふざけるな。
「カニカニ銀は却下です」
「10秒将棋なら、攻めたほうが得だ」
「あなた、攻め将棋なんですか?」
将棋仮面は、こくりとうなずいた。
私も攻め将棋だけど……それを確認しなかった=私のファン?
だったら、案外頼りになるか……いや……でも……。
「すみません、棋力を教えていただけますか?」
将棋仮面はスマホを取り出して、うまい具合に24の段位だけ示した。
「ご、5段?」
「そうだ。俺のほうが強い」
単刀直入な実力アピール。きらいじゃない。
「……わかりました。したがいます」
将棋指しの性、自分より格上には頭があがらないの法則。
「それと、もうひとつ……相手が弱いと思うな」
「気を抜くつもりはありません」
「高段者だと思え。いいな?」
なんだかよく分からない念の押されかたをした。私は首を縦にふる。
「はーい、それでは相談タイム終了でーす。両チーム、まえへ」
テーブル席と将棋盤が用意されていた。
チェスクロは、見当たらない。秒読みをするスタッフのひとがいた。
まあ、それはそうよね。ペア将棋だと、チェスクロを押すのはむずかしい。
それにしても、10秒将棋だなんて、初心者じゃなにも……。
「もういちど言う。気を抜くな」
まるで私の心情を見透かしたように、将棋仮面はそうつぶやいた。
「では、じゃんけんで順番を決めてもらいましょう」
せめて振り駒にして欲しかった。私と伊吹さんでじゃんけん。
私がチョキ、伊吹さんがパー。
「はい、レモンちゃんチームが先攻です。レモンちゃん→伊吹ちゃん→将棋仮面→アビコくんの順番で指してください。まずは、着席」
私たちはそれぞれ椅子を引いて、腰をおろした。
向かいに伊吹さん、右隣に将棋仮面、右斜めまえにアビコ少年。
「準備はいいですね? ……それでは、アイドル登竜門、スタート!」
「よろしくお願いします」
私たち4人は、一斉に頭をさげた。
「1、2、3、4……」
最初から秒読みか。6秒からでいいのに。
「2六歩」
居飛車党であることを、まずは将棋仮面に伝える。
さっき相談しなかったのは、うっかりしていた。
「1、2、3、4、5、6、7……」
伊吹さん、いきなりの長考。
「3四歩」
中指で滑らすように、角道をあけた。
将棋仮面は、すぐに2五歩。指し方は、手慣れたものだ。いい音してる。
「3三角でやんす」
アビコくんは、3三角。こっちの手つきもいい。序盤事故は、起こりそうにない。
「7六歩」
「3二銀」
伊吹さんの指し手は、すこし予想外。やっぱり素人か。
4八銀、8四歩、7八金、8五歩、3六歩。
角の頭が丸いから、プレッシャーをかけておく。
8六歩、同歩、同飛。
私は8七歩と収めかけて、ふと手をとめた。
「6、7、8、9」
「2四歩」
仕掛ける。将棋仮面がほんとうに5段なら、この手の意味は分かるはず。
「同歩」
伊吹さんは、すぐに同歩。将棋仮面は期待どおり、持ち歩を手にした。
「2二歩」
そうそうそう、これが決まる。同角は同角成で即死。
アビコくんは、ニヤニヤしながら、扇子で顔をあおいだ。
「やるでやんすねぇ」
パチリと扇子を閉じて、8八飛成。これしかない一手だ。
同銀、2二角、3七銀、4四角。よく分からない角出。パス?
将棋仮面は7七銀。アビコくんは3三桂。
ん? 3三桂? これは……4四角と組み合わせないと、できない手だ。
アビコくんが、伊吹さんのミスをカバーした?
「7、8、9」
ととと、あわてて6六銀。将棋仮面の言うとおり、カニカニ銀をめざす。
ほんとうは、あまりやりたくない。
2五桂、4六銀、1四歩、5六歩、1五歩、5五銀左、2二角。
将棋仮面は、後手の角を押し戻した。
7七桂、7二銀。
さっきから、歩切れを見越したような手を指してくる。
一歩あれば、2六歩でも8二歩でも、いいんだけれど。
将棋仮面は5八玉で、一応居玉を避けた。9五角の流れ弾回避だろう。
「そろそろ盤面が飽和するでやんす……7四歩」
私はここが攻めどきと見て、9秒まで考える。
「6五桂」
「攻めの手……」
伊吹さんはそうつぶやいて、やや前傾姿勢になった。
これは対応できないでしょう。伊吹さん、覚悟。
「7、8、9」
「5四歩」
!? 対応されたッ!?
将棋仮面は、黙って同銀。
「9九角成でやんすよ。こっから、どうするでやんすか?」
アビコくんは、扇子を口もとにあてて、またニヤニヤした。
私は目を合わせないように無視して、盤面に集中する。
「7、8、9」
「8三歩」
持ち駒の高速移動で、スタジオに駒音が鳴り響いた。
同銀なら6三銀成で、桂馬を助けられる。
伊吹さんはひと呼吸おいて、持ち駒をそろえた。
「7、8、9」
「5二香」
ぐッ……取らないのか……これも痛い手だ。
将棋仮面は銀を逃げずに、8二歩成。このあたりは、さすが。
5四香、5三飛、5二歩、5四飛成。
飛車打ちで、駒損を回避する。
「銀が死に体でやんすね……7三桂」
なやましい。同桂成は同銀で、7二とが不発になるから……即座に7二と?
「7、8、9」
「7四龍ッ!」
6五桂なら7二と、同金、同龍だ。
ここで伊吹さんは、持ち駒に手を伸ばして……駒をそろえた。
さっきから神経質ね。角でも打つのかと思った。
「7、8、9」
「6四銀」
これは? ……7二と、同金のあと、7三桂成の強要?
「7、8、9」
「7二と」
将棋仮面の7二とから、同金、7三桂成、同金、8五龍、8四歩、8六龍。
龍が押し戻されてしまった。
伊吹さんは、また持ち駒をさわる。
癖? 郷田プロそっくり……あれ? この癖、どこかで見たような……。
「7、8、9」
「7四金」
伊吹さんは、持ち駒を使わなかった。
8八銀、9八馬、9九香。馬を殺したわよ。
伊吹さんは、眼帯をつけていない左目で、かなり真剣に読んでいた。
「7、8、9」
「8五歩」
7七龍、6五桂、6八龍、7六馬。
なッ!? 脱出されたッ!?
は、8五歩以下の手順は、どうみても偶然じゃない。
この女、何者? 私は思わず、伊吹さんの顔を覗き込んだ。
伊吹さんは、サッと視線を逸らす。
そして、その動作にも見覚えがあった。
「あ、あなた……忌部さん!」
パシーン
私の声をかき消すように、将棋仮面は7七歩と打った。
アビコくんが考えているあいだ、私は伊吹さんの容姿をチェックする。
……まちがいないッ! 忌部さんだッ! N良の県代表ッ!
服装と髪型が全然ちがうから、気づかなかったッ!
「8、9」
「7五馬でやんす」
動揺する私をよそに、対局は進む。
6六歩、8六歩、6七金、8五馬、7六歩、5三歩、6五歩、同銀。
落ちつけ、落ちつけ、内木檸檬。相手が格上でも落ちつく。
「7七桂ッ!」
両取り。忌部さん……伊吹さんは、また持ち駒に手を触れる。
そして、9四馬と逃げた。
6五桂、同金。
私は、王様に指をそえる。
「4八玉」
7六金、同金、同馬が王手になるのを防ぐ。歩切れだから。
「いい手だ」
将棋仮面が、この対局で初めてしゃべった。
5二金、5七金(将棋仮面の手も渋い)、7六金、6五龍、8七金、7四龍。
龍が復帰したッ!
「せ、攻めのコンビネーションが取れてるでやんす。何者でやんすか?」
アビコくんは驚きながら、8八金。これは金がそっぽだ。
「7一龍ッ! 王手ッ!」
伊吹さんはくちびるを結び、眼光鋭くなる。
桂馬を空打ちして、流れるように6一へ据えた。
7四桂、1六歩、同歩、同香、同香。
「まだチャンスはあるでやんすッ! 1九角ッ!」
この和服少年も、かなりの手練だ。初段が嘘なのは分かった。
1八飛、2七銀、1九飛、1八歩。こっちの飛車が死んだ。
私は6二銀と打ち込む。そろそろ寄せないと危ない。
4二玉、6一銀不成、5一金、5二銀成(!)、同玉。
将棋仮面は、7三角と打ち込む。私たち、攻めの相性はバッチリだ。
5二銀成の意図を汲み取ってもらえないかと心配したけど、そんなことはなかった。
6一銀、5一角成、同玉、6二桂成。
「よ、4二玉」
アビコくんは、力なく王様を逃げた。
6一成桂、1九歩成、6二龍、3三玉。
私は背筋をのばし、持ち駒の桂馬を、ストレートに下ろす。
「4五桂」
詰んだ。
伊吹さんは、とてつもなく不満げな表情を一瞬だけみせて、それからにっこり、
「いやあ、負けました」
アイドルスマイルで、投了を告げた。
会場から、拍手が起こる。
司会のひとにも、白熱していたことは伝わったのか、やたら上機嫌だった。
「すごい試合でしたねぇ。さあさあ、4人とも、こちらへ」
私たちは、壇上のまえに並ぶ。
「レモンちゃん、おめでとう。試合の感想は?」
「そうですね……将棋仮面さんが強かったので、助かりました」
「謙虚だねぇ。将棋仮面くんは?」
「楽しかった」
それだけかい。
司会は、伊吹さんのほうへマイクをむけた。
「伊吹ちゃん、惜しかったねぇ」
「さすがに1ヶ月じゃムリでした」
伊吹さんは、てへへと舌を出した。会場から、同情の笑いがもれる。
なにが1ヶ月よ。全国で殴り合ってるレベルなのに。
「いやいや、あっしが変な手を指したのが悪かったでやんす」
司会のひとがマイクをむけるよりも早く、アビコくんは自分の頭を扇子でたたいた。
「おっと、チームメイトをかばう発言。これぞペアマッチという感じだね」
番組が大団円をむかえたところで、私たちはカメラにむかって一礼。
会場から拍手が起こる。
「それでは、また来週! 登竜門のコーナーでした!」
○
。
.
収録を終えた私は、楽屋へともどる。
シンと静まり返った廊下を歩いていると、十字路のところに、人影があった。
私はそのひととすれ違わず、足をとめた。
「さきほどは、ありがとうございました」
将棋仮面は、両腕を組んで、壁にもたれかかった。
「危なかったな」
「ええ、途中で龍を閉じ込められたときは、すこし不利かと思いました」
「そこじゃない」
将棋仮面のひとことに、私は眉をひそめた。
「そこじゃない、というのは?」
「抽選のとき、べつの箱が持ち出されただろう? おかしいと思わなかったのか?」
おかしいとは思った。抽選なら、ひとつの箱を使えばいいからだ。
私はすこし考えて、ハッとなった。
「まさか……出来レースだった?」
将棋仮面は、黙って首をたてにふった。
「伊吹が引いた箱は、全部7番だった。どれを引いても、我孫子が選ばれる寸法だ」
「全部7番? ……あの和服少年、有名なひとなんですか?」
「あいつは、K都の高校府代表だぞ」
二度目の衝撃。
「知らなかったのか?」
「いえ……男子のほうは、チェックが……」
「井の中の蛙だな」
手厳しい意見。私は、くちびるをむすんだ。
「今回は、たまたまペア将棋だから助かった。伊吹と我孫子は、棋風が違うからな。どちらか一方だけなら、おまえは確実に負けていただろう。伊吹も我孫子も、俺のことは舐めていた節がある。あれも影響した」
私は、なにも言えなかった。県代表になったことすらない私には。
「そもそも、アイドルが相手の得意分野で負けにくるわけがない。最初から疑え。今日の対局で負けていたら、おまえのアイドル生命は終わっていたぞ。ネットのさらし者だ」
さんざんお説教した挙句、将棋仮面は、くるりと背をむけた。
私は、あわてて声をかけた。
「あなたは、だれなんですか? どうして私を助けてくれたんですか?」
将棋仮面は、こちらをふりむき、
「俺は、将棋の不正が嫌いなだけだ」
と言って、その場を去った。
将棋仮面……いったい、何者?
場所:関西ローカル局の生放送番組
先手:内木・将棋仮面
後手:夜ノ・我孫子
戦型:カニカニ銀
▲2六歩 △3四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲7六歩 △3二銀
▲4八銀 △8四歩 ▲7八金 △8五歩 ▲3六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲2四歩 △同 歩 ▲2二歩 △8八飛成
▲同 銀 △2二角 ▲3七銀 △4四角 ▲7七銀 △3三桂
▲6六銀 △2五桂 ▲4六銀 △1四歩 ▲5六歩 △1五歩
▲5五銀左 △2二角 ▲7七桂 △7二銀 ▲5八玉 △7四歩
▲6五桂 △5四歩 ▲同 銀 △9九角成 ▲8三歩 △5二香
▲8二歩成 △5四香 ▲5三飛 △5二歩 ▲5四飛成 △7三桂
▲7四龍 △6四銀 ▲7二と △同 金 ▲7三桂成 △同 金
▲8五龍 △8四歩 ▲8六龍 △7四金 ▲8八銀 △9八馬
▲9九香 △8五歩 ▲7七龍 △6五桂 ▲6八龍 △7六馬
▲7七歩 △7五馬 ▲6六歩 △8六歩 ▲6七金 △8五馬
▲7六歩 △5三歩 ▲6五歩 △同 銀 ▲7七桂 △9四馬
▲6五桂 △同 金 ▲4八玉 △5二金 ▲5七金 △7六金
▲6五龍 △8七金 ▲7四龍 △8八金 ▲7一龍 △6一桂
▲7四桂 △1六歩 ▲同 歩 △同 香 ▲同 香 △1九角
▲1八飛 △2七銀 ▲1九飛 △1八歩 ▲6二銀 △4二玉
▲6一銀不成△5一金 ▲5二銀成 △同 玉 ▲7三角 △6一銀
▲5一角成 △同 玉 ▲6二桂成 △4二玉 ▲6一成桂 △1九歩成
▲6二龍 △3三玉 ▲4五桂
まで117手で内木・将棋仮面ペアの勝ち




