99手目 恋愛にまつわる7つの対話(裏見香子の場合)
※ここからは、香子ちゃん視点です。
カリカリ……
教室内に、鉛筆の音だけが木霊する。
カリカリ……
あともう少し。
「はい、そこまで」
私はため息をついて、鉛筆をおいた。
「じゃあ、うしろから回収して」
担任の指示に合わせて、うしろから答案用紙が回ってきた。
私は自分の分を付け加えて、まえに送る。
んー、最後の問題、もうちょっとだったんだけど。
「よし、休憩。再開は1時からだ。間違えるなよ」
椅子を引く音。私は答えが合っていたかどうか、となりの子に質問した。
「ごめん、あたし、そこまでいってない」
だぁ、これじゃダメだ。だれか、数学の得意なひとに……ん?
肩を叩かれた。振り返ると、松平が立っていた。
「裏見、最後の問題、解けたか?」
「あとすこしだったんだけど、途中解答になっちゃった」
「そっか……2√2だと思うんだが……」
松平は一応、解けたのか。私は、問題を思い出してみた。
「……あ、そんな数字になりそうな感じだったわ」
「お、マジか? 合ってるかもしれないな」
松平、意外(?)に数学が得意なのよね。私も得意科目。
将棋指しは算数とか数学が得意なひとが多いって聞くけど、どうなのかしら。
羽生名人も、学生時代の得意科目は、数学だと答えていた。
ともあれ、私たちはお昼ご飯にする。食堂へ移動した。
腹が減ってはいくさができぬ、ってね。
3年生は模試で早く終わったから、ずいぶんと空いていた。
私は駒桜ランチを、松平はキツネうどんを注文した。
なんか、私のほうが大食いみたいで、ヤな感じ。
「裏見は、前回の模試の判定、どうだった?」
「オールA」
「マジか……俺は第一志望がBだった」
べつに、凄くはないんだけどね。もともと高望みしていないから。
帝大や古都大を受ける予定もない。安全圏のところばかり。
「松平も、関東にするの?」
「そこは、悩んでるんだよなあ。就職は関西でしたい」
「じゃあ、関西の大学に行ったほうがよくない?」
大学のネームバリューって、関西と関東で、結構違うと聞く。
「だって、裏見が関東に行くって言うから……」
私のせいかいッ!
「ストーカーみたいなこと、言わないでよ」
「遠距離恋愛はイヤだッ!」
付き合ってもないがな。いい加減にしてください。
「裏見、俺のどこがダメなんだ? 教えてくれたら矯正するぞ」
「まず、がっついてるところがダメ」
「……はい」
まったく、そこでしょげかえるなら、もうちょっと考えて行動しなさいよ。
「どうして私に対してだけ、態度が変になるわけ?」
「え……そんなつもりはないんだが……」
自覚なしかい。他の女子の評判だと、松平は「クールなイケメン」らしい。
どこがよ? ちゃらんぽらんじゃない。小学生がそのまま高校生になったレベル……と思いきや、たしかに行動を観察していると、女子とはあまりしゃべらないし、男子とつるむときも、おかしなことは言っていない。要するに、私限定で変なのだ。
「普段通りにしていればいいのよ、普段通りに」
「裏見、おまえ、俺のこと観察してるのか?」
「……」
私がムスッとすると、さすがに松平も空気を読んだらしい。話題を変えた。
「ところで、団体戦、優勝の芽があるんじゃないか?」
「そうね……思ったよりは、健闘してる感じ」
普通に藤女がダントツだと思ってたら、いい意味で肩透かし。まず、藤女が初戦で清心を引いたこと。あれが大きかった。対策不能だもの。次に、来島さんの勝利。馬下さんが負けたときは、さすがにチームも負けたと思っていた。信頼重要。
「団体戦で優勝したら、県大会も出るのか?」
「んー、出たいのはやまやまだけど、夏休みなのよねぇ……」
さすがに受験勉強が優先だ。オールA判定でも、それは変わらない。
「じゃあ、囃子原グループ主催のイベントも出ないのか?」
「え? なにそれ?」
松平は、ジャビスコ将棋祭りの閉会式を思い出させてくれた。
「ああ……そんなこと言ってたわね……ほんとにあるの?」
「工事が遅れてるって話は、聞いてないからな」
でもねぇ……8月どころか、秋になりそうな話だった。ますますムリ。
そう告げた私に対して、松平は「いや、そんなことはない」と言った。
「囃子原グループ主催だぞ? 将来、就職に有利かもしれない」
ん……なるほど、全国に傘下の企業を持つ囃子原グループなら、ありうる。
「そうね……コネ作りは重要かも。松平、かしこいわね」
「だろ?」
ただ、私が誘われるかどうかは、全然分からない。そんな通知、受け取ってないもの。
それに、将棋イベントというだけで、どんな内容かは分からないのだ。ジャビスコみたいにガチな将棋大会なのか、もっとお祭り的なものなのかも、さっぱり。
「ま、とりあえず目の前の団体戦を頑張りましょう」
「そうだな……」
松平は水を飲んで、すこしため息をついた。
「どうしたの? 悩み事?」
「いや……悩み事ってわけじゃないんだが……」
松平はそう言って、箕辺くんのことを持ち出した。
「あいつ、最近元気がないんだよなあ」
食事や遊びに誘っても、おざなりらしい。んー、指摘されてみると、そうかも。
運営に、なにか問題があったとか……でも、心当たりがないわね。このまえ、葛城くんが泣いてさわぎになったけど、あれはチームが負けたからだろうし、関係ないと思う。
「まあ、あいつの悪いうわさは訊かないから、五月病かもな」
「そうね。小テストに名前を書き忘れたとか、そんなことでしょ」
「それはさすがにネタとして小さ過ぎ……あッ」
松平は、いきなり固まった。
「どうしたの?」
「数学の答案、名前書き忘れた……」
あのさぁ……オチがついたところで、通常のチャイムが鳴った。
2年生以下も、ぞろぞろと食堂に入って来る。
松平は、あとで職員室に行くと言って、しょんぼり箸を運んだ。
さてと、そろそろ教室にもどって準備……。
「裏見先輩、松平先輩……」「うわぁッ!?」
びっくりして振り返ると、飛瀬さんが立っていた。
「ど、どうしたの?」
「オーダーで、ひとつ相談が……」
「オーダーなら、部長の来島さんと相談してちょうだい」
「遊子ちゃん……今週部室に来てないんですよね……」
え? マジで? 部長なのに、けしからん。運動部なら、怒られるところだ。
「というわけで、先輩方の協力をあおぎたいと思います……」
飛瀬さんは許可も取らず、私のとなりに座った。そして、ノートをひらいた。
ふむ……こんな感じだったわね。
「まず、両者フルオーダーの場合は……」
福留vs林家 裏見vs高崎 飛瀬vs春日川 馬下vsポーン 来島vs鞘谷
「こうです……勝敗の予想は、●???●……」
2敗3ガチか……って、ちょっと待ちなさいよ。
「私のところは、ハテナなの?」
「さすがに受験勉強中なので……」
んー、納得がいかないわね。3連勝ですよ、3連勝。相手が微妙なのは認めるけど。
松平もむずかしい顔をして、ノートをみた。
「部室は最近ご無沙汰だから、なんとも言えないが……これでもよくないか?」
「重要な局面だと思うんですが……そこを2敗3ガチですか……?」
「だって、どうズラすんだ? 1番席を裏見とか?」
飛瀬さんは、ページを一枚めくった。
「そういうこともあろうかと……一応考えておきました……」
裏見vs林家 飛瀬vs高崎 葉山vs春日川 馬下vsポーン 来島vs鞘谷
松平は、やっぱりな、という顔をした。
「これでも??●?●だろ。負け確の位置が変わってるだけだ」
なるほど、それっぽいわね。ひとつだけ気になることと言えば……。
「来島さんのところは、もうちょっとポジティブにみてもいいんじゃない?」
葛城くんに勝ったんだから、サーヤには、なおさら勝てそう。
「このまえのは、葛城くんの頓死に見えたんですが……」
頓死だろうがなんだろうか、勝てばいいのよ、勝てば。そもそも、相手に頓死させることができたら、そこまで差はないと考えていい。飛瀬さんの伸び代も凄かったけど、来島さんのそれもなかなかだ。だれに教わったのか、謎が多い。
松平はフームと息をついて、大きく背伸びをした。
「こういう場合は、個々人のモチベーションの問題だ。だれがどいつと当たりたいか、それを訊いてまわったほうがいいぜ。とりあえず、裏見はどうなんだ?」
「そうね……」
私はじっくりと、オーダー表を見比べた。
「林家さん、高崎さん、春日川さんって、実力的には、どういう順番なの?」
「春日川さん、林家さん、高崎さんの順だと思います……」
「それは、だれの評価? 飛瀬さん自身?」
「捨神くんの評価です……」
そっか、じゃあ間違いないわね。
「つまり、私が1年生の2番手に当たるか、3番手に当たるかの問題ね」
逆に言えば、飛瀬さんを1番手に当てるか、3番手に当てるかの問題でもある。
「飛瀬さんからすれば、春日川さんよりも高崎さんのほうが、やりやすいでしょ?」
「裏見先輩の勝率を下げて、私の勝率を上げるなら、たしかに……」
こらこら、私の勝率を下げてもらっちゃ困ります。
「べつに、私は構わないわよ。下級生に負担をかけるつもりはないわ」
強気に言った途端、松平が割り込んできた。
「待て待て、裏見は初見に弱いから、くせのある林家はやめたほうがいいぞ」
「え? どういうタイプ?」
「なんでも穴熊にしてくる居飛車党だ」
なるほど、矢倉→穴熊、角換わり→穴熊、対振り→穴熊か。
「それなら大丈夫よ。横歩にならないんでしょ?」
「ただ……私が春日川さんに勝てるかというと、微妙なわけで……」
飛瀬さんは、自信なしか。謙虚でもあるし、弱気でもある。こういう団体戦では、「私に任せてください!」くらいの気迫が欲しい。実際に当てるかどうかは、ともかく。
「4、5番席は馬下さんと来島さんのペアでずらせないし、これにしない?」
飛瀬さんは、こくりとうなずいた。
「そうですね……ご相談、ありがとうございました……」
飛瀬さんは時計を確認した。そして、席を立った。
「もう1時を過ぎてるんで……失礼します……」
そうそう、お昼ご飯でも食べてくださいな。
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…………………
………………
ん? 1時過ぎ?




