98手目 恋愛にまつわる7つの対話(正力安奈の場合)
※ここからは、正力さん視点です。
こんにちは。私の名前は正力安奈。16歳の高校一年生よ。よろしく。
みんなは、楽しい学校生活を送っているかしら? 青春は一度きりしかないけど、あんまりハメを外さないようにしなくっちゃね。特に、思春期のお年頃は、道を踏み外しやすいから、ご用心。私は、七日市の風紀委員なんて渾名がついてるけど、べつにとやかく言うつもりはないの。人間だれでも、恋のひとつやふたつ、するものだから。私だって、幼馴染の並木くんに……ううん、これ以上は、秘密。ただ、恋をするにあたっては、身だしなみとか、いろいろ気を遣わなきゃいけないでしょ。お肌のお手入れも、そう。
「というわけで、今日はスキンケアの話をしたいんだけど、どうかしら?」
あら、楓さん、なにかご不満でも。
「単刀直入に『足がくさいから悩んでる』って言えよなぁ」
「……なんのことかしら?」
「H島県の将棋関係者は、全員知ってます! いまさら隠さなくてもいいですよ!」
青來さんは、あいかわらず声が大きいのね。ここは喫茶店。
口を縫うわよ。
「ハッ! 殺気を感じます!」
「もうちょっと、言い方はないの? 匂いのケアとか」
「言い方を変えたら解決するって問題じゃねぇだろ」
それも、そうなのよね。困ったわ。
「とりあえず、ブーツを履くのやめたらどうなんだ?」
楓さんは、私の黒い革ブーツを小突いた。
「これは私のトレードマークよ」
「ブーツで蒸らしてたら、本末転倒だろうが。シューズにしろ、シューズに」
「……サイドが低いと、匂いが漏れるのよ」
言わせないでちょうだい。
「蒸れる→臭う→ブーツで締め付ける→蒸れる→臭う! まさに悪循環ですね!」
「汗かき体質だから、しょうがないわよね」
黒い革手袋をしているのだって、手汗が凄いせい。
小学生の頃、並木くんと手を繋いで歩いたとき、べとべとになったのがトラウマ。
今では、ファッションでもあるけど。
「つーか、多汗症ってメンタルの問題じゃないのか?」
楓さんは、ポケットからスティック付きの飴玉を取り出して、口にくわえた。
「そうとも限らないわ。いろいろあるのよ」
ホルモンバランスとか、生活習慣とか。
「ただ、並木くんのまえでは、ちょっとひどくなる気がするわね」
「やっぱりメンタルじゃないですか!」
ドキドキするのがよくないのかしら? でも、ドキドキしちゃう。
楓さんは、大きくため息をついた。
「並木のどこがいいんだ? マジで平凡凡々だろ」
「顔はそこそこですけどね! キャラが薄いんですよ! キャラが!」
「青來さんが濃過ぎるのよ」
「どこが濃いんですか! 私は普通の女子高生です!」
将棋が強い時点で、普通の女子高生じゃないでしょ。まったく。
まあ、それを言い出したら、この場に普通の女子高生はいないわけだけど。
「並木くんのよさが分からないとか、あなたたちも見る目がないわね」
並木くんは、ほんとに優しくて、ほんとにマジメなひと。
私の理想の男性。ちょっとおっちょこちょいで、ひ弱なところもある。でも、それをマイナス要素に数え入れるのは、ジェンダーの偏見よ。私が補ってあげるわ。
「いや、べつに悪くは言わないけどな……で、話をどこに持って行きたいんだ?」
そうね……どうしましょうかしら。私は悩んだ。
「例えば、の話なんだけど」
「あたしと青來のまえで、いちいち遠慮しなくていいぞ」
言っちゃっていいのかしら。すこし、はばかられる。
「例えば……並木くんが匂いフェチってことはないかしら?」
私の意見に、ふたりはぽかんとなった。
「可能性はゼロじゃないと思うんだけど?」
体臭に嫌悪感がないなら、問題は解決。
「宇宙人がいる可能性も、ゼロじゃないよなぁ?」
「私が羽生名人に勝つ可能性も、ゼロじゃないですよ!」
それはゼロだと思う。
「足フェチは聞いたことあるけど、足の臭いフェチはないだろ」
「そう言い切れる?」
「じゃあ、今度並木に会ったとき、ブーツ脱いで鼻面に突きつけてみろよ」
イヤな顔された瞬間、死ななきゃいけなくなるじゃない……。
そもそも、好きな男の子の顔面に足を突き出すとか、破廉恥過ぎるでしょう。
どこからそういう発想が出てくるのかしら。
「んで、安奈はどういう対策してるわけ?」
「まず、ソックスは一日2回変えるようにしているわ」
「ま、マジか……大変だな……」
「それから、お風呂では除菌石鹸で足を洗うのよ。指のあいだも、きちんとね。爪は毎日お手入れしてるし、水虫対策もばっちり。それから、踵なんかのピーリングをして、重曹浴もして……」
いろいろやってるわけよ。完璧ね。
「それでくさいって、どういうことなんですか!?」
私が教えて欲しいわよ。
「遺伝じゃないのか?」
「パパとママは、べつにそんなことないわよ」
「んー、じゃあ、やっぱりメンタルか? 安奈は、神経質過ぎるんだよ」
そんなことはない。私がそう言うと、楓さんは反論してきた。
「いーや、絶対神経質だ。もうちょっとおおらかに生きろよ。酒を飲むとか、煙草を吸うとか、試してみればいいだろ」
「あのね……それは法律違反でしょ」
飲酒喫煙してる高校生のほうが、よっぽど少ない。
ただでさえ、若者のアルコール離れ、煙草離れが進んでいるのに。
「ストレス発散しましょう! スポーツとか、しないんですか!?」
「水泳なら、毎月してるわよ」
足も洗えて一石二鳥よね。え? 違う?
「水泳やってんのか」
「えぇ、子供のころから……楓さんと青來さんは、なにかやってないの?」
「あたしはべつに」
「私はテニスしてます!」
うるさそうなテニスね。炎の妖精みたい。
「とにかく、打つ手は打ってあるんだから、諦めろ、な?」
楓さんは、他人事だと思っているのか、話を切り上げようとした。
「まだ打つ手はあります!」
なにかしら。私は期待して尋ねた。
「ギャップ萌えですよ! 足がくさい美女! これで……むごぉ!」
私は青來さんに猿ぐつわを噛ませて、観葉植物のうしろに押し込んだ。
「さてと……ところで、駒桜は、団体戦の最中?」
「明日が二日目だな。七日市もか?」
「七日市市は、明日が初日よ。まだ始まっていないわ」
団体戦の結果は、H県全体で有効。でも、いつやるかは自由。各ブロックの代表が県大会に出場するから、その県大会の締め切りまえに終わればOK。今年度で言えば、7月6日まで。だけど普通は、5月に終えちゃうのよね。7月に団体戦なんて、学業に支障が出る。こういう分野は、だいたい慣行。日曜日に開催するって決まりもない。
「どうせ七日市高校だろ?」
「勝負は水物……でも、自信はあるわ」
「いいよなあ、うちは個人戦以外さっぱりだぜ」
「楓さんは、個人戦のほうが好きなんじゃないの? まえ、そう言ってたわよね」
「今は師匠と一緒だからな。すこしは恩返ししたいぜ」
あら、めずらしい発言ね。
楓さんには、義理も人情もないと思っていたのに。すこし見直さないといけないわ。
「天堂は、どんな感じ?」
「全敗」
だけど2−3なんだ、と楓さんは付け加えた。
要するに、捨神先輩と楓さんが全勝ってことね。
「このまえのジャビスコは、チェスクロもらえたし、またああいうイベントないのかね」
「イベントなら、今年は日日杯女王戦があるでしょ」
「あれは『県代表限定』だろう。あたしは出られないよ」
楓さんはそう言って、悔しそうな表情を浮かべた。彼女の最高成績は、県大会準優勝。ギリギリ届かないのよね。
ただ、出場権がなくても楽しみにしてる子、結構いると思う。
私はそのひとり。中四国地方最大の将棋イベントだもの。
「素子さんの応援くらい、行ったほうがよくない?」
「なんであいつの応援しなきゃいけないんだよ……まあ、観には行くけどな」
ツンデレね。
「だれが優勝すると思う?」
私は質問に対して、楓さんは真剣に悩み始めた。
「んー……認めたくないけど、素子な気がするな」
「そうかしら。他県にも、かなり強いのがいると思うのだけれど」
「そりゃいるけどさ……実力が分かんないだろ?」
そうなのよね……他県の強豪とは、実際に指す機会が少ない。県代表にもならないで、そういうシチュエーションが現れることは、滅多にないから。私が他県の県代表と指した機会は、ゼロ。残念ながら、市代表止まりじゃお呼びが掛からないのよ。
「楓さんは、他県の県代表と、指したことある?」
「あるね」
「だれと?」
楓さんは、思い出すように天井を仰いだ。飴が喉に詰まるわよ。
「……萌だけかな」
「Y口県の萩尾さん?」
そうだよ、と楓さんはうなずき返した。
萩尾萌さんとか……なかなかの強豪ね。
「結果は?」
楓さんは、チッと舌打ちした。
「負けたよ」
「そう……残念ね」
「Y口県も、下の代表は弱いんだが、萌だけはなあ」
そう言えちゃうところが、楓さんのすごいところよね。
でも、どうやって棋力を判定しているのかしら。棋譜? ネット将棋?
よく考えてみると、ネット将棋でたまたま出会ってる可能性もある。
私だって、どこかの県代表と指しているのかも。夢が広がる。
「四国勢については、なにか情報ないのかしら?」
「全然」
四国勢は、謎が多い。距離的には関東より近いのだけれど、むしろ関東の選手のほうが有名だったりする。瀬戸内海に挟まれてるのって、案外に大きいのよね。言葉も違うし、K川やT島は、どちらかと言うと関西、つまり大阪寄り。中国地方の隣って意識がないんじゃないかしら。E媛の将棋連盟は、Y口とぎりぎり交流があるみたい。
「四国で一番強いひとって、だれ?」
「……K知の吉良じゃないか?」
吉良……吉良義伸くんか。たしかに、有名人だ。失念していた。
「女子は?」
「さあな。名前しか聞いたことないぜ」
楓さんは、何人か名前をあげた。知ってるひとも知らないひともいた。
そう言えば、駒桜の裏見先輩が四国遠征したっていう噂、ほんとかしら?
今度、話を聞いてみたいわね。将棋指しは引かれ合うから、面識あるかも。
「ところで、今日呼び出してしまった私が言うのもなんだけど、明日は大丈夫?」
ここはH市。私は電車一本。楓さんはバス。
「大丈夫。当たりは分かってるからな。予習も完璧だ」
当たりが分かってる? ……どういう状況なのかしら?
オーダーは、ずらせるから、普通は分からないのだけれど。
「ああ、当て馬ってこと?」
「いや、当て馬ってレベルじゃないな。でも、分かってるからいい」
??? 楓さんに中堅以上を当てるのって、損だと思う。
固定して動かせなくなってるのかしら。オーダーミスね。
「……っと言っても、もう6時か。そろそろ帰ろうぜ」
そうね。早めに寝ましょう。
私たちはショッピングの荷物をまとめて、個別に会計を済ませた。
路面電車に揺られて、駅前に到着する。
「じゃ、またな」
「帰り道に気をつけてね」
さてと、明日はどこと当たるのかしら。楽しみ。
……………………
……………………
…………………
………………
なにか忘れているような気がする。
私は荷物をチェックした。全部ある。
気のせいだったみたい。それじゃ、またお会いしましょう。




