88手目 3回戦 飛瀬〔駒桜市立〕vs獅子戸〔升風〕
マジメに指してるわね。どれどれ。
【先手:飛瀬カンナ 後手:獅子戸譲二】
横歩か……解説役のつじーんは、帰っちゃったみたいだし……。
「裏見先輩、ずいぶんと熱心に観てますね」
「うわッ!」
振り返ると、駒込くんが立っていた。
姉弟そろってステルス移動するなと言うに。
「ちゃんと見回りしなさいよ」
「対局を見回ってるんです」
ああ、こいつは……姉の遺伝子を完璧に受け継いでいる。
ま、ちょうど良かったし、解説を頼みましょう。駒込くんが部室で横歩を指してたの、私はちゃんと覚えてるんだからね。
「これって、どっちがいいの?」
「んー、そうですね……」
駒込くんはあごに手を添えて、しばらく読みを入れた。部室の片付けとか適当なのに、こういうときだけ真剣なのね。将棋部だから、あんまり文句言えないけど。
「んー、先手いいんじゃないですか」
「え? ほんと?」
これは飛瀬さん、勝ってくれるかもしれない。がんばれ。
ここが負けると、どうにもならないのよ。
「次は2一飛成?」
「2三飛成として、一回銀に当てません? 金がないから弾けませんよ」
ふむふむ、2三飛成、4二銀みたいな展開かしら?
飛瀬さんは、自分の読みを確認するようにうなずいて、2三飛成とした。
チェスクロを押すと、今度は獅子戸くんが悩み始める。
「4二銀よね?」
「どうでしょうか……それは、あんまり考えたくないです。1六角じゃないですか」
1六角……金当たりか。4八金、4二銀で、3四桂を防いでる?
1六角、3三龍、3八角成って、ないのかしら? 先手は左が広い。
「どっかでマズったな……」
獅子戸くんも、自分のほうが悪いと思っているようだ。
飛瀬さん、強くなったわね。あとは着地の問題。ここが一番難しい。将棋は、対局時間の99%が優勢でも、最後の1分、最後の10秒で形勢が逆転してしまうゲーム。プロでも逆転勝ちがころころ起きるくらいだ。
結局、獅子戸くんは1六角と置いて、チェスクロを押した。
「金を逃げる? それとも、無視して3三龍?」
「さすがに逃げると思いますよ。取らせるメリットがないですから」
「4八金なら4二銀でしょ? 角を打たれただけ損じゃない?」
それを許すんだったら、最初から2一飛成とでもしておけばいい。
「4二銀には2六龍がありますよ」
【参考図】
「これで3四角と引くようじゃ、後手勝てないんじゃないかと」
むむ、なるほど……これは明らかにマズい。
「ですから、1六角打つかどうか、ちょっと微妙だと思ってたんですけどね。これはもう2八と、3三龍、3八とくらいまでは順当路線かと」
ふーむ、駒込くん、個人戦のベスト8に残っていただけあって、読みが鋭い。
駒桜市立に来てくれて、助かったわ。
言い方は悪いけど、飼い殺し状態になっている。
「だとすると、3八との次を考えてるのかしら?」
「最初の分岐は、3八とに同金、同角成とするか、それとも他の手を指すかですよね」
「取らないんじゃないの? お手伝いだし」
「そうですね……3二龍と王手をかけるか、あるいは……」
パシリ
逃げたわね。2八と、3三龍、3八とまでは、ノータイムで進んだ。
「ここで3二龍?」
こういう王手って、振り飛とかだと悪手になりやすい。
「さっきから読んでるのは、2二龍です」
2二龍……ひとつ右にずらして王手か。
「4二香で?」
「そこで2七銀を見たいんです。角を逃げたら、と金を消せます」
私は頭のなかで盤面を追って、納得した。
「角を逃げる手はないわね。同角成、同龍、4八と、同玉だわ」
「4八の部分は、ちょっと怪しいです。2八角成もあるかと」
……あるかしら? よく分からない。
「同龍、同と?」
「龍は逃げたいですね。飛車を渡すと危ないので」
私たちが議論するあいだも、局面は進んだ。
2二龍、4二香、2七銀、同角成、同龍、2八角成。
「2一龍……」
これは……あんまり先手がよくなってる気がしない。
獅子戸くんは4八とと取って、同玉、3九銀、5八玉、3八馬。
「だんだん危なくなってきた……」
と飛瀬さん。ほんとよ。大丈夫?
4五桂、4八銀成、6八玉。
「形勢は?」
私は、駒込くんに尋ねた。
「まだ先手がいいです。壁銀じゃないのはおっきいですよ」
そうかなあ? 4七馬とか、モロにイヤなんだけど。
獅子戸くんも、さっきより背筋が伸びてきた。腕組みして、盤面を睨んでいる。
この子、見た目が結構怖いわね。目つきが鋭いし、髪型が派手。
「……4七馬」
これが銀当たり。3五銀と逃げられないのよね。5七飛成がある。
パッと見で2四角が見えるけど、同飛、同龍、4六馬が気になる。
(※図は裏見さんの脳内イメージです。)
これはさすがに後手がもどしてるでしょ。
かと言って、1三角で紐を付けるのも冴えない感じ。
「正念場か……」
飛瀬さんは、本腰を入れて読み始めた。私も考える。5七の地点をムリヤリ受けるとしたら、5六桂もあるのか。でも、受けてるだけって感じなのは否めない。
受けるだけなら、むしろ6六銀とか? 王様の逃げ道を広げている。
「6六銀って、ある?」
「あると思います。4六馬と抜かれたところで、3三桂成に賭けますか」
【参考図】
この局面を、どう見るか。
「……後手に意外と手がないかもしれません」
駒込くんは、先手持ちに傾き始めた。
「5八成銀、同玉、4七金でごり押しは?」
「それは相当深く読まないと、なんとも……4七金に、6九玉と下がって、5七金、4二成桂、同玉の瞬間は、なりかありそうです。例えば、2二龍、3二歩、3三角、5二玉、3二龍、4二銀……際どいかな」
そこで5五歩と奇抜に止めるのは、ありそう。後手はどのみち3三銀とできない。
「さっきは適当に言ったけど、5八成銀に7七玉もあるんじゃないの?」
「んー、それもありそうですね」
形勢判断が、曖昧模糊としてきた。ちょっと不安になる。
「4七金に6八玉もありそうですね。5七金なら7七玉と逃げて、次の手がない」
「その場合は、5七金じゃなくて5七馬じゃない? 5七馬、同銀、同飛成か、5七馬、7七玉、6六馬のどっちかで。後者は、6六同歩と同玉の二択かしら」
「5七馬、同銀、同飛成のとき、7九玉と逃げるんでしょうか?」
「7七玉でも、そこそこ耐えてると思うわよ」
相手の王様を寄せ始めたとき、流れ弾に当たる可能性は若干ある。例えば、どこかで角を渡した場合、6六角から詰む虞も。桂馬を渡してからの8五桂も怖い。
「あ、いえ、耐えるかどうかよりも、王手が即座に掛からないのが重要ですね」
「なんで?」
「4二成桂、同玉、2四角の筋が、常にあるので」
【参考図】
なるほど、これがあるなら、5七龍はそんなによくない。
「ってことは、4七金のごり押しが成立してないとか?」
「7七玉が安全っていうのは納得いかないんですけど……それでも先手持ちかな」
ギャラリーは、先手有利で落ち着いた。当事者がどう捉えているか。
飛瀬さんの持ち時間は、5分を切っている。
「……6六銀」
4六馬、3三桂成。
ここで獅子戸くんが長考返し。
「5八成銀」
それでも行きますか。まあ、他に手もなさそうだし。
飛瀬さんは無表情に同玉。逃げなかった。
「2四飛」
え? 飛車をぶつけた?
「これは?」
「ちょっと待ってください。読み直します」
駒込くんはそう言って、ふたたび考え始めた。
飛車をぶつけるなら、成銀を捨てる必要なかったと思うんだけど。
「ああ……うん、なるほど」
「なにか分かった?」
「成銀を捨てた理由は分かりました。ここから即座に同龍、同馬、4二成桂、同金、2一飛として詰めろ馬取りを掛けられたときに、2八飛の反撃を用意してますね」
【参考図】
「これが王手で、一瞬3八香、同飛成、4八金の中合いがチラつくんですが、同飛成とせずにいきなり5七馬と捨てて、同銀、2一飛成の飛車抜きがあります」
ほほぉ、これはひねって来ましたね、獅子戸くん。
成銀を捨てたのは、2八飛を王手にするためだ。
「ってことは、2四龍とはできないわね」
「先に4二成桂だと思います。これを同金とはできないので、同玉の一手。そこでどう引きずり出すか、という問題に集約されそうです」
飛瀬さん、同龍って取っちゃダメよ。4二成桂、4二成桂。
ピッ
ぐわッ! 飛瀬さんが1分将棋になっちゃった。
「読み切れない……」
読み切ろうとしないで、広く浅く読むのよ。優勢なときのテクニック。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
よしよしよし。
「そっちかぁ」
獅子戸くんは、前髪をかきあげて、椅子にもたれかかる。
これは同龍をかなり期待してましたね。間違いない。
ピッ
獅子戸くんも1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同玉ッ!」
当然の取り方。問題は、この次。
うまく寄せないと2八飛成から一気に逆転しちゃう。
「なにか捨てて引っ張り出すしかない気がします」
と駒込くん。
「3三角とか?」
「リーチを考えると銀より角ですか……ただ、渡すと先手も相当怖いような……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
銀で節約した。
獅子戸くんは、ここで迷った。
「逃げれるか……?」
打たれたときに手を出しそうになったから、角を予想してたんだと思う。
だけど、これもノータイムで同玉でしょ。逃げたら2四銀で将棋が終わる。
「同玉ッ!」
飛瀬さんは59秒まで読んで、2五桂と打った。
「ふむふむ、これはいい感じですね」
駒込くんは、感心したようにつぶやいた。
2五桂は、この局面なら私にも見える。
獅子戸くんは、いやあ、と呻いてから4四玉。
「5五角」
「4五玉」
「4六角」
「6九銀」
あからさまな入玉方針。
「止められるかな……」
冷静に考えれば、止められる。秒読みでパニック禁止。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同玉」
「4六玉」
ここで決め手がある。飛瀬さん、気付いて。
「これで寄ってるよね……5五角……」
獅子戸くんは大きくため息を吐いて、4七玉と入った。
「4九銀」
5八角、同銀、3八玉、2八金、3九玉。
即詰みはなかったっぽい?
「2四龍……」
「負けました」
獅子戸くん、投了。飛瀬さん、やるぅ。
「ふぅん、飛瀬さんって、結構強いんですね」
駒込くんの上から目線なコメント、いただきました。
「素直に4七金としとけばよかったです」
獅子戸くんは、がっかりする暇もなく、すぐに口をひらいた。
「4七金は読んでたんだけど……どうなのかな……」
「本譜よりはマシでしょう」
獅子戸くんは、ぶっきらぼうに感想戦を始めた。
まあ、この投了図はぶっきらぼうになるわ。
とりま、盤面がもどされた。
獅子戸くんは、すぐに4七金と打った。
「6九玉かな……」
5八銀、7九玉、5七金、同銀、同馬、8八玉。
「危ないと言えば危ないか……5八銀で王様が馬筋に入っちゃう……」
「5七金に一本4二成桂は入れとくんじゃない?」
私の質問に、ふたりは顔を上げた。
「そうですね……入れない理由もとくにないか……」
飛瀬さんはうなずいて4二成桂。獅子戸くんは同玉。
「これ、先手が詰めろじゃないなら、飛瀬先輩の勝ちなんじゃないの?」
駒込くんは、同学年の獅子戸くんに、ため口で話しかけた。
「マジか? どうやって?」
「3一銀、5二玉、8三角が詰めろだよね」
3一銀……なるほど、たしかに詰めろだ。
「ってことは、先手が詰めろになってなきゃ俺の負けか……」
「詰めろ逃れの詰めろがない限りね」
詰むとしたら、6七金よね。
「6七金、8八玉、7八金、同玉……あ、詰んでる……」
詰んでるかしら? ……あらら、詰んでるわ。
「6九銀不成、7七玉、6八馬、同玉、7八金、6七玉、5八飛成までだね」
駒込くんが解答を口走った。
「ほらな、だからこっちのほうが良かったんだよ」
そんなの選択しなきゃ意味ないでしょ。まったく。感想戦弁慶ですか。
「でも、6七金に6八歩と受けたら詰まないかも……?」
「……詰まないっぽいな」
と獅子戸くん。
そうね。これは詰まないわ。一番危ないのは6九銀成、同玉、5八飛成、7九玉、6八馬以下の頓死筋。でも、6九銀成に8八玉と逃げておけば、7八金、同玉、6八馬、8八玉で詰まない。そのときに7七金が最後のお願いかな。同桂なら7九馬、9八玉、5八飛成で詰み。同銀と取って、7九馬、9八玉、5八飛成、8八香が正解手順。
あと注意しないといけないのは、6八金、同金、同馬、同玉、6七金、7九玉、6九銀成、同玉、5八飛成、7九玉、7八龍の頓死。6八同馬には冷静に8八玉とする。これなら7八馬、同玉、6七金、8八玉として詰まない。
「これでダメか。どっちにせよ俺の負けですね」
獅子戸くん、諦めるの早いのね。団体戦なんだから、もっと粘らないと。
とはいえ、先手玉はもう詰まないし、後手が切れ模様なのは事実だった。
「それでもこっちだなぁ、頓死あるんだぜ」
「相手のミス期待なら、5八成銀〜2四飛も相当だよ。うっかり同飛としたくなるから」
そうそう、あの2四飛、なかなかお見事な罠だったわよ。
引っかからなかった飛瀬さんを褒めたほうがいいくらい。
「そうは言ってもなぁ……」
そのときだった。うしろの対局席から、叫び声が聞こえた。
な、なに? ケンカ?
場所:2015年度春季団体戦 3回戦
先手:飛瀬 カンナ
後手:獅子戸 譲二
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛
▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩 △5二玉 ▲5八玉 △2三銀
▲3八金 △1四歩 ▲4八銀 △1五歩 ▲3六歩 △8八角成
▲同 銀 △3三桂 ▲7七銀 △5一金 ▲2八飛 △6二銀
▲3七銀 △2四銀 ▲4六銀 △1六歩 ▲同 歩 △同 香
▲同 香 △1五歩 ▲同 香 △1七歩 ▲3五香 △1九角
▲2六飛 △1八歩成 ▲3七桂 △4二金寄 ▲3三香成 △同 金
▲6六角 △6四飛 ▲5五角 △5四飛 ▲3三角成 △同 銀
▲2三飛成 △1六角 ▲4八金 △2八と ▲3三龍 △3八と
▲2二龍 △4二香 ▲2七銀 △同角成 ▲同 龍 △2八角成
▲2一龍 △4八と ▲同 玉 △3九銀 ▲5八玉 △3八馬
▲4五桂 △4八銀成 ▲6八玉 △4七馬 ▲6六銀 △4六馬
▲3三桂成 △5八成銀 ▲同 玉 △2四飛 ▲4二成桂 △同 玉
▲3三銀 △同 玉 ▲2五桂 △4四玉 ▲5五角 △4五玉
▲4六角 △6九銀 ▲同 玉 △4六玉 ▲5五角 △4七玉
▲4九銀 △5八角 ▲同 銀 △3八玉 ▲2八金 △3九玉
▲2四龍
まで109手で飛瀬の勝ち




