第8話
朝早く、昇ってくる太陽が、連なる丘の稜線に僅かに顔を覗かせ、夜の闇が幾らか白みはじめる。
さらにもう少しすると、気の早い小鳥たちが騒ぎ始めて、その頃には、オネット副伯爵家の城館、その一階南側東端にある、使用人部屋の大きな窓にかけられたカーテンの隙間からも、微かに朝の日差しが差し込みはじめていた。
部屋のなかは板張りで簡素なつくりではあったけれど、クローゼット、箪笥、床に敷かれてあるラグ、ローテーブルにソファー、ソファーにはクッションと、調度品は一通りそろっていたし、南側にはガラスの入った大きな窓があって、居心地は良さそうだった。
そして、その部屋の、ソファーやローテーブルなどがあるのとは逆側の壁面に頭の部分をくっつけるようにして、木製の無骨な作りながらも大きめのベッドが三つ、カーテンで仕切られ、平行に並べるようにして置いてあった。それぞれに女性が眠っている。
ベッドの主のひとりは黒髪の女性である。
整ってはいるが、あまり高くない鼻、大きくない口。
それらが面長であるせいで落ち着きを感じさせる、滑らかな白い肌でなる顔に、バランスよくくっついている。寝姿も乱れることなく仰向けに寝ていて、思慮深く控えめな彼女の性質をあらわすようだった。
名前をマリエルという。
オネット副伯爵家のセカンド・キッチンメイドである。
ふたつめのベッドに眠るのは、蜂蜜色の髪をした女性。
マリエルとは逆に顎があまり発達していないせいで、どこか子供っぽい印象を与える顔の娘で、今は閉じられている瞼を開けば、そこには宝玉の様に輝く翡翠色をした、とても大きな瞳があらわれる。その大きな瞳も、小柄な体格とあいまって、また彼女の幼げな印象を強めることになっているのだけれど、毛布にしがみつくようにしながらも、体を捻って、脚で上掛けを跳ね飛ばしているというアクロバティックな寝姿は、自由奔放な彼女の性質を表わしているようでもある。
名前はハニエラといって、オネット副伯爵家のスカラリー・メイド、つまり皿洗いを中心としたキッチンまわりの雑用係をしている。
そして最後、みっつめのベッドに眠るのが、クロイムツェルトである。
彼女は横向きに眠る習慣があったので、枕の下に腕を差し込むようにして眠っている。
その横顔の、額の丸み、鼻梁の完璧なライン。一点の曇りも疵もない、ともすると非現実的なまでに滑らかな肌、艶めいて輝く黒髪。
その寝顔は、人形めいて見えるほどに整って美しく、ある種の不自然さすら感じさせる。
さらに数分が経ち、窓のカーテン越しに差し込む光がもう少し強くなった頃、クロイムツェルトの脳髄の奥、右脳と左脳をつなぐ脳梁の上に貼り付くようにして設けられたセントラルコンピューターが目覚まし用のアラームを彼女の脳内に鳴り響かせた。
起床の時間である。
クロイムツェルトは、ぱっちりと目を開き、すぐに身を起こしベッドから出た。
部屋の隅の洗面台のところに行き、昨日の夜から汲み置きしてある水で、顔を洗って歯を磨く。
クロイムツェルトの顔の皮膚からから出る皮脂、垢などの老廃物や、埃などのゴミ、口内の歯垢なども、彼女の皮膚や口内に配置されてあるナノマシンが回収しエネルギーとして再利用するようになっているため、洗顔や歯磨きは、彼女にとってあまり意味のない行為ではあったが、同僚たちの目もあるし、気分の問題としてクロイムツェルトは毎朝、洗顔も歯磨きもするのだった。
洗顔と歯磨きを終えたクロイムツェルトは、クローゼットから下着とお仕着せを取り出す。
ベッドの中に戻り、カーテンを閉め、寝間着を脱いで下着を着ける。靴下を穿いて、ペチコートを着け、午前用の灰色のドレスを被り、半長靴を履いてこれまた午前用の大きい方のエプロンを付け、キャップを頭に着ける。
ベッドから出て、クローゼットのところまでいき、その扉についている姿見で、服装を点検し一分の隙もないことを確認する。
クロイムツェルトは姿見にうつる自分の姿に、深い感動を覚えた。
そう、彼女は念願かなってついにメイドになったのである。
クロイムツェルトが旅行者としてオネット副伯爵家を訪れたその日の夜。
招待された晩餐の席上で、自分をメイドとして雇ってくれるようにリオンとシャンテに申し入れ、その願いは聞き届けられた。
クロイムツェルトはオネット副伯爵家のメイドになったのである。
そして働き始めて、はや三ヶ月。
クロイムツェルトは毎朝、このクローゼットの扉の姿見の前で、ブーツ、ドレス、エプロン、結い上げた髪、キャップ、と自分の服装を点検するが、そのときに感ずる喜びは、未だに薄れることがない。
なんといっても彼女はメイドになったのだ。
最後に姿見の前でくるりと回転し、身支度のチェックを完璧に終えたところで、おはよ~ぅ、とでもいうような間延びした挨拶の声とともにマリエルが目を覚ました。いつも通りのタイミングである。
「おはようございます」
と明確にかっちりと発音して挨拶を返してから、ハニエラのベッドに歩み寄り、カーテンを開けて声をかけ、ゆすり起こす。
んぁ? というような声をあげて、ハニエラが薄目を開いた。
「朝ですよ。起きてください」
「んんー……おふぁょぉ~」
半分眠っているようなハニエラの挨拶にも、おはようございます、と折り目正しくきっちりと疲労も眠気もかけらも感じさせない挨拶を返す。
そもそもクロイムツェルトは、大きくて富裕な船団の指揮官でもあった。
だから、例えば、交易航路をわたっているときに、どこかの海賊艦隊や敵対する勢力にあとを付けられて、狙われるということもままあった。そして『無限に広がる大宇宙』とよくいうように、宇宙は広いのである。
したがって交易航路も長く、その道程は月単位に及ぶこともある。
そうするとその間ずっと襲撃に備えなければならないのである。
そして宇宙における戦闘というのは、たとえ秒単位であっても意思決定の遅れがあれば大きな損害につながる可能性がある。
だからクロイムツェルトも比較的安全な宙域以外では、脳味噌を部分睡眠でローテーションしながらずっと起きていて戦闘に備えているのが常だった。
ちなみにクロイムツェルトの連続断眠記録はジーヴスによれば、68日7時間28分である。
さらに、比較的安全な宙域にいるときに、いったん眠ったとしても、何らかの緊急事態になった場合、事態に対処すべくたたき起こされた船団指揮官が、寝ぼけていては話にならない。
それで、クロイムツェルトの体は、寝起きに人為的なホルモンバランスの調整などが行われるように強化されており、本人が起きる気になりさえすれば、目を覚ましたその瞬間から、完全覚醒で動けるようになっている。
クロイムツェルトのような、強化された人間の日常というものは、そのようなものであったから、そんな生活に比べるなら、例えば、オネット家のお屋敷で前日に夜遅くまでパーティーなどがあって、そのために、多くの肉体労働と残業があって睡眠時間がかなり削られたとしても、クロイムツェルトは全く肉体疲労も感じないし、睡眠不足にもならない。
その上に脳内目覚ましアラームを組み合わせれば、彼女には、次の日に寝過ごすなどということはあり得ないのだった。
むしろ、完全な睡眠が毎日数時間はとれるんだからラクよねえ、とクロイムツェルトは思っていたりする。
それで、クロイムツェルトが、前日にどれほどの激務があろうと、どれほど睡眠時間が少なかろうと、毎朝いつでも決まった時間に、疲れた様子もなく、すっきりしゃっきり元気溌剌で目覚めるものだから、クロイムツェルトとは逆に、かなり寝起きの悪いハニエラは、先輩特権で、自分を朝起こしてくれるようにクロイムツェルトに頼んだのだった。
そんなわけで、クロイムツェルトは、あと五分とか何とか言いながら、うにゅうにゅと寝床で駄々をこねていたハニエラがようやく身を起こしてのびをして、完全に起きたのを確認すると、自分のベッドのほうに戻り、ベッドの下から、掃除道具を収めた手提げのボックスを取り出して片手に持つと、先に行きます。と挨拶をして部屋を出た。
◆
部屋から出たクロイムツェルトは、使用人たちが通常使うようになっている、屋敷の裏手の勝手口のほうにまわり、その途中で掃除用具入れから、箒にちりとり、体ごと覆うような大きめ厚手のエプロンと膝パッド、バケツそれにブラシを取り出す。
さて、建物の周囲をくるりと半周して、クロイムツェルトがやってきたのは階段のある、お屋敷の正面玄関である。
クロイムツェルトは周囲をぐるりと見回して、それから大きく息を吸い込む。
もう六月も終わりかかっているので、空気は冷たくない。
微かに石炭や薪を燃したようなにおい、草花、動物など、様々なものが発する自然の香りが入り混じった、ナチュラルな空気が胸腔に流れ込んでくる。
敷地内に引き込まれた小川のたてるせせらぎの音、水辺に植えられた野趣を残しながらも計算された植栽、その花粉目当てに、そこらを飛び交う蜜蜂の類。
クロイムツェルトは、そのあまりの美しさに一瞬呆然となる。
クロイムツェルトの趣味、あるいは仕事のひとつは、園内の生物相も含めた造園のデザインであり、また、船団内に諸々とある公園やら庭園やらの生物相の監視や管理もクロイムツェルトの仕事のひとつである。
だが、いま目の前にあるような大きな規模の庭園を宇宙船などの閉鎖系の人工環境に再現するのは結構難しい。
外部から手を入れることなく、自律的に維持するのが難しいのだ。ごく短期間だけならそれほどでもないが、長期間にわたって維持するのは難しい。
突然カビが蔓延したり、特定の虫が大繁殖したりしてしまい、生態系のバランスが崩れてしまうことが多い。
そうなると、膨大な数の菌類や虫なども含めた生物種のリストから、必要な働きをするもの種を導入するか、あるいは薬剤散布などの、いわば外科的な手法で対処することになる。
そうやって、常に対処し続ければ、山、川、湖、森林や自然公園などの、船団内に擬似的に設けられた自然環境であっても維持していくことはできるし、実際にもそうやって不断の手入れによって維持されているのだが、しかし、それでは、管理者たるクロイムツェルトが手を離した瞬間に環境が崩れてしまう。
単に閉鎖空間内の空間容積の規模が不足しているから安定性が生まれないのか、何か導入すべき重要な菌類でも取りこぼしているからなのか、この科学技術全盛の時代にあっても結論はでていない。
それはともあれ、庭園を3分ほど眺めまわしたあと、クロイムツェルトはエプロンの上に、さらに作業用のエプロンを付け、掃除ボックスから、布と磨き粉を取り出してドアの取っ手やノッカーなどを磨き始める。
それが済むと、布をしまい、箒とちりとりで玄関を掃く。
それから、近くの水場からバケツに水を汲み、玄関前やその階段に少しずつ撒くようにしながら、今度は膝当てを付けて、掌で持つようなブラシを取り出して、それで跪くようにして磨く。
この玄関の掃除にはなぜかデッキブラシというものが使われないのである。
つまり、柄付きのブラシが使われないわけで、だから、床を磨くときはこういうふうに這いつくばらなければならない。
そのうち船団のほうで作って送らせようかとも思うけれど、自分の世界のもの安易に何でも持ち込んでしまうと、この世界の貴重な雰囲気を壊してしまう気もするので悩ましいところだった。
とまれ、クロイムツェルトは、シャカシャカシャカと小気味よい音を立てながら、床や階段を磨いていく。
この仕事は、まだ水や風の冷たい冬や春先には結構つらい作業で、だからクロイムツェルトがメイドとしてこの屋敷に入ったときに最初に回ってきた仕事でもある。
まあ一般的にはつらい作業とされるが、クロイムツェルトとしては、
(なんかこういう手作業って『本物のメイド』ってカンジよね!)
と悦に入っていた。
クロイムツェルトは何人もメイドを雇っていたが、彼女のいた世界のような自動機械全盛の場所では、そもそもメイドが“必要か”という視点でみれば、それはぶっちゃけ必要ではないのだった。
あらゆる家事も、人間の日常の世話も、家庭用ロボットなどの自動機械でできるのに、本物の、人間のメイドを雇うということは、それはやはり、一種のロールプレイの要素が強いのである。
だから純粋に労働力として必要とされている、今のクロイムツェルトの状況は、本来、家事使用人であるところのメイドに、より一層近いだろうというわけだ。
(ねえ、見て! ジーヴス、私ってば今まさにメイドをしているわ!)
クロイムツェルトは、大げさにいうなら自己実現を成し遂げたことに対する歓喜の声を、内心でジーヴスにぶつけ、常には無表情な顔面に、喜悦の表情を微かに浮かべながら、玄関前の石の床をブラシでこすり続ける。
歓喜の声をぶつけられたジーヴスは、
(左様でございますか)と、極めて素っ気なく答えた。
◆
朝。クロイムツェルトがご機嫌で、屋敷の表玄関の床や階段を磨いていた時間から、さらに数時間が経ったころ。
家族での朝食が終わり、子供たちが家庭教師やら乳母役のメイドやらに引き取られた後、シャンテとリオンの夫婦は、食堂のテーブルに居残って紅茶のおかわりを飲みながら、テーブルの前に立っている、執事、家政婦、コックの三人と打ち合わせをしていた。
執事というのは屋敷の使用人全体のトップであり、直接には男性使用人を統括する。
次に、家政婦というのは、現代日本でいうところの、いわゆる『家政婦さん』の意味ではなくて、女性使用人の統括者、すなわちメイドたちのトップであることを意味する。別の言い方をすればメイド長である。
そして、コックは、そのまんまキッチンの責任者で、ちなみに、前にでてきたパーストンのことである。
屋敷内にいる使用人は、この三人のいずれかの指揮下には入る。
だから、リオンとシャンテの夫婦は、毎朝の朝食の後に一日の予定を、この三人に伝えるようにしていた。他の使用人達には、この三人から連絡がいくようになっている。
予定の連絡が終わり、失礼いたします、と執事が代表して言い、三人が一礼して踵を返そうとしたときに、
「ねえ、モリー。クロイムツェルトの様子はどうかしら?」
と飲み終わった紅茶のカップをもてあそびながら、シャンテが聞いた。
モリーというのは家政婦の名前である。
唐突に話しかけられたモリーは、後ろを向きかけた、恰幅のよいおかみさん、というイメージの、量感のある体をテーブルのほうへ戻した。
厳格な印象を与える、黒い地味なドレスにつつみ、腰には小さなエプロンを付け、ナイトキャップのような白いキャップを頭に付けている。
こちらへ向き直るときに、ちゃりちゃりと音をたてる、腰に付けた金色の鍵束は、家政婦としての権威の象徴でもある。
「……私にお聞きにならなくても、もうご存じなんでしょうに」
モリーは、奥様ではあるが、見た目的にはふわふわとして娘めいたところのあるシャンテをじろりと、咎めるように見ながら言った。
「そうかしら?」
「そうですよ。奥様のその得意げなお顔を見ればすぐに分かりますとも」
「そ、そんなことはないわよ」
シャンテは頬に手を当てながら言ったが、確かにその顔には隠しきれない喜色が浮かんでいる。
モリーはその様子を呆れたように見ていたが、咳払いを一つして言葉をつなぐ。
「そうですね。彼女はとても良い娘です。覚えが良く、やる気があり、すばらしく勤勉で、有能です。それに、とても体力がある」
「まあ、そこまで褒めるの!」
「私は奥様と違ってかわいい娘を、贔屓にはしませんが、かといって、偏って見たりもしません」
モリーは、嬉しそうに声をあげたシャンテをもう一度じろりと見てから言った。
「私だって、贔屓したりはしないわ……でもでもクロイムちゃんはいい娘だったでしょう?」
「そう、ですね、奥様。貴族の娘さんなんぞにメイドが勤まるものかと思いましたが、彼女の場合は勤まっているどころか拾いものです」
「そうでしょ。そうでしょ! 他のメイドの娘たちからも評判いいもの」
「かといって非常にかわいい娘であるからという理由で雇ったのはどうかと思います」
「べ、別に顔“だけ”で選んだわけじゃないもの、そう事情よ、事情があったのよ。家出だか何だか知らないけど、あんな可愛らしい、世間知らずそうなお嬢様を放り出すわけにはいかないわ!」
「それはもうお聞きしましたが、“家出中の世間知らずなお嬢様”というのは、一般的にメイドには向かないと思いますよ」
「あう……でも、でも、本人がメイドをやりたいって言うんだからいいじゃない!」
そこまで聞いて、やっぱりモリーに聞かなくても、クロイムツェルトがどんな様子かは分かってたんじゃないか、とリオンは思ったが、口に出していうような性格ではなかったので黙って聞いていると、モリーが、
「……普通はメイドというものは、働く場所によって忙しい時間帯というものが、それぞれ決まっているものです。そうして、そのなかで体力をやりくりしてやっているのですが――」
と、唐突にそう話しだした。
「――例えばおもには掃除をするハウス・メイドなら、朝早くから働き始めて、午前中いっぱいは忙しいかわりに、午後はある程度ゆっくりしていて、仕事も他の担当に比べれば早めに終われます。
キッチンのメイドなら、朝早く起きて食事の支度をしなければならないし、夕食が終わってからも、あと片づけをする必要がありますから、寝るのも遅くなりますが、そのかわり食事の支度や片付けの時間以外は多少の暇があります
洗濯場の担当のメイドは、時間配分が自分の自由になりますから、好きなように割り振って、一日の分の仕事を終わらせるようになっていますが……クロイムツェルトはその全部に顔を出すのです」
「全部、って?」シャンテが問い返す。
「あの娘は……そうですね。早朝からハウス・メイドとして普通に仕事をして、夕方に仕事が終わったら、洗濯場のほうに現れて、そっちを手伝い、洗濯場が終わったらキッチンに顔を出して、皿洗いに片付けやら翌日の仕込みなんかを夜遅くまで手伝って、というようなことをしているようです」
モリーが言葉を切ると、
「……そういや、ハニエラのやつが、なんか色々と手伝ってもらったりしてましたな」
パーストンも口を挟む。
「そういえば、わたしもボーイのエリックがナイフ磨きやら、靴磨きやらをクロイムツェルトに手伝わせてたのを見ましたな。もちろんエリックを叱りつけて、すぐに止めさせましたが」
と執事のエドガーまで言いだす。
「そ、それはちょっと働き過ぎなんじゃないかしら?」
「ええ、奥様。そのうえ子供部屋にもやってきて、リュシーから仕事を取っていくこともあるようで……」
「それは、一種の苛めがあってそうなっているのかな?」執事のエドガーが問う。
「メイドたちに聞いた限りではそんな雰囲気は無いようだったわ」
モリーはエドガーのほうに向きなおって言う。
「本人はどう言ってるんだね?」とリオンが問うと、モリーは奥歯にものが挟まったような表情をして言った。
「なんでも、小さなころからメイドになりたくてなりたくて仕方がなかったんだから、これでいいんだとか……」
◆
そのように、朝食後の会話の、話題の中心になっていたクロイムツェルトは、昼食のあとの昼休憩でキッチンに遊びに行き、昼食後の皿洗いをしていたハニエラから仕事を下請けでもらっていた。
クロイムツェルトは、屠殺されてぐったりとした鶏を抱えている。
今日マリエルがくれた仕事は鶏の羽根をむしることなのである。
鶏の羽根をむしれとか言われて、内心ではかなり腰が引けているクロイムツェルトだったが、
(戦場で人間を何十万人と殺したこの私が、鶏の羽根をむしるくらいどうということないはずだわっ!)
と、事実ではあれ、わりと不謹慎な鼓舞を、自分に言い聞かせ、顔にはいつもの無表情を貼り付けて、見た感じでは景気よくばっさばっさと羽根をむしっていた。
クロイムツェルトがこの世界にトリップしてくることになった、作戦行動で、彼女は12万隻にもおよぶ大艦隊を完全に破壊している。
敵艦隊には、人員が沢山必要な大型の戦艦もあれば、無人艦もあったけれども、平均して一隻あたり5人乗組員があるとすれば、それだけでもう60万人になる。
ちょっと驚くべき数で、宇宙時代における戦争の罪深さを端的に表す数字でもある。
とそこへ、
「クロイムちゃん! レイラお嬢様見なかった!?」
と言いながら慌てた様子で、メイドのリュシーが飛び込んでくる。
「いいえ、見ていないわ」
クロイムツェルトはそう答えながらも、その瞬間には屋敷上空に隠蔽待機している駆逐艦戦隊から、情報を集め始める。
地上監視カメラのデーターから、屋敷を中心に半径5kmで、円形の範囲で昨日の夜から今までの映像データーをコピーして補助脳にダウンロードする。
「最後にお屋敷内で見たのはいつ?」と聞くと、
「3、40分くらい前よ」と泣きそうな顔で返事が帰ってきたので、直近3、40分のデーターのみ残して、他は棄て、手すきの下位意識を200ほど動員して分析をかける。
すると、数秒で屋敷の側の植え込みの陰に隠れているレイラお嬢様を見つけた。すぐに光学迷彩で隠蔽した偵察球を飛ばして監視をつける。
「わかったわ。私のほうでも探してみるわ」とクロイムツェルトが白々しく言うと、リュシーは「ありがとう! ほんと助かるわ!」と言うなりキッチンを飛び出していった。
「クロイムちゃんってレイラお嬢様を探すのが上手いもんねー」
ハニエラが皿を洗いながら言うと、
「そうよね、毎回、誰よりも早く見つけるわよね。何かコツでもあるの?」
マリエルも南瓜の種をスプーンでのんびりとこそげとりながら言った。
クロイムツェルトが客として、この屋敷に来た最初の日にも、屋敷を抜け出していたように、レイラお嬢様はいまだに、大人の目を盗んで、頻々と屋敷を抜け出す。
彼女は元の乳母だったマーヤをまだあきらめてはいないのだった。
そしてそのたびに、クロイムツェルトが見つけ出している。
それで、お嬢様を探すコツでもあるのと言われても、科学の力です、とか言っても理解してもらえないだろうし、困ってしまうクロイムツェルトは、困ったあげく、口から出まかせ的に、
「……愛の力ですかね」
と言ってしまったけれど、それは無いわー的な、可哀想な子を見る目で二人にみられたので、またひとつ恥を増やしてしまったなあと思いながら、
「じゃあ、先にちょっと探してきます」
と言い、これ幸いと羽根をむしりかけの鶏をマリエルに戻すと、逃げるようにしてキッチンを出たのだった。




