56話 同じに見えて違う色
真夏の午後、街路樹の影がアスファルトにくっきりと落ちている。
沙羅の新しいネイルサロンはオープンを数日後に控え、準備に追われていた。店内には新品の机や椅子が並び、ガラスの棚にはまだ並べきれないカラーボトルが段ボールに詰まったまま積まれている。
「ここ、もう少し下げられる?」
「了解」
壁際にしゃがみ込んでいたノノがドライバーを回し、棚板を調整する。彼は沙羅から正式に依頼を受け、この数日サロンの内装を手伝っていた。木工の腕を買われ、什器や小物の棚を一式引き受けているのだ。
棚を叩いて具合を確かめ、ノノは立ち上がった。
「これで大丈夫だと思う。多少重いもの置いても平気なはずだ」
「ありがとう。やっぱりお願いして正解だったわ。ノノくんがいなかったら間に合わなかった」
「仕事だからな。まあ、こういうのは嫌いじゃないけど」
ノノは肩をすくめて笑った。腕やTシャツには木屑がついていて、それが彼の手仕事の証のように見えた。
沙羅はグラスのように透き通ったネイルポリッシュのボトルを棚に並べ始める。
「見て、この色。夏の新作なんだけど、透明感があって涼しげでしょ?」
「……正直、俺には全部同じに見えるけど」
「もう! 男の人ってそう言うのよね」
沙羅は苦笑し、ボトルを光にかざして「ほら、よく見るとラメの粒が違うの」と説明する。ノノは「ふーん」と相槌を打ちながら、次の棚板を支えた。
「それにしても、リリカちゃんは今日は来ないの?」
沙羅が何気なく尋ねる。
「ああ。結婚式用のフラワーアレンジメントの仕事だって。朝から準備してるらしい」
「そう……ほんと、頑張り屋さんね」
「真面目だからな。……ちょっと心配になるくらい」
ノノの声に、沙羅は手を止めて彼の横顔を見た。
「心配、って?」
「人に合わせすぎるんだよ。無理してでも、期待に応えようとする。そういうのって、結局一番本人がしんどいだろ」
淡々とした口調だったが、そこに優しさが滲んでいた。
「あなた、まるでお兄さんみたいね」
「兄貴なんて柄じゃねぇよ。ただ……放っとけないだけだ」
ノノは苦笑し、ネジを締める手を止めなかった。
沙羅は少し間を置き、意地悪そうに笑みを浮かべる。
「アオイくんのこともあるし?」
ノノは動きを止め、苦い顔をした。
「あいつか……悪い奴じゃない。仕事もできるし頭も切れる。でも、人を巻き込む天才なんだよ。本人は気づいてないけどな」
「嫉妬してるんじゃないの?」
「違う。ただ……リリカには深入りしてほしくないだけだ」
沙羅は再び棚にボトルを並べながら、穏やかに笑った。
「でも、そういう人に惹かれちゃうものなのよね」
ノノは答えず、水平器で棚を測り直す。その沈黙が、言葉より雄弁に彼の心情を語っていた。
やがて夕方、棚が完成し、色とりどりのボトルが光を受けて小さな虹のように輝いた。
「これで準備はひと段落ね」
「だな。……ずいぶん綺麗なもんだ」
ノノの一言に、沙羅は目を丸くする。
「最初は“全部同じ色”って言ってたのに?」
「並べてみると違うもんだな。不思議だ」
そう言って笑った彼の顔は、照れくささと安堵が混じっていた。
「やっぱりお願いしてよかった。ありがとう、ノノくん」
「……礼を言われるようなことじゃない。依頼されたんだからやって当然だ」
「そういう真面目なとこ、好きよ」
沙羅の言葉に、ノノは顔を背けてごまかした。
外から蝉の声が響き、夕暮れの光が店内を淡く染めていく。
小さなサロンの空気には、これから始まる日々への静かな高揚感が漂っていた。
だがノノの胸には、アオイとリリカの姿がどうしても浮かんでしまい、言葉にならないざわめきが残っていた。




