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月霞市国の物語 ──この出会いも、感情も、最初から仕組まれていたのだとしたら──  作者: 神崎妃光子


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46話 胸の奥のひっかかり

46話 胸の奥のひっかかり


午前十時。

いつものカフェに、ノートPCを広げてログを眺めていた。

深煎りのコーヒーの香りが、頭をゆっくりと覚醒させる。

美月がデザインを進めている予約システムの機能追加。

俺はコードを書きながら、ブラウザで管理画面の挙動を確認していた。


「……アオイくん、やっぱり徹夜した?」


視線を上げると、美月が立っていた。

髪を耳にかけ、じっと目を覗き込んでくる。


「ん? んー」


「顔色と…その間のとり方。寝不足モードだよ」


軽く笑って、コーヒーを一口。

美月が俺の斜め向かいに座ると、奥のガラス張りスペースからネイリストの女性が手を振ってきた。


小柄で笑うと頬にえくぼが出る。

月霞に新しく出店したばかりで、美月の友人でもあるらしい。

今日の打ち合わせ相手だ。


「おはようございますー」

軽い声とともに近づき、椅子を引く。


打ち合わせはすぐ始まった。

SNSからの予約導線、季節ごとの特集ページ、在庫管理。

美月がデザイン案を見せ、俺は必要な機能をメモに落とす。


「そういえば、この前、図書館に行ったんです」

ネイリストが、レモネードを飲みながら思い出したように言った。

「お花の展示があって、すごく素敵でした。あれ、誰の作品なんだろう」


「たぶん、リリカさんのじゃない?」

美月が笑う。

「ほら、木曜にだけ図書館にいるって言ってたでしょ」


……手が止まった。


カーソルが点滅する。

視界の端にそれを感じながら、木曜の彼女の横顔がよみがえる。

笑っていたのに、目の奥がほんの少しだけ沈んでいた。


「アオイくん?」

美月の声。


「……あぁ、悪い。今、コードの構造考えてた」


声は淡々としていたはずだが、視線は一瞬だけ遠くに向かっていた。


打ち合わせが終わり、二人を見送る。

扉が閉まった瞬間、ため息が小さく漏れた。


(……集中できてないな)


ノノと何かあったのかもしれない。

くだらない推測だとわかっているのに、思考はそこから離れない。


気分を変えようと、コーヒーを口に含む。

その香りが、やけに濃く感じられた。


「……また木曜、会えるよな」


誰に向けたでもない言葉が、低く、ゆっくりと空気に溶けた。

自分でも少し驚くくらいの間を置いてから、再びキーボードに指を置く。


仕事は山積みだ。

けれど、次に彼女と会う日のことだけは、頭の隅から離れそうになかった。

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