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月霞市国の物語 ──この出会いも、感情も、最初から仕組まれていたのだとしたら──  作者: 神崎妃光子


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44話 母の秘密

リリカたちが帰った後の応接室では、

西陽が沈み、室内にはゆっくりと夜の気配が差し込み始めていた。

リリカとノノが去ったあとも、ヒガシ議員はひとり、ソファに深く腰をかけていた。


そこへ、ノックの音。


「……少し、よろしいですか?」


入ってきたのは、リリカの母だった。


淡いグレーのジャケットに、端正な立ち姿。

だがその瞳の奥には、母としての色が確かに揺れていた。


ヒガシは静かに頷き、席をすすめる。


「もちろんだ。君と話すべきことは、まだ残っている」


母は会釈をし、ソファの端に腰を下ろした。


「……娘が、変わった気がします。

 きっと、月霞での生活の中で、自分で考え、選び取ることを覚えたんですね」


「そうだな。君が彼女を推薦してくれたからこそ、今がある」


ヒガシの声には、迷いがなかった。


母は紅茶をひと口飲み、言いづらそうに目線を落とす。


「……先生、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」


「どうぞ」


「私は、リリカに――自分の過去を話すべきでしょうか?」


ヒガシの指が、カップの縁で止まる。


「……“過去”というのは、君が議員秘書として――」


「はい。」


声が少しだけ震えていた。

強くなった娘の姿を見て、誇らしく思う一方で、

母として抱えてきた“秘密”が、胸を締めつけていた。


「今のところ、娘は私が“ただの事務職”として今も働いていると思っています。

 ……でも、本当は、私がこの“実験国家”の構想に関わってきたことも、

 月霞に彼女を自然な形で誘導したことも、何も知りません」


沈黙が落ちた。


ヒガシは腕を組み、窓の外をゆっくりと見つめる。


「――君が、娘に何を伝えるべきか。

 それを決めるのは、私ではない。

 だが、私はひとつだけ信じている」


「……?」


「リリカは、真実を知っても壊れない。

 むしろ、“知ってしまったうえで、それでも愛そうとする力”を持っている」


母の目に、わずかに光が揺れた。


「……強い子ですね」


「君の子だからな」


ヒガシの言葉には、私情も飾りもなかった。


ただ、事実としてそう語られていることが、

なぜか母の胸に深く沁みた。


「……ありがとう、ございます」


「話すなら、君のタイミングでいい。

 ただし、“背負わせる”のではなく、“受け渡す”ように語ることだ」


「“背負わせる”のではなく……」


「親としてではなく、人として、娘と向き合えるなら、きっとそのときが“機”だ」


母は、静かに頷いた。


(……もう、逃げてはいけないのかもしれない)


娘があれほど真っ直ぐにヒガシと向き合っていた姿を思い出す。

あの瞳を曇らせないために、自分が抱えてきたものを、

いつかちゃんと、自分の言葉で伝えなければ。


その夜、母は議員会館を出ると、

誰もいない夜の東京の空を見上げた。


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