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月霞市国の物語 ──この出会いも、感情も、最初から仕組まれていたのだとしたら──  作者: 神崎妃光子


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35話 護符

日曜日の午後--



雨上がりの匂いがまだ残る午後。

リリカは、木くずとレモネードの香りが混じるノノの工房に入った。


ノノは椅子に腰掛け、木片にヤスリをかけていたが、

リリカの顔を見るなり、手を止めた。


「お、どうした。今日はちょっと顔、強ばってんじゃん?」


「……うん。少しだけ、相談があって」


ノノは無言で、椅子の隣をトントンと叩いてみせる。


リリカは静かに腰を下ろし、言葉を探すように指先を見つめてから、ぽつりと呟いた。



「……ヒガシ先生に、会うことになったの」


ノノの手が止まった。

目が一瞬だけ鋭くなる。


「……マジか」



「うん。来週の金曜日。議員会館で」


ノノは小さく息を吐き、椅子の背にもたれかかる。


「で、怖いの?」


リリカは俯いたまま、小さくうなずいた。


「……怖いっていうか……

なんか、“全部が変わっちゃう気がしてる”」


「変わるだろ。そりゃ。

自分の人生が“誰かに仕組まれてたかもしれない”って思った時点で、もう前と同じ景色には戻れねぇよ」


「……じゃあ、行かない方がいいのかな」


ノノは少し黙り込んで、視線を天井にやったあと、ぽつりと呟く。


「でもさ、俺は“会いに行くリリカ”の方が好きだよ」


驚いたように顔を上げるリリカ。


「怖くても、揺れてても、ちゃんと“本当”を確かめに行こうとするお前、すごいと思う。

そんで、そういう奴の話を、ちゃんと聞いてくれる大人が向こうにいるなら――

俺は、送り出す側の人間でいたい。……そう思ってた」


そう言いながら、ノノはふっと笑い、自分の膝に手を置いた。


「けど――」


言いかけて、リリカの目をじっと見つめる。


「やっぱやめた。俺も行くわ」


「えっ……?」


「お前が“全部が変わっちゃうかも”って思うくらいならさ、

途中で足震えても、逃げ出したくなっても、隣に誰かいた方がいいだろ?

俺がそばにいる。それだけで、お前の気がちょっとでもラクになるなら、安いもんだよ」


リリカの目が潤んで、喉の奥が震える。


「……でも……」


「だいじょぶ。俺、スーツ持ってるしな。

入館証とか、そのへんは……まあ、俺の分も頼んどいて。俺は“壁”でも“空気”でも、“盾”でもなるから」


少し間を置いて、ノノは木くずの散った机の上から、小さな木片を手に取って差し出した。


「……んで、これは護符。手彫りのキーホルダー。

当日、ポケットに入れとけ」


リリカは、笑った。

涙をこらえながら、少しだけ強く、確かに。


「……ありがとう、ノノ。

ほんとに、いてくれてよかった」


ノノは照れたように鼻をかいて、視線をそらした。


「……泣かせてんのか助けてんのか、わかんなくなってきたな。俺」

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