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月霞市国の物語 ──この出会いも、感情も、最初から仕組まれていたのだとしたら──  作者: 神崎妃光子


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32話 葛藤

その夜ーー



ベッドに横たわっても、目は冴えていた。

カーテンの隙間から漏れる月明かりが、天井にゆれている。


(どうして、こんな気持ちになるんだろう)


(怒ってるのかな。

悲しいのかな。

悔しいのかな……)


今日、アオイに何も話せなかった自分がいる。

優しさに救われたくせに、

その優しさに、なぜか怯えてしまった自分がいた。


(全部、知ってしまったからだ)


(この国が“実験国家”で、

 私たちの感情や再生の過程が、

 記録されているってこと)


(そう知ったとたん、

 目に映るものすべてが“誰かの意図”に見えてしまう)


(……でも、私はこの国で、

ノノに再開して、アオイさんに出会って、

確かに少しずつ変わってきたんだ)


(それまで全部“しかけられたこと”だったとしたら……

 あまりにも、悔しい)


リリカは、そっと身体を起こし、スケッチブックを手に取る。

そこには、過去に描いたアレンジメントの構想図がたくさん並んでいた。


その一枚をめくると、かすれた鉛筆の文字が目に入った。


「ただ、誰かに“優しさ”を贈りたかっただけ」


それは、何ヶ月も前に書いた自分の言葉だった。


(私のこの気持ちも、

 “データ”にされてたの?)


(――もし、そうだとしたら。

だったら私は、あの人に、ちゃんと聞いてみたい)


(この国をつくった“その人”に)


(ヒガシ議員に――)


リリカの中で、火が灯るようにひとつの思いが立ち上がった。


(私は、あなたに会いたい)

(この目で見て、聞きたい。

この国を“なんのために”つくったのかを――)


金曜日の夜ーー


アトリエからの帰り道。


リリカはスマホを握りしめたまま、

何度も呼吸を整えていた。


(言わなきゃ。ちゃんと、自分の口で)


意を決して、母の連絡先をタップする。

数コールの後、あの懐かしい声が電話越しに響いた。


「リリカ? 珍しいわね。どうしたの?」


「……あの、ちょっと話があって。今、大丈夫?」


「ええ、もちろん。何かあったの?」


しばらく沈黙が続いたあと、

リリカはゆっくりと、言葉を選びながら口を開いた。


「……ヒガシ先生に、会いたいの」


電話の向こうで、空気が変わった気がした。


「……え?」


「いろいろ……聞きたいことがあるの。

お母さんが、その人と一緒に働いてるのは知ってるし、

昔から“恩人”みたいに言ってたよね。

でも私――自分の言葉で、会って確かめたいの」


「リリカ……何か、誰かに何か言われたの?」


「違うの。誰かの影響じゃなくて、

“私自身が”知りたいの。

この国のことも、私がここに来た理由も、

ぜんぶ……ちゃんと、自分で理解したい」


母の沈黙が、長く続いた。

息を飲む気配さえ伝わってくるようだった。


やがて、小さな声が返ってきた。


「……わかったわ。私からお願いしてみる。

ただ、ヒガシ先生は今、とても忙しいの。

でも……あなたが会いたいって言ったなら、きっと時間を作ってくれると思う」


「……ありがとう」


その言葉の裏に、母の戸惑いと、少しの不安、

そして――“なぜ今なのか”という疑念が混じっているのを、リリカは感じ取った。


でももう、後戻りはできない。


(私は、前に進む)


スマホの画面が暗くなるのと同時に、

リリカはそっと夜空を見上げた。


高く澄んだ空には、星が瞬いていた。

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