28話 誕生日プレゼント
午後、ノノの工房--
木の削りかすがふわっと舞う、陽だまりの作業場。
窓の外は、梅雨だと言うのに、晴れ渡った青空と咲きかけのひまわり。
リリカは、差し入れのミントティーを手に、ノノの作業をぼんやり眺めていた。
「……最近よく来るね。悩み事?」
「……うん。ちょっと、考えごとしてて。」
「ふーん? あ、まさか恋バナ?」
リリカは「ちがうよ」と笑って首を振る。
そして、少し間を置いて、ぽつりと口を開いた。
「昨日……久しぶりに、お母さんに連絡したの。」
ノノの手が止まる。
「……まじで?」
「うん。1年以上ぶり。メールだけだけどね。」
「……すごいじゃん。」
「……ううん、すごくなんかない。たった一言返しただけ。」
「でも、それだけでも全然ちがうよ。」
リリカはノノの横顔を見て、小さく笑った。
「朝、返事がきてた。……嬉しそうだった。」
「そっか。……リリカが返したの、きっとほんとに嬉しかったんだろうな。」
しばらく沈黙が流れたあと、
ノノは何気なく小さな木の板を手に取り、彫刻刀で「花」を彫り始めた。
「じゃあさ、今度、誕生日に何か贈ったら?」
「……それ、さっきお母さんにも言われた。」
「先越されたか~」
リリカは目を細めた。
「……私の作った花、喜んでくれるかな」
「当たり前じゃん。誰よりも、いちばん。誕生日いつなの?」
「ちょうど今月」
「気が変わらないうちに贈ったら?」
「そうする」
ムッとする暑さの中、母に贈る花のことを考えながら家路についた。
木曜日--
深煎りのコーヒーの香りが、ゆっくりと漂っていた。
いつもの席。
いつものように静かな時間が流れる。
けれど、今日のリリカは、少しだけ違っていた。
紅茶を一口飲んでから、カップを置き、
アオイのカップの縁に目をやったまま、小さな声で言った。
「……母に、お花を贈ろうかなって思ってて」
アオイが視線を上げる。
驚いたようでもなく、ただ静かにリリカを見た。
「うん」
「1年以上、連絡してなかったんだけど……
ちょっとだけ、返してみたら……思ってたより普通で」
「……そっか」
リリカは笑った。照れくさそうに、でもどこか安心した顔で。
「なんか、急に贈りたくなっちゃった。
たぶん、お誕生日も近いから、っていうのもあるんだけど」
「“贈りたくなった”って思えたの、すごくいいことだと思う」
その言葉は、とても自然で。
でもなぜか、胸に静かに響いた。
リリカは頷いたあと、少しだけいたずらっぽく言った。
「……アオイさんが前に言ってた、“タイミングってやつ”かな」
アオイはふっと笑った。
「うん。たしかに、それ、悪くない理屈だ」
(……こうやって、少しずつ。
いろんなものが、やわらかくほどけていくのかもしれない)
窓の外には初夏の陽ざし。
コーヒーの香りが、いつもよりあたたかく感じられた。
アオイが少しカップを傾けてから、ふとリリカに問いかける。
「……どんな花にするの?」
リリカは少しだけ考えてから、ぽつりと答える。
「まだ決めてないの。でも……」
カップを両手で包み込むように持ちながら、ゆっくり言葉を選ぶ。
「あんまり派手じゃなくて、でも、ちゃんと想いが届くような花がいいなって。
できれば、何か花言葉にも意味があるもの……」
アオイは頷きながら、すこしだけ目を細める。
「たとえば、“ありがとう”とか?」
「……うん、そういうの」
少し照れながらも、リリカの口元に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、カスミソウとかどう? “感謝”って意味があるらしい」
「……知ってるの?」
「まあ、ちょっと調べたことがあって」
「意外……」
「意外、って何。傷つくなぁ」
リリカはくすっと笑って、それからまっすぐアオイを見る。
「ありがとう。……カスミソウ、いいかも」
しばらくの沈黙。
紅茶の香りが、ふわりとふたりの間を漂う。
「その人にしか伝えられない想いを、ちゃんと形にしようとするのって、
……すごくリリカらしいと思う」
その言葉に、リリカはふと紅茶を見つめた。
「……そっか。私らしい、か……」
その言葉が、少しだけ胸の奥に、あたたかく残った。
数日後--
陽ざしはやわらかく、風はほんのりと夏の匂いを含んでいた。
作業台の上には、繊細なカスミソウ。
その隣には、淡い紫のトルコキキョウ、そしてやさしいピンクのアスチルベ。
(派手すぎず、でも気持ちが伝わる花にしたい)
リリカはそう思いながら、ひとつひとつ、手に取りながら組み合わせていく。
カスミソウの「感謝」、
トルコキキョウの「優美」、
アスチルベの「繊細な心」。
(まるで、お母さんみたい)
ふと、そんな言葉が頭をよぎり、少しだけ照れくさくなった。
花束のラッピングには、生成りの麻リボン。
包装紙には淡いベージュを選んだ。
飾らないけれど、静かなあたたかさのある色。
完成した花束を見つめて、リリカは小さく頷いた。




