19話 遅すぎる告白
その朝、工房のドアは開かなかった。
いつもなら午前十時には、あの小さな足音が近づいてくる。
だが、その日は待っても、午後になっても、誰も来なかった。
ノノはスマホを手に取り、タクミにメッセージを送った。
「大丈夫か? 今日は来ないのか?」
送信マークが消えたまま、既読はつかない。
ノノは数分だけ迷い、それから立ち上がった。
タクミの家は、くたびれたアパートの二階。
訪ねたことはなかったが、緊急連絡先の書類から住所だけは知っていた。
チャイムを鳴らしても返事はなかった。
ドアの下から漏れる、甘く鼻に残るような匂いに、ノノは嫌な予感がした。
(また……やってるのか)
だが、その匂いは、いつもよりずっと強かった。
鍵は開いていた。
部屋に入ると、目の前に広がるのは、生活感のない静けさだった。
カーテンは閉じ切られ、空気は重く、淀んでいる。
床には脱ぎ捨てられた上着と、用途のわからないカプセルや器具が散らばっていた。
そして、その奥。
小さな布団の中に、タクミがいた。
顔色は青白く、唇がわずかに紫がかっていた。
「……タクミ?」
近づいて声をかけるも、反応はない。
ノノはすぐに119番へ電話した。
しかし、救急隊が駆けつけたときには、タクミの心臓はすでに止まっていた。
警察がやって来たのは、その数時間後だった。
室内には、海外製と思われる小瓶と、複数の吸引器具が残されていた。
いずれも正規の医療品とは異なる包装で、成分や出処の特定が難しい。
「これ……市販されてるものじゃないな。
中身は、精査しないと断言できないけど……危険な成分が含まれている可能性が高い」
捜査員のその言葉を、ノノはぼんやりと聞いていた。
「本人がネットで購入した形跡はありますが、詳細はこれから調査します」
その声が遠く感じた。
ノノの心にあったのは、ひとつだけ。
(なんで俺は、あのとき止められなかったんだ……)
数日後。
ノノは事情聴取のため、警察署に呼ばれた。
タクミの荷物の中から見つかった小包。
送り主の住所欄には、ノノの工房の所在地が書かれていた。
「あれは……タクミが、自分でそう書いたんです。俺は送ってない……」
「でも、工房の作業場から、彼の使っていたものと同型の器具が見つかりました」
ノノは、黙ってうつむいた。
タクミが器具を持ち込んでいたことは知っていた。
だが、それを処分することができなかった。
——それが、“証拠”になった。
「亡くなった彼は未成年でした。
あなたが同居に近い形で黙認していたのであれば、過失ではなく、幇助の疑いもある」
ノノは何も言い返せなかった。
ニュースは冷たく、事実だけを淡々と報じた。
「未成年死亡、“海外製成分”から危険物質を検出」
「職場から使用器具押収」「同居男性に事情聴取」
タクミの名前は伏せられたが、ノノの顔写真は一部のメディアに流れた。
“信頼されていた職人の裏の顔”という見出し付きで。
タクミの遺書は見つからなかった。
タクミを守ろうとしたノノの行為は、誰にも証明されなかった。
そしてその沈黙が、ノノを加害者にした。
彼は叫ばなかった。
悔しさも、涙も、何も出なかった。
ただ、彼の中に一つだけ、静かに残っていたものがあった。
(俺があいつを救えなかった)
それだけだった。
※フィクションです。薬物や違法行為を肯定する意図は一切ありません。テーマ性や人間の葛藤を描くことを目的としています。




