14話 ふたりの間に流れる紅茶の時間
―5月16日 木曜日―
「……こんにちは」
カフェに入ると、アオイはすでにいつもの席にいた。
リリカが扉を閉める音に気づいて顔を上げ、
目が合うと、ふわりと笑った。
「こんにちは、リリカさん」
先週、名前を呼ばれてから一週間。
それが初めてではないだけで、
リリカの胸の奥は、また優しく揺れた。
今日は窓際の席が少し眩しかったので、
ふたりは奥の、少し静かなテーブルに向かい合って座った。
紅茶の香りがふんわり立ちのぼる。
今日のアールグレイは少し強めに感じた。
「……今日もお仕事してたんですか?」
「うん。午前中は。
でもあんまり集中できなくて、散歩がてらここに」
「集中……できなかったんですね」
「うん、なんかね……木曜の午後は、どうしてもこの時間が気になるようになってて」
アオイは、そう言ってカップに口をつけたあと、
じっと、リリカを見つめた。
不意を突かれたようなその視線に、リリカは思わず目をそらしてしまう。
「……な、なんですか」
「ううん。ちゃんと、今日も来てくれたんだなって思って」
「……木曜日は毎週来ないと落ち着かないので」
「でも、会話したあとって……
案外、それが崩れるきっかけになることもあるから」
「……それ、わたしも思ってました」
二人の間に、小さな共感がぽつりと落ちた。
それだけで、会話の温度がすっと上がる。
「……リリカさんって、どうして花の仕事を?」
「え……」
「気になってて。カフェで見かけるたび、
服に小さな花びらがくっついてることが何度かあって」
リリカは思わず、服の袖を見た。
「あ、ほんとに……。気づかなかったです」
「かわいかったですよ。花にまみれてる感じが」
「え……っ、ちょっと、恥ずかしいです……」
アオイが静かに笑う。その笑い方が、やっぱりやさしかった。
「花……が、好きなんです。
東京にいたとき、仕事がうまくいかなくて……心がぐちゃぐちゃだった時期に、
花を飾るようになって。
何も言わないのに、そばにいてくれる感じが、よくて……」
「……わかる気がします」
アオイは、そう言ってから、ゆっくりと言葉をつなげた。
「僕も、人と話すより、何かをつくってるときのほうが、素直になれる」
「……何作ってるんですか?」
「最近はイベントとか企画したりしてますね。でも、少し似てませんか?」
「……え?」
「“考えたものを、形にする”って意味では。
しかも、見る人の気持ちを少しだけ変えるってところも」
その言葉に、リリカは目を見開いた。
(……そんなふうに考えたこと、なかった)
「……変えられてたら、うれしいな」
「変えてますよ。たぶん、僕も……ちょっとずつ」
そう言ったあと、アオイはまたじっと、リリカを見た。
その視線は、どこか真っ直ぐで、
それでいて何も押し付けてこないやさしさがあった。
リリカはまた、目をそらすことができなかった。
「……リリカさん、紅茶はアールグレイが一番好き?」
「うん。香りが……落ち着くんです。
あと、何か大事なことを考えたいとき、よく飲むから」
「じゃあ今日も、何か“大事なこと”を考えてた?」
「……もしかしたら」
「たとえば?」
「……どうして、アオイさんは……そんなに聞き上手なんだろうって」
アオイは驚いたように目を瞬いたあと、また少し笑った。
「……答え、ひとつだけあるとしたら」
「はい」
「リリカさんの話し方が、静かに沁みてくるから。
それが、すごく、心地いいんですよ」
その言葉に、リリカはカップを置いたまま動けなくなった。
(どうして、この人の言葉は、こんなにもまっすぐで……苦しくなるんだろう)
会話の続きは、また来週に。
そう思えたのは、たぶん初めてだった。




