32.紐を解いて、気持ちを告げて
◇◇◇
ラプツェが去ってしばらくしてから、ジェシカとオーウェンはガラリとした空き教室にいた。
教師たちが帰寮するよう指示をしたのだが、二人にはまだ話すことがあったからだ。
メイは、先に女子寮に戻ると言っていた。疲れたからと言っていたが、本当は二人で話せる様に気遣ってくれたのではないかとジェシカは考えている。
(それにしても)
『本当は、とーっても、とーっても嫌ですけれど、ジェシカ様のこと、頼みました』
別れ際、メイがオーウェンに言っていたあの言葉は、どういう意味だろう。
気になったけれど、言葉を受け取ったオーウェンが優しく微笑んでいたので、喧嘩じゃないなら良いかと、ジェシカは気にするのをやめた。
「……もう一度言うけど、ごめんねジェシカ。ずっと騙してて」
隣同士に腰を下ろすと、オーウェンが開口一番にしたのは謝罪だった。
カーテンの隙間から差す日差しが、オーウェンの銀色の瞳にキラリと反射する。
「ううん。事情があったことだし、それは本当に仕方ないんだけど……。むしろ助けてくれてありがとうね。あっ、オーウェンって帝国の第二皇子なんだよね? 敬語使ったり、その、呼び方とかってどうしたら」
「寂しいから前と同じように接してほしい」
「あ、うん、分かった」
美しい銀色の瞳にジッと見つめられ、懇願するようにそんなことを言われたら、胸がどきりとする。
(本当に驚くくらい格好良い。……それにしても、オーウェンが本当に隠しキャラなんだなぁ)
珍しい銀色の瞳に、帝国の第二皇子。隠しキャラの情報と当てはまっているし、ラプツェも確信を持っていたため、間違いないのだろう。
(でも、何で隠しキャラのオーウェン・ハーベリーが登場したんだろう?)
前世では、何度ゲームをクリアしても、様々な選択肢を選んでも、他のキャラのスチルを全て集めても、オーウェン・ダイナーとしてしか彼は登場しなかった。
顔を隠しているのはもちろん、ジェシカのピンチを救ってくれることも、本来の姿であるオーウェン・ハーベリーを名乗ることはなかったというのに。
(……あ、もしかして、魔法を極めようとしたから?)
『マホロク』は、恋愛が主軸のゲームだった。
魔法のレベルを上げる作業もあったが、これが攻略対象の好感度にはまったく影響せず、何のためにあるのだろうと心底不思議だったのだけれど……。
(もしかしたら、隠しキャラ……つまり、オーウェン・ハーベリーの登場のためには、魔法のレベルを上げることが必須だったのかも?)
この世界にはレベルなんて概念はなかったけれど、少なくともジェシカは全力で魔法について学び、習得した。
答えは神のみぞ知る……だが、良い線いっているのではないか。
「なに一人で百面相してるの?」
「え!? あーそれは……」
考えをそのまま口に出すことはできないので、ジェシカは質問してみることにした。
「どうして、正体を明かしてまで、私を助けてくれたの……? あっ、それと! 入学当時から護衛のクリフさん? に、私を監視させていたのは何で?」
オーウェンは、少し言いづらそうに口を開いた。
「当初監視していたのは、平民にも関わらず膨大な魔力量を持っているジェシカに興味が湧いたからだよ。帝国にもジェシカ程の魔力量の人間はいないから。もし魔力量が多いことに理由があるなら、帝国にとっても有益な情報だなって、そんな気持ちだったんだ。……本当に、ごめん」
「え、ううん! 驚いたけど、理由は分かるし……。それに、そのおかげで私の無実は証明されたんだし、謝らないで」
極めて明るくそう話すジェシカだったが、はたととある疑問が浮かんだ。
「……ねぇ、友だちになってくれたのも、帝国のためだったりする?」
「!」
不安げに問いかければ、オーウェンは一瞬目を見開き、ずいとジェシカに顔を近付けた。
「それは違う! 俺は自分の意志でジェシカの側にいたいと思うようになったし、君の監視についても、途中からはいざという時にジェシカの無実を証明する足しになったり、俺が助けに行けるようにと思ってしたことだ」
「オーウェン……」
それを聞いて、心底ホッとした。
もしも損得勘定だけで側にいたのだと、友だちを演じていたのだと言われたら、泣いてしまいそうだったから。
「良かったぁ……。立場的に難しいかもしれないけど、これからも友だちでいられると良いな」
独り言のように囁やけば、オーウェンは体を横に向けて、ジェシカの両肩を優しく掴んだ。
「……ごめん。それは、無理だ」
「……っ」
茜色の光を背に、オーウェンの瞳の奥が切なげに揺れる。
ジェシカは、できるだけ笑顔を見せた。
「そ、そうだよね。オーウェンは第二皇子で、私は平民──」
「そうじゃない」
先程までと少し違う、夕焼けに染まったような熱っぽい眼差しを向けられ、ジェシカの心臓は激しく跳ねた。
「ジェシカは、あの女たちのせいでつらい目に遭っても、復讐を選ぶでもなく、誰かに縋るでもなく、幸せな未来のために魔法を磨く道を選んだでしょ?」
「……うん」
「俺は、そんなジェシカを助けたいと思うようになった。こんな、頑張り屋な子が不幸になるのは嫌だなって……いつしか、幸せにしたいなって、できることなら俺が支えたいなって思うようになった」
「……っ」
それはまるで告白のようにも聞こえる。
オーウェンは親切心で言っているのだろうが、勘違いしてしまいそうだ。
いや、違う。親切心ではなく、自分と同じ気持ちで言ってくれていてほしい、と願ってしまう。
(この世界に来てから、浮ついた気持ちは捨てたはずなのに)
オーウェンを見ると、決意が揺らぐ。
気付かないようにしていた自分の思いが溢れ出しそうで、どうにかしなければとジェシカは話題を切り替えた。
「そ、それにしても、オーウェンはよくラプツェ様を好きにならなかったね? 皆、彼女に夢中だったのに」
「……あのねぇ」
呆れ顔を見せたオーウェンは溜息をついてから、再びジェシカを熱を帯びた眼差しで見つめた。
「俺は、フリントン公爵令嬢じゃなくて、頑張り屋で、他人を放っておけないような子が好きだよ」
「……!?」
「ああ、あと、たまに短気で、元気が良くて、俺のことをマイナスイオンだとか言ってくるような、ちょっと不思議で、可愛い子が好きだ」
「〜〜っ」
可愛いとか、頑張り屋とか、他人を放っておけないとか、そういうところは自分ではよく分からない。
ただ、オーウェンの言葉に自分を想像してしまったジェシカは、顔をぶわりと赤く染めた。
「ねぇ、ジェシカまだ分かんない?」
そう言って、オーウェンはジェシカの肩に触れていた手をそっと彼女の頬に伸ばす。優しくなぞれば、ジェシカの体はピクリと跳ねた。
「俺は、ジェシカが好きだ」
「……っ」
「だから、友だちのままじゃ嫌だ。ジェシカの、特別になりたい」
「ととと、特別って……!」
顔を真っ赤にして狼狽するジェシカに、オーウェンは「かわい……」とポツリと呟く。
それからオーウェンは、ジェシカの頬に滑らせていた手をそっと彼女の唇に移動させ、優しく撫でた。
「!?」
「ね、ジェシカ。返事聞かせてくれる? 地位とか立場とか、そういうの関係なく、ジェシカは俺のことどう思ってる?」
「わ、私は……」
ジェシカに転生したと分かって、皆に嫌われていると知った時、浮ついた心は捨てると決めた。
それでも、時折オーウェンに胸が高鳴ることがあり、自分の気持ちに気付きそうになりながらも、そっと気付いていないふりをした。
(でも……)
もう、自分の気持ちに正直になっても良いんだ。
「私も、オーウェンが好き! 大好き!」
「!」
目を見て溢れ出す気持ちを言葉にしてから、オーウェンにギュッと抱き着く。
オーウェンはあまりの喜びに一瞬動きを停止したものの、直ぐにそっとジェシカの背中に腕を回した。
「俺も大好きだよ、ジェシカ。絶対に幸せにするから」
「あははっ、じゃあ、私がオーウェンを幸せにするよ! これで二人とも幸せだね」
「……はは。ジェシカには敵わないなぁ」
二人の声と、柔らかな風の音くらいしか聞こえない静かな空き教室。
互いの想いを確かめ合うように、二人はしばらく抱きしめ合った。




