31.ラプツェの思い
オーウェンの命により、クリフがジェシカを監視していたことで明らかになった、ジェシカの無実。
それでもどうにかジェシカを悪者に仕立てたいとするラプツェの足掻きは、彼女の今回の自作自演がバレてしまったことによって、意味を成さなくなった。
「そんな……これまでずっと、ラプツェは嘘を吐いていたというのか……?」
アーサーは信じられないといった目で、ラプツェを見つめる。
ラプツェは、カタカタと小刻みに震えた肩を自身の両腕をそっと回し、瞳に恐怖を滲ませている。
そんな彼女の姿は、自身の嘘がバレたことへの動揺だけではないように、ジェシカには感じられた。
「ラプツェ様」
それでも、当事者としてこれだけは聞かなきゃいけない。
ジェシカは冷静な声色で問いかけた。
「どうしてそうまでして、私を陥れたかったんですか」
「…………」
ラプツェは、生気を失ったような青白い顔をゆっくり上げる。
そして、彼女は嘆くように、こう言った。
「ここが乙女ゲームの世界で、私が悪役令嬢、貴女が、ヒロインだから……っ」
「乙女ゲーム? 悪役令嬢? ヒロイン?」と聞き覚えのない言葉に皆が疑問を浮かべる中、ジェシカだけは驚かなかった。
(やっぱり、ラプツェも異世界転生者だったのね。この感じからすると、『マホロク』についてもしっているみたい)
ジェシカは冷静な面持ちのまま、再びラプツェの言葉に耳を傾ける。
「私は、このゲームが大好きだったの。でも、悪役令嬢に転生していると分かった時は、正直、絶望した。未来が怖くて、たまらなかった」
「…………」
ジェシカはヒロインに転生したと分かった時、正直歓喜した。
ヒロインになれて嬉しい、攻略対象たちをこの目で見られるなんて、隠しキャラにも会えるかな、なんて、気持ちが浮き立った。
……それに比べて、悪役令嬢に転生したラプツェは、どれほど絶望したことだろう。
ゲームでは終盤、悪役令嬢は修道院送り、国外追放、幽閉、果ては死刑など、決して軽くない断罪を受けていた。
それが自分の身に降りかかるかもしれないと思った彼女の恐怖は、計り知れなかった。
「未来を変えたい、断罪を回避したいと考えた私は見た目を変えて、できるだけ良い子に見えるよう演じて、アーサー殿下たちが味方になってくれるように、愛されるよう動いたの。……結果、うまくいったわ。これなら、ゲーム通りにはならないって思ってた……けど、入学式でヒロインである貴女を見ひと目見た時、言葉では言い表せられないくらいの恐怖心が、再び膨れ上がったの」
「……!」
「もしも、ゲームの強制力のようなものが発動して、アーサー殿下たちがヒロインに惹かれたら? 有りもしない罪を着せられて、悪役令嬢として断罪されたら? ……って」
相当恐怖を感じているのだろう。
血が出るほどに下唇を噛みしめるラプツェの姿は痛々しく、同時にジェシカは彼女のこれまでの言動を完全に理解することができた。
(……ああ、そういうことだったんだ)
ゲームの未知なる強制力に恐れたラプツェは、おそらく学園からジェシカを排除しようと考えたのだろう。
だから、ジェシカに嫌がらせをされたのだと嘘を吐いて、ジェシカを孤立させた。
学園パーティーでのドレスの件も、今ならば分かる。
あのパーティーは本来、ジェシカと攻略対象たちのイベントの舞台となるはずだった。ラプツェは不安の芽を摘むために、ジェシカを参加させたくなかったのだろう。
おそらく、メイを自分の側に強制的に置いたのは、メイがゲームでジェシカの一番近しい友だったから。
本来のゲームの流れに近付くことを恐れたラプツェは、ジェシカとメイに接点を持たせないようにと考えたのだと思う。
「数ヶ月前、貴女が友人を作り、性格が明るくなり、楽しげに学園に通うようになった時も、パーティーで美しいドレスを纏う貴女を皆が見ている時も、もしかしたらゲームの物語通りになるんじゃないかって、生きた心地がしなかった……っ」
そう語ったラプツェは、ハッと目を見開いた。
「……っ、待って……。突然性格や行動が変わったのって、もしかして、貴女も私と同じ──?」
この世界に、異世界から転生するだの、生まれ変わりだのという概念はない。
ジェシカは自分が異世界転生した人間であることを誰にも告げるつもりはなかったので、ラプツェが何を言いたいかは理解したけれど、口を噤んだ。
ただ、ようやくジェシカが異世界から転生してきたのではないかと気付いたラプツェを見て、ジェシカは胸が痛んだ。
(私が考えているよりもきっと、精神的に追い込まれていたのね)
大好きな『マホロク』ゲームの世界なのに、断罪されるかもしれない悪役令嬢に転生した絶望。
断罪を回避するために最善を尽くしても、決して無くならない恐怖心。
ゲームの未知なる強制力に怯える毎日。
彼女の毎日に、余裕なんてなかったのだろう。
(でも……)
いくら理由があったとしても、ラプツェがジェシカを陥れてもいいという理由にはならない。
メイだって、断罪を回避するために利用されて良いはずがないのだ。
「……私にはラプツェ様が何を仰っているかあまり分かりませんが、他者を陥れ皆を欺いたことを、しっかり反省してください。そして、ここから人生をやり直してください」
「……っ、貴女も、甘いのね……」
その言葉を最後に、オーウェンが事前に手配してあったのか、ラプツェが学園の警備の者たちに拘束された。
そして、ラプツェはジェシカをじっと見つめて、口を開いた。
「ごめんなさい……」
その時ラプツェの頰に伝った涙は、今までの演技の涙とは違ったように見えた。
これからラプツェはどうなるのだろう。ゲームとは違う流れで悪事を働いた彼女の末路を、ジェシカには想像できなかった。
ただ、これまで苦しんできたラプツェに対して、こう思わずにはいられなかった。
(どうか、この世界でやり直せますように)
ジェシカがラプツェの謝罪に頷くと、ラプツェは少しだけ憑き物が落ちたような顔をして、オーウェンに視線を移した。
「けどやっぱり、ヒロインって狡いわ。ちゃっかり隠しキャラも味方につけて……。ゲームでは何百回と周回しても、出てこなかったのに」
「……!?」
(隠しキャラって、まさか、オーウェンが……!? そういえば、隠しキャラは他国の皇族で、珍しい瞳の色をしているって情報があったような……)
ラプツェの爆弾発言にジェシカは困惑したが、それ以上彼女は話すことなく、大人しく連行されていった。
それからというもの、ジェシカの周りには「申し訳ありませんでした」「なんて酷い誤解をしていたんだ」「あんなおかしな話をする女のことを信じていたなんて」と謝罪してくる攻略対象たちや彼女の取り巻きだった令嬢たち、その他生徒が集まっていた。隠しキャラについて気になるが、それは後だ。
彼らがかなり必死な様子なのは、ジェシカが魔法に長けて優れ、国にとって重要人物であること、大国であるハーベリー帝国の第二皇子であるオーウェンが、ジェシカの潔白を証明したからだろう。
(本当に反省している人なんて、一握りなんだろうな)
少なくとも、謝罪にラプツェを悪く言うような言葉を織り交ぜてくる者は、反省などしていないのだろう。
けれど唯一、アーサーだけは違った。彼はラプツェが会場からいなくなるのを切なげに目で追った後、心底申し訳なさげに眉尻を下げて、ジェシカに向かって深く腰を折った。
「アーダン嬢、本当に、申し訳ないことをした」
「…………」
「私はラプツェを愛するあまり、目を曇らせてしまっていた。王族……いや、人として情けない。君を傷付けてしまったこと、謝って済む話ではないことを重々わかっているが、謝らせてほしい」
王子が平民に頭を下げるなんて、普通ならあり得ないことだ。それも、心からの謝罪だと伝わる。
どう答えればいいのか迷っていると、オーウェンにそっと肩を抱かれ、彼と反対側にいるメイには、そっと腕を抱き締められた。
「ジェシカ、君が思うように答えれば良い」
「そうですよ、ジェシカ様」
「オーウェン、メイ……」
二人と話していると、緊張がふっと解けていく。
ジェシカは真っ直ぐな瞳で、アーサーや謝罪してくる者たちに視線を向けた。
「アーサー殿下並びに、皆様の謝罪については一応受け取ります」
「「「……!」」」
一応とは一体……? と言わんばかりの表情を見せる彼らに、ジェシカは淡々と続いた。
「確かに今回の原因はラプツェ様にあります。……しかし、貴方方はラプツェ様が言っていることが本当なのかの裏取りをすることもなく、私に罵詈雑言を浴びせました。一度謝罪をされたからと言って、じゃあもう良いよと明るく話せるほど、私は優しくありません」
全員がギクリと肩を揺らし、気まずそうな顔をする。そんな中、アーサーが代表して、再び頭を下げた。
「本当に、申し訳ないことをした」
「……はい。平民の私如きが殿下にこのようなことを言うのは恐れ多いですが、このようなことが今後二度と起きないように努めていただきたいです。他の皆様も、情報にだけ振り回されて、むやみやたらに人を傷付けないでください。……これらが守られていると私が感じたら、一応ではなく、しっかりと謝罪を受け取ります」
「ああ、分かった」
一応を付けなくなる日が来るのかは、ジェシカには分からない。
ただ、そんな日が来るといいなと、願うばかりだった。




