22.憂いと安堵
先程まで傷一つなかったドレスが、鋭利なもので破かれたような無残な姿になっている。
ジェシカは困惑を浮かべたまま、そのドレスを手に取った。
「……っ、最初から、これが狙いだったのね」
ジェシカを職員室に向かわせ、パーティーの準備を滞らせるためじゃない。
ドレスを使い物にならなくして、ジェシカが絶対にパーティーに行けないように──。
「……っ」
たとえ施錠していたとしても、結果は同じだ。
合鍵を管理している寮母が金銭に節操がないことは『マホロク』のミニ情報として出されていた。
この計画がどうなるかは、ジェシカが部屋を出てしまった時点で決まっていたのだ。
(さっきの子がこれを? それとも、あの子は私を職員室に向かわせただけで、ラプツェや彼女の取り巻きがこれをやったの?)
考えてみるものの、答えは出ない。
一か八か問いただしに言っても答えてもらえないだろうし、そもそもそんなことをしたら平民のジェシカの立場が危うくなるだけだ。
何より、ドレスがもとに戻るわけでもない。
「どうしようか……。せっかくオーウェンが準備してくれたドレスなのに」
彼の行為を無駄にしてしまった。一緒にパーティーに参加できると喜んでいるメイの気持ちにも応えられない。
一番悪いのはドレスをこんな姿にした者だけれど、警戒心が足りずに部屋を出てしまった自分も悪い。
ジェシカはドレスをギュッと胸に抱いて、悔しさや申し訳無さから奥歯を噛み締めた。
「謝らなきゃ、オーウェンに。それと、パーティーに参加できないことも伝えないと……」
悔やんでも状況は変わらないのだ。
今自分ができることをしないとと考えたジェシカは自分の気持ちを落ち着かせた後、約束の時間よりも少し早めに部屋を出た。
◇◇◇
待ち合わせ場所であるパーティー会場の前。
そこに近付くに連れ、着飾った生徒たちの姿が増えていく。
楽しげに頬を緩める生徒たちだったが、制服姿のジェシカを視界に捉えると、多くの者が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あれって、噂のジェシカ・アーダンでしょう? まさか制服でパーティーに参加するつもりなのかしら?」
「そう言ってやるな。平民だから、ドレスコードなんて知らなかったんだろう」
「知っていたとしても、ドレスを買うお金なんてないのではなくて? お可哀そうに……。私のお古でも差し上げたら良かったかしら」
敢えてジェシカの耳に届くような彼ら彼女らの声は、明らかに彼女を馬鹿にしていた。
同情したふうに見せかけた嫌味を言って、意図的にジェシカを傷付けようとしているのは明明白白だ。
けれど、ジェシカは言い返すことはおろか、不敵な笑みを浮かべて挑発することも、平然なふりをして笑顔を振りまくこともなかった。……いや、できなかった。
(オーウェン……メイ、ごめん)
ジェシカの頭の中は今、オーウェンとメイに対する不安感で埋め尽くされていたからだ。
(ほんと、どうしよう。もしもオーウェンとメイが私に嫌気をさして)
『ジェシカが油断したせいで、せっかく準備したドレスが無駄になった』
『ジェシカ様って、ともにパーティーに参加する約束さえ守れないんですね』
(私の側を、離れていったら……)
オーウェンとメイの優しさは誰よりも知っているつもりだ。自分が想像しているような言葉は、きっと言わない。
けれど、どうしても不安になってしまう。ジェシカにとって二人の存在は、簡単には諦められないくらい大切なものになっていたから。
「ジェシカ……?」
重たい気持ちをもったまま歩いていると、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
ジェシカがピタリと足を止めると、その人物はジェシカのもとに急いで駆け寄ってきた。
「オーウェン……」
オーウェンは黒色に銀の装飾がついた正装を身に纏っている。
とても良く似合っていると褒めたいのに、本人を目の前にすると、この言葉しか出なかった。
「……っ、ごめん」
「…………」
ろくな説明もできずに頭を下げて謝るジェシカの両肩に手を置いたオーウェンは、彼女の顔を覗き込んでから問いかけた。
「……誰がジェシカにそんな顔をさせてるの?」
「えっ」
「誰がジェシカに、そんな傷付いた顔をさせてるの」
「……っ」
オーウェンの声色から感じ取れるのは、心配と、怒り。
なぜ制服姿なのかとか、何に謝っているのかだとか、聞きたいことはあるだろうに……。
(オーウェンは、私が傷付いていることに気付いて、怒ってくれて……心配も、してくれるんだ)
こんなに優しい人が離れていってしまうんじゃないかと、一瞬でも不安になった自分は何て愚かなのだろう。
「オーウェン、実は……」
ジェシカが顔を上げ、何があったのか口にしようとすると、背後から鈴が鳴るような声が聞こえてきた。
「ジェシカ様……! 何故制服を着ておられるんですか……っ」
「メイ……」
彼女の方を振り向けば、メイは一瞬目を見開き、ジェシカの両手をギュッと掴んだ。
メイの表情は、可愛らしいレモン色のドレスに似つかわしくない、心配でどうしようとないというものだった。
「何があったのですか……! ジェシカ様の憂いは、このメイが全て取り除いて差し上げます……!」
「……あはは、二人とも、本当に……優しいなぁ」
先ほどまであった不安が嘘のようになくなり、胸がじんわりと温かくなる。
ここだと目立つため、会場の外に準備されている控室に三人で移動すると、ジェシカはすぐに事の顛末を話し始めた。
◇◇◇
「なるほどね。そんなことが……」
「……っ、最低ですわ! ジェシカ様がパーティーに出られないよう、ドレスに手を加えるなんて!」
全てを打ち明けると、メイは眉を吊り上げて激昂した。
オーウェンは声を荒げることはしなかったが、声色から苛立っているのが分かる。
「ごめんね。私が不注意だったのも悪いの」
「そんな……! ジェシカ様は何も悪くありません! 悪いのはドレスに手を加えた人物ですわ!」
「メイの言うとおりだよ。ジェシカは悪くない」
「二人とも……ありがとう」
「ただ、部屋を訪れてきた女子生徒の裏に誰がいるか分からないから、今はこの件について大事にしない方が良いかもしれないね」
この事件の裏にラプツェやその取り巻き、攻略対象たちがいた場合、この事件がもみ消される事は想像に容易い。
どころか、大事にしたらジェシカたちが悪者にされる可能性もある。
ジェシカはコクリと頷いてから、オーウェンに視線を向けた。
「オーウェン、一生かかってもドレス代は弁償するから。わざわざ準備してもらったのに、本当にごめんね。パーティー楽しんできてね」
「弁償とかは本当に気にしないで良いんだけどさ。…………」
オーウェンはそれだけを言うと、おもむろに窓際に歩いていった。
(どうしたんだろう?)
疑問に思いながらも、ジェシカは次にメイへと視線を移した。
「というわけだから、メイも一緒にパーティーには参加できないや。ごめんね」
「……っ、それでしたら、今私が着ているドレスはジェシカ様が着てください! 私なら制服でも──」
「何言ってるの。令嬢のメイにドレスコードありのパーティーに制服姿で向かわせる方が問題だよ。それにほら、私はもともと行くつもりなかったし、大丈夫!」
「けれど……」
どうにかメイを説得していたジェシカだったが、視界の端に不思議な光景を捉えた。
(ん? オーウェン、何か喋ってる? でも、誰と? あれ? 窓の外に一瞬人影が見えたような……って、いやいや、そんなわけないか)
ここは二階だ。窓の外に誰かいるはずもない。
見間違いだろうとジェシカが自己完結させると、オーウェンがこちらに歩いてきて、口を開いた。
「ジェシカ、パーティーに参加できるよ」
「え? オーウェン、何言って……」
「メイ、時間がないから、君も手伝って」
「オーウェン様に指図されるのいささか不快ですし、状況も全く理解できませんが、ジェシカ様のためでしたら喜んで!!」
「ま、待って! 説明を──」
ジェシカが説明を求めると、オーウェンは彼女を安心させるように優しく微笑んだ。




