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12.ゲームとは違う関係性

 

 養護教諭が戻ってくると、二人は保健室を出て教室に向かった。今日はさすがに勉強どころではないので、鞄を取りに行こうとしていたのだ。


「あっ、いたいた! 貴方たち!」


 しかし、養護教諭に後ろから声を掛けられたジェシカたちは、何の用事だろうと互いに顔を見合わせてから足を止めた。


「ごめんなさいね。さっき言い忘れてしまったんだけど、私がいない時に保健室の備品を使用した場合、簡単な書類を書いてもらわないといけないのよ。どちらでも構わないから、保健室に来てくれる?」

「分かりました。そういうことなら私が伺います。オーウェン、良いよね?」


 頬の痛みは大したことはないとオーウェンは言っていたけれど、彼は怪我人だ。早く学生寮に戻り、休んでほしい。


 そんな思いからジェシカはオーウェンに確認を取れば、彼はコクリと頷いた。


「うん、お願いしても良い? 俺は教室で待ってるから」

「えっ! 良いよ! 先に寮に戻ってて大丈夫だから!」

「そんなわけにはいかない。またいつあいつらに会うか分からないから、女子寮の前まで送らせてよ」

「オーウェン……。もう、貴方って人は……。こんなに優しいオーウェンを生み育ててくださったご両親に心から感謝しなきゃね」


 崇めるように手を絡めるジェシカに、オーウェンは少し笑いながら「早く行っておいで」と告げると、教室の方に歩き出した。


 そして、十数秒後。

 ジェシカの姿が完全に見えなくなると、足音一つ立てず、その男は現れた。


「オーウェン様、お怪我の方は大丈夫でございますか?」

「……クリフ。気配を消して現れるな」


 突然現れ、自分の斜め後ろを歩いているのは、制服姿のクリフだ。二十二歳のわりにはあまり違和感はない。


「失礼いたしました。本業なもので。あ、ちなみにアーサー王子たち一行は保健室から離れた場所にいるので、ジェシカ様が接触する可能性はございません」

「そう。分かった」

「それで、オーウェン様、お怪我の具合はいかがですか? ガゼボでの一件も、保健室でのやりとりも全てこっそり拝見しておりますので、問題はないかと思いますが」


 それなら聞くな、と言おうと思ったオーウェンだったが、それを言葉にすることはなかった。

 クリフの立場からすると、大丈夫だと分かっていても聞かざるを得ないのだろうから。


「察しのとおり。明日には赤みも引くだろうし、これくらい何ともないよ」

「それはようございました。オーウェン様の()()としましては、貴方様が消えない傷でも負ってしまおうものなら、命を絶たねばなりませんので」

「おい、護衛のことは口にするな。ここはまだ学園内だ」


 歩きながら一瞬振り向いたオーウェンは、クリフに鋭い視線をぶつける。

 前髪のせいでオーウェンの表情はほとんど見えていないクリフだったが、自身の右手を左胸に置き、軽く頭を下げた。


「申し訳ありません。しかし、オーウェン様、事前にこの辺りに生徒の皆さんが残っていないことは確認済みですので、問題ないかと」

「……それなら、わざわざお前がその服装をする必要はないんじゃないの?」

「ふふ、これはただの趣味で──……」

「聞かなきゃ良かった」

「冗談でございます。念には念を入れて、でございま……」

「もういい」


 オーウェンがハァ……とため息を漏らせば、クリフは相変わらず顔に笑顔を貼り付けたまま、話題を戻した。


「それにしても、何故アーサー王子の、おっそくてカウンターを仕掛けてくださいと言わんばかりの殴打を顔で受けたのですか? あの程度、オーウェン様でしたら避けるのも手で受けるのも、何なら受け流して相手に恥をかかせることも可能だったのでは?」

「そうだね」

「私としましては、そのどれかの方法でご自身を守ると思いましたので、見守るだけに留めたのですが」


 クリフの言うとおり、アーサーの攻撃を処理することは簡単だった。

 何より、攻撃を受けていなければジェシカに心配させずに済んだ。今思えば、ジェシカにだけは少し悪いことをしたなぁと反省している。


 けれど、オーウェンは己の行動に後悔はなかった。


「時には、あんなふうに弱者を演じることも大切なんだよ。後々、こういうことが役に立ったりするから」

「……細かいことは分かりませんが、怖ろしいですねぇ、我が主は」


 クリフが小さく笑った後、オーウェンは再び口を開いた。


「だが、ジェシカを守ろうと彼女の前に出た行動は、無意識だった」

「はい?」

「ジェシカに危害を加えられるかもしれないと思うと、体が勝手に動いていたんだ」


 これは、自分でも理解しがたい行動だった。

 オーウェンは、自身がそれなりに理性的であるという自負がある。おそらく、育ってきた環境のせいだろう。


 しかし、ジェシカが殴られそうになった時は、咄嗟に体が動いた。


(ジェシカが俺を庇ってくれたから、俺も守ってあげないといけないと、と冷静に考えたからじゃない)


 ただ、彼女を守ってやらなければと、心が叫んだ気がしたのだ。


(何なんだ。あの感覚は……)


 訝しげに眉を顰めるオーウェンに、クリフは少し考える素振りをしてから、ハッとした。


「……そのお話はとても興味深く、もっと詳しくお聞きしたいところでありますが……そろそろ時間のようです」


 訓練の賜物か、常人には一切聞こえないような物音がクリフには聞こえる。どうやら、こちらに向かってくる足音を察知したらしい。


「では、私はここで失礼いたします」

「ああ。()()()()()()()

「御意」


 ──シュンッ。

 目に見えない速さでクリフがこの場からいなくなると、同時にジェシカがこちらに駆け足でやってきた。


 教室で待っていると言ったものの、結局到着する前に追いつかれてしまったようだ。


「オーウェン、お待たせ!」

「お疲れ。早かったね」

「待たせたら悪いから、尋常じゃない速さで書いてきたよ!」

「はは、何それ」


 それから二人は教室に入り、鞄等の荷物を手に取ると、廊下に出た、のだけれど……。


「あれって──……」


 廊下の窓から見える反対側の教室。

 そこから出てきたのは、鞄を持ち、帰り支度を整えたのだろうラプツェだった。


「どうしたの?」

「いや、ラプツェ様が教室から出てきたのが目に入って。あ、女子生徒がラプツェ様に集まっていく」


 ラプツェが教室から出てくるのを待っていたのか、四人の女子生徒が我先にとラプツェのもとに集まる。

 ラプツェの友人たちだろうか。


「あ、もう一人来たね」


 そんな四人の女子生徒の後に、一人の女子生徒が現れた。

 美しい金髪の長い髪に、メガネを掛けた小柄の女性だ。彼女は先程の四人とは違って表情が硬く、足取りが重いように見える。


「……ん? 待って、あの子……」


 見覚えがある気がして、目を細めてジッと見つめれば、ジェシカは「あっ」と声を漏らした。


(あの子って確か、『マホロク』で唯一ジェシカの友だちだった、メイ・アドフィニスじゃない!? 何であの子がラプツェと一緒にいるの……!?)


 困惑の表情を浮かべるジェシカに、オーウェンは口を開いた。


「どうかした? あの子に何かあるの?」

「あ、ううん! 何でもないの。か、可愛い子だなぁ〜って思っただけだから!」

「そっか。なら良いけど」


 何故メイがラプツェのそばにいるのか。もしかして、友人なのだろうか?

 悪役令嬢が好かれ、ヒロインが嫌われている今の状況を考えれば、確かにメイがゲームとは違う行動をとっていてもおかしいことではない。


(でも、何であんなに浮かない顔を……)


 そんな疑問を持ちながらも、ここで考えていても埒が明かない。

 ジェシカはオーウェンに立ち止まったことを謝罪してから、学生寮へと足を進めたのだった。

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