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11.保健室での一時

 

 ◇◇◇



「オーウェン! 早く座って! 手当するから……!」


 ここは、学園内の保健室。窓は開かれ、風によりふわりとカーテンが揺れる。すっかり空は茜色に染まっていた。


 養護教諭は会議らしく、部屋にはジェシカとオーウェンの二人きりだ。

 ジェシカは薬や包帯などが入った棚を適当に漁ると、氷嚢袋を取り出した。そして、その中に水魔法と風魔法を同時に発動させて作り上げた氷をいくつか入れ、ベッドに椅子に腰を下ろしているオーウェンの頬にそっと当てた。


「……っ」

「ごめん……! 痛かった?」

「いや、びっくりしただけ。ありがとう、ジェシカ」

「ありがとうは……こっちのセリフだよ、オーウェン……」



 遡ること十数分前、ジェシカの発言に腹を立てたアーサーは、彼女の頬に向かって腕を振り下ろした。


 しかし、拳の鈍い音が聞こえたにも関わらず、いつまで経ってもジェシカに痛みはこなかった。

 それどころか、こちらを睨んでいたはずのアーサーの顔は見えず、視界に広がったのは大きな背中と漆黒の長髪。


『オーウェン……?』


 まさか、とジェシカは前に体を乗り出し、オーウェンの横顔を覗き込めば、彼の頬は真っ赤に染まっていた。

 オーウェンが、アーサーから庇ってくれたのだ。


『この国の王子は、自らの怒りのコントロールもできず、女性に手を上げるんですか?』

『……っ、お前たち、ラプツェ、行くぞ!』


 さすがに留学生を殴ったのはまずいと思ったのか、それともオーウェンの言葉に己を恥じたか、アーサーは顔を真っ青にして、皆を引き連れて去って行ったのだった。



「本当にごめんね……オーウェン。嫌な気持ちにさせるだけじゃなくて、怪我までさせて……」

「ジェシカが謝ることじゃないよ。殴ったのはアーサー王子だし、俺が自分の意志で庇ったんだから」

「そうかもしれないけど……! でも……」


 罪悪感からジェシカは眉間に皺を寄せる。

 オーウェンは、そんな彼女に向かって人差し指を伸ばすと、眉間の皺を伸ばすようにグイグイと押し付けた。


「いたたっ、な、何!?」

「ジェシカが変な顔してるから、直してあげようかと思って」

「変な顔って酷くない……!?」


 真剣に話しているのに、何故かオーウェンは斜め上の会話をしてくる。しかし、そんなオーウェンの声はどこまでも優しげで……。


(ああ、分かってしまった)


 これは、彼なりの気遣いなのだろう。

 これ以上ジェシカが罪悪感を持たないように、謝らなくて済むように、明るくなれるように、考えてくれた結果なのだろう。


「……オーウェン」

「ん?」


 それなら、もうくよくよするのは止めよう。

 眉間から人差し指を離してくれたオーウェンに向けて、ジェシカは穏やかに微笑んだ。


「庇ってくれて、ありがとう。本当に助かった」

「……当然のことをしたまでだよ。俺は、俺のために怒ってくれた大切な友だちを守っただけだから」

「〜〜っ、オーウェン〜〜!! 貴方って人は……! 優しくて友だち思いで、その上勇敢なの!? なんてできた人なのよ〜〜!!」


 嫌われているヒロインに転生したと分かった時はこれからどうしようかと思ったが、こんなに素敵な友だちができて、最高に幸せだ。


「ジェシカ、強い、強い」

「ええ! ごめん!」


 あまりの興奮から、氷嚢袋をオーウェンの頬に当てる手に力が入ってしまったようだ。 

 急いで離すと、氷嚢袋に触れていたオーウェンの前髪が、僅かに乱れてしまう。


「ああ、前髪まで……ごめんね、オーウェン」

「…………」


 髪に触られるのは抵抗があるかもしれないと思ったものの、前髪が乱れたままよりは良いだろう。


(それに、このままじゃあ、オーウェンの顔が見えちゃうかもしれないし)


 そう考えたジェシカがオーウェンの前髪を手ぐしで直していると、彼に優しく手首を掴まれていた。


「オーウェン? あ、前髪触らないほうが良かった? 自分で直す?」

「……いや、そうじゃなくてさ。何で聞いてこないのかなと思って」

「何を?」

「どうして俺が、こんなに前髪を伸ばしているのか」

「あー……そのこと?」


 そりゃあ、気にはなっていた。どうしたって、その長い前髪は目についてしまうから。

 けれど、前髪を伸ばす理由なんて人それぞれだろう。

 たとえば、何かしらの理由で目のことでいじられて、それから隠すようになったとか。顔の上部に肌荒れが多くて、それを隠したいだとか。


(あ、もしかしたら、この前髪が長いスタイルを格好良いと思っている可能性も?)


 前世、学生時代、憧れの二次元のキャラを真似て前髪伸ばしていたことがあった。

 視界は悪いし、前髪が目に刺さって毎日とても大変だったけれど、憧れのキャラに少しでも近付けているのではないかと興奮したものだ。


(待って? もしかしてそのせいで友だちがあんまりできなかったとかある? ……いや、今更考えるのはやめとこう)


 自身の傷を抉るだけだけなので、ジェシカは前世の自分の前髪事情についてはそっと蓋をし、オーウェンに再び向き直った。


「気にはなるけど……どんな見た目をしてたって、オーウェンはオーウェンだもん。理由もあるんだろうし、わざわざ聞かないよ」

「……!」

「あ、でも、もし話したくなったら教えてね。いつでも聞くから!」


 ジェシカの言葉に、オーウェンは素早い瞬きを繰り返してから、ふわっと表情を緩めた。


「……はは。ジェシカって、結構短気なのに、どこか達観してるよね。変なの」

「短気!? ……いや、短気かも……。殿下に言い返しちゃったし……。今度何か面倒事に巻き込まれそうになったら、是が非でも走って逃げなきゃ……」

「……どうかな。ジェシカだからなぁ」

「ジェシカだからって何……!?」

「ははっ」


 楽しげなオーウェンに、ジェシカもつられて頬が緩む。


(ラプツェに難癖をつけられるわ、攻略対象たちに罵倒されるわ、オーウェンが痛い目に遭うわで大変な一日だったけど……。オーウェンがこんなふうに笑ってくれて、嬉しいなぁ)


 それからしばらく、ジェシカとオーウェンは他愛もない話に花を咲かせた。それはとても、楽しい時間だった。

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