10.友を貶す者に我慢ならぬ!
乙女ゲーム──『マホロク』では、いくつかイベントが存在している。
ヒロインが攻略対象たちの運命的な出会いをするところから始まり、各攻略キャラの特色や性格に合わせたイベントだ。
落とし物を拾ったら攻略対象と指が触れ合ってトゥンク……とする小さなものから、攻略対象と家族の悩みに切り込み、ヒロインであるジェシカが彼らの唯一無二の存在になる大きなものまで、様々ある。
そして、目の前に広がるこれ──ラプツェを囲むようにして攻略対象たちがガゼボに集まり、中心にあるテーブルに生徒会資料を並べている光景も、イベントの一つだ。
(確か、隠しキャラを除いた5人の攻略キャラとの逆ハールートの時に発生するイベント! 〜いつもの生徒会室じゃ味気ないから、たまには別の場所で生徒会活動をしようぜ★〜の、やつだ! 本当ならラプツェの場所にいたのはジェシカだったんだけど……)
既に攻略対象たちがラプツェに攻略されているため、ヒロインのポジションが悪役令嬢に置き換わっているのだろう。
(まさかこのガゼボがあのイベントの場所だったなんて……。覚えていたら近付かなかったのに!)
一プレイヤーとして『マホロク』は大好きだったが、いかんせん個人ルートに比べて逆ハールートはそれほど萌えなかったため、あまりプレイをしていなかったのだ。
そのせいで、把握しきれていなかった。
(というか、待って? このイベントが発生してるってことは、ラプツェは隠しキャラ抜きの逆ハールートを進んでるってことよね?)
今思えば、ジェシカの記憶に残るこの世界のラプツェは、常に攻略対象の誰かがそばにいた。その際、五人ともに思わせぶりな態度を取っていたような……。
(二年前、ラプツェの性格がガラッと変わったと聞いて、もしかしたら私と同じ異世界転生者なんじゃないかなって思ったこともあったけど……。やっぱり、そういうこと?)
単にラプツェが心を入れ替え、立派な女性になろうと意識したのだとしたら、今みたいな逆ハールートに進むとは考えづらい。
(それに、普通貴族ならもう婚約者がいてもおかしくない年齢よね? それなのに、ラプツェはおろか、攻略キャラたちにも婚約者がいないのはおかしい……。ラプツェが逆ハールートを楽しむために、誰かの婚約者になるのを渋ってる、とか?)
全て憶測に過ぎないが、あり得ない話ではない。
しかし、疑問が残る。何故ラプツェは、ジェシカに嫌がらせをされたと嘘をついたのだろう。
(……ゲームの時間軸よりも前に異世界転生し、無事に攻略キャラたちを自分に夢中にさせたのなら、ラプツェは断罪を回避できたわけだし、安泰じゃない?)
とはいえ、今そんなことを考えている暇はない。
俺たちのラプツェを怖がらせやがって! と言わんばかりに凄みながら、こちらに歩いてくる攻略対象たちをどうにかしなければならないからだ。
ちなみに、ラプツェはガゼボにステイしたままこちらをうるうるした目で見つめている。若干嘘くさい気がしなくもない。
「ジェシカ、どうする? 面倒そうだし、走って逃げちゃおっか? 俺が時間を稼ぐから」
どうしようかと考えを巡らせていると、オーウェンが耳元でそう囁いてくる。
頷きたいのは山々だが、そんなことをしてオーウェンに迷惑がかかるし、彼まで攻略対象たちに目を付けられるのだけは嫌だからと、ジェシカは首を小さく横に振った。
「おい、何を話している? この状況を分かっているのか」
一番前を歩く王子──アーサーに話しかけられ、ジェシカは視線を彼らに向けた。
「ジェシカ・アーダンだっけ? 君さ、俺たちのお姫様に嫌がらせをしたり、怖がらせしたりするの、本当にやめてくれない? そういうのうざいよ」
「その通りです。ここまで醜い女性、僕は貴女以外に知りません。恥ずかしいと思わないんですか?」
「本当に愚かな女だな、君は」
筆頭公爵家の息子に、筆頭魔法使いの息子、そして宰相の息子に罵倒されるも、ジェシカは怯えることも目を逸らすこともなかった。
「何度も言うようですが、私はラプツェ様に何もしておりません」
ただ、淡々と事実を述べる。謝ればこの場から早く解放されるかもしれないけれど、それだけは嫌だった。
何も悪いことをしていないし、これまでのジェシカの我慢も無駄にしてしまうから。
「まだ認めないのか! 謝れ! ラプツェに謝れ!」
すると、一番後方にいた騎士団長の息子がジェシカのもとに、ものすごい勢いで詰め寄ってくる。
「……っ」
いくら前世の記憶があろうとも、ブラック企業でメンタルを鍛えられていようとも、ジェシカは女性だ。
自身よりも背の高い男に、悪意を持った上で距離を縮められるのは本能的に恐怖を覚え、ジェシカが無意識に一歩後退った、そんな時だった。
「さっきから聞いてれば、恥ずかしくないんですか? 大勢の男がよってたかって女性に罵声を浴びせ、あまつさえ大声を上げて怖がらせるなんて」
それは、軽蔑を含んだ低い、低い声だった。
「……っ、オーウェン……」
攻略対象たちとの間に割って入り、庇ってくれたオーウェンにジェシカは眉尻を下げた。
(どうしよう……。このままじゃオーウェンが目を付けられてしまう)
ジェシカはどうにかしなければと思い、オーウェンの制服を引っ張った。
そして、「大丈夫だから……!」と声をかけたのだが、オーウェンは一瞬振り向き、口元に穏やかな笑みを浮かべるだけだった。どうやら引くつもりはないらしい。
「……っ、でも、オーウェン──」
もう一度オーウェンに引いてもらうよう伝えなければと口を開いたが、その声は騎士団長の息子の発言に掻き消された。
「な、何だ、お前は……!」
オーウェンが言い返してくると思っていなかったからなのか、それとも前髪で表情が見えないことに恐ろしさを感じたのか、騎士団長の息子は動揺の表情を見せている。
「……君はハーベリー帝国からの留学生、オーウェン・ダイナーだな?」
そんな彼の肩をぽんと叩き、オーウェンに声をかけたのはアーサーだ。
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「留学生の名前くらいは把握している。特に、君のような奇怪な見た目をしている者はな」
そう言って嘲笑を浮かべるアーサーに、ジェシカは眉を顰めた。
(何、今の。何でそんなふうに言う必要があるの?)
まるで、オーウェンを敢えて傷つけようとしているかの物言いだ。
(けどそれも、この状況を作ってしまった私のせいだ……っ)
ジェシカが拳を強く握り締める一方で、アーサーは言葉を続けた。
「それに、君は最近アーダンとよく一緒にいるそうじゃないか? この女がどんな女なのか、知らないわけじゃあるまい」
「……そうですね。アーサー王子よりは、ジェシカのことをよく知っていると思いますが」
「それなら何故、その女を庇う? ああ、もしかして、その女に何か脅されているのか? それとも、少しその女に優しくでもされて絆されたのか? ……失礼だが、君の見た目では苦労しそうだからね。愚かな女に騙されてしまうのも分からなくはないが」
クスクスクス。アーサーに続き、攻略対象たち、そしてラプツェたちも笑みを零す。
ジェシカを貶しつつ、オーウェンのことも馬鹿にしているのだ。それが分からないほど、ジェシカは子どもじゃなかった。
「許せない……」
自分が馬鹿にされるのもムカつくけれど、まだそれは良い。より良い未来のために、学園生活では多少我慢しなければならないと覚悟を決めたからだ。
けれど、オーウェンのことは話が違う。
(オーウェンは、私に関わったことで周りに何か言われたり、変な目で見られても構わないと言った。だけど、オーウェンが良くても、私が嫌だ……!)
オーウェンは、困った時に手を差し伸べてくれた。
人の未来のためにわざわざ自分の時間を割いてくれて、地位と権力のある彼らから守ろうとしてくれている、とても優しい人。
「オーウェン、本当にごめんね。嫌な気持ちにさせて」
「ジェシカ……?」
謝罪をしたジェシカはその瞬間、オーウェンを守るようにして前に出た。
怒りが滲んだ瞳でアーサーを睨み付ければ、彼はビクッと肩を揺らした。
「帝国からの留学生であるオーウェンにそのような発言をするなんて……将来国を背負う者として考えが浅はかではありませんか?」
「貴様……っ」
アーサーの額には、ブチブチと青筋が浮かぶ。
ド正論をジェシカに言われたことで、苛立ちが隠せないのだろう。
「調子に乗るなよ! ジェシカ・アーダン!」
本当のことを言ったまでで、ジェシカに後悔はなかった。
しかし、アーサーが怒りに任せて右手を振り上げ──。
「……っ!?」
「ジェシカ……!」
ジェシカの視界は、再び漆黒の長い髪で埋め尽くされた。




